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saezurutori wa habatakanai
「囀る鳥は羽ばたかない」で描かれる、極道ものならではの男同士の濃厚な感情のぶつかり合いから目が離せません。
抗争の結末。そして、百目鬼と矢代の関係性。
見どころがありすぎて、もうどこから手をつけたら状態なのですが…
平田の長い年月の中で大きく拗らせてしまった、いくら望んでも届かない行き場のない想いのやるせなさったら。
そこまで気になる存在ではなかったはずなのに、今巻で彼が見せた不器用で哀れな生き様に惹かれた自分がいます。
三角さんの慈悲のない立ちまわり方も含めて、ものすごく読み応えのある人間ドラマを見た気持ちに。
一方で百目鬼と矢代の関係性はというと、やはりそうは簡単に上手くいくはずもなく。
きっとこうなるんだろうなとうっすらと感じ取ってはいたものの、ラストの短編がかなりの切なさでした。
ほしいのに受け取れない。大切なものが増えてしまったら。
真っ直ぐな目を向けてくる百目鬼を心から受け入れてしまったら、矢代という1人の男の何かが確実に変わってしまうことでしょう。
それはきっと良い方向になのだろうと読み手には思えても、矢代にはそうは思えないのです。
深く刺さった棘のように、じくじくと痛みを与えながらふとした時にフラッシュバックする過去の記憶。
一見飄々としているようで、根深い傷を癒せずにいる矢代の不安定で危なっかしい生き方にもどかしくなります。
情に厚く、優しくて臆病な彼が纏う身を守るための分厚い盾を、すべてを知った百目鬼がいつか叩き割って包み込んでくれると信じて、引き続き次巻も見守りたいです。
5巻のあとがきで一つの区切りとありましたが、これもまた一つの大きな区切りでは…と息を吐く6巻でした。矢代と百目鬼だけでなく、矢代と影山に関しても、清算という言葉がチラ付きます。
組の大規模な騒動が男の嫉妬に集約されてしまうという、厄介な展開。そして矢代と百目鬼も、面倒な袋小路に入ってしまいました。
矢代の中ですでに百目鬼はシャットアウトされているのが分かりすぎる態度で、取り付く島もないです、表面上は。それでも百目鬼くらいは十分騙せるわけで、相手を傷付けながら自分をも傷付けている矢代が痛々しいです。
巻末の短編は矢代の核心で歪の本質だと思うんだけど、なぜ本編扱いじゃなかったのかな。すべてが終わった後に理解する百目鬼がまた…苦しい…。
読後に表紙を見るとなぜか泣けてきました。5巻のラストシーンから6巻の二人が流れるように思い浮かびます。この表紙、今のところ出てる8巻までの中で一番好き。
6巻も一気読み。
途中で止めるなんて無理な作品です。
もう簡単に「映画みたいな作品」だなんて軽々しくレビューできなくなるくらいの作品に出会ってしまったな、という感想。
悲しい男たちでした。
平田も三角も、矢代も百目鬼も…。
殺られるならあなたがイイと思ってるほどの人に無視される悲しみってどんなものなんだろうって考えたら凄く胸が痛いですね。
百目鬼はまだ望みがあるはず、と思いたいです。
矢代だってそう簡単に百目鬼との事は忘れられないはず。
治ろうとしている傷がまた裂けるような痛みを抱えたまま過ごしてるはずです。
悲しいね。
読者の予想を超える展開は、この巻でも健在です!
抗争の行方にハラハラし、切ない展開に泣いたかと思えば、甘い言葉に胸がときめく。そして衝撃のエピソードの連続に、悲鳴を上げてしまいます。
なんでこんなことするの⁉と、特に、矢代の行動に一喜一憂してしまいました。
激しくなる抗争の中で、矢代のかっこよさが全開で、しびれます。半面、矢代の強さが人としての脆さの裏返しでもあるように感じて、切なくもあります。
実は百目鬼も変化しているところも丁寧に織り込まれていて、驚かされました。
脇役たちもそれぞれの人生で大きな節目を迎える、怒涛の展開です!
作品の素晴らしさについてや、ヨネダ先生のまるで映画のような
作画は今更ながら多くの皆さんが書かれているので、6巻を読んで
どうしても気になったことを少し書くことをお許しください・・・。
もはやBL作品の枠を越えるようなキャラ造形とストーリーの
構成で、どの巻も全く緩むことなく、ヒリヒリするような、でも
間違いなく本作は「純愛」を描いていると解釈しているのですが。
6巻には、ついに矢代が百目鬼を手放すストーリーが描かれますよ
ね。そのタイトルが「飛ぶ鳥は言葉を持たない」。これは、この
作品の題名と、ある意味対を成すようなタイトルで・・・恐らく矢代
から、百目鬼への想いがタイトルにも込められているのだと読めま
した。この世界で生き続ける矢代=飛ぶ鳥、は、百目鬼への一途な
「愛」を語る「言葉」を、あえて「持たない」のだと。(初めて、愛
する人と繋がった後に、今までの自分の過去に涙した、あの5巻の
ことを思うと本当に切なくて胸が痛みますが・・・。)
だとしたら、この物語のタイトルである「囀る鳥」とはやはり百目
鬼のことなのでしょうか。羽ばたかない、というのは、ひな鳥が初めて
親を見て、ずっと背中を追いかけたまま、ずっと傍に居て愛し続ける、
そういう意味なのかな・・・?想像が膨らみます。
七原が、矢代のことを意外と的確に見ていて、その七原からの話を
聴いて、百目鬼が恐らく矢代の本当の姿を理解していく辺りの描き方
が上手すぎて震えました(笑)恋愛関係にあるお互いは、ある意味お互
いを見失うこともあると思うのですが、第3者の目や見方を通して、相手
の本質を理解する瞬間ってあると思うのです。その表現が上手すぎて驚き
でした。三角さんにも、竜崎にも、矢代はある意味、人間的な「本質」を
見抜かれ、その人たちとは深いつながりを持っていますよね。間接的です
が天羽さんも。(だから百目鬼を自分と三角の関係になぞらえて、放って
おけなかった)七原ともそういう関係だと思います。ここから、主人公
二人の関係のカギを握っているのは、こうした「本当の」矢代の姿を知る
人々なのかもしれないな、そうであったら良いのにな、と思わずにはいら
れない6巻でした。
恋愛にとどまらない、人間を深く描くストーリー。何度読み返しても、
色々な考察ができる「余白」のある物語。6巻で少しほっとしたのは、
矢代が影山に「なんで久我だったんだ?」とあえて質問したところ。
影山への一途な想いが彼の原点であることは間違いないですが、あの言葉
を本人に言えた、という事は、矢代の中では影山<百目鬼、に知らず知ら
ずなりつつあるのではないか?と思えたことです。まだまだ波乱がありそ
うですが、最後まで見届けたい!・・・長文失礼しました。
帯に劇場アニメ化決定とありました。これだけ面白ければ当たり前ですね。
ところで5巻で平田を自分の手で殺してやりたいほど腹が立つとレビューしてましたが、無事?に三角によって処分されてました。
やはり矢代は頭が切れましたね。そして平田の掃除屋が良い仕事してました。1番振り向いて欲しかった三角に無視された形で死んでいく平田、これ以上残酷な扱いありませんでした。
最後の病院の屋上での七原と百目鬼の会話がキツ過ぎて…、これから7巻を読むんですが寝れなくなりそうで怖いです。
劇場版を最初に鑑賞しました!ほんとに、音楽もいいし、絵も綺麗だし、エロ加減も含めて最高でした!劇場版を見た時、矢代の声が矢代でしかなく、初めて声優さんってすごい!って思いました!その後、Netflixで同級生も続けて見ましたが、矢代か草壁くんかっていうぐらいこの2作品は私が声優さんにも意識を向けたアニメーション作品になりました!どちらも映画(アニメーション)入りですが、面白すぎて所謂BL作品は初めてでしたが、全巻購入し、一気見しました!本当に神でした!どうか矢代と百目鬼に幸せが来ますように!
1冊まるまる平田回です。
やっと決着がつきます。
真誠会組長の平田が仕掛けた盛大な親子げんか。
弟分の竜崎を丸め込んで三和会系の豪多組が抑えた薬を捌かせて、売上の4/5を吸い上げ、豪多の組・仲本に上納する。
さらに竜崎を使って矢代にヒットマンを仕向けることで、邪魔者を2人排除する。
当確と思われている三角の道心会組長就任を、下部組織のゴタゴタでひっくり返すべく、対抗馬の柳と裏で手を組む。
途中まで上手くいっているかに見えた平田の陰謀の穴は、竜崎を侮っていたことだったんだなあ。
竜崎の矢代に対する想いを見切ったつもりで動かしていたけれど、世の中には平田のように単純な人間ばかりではなくて。
憎しみで曇った目では、矢代の能力も見抜けなかったのも大きい。
兄弟殺しは古くからある命題でもあって。
一番有名な弟殺しは旧約聖書のカインとアベル。
兄殺しでは、ギリシア神話のオシリスとセト。
その両方が、「親にもっと愛されたい、認めてほしい」という嫉妬が原因でした。
平田は黒羽根という兄を殺し、矢代という弟を手にかけようとしますが、それはすべて「三角に自分を見てほしい。必要としてほしい」という思いから。
自分は正当に評価されていないと感じる人間ほど、自己顕示欲や承認欲求が強くて、周囲をしっかりと見えていないことが多いですね。
黒羽根を消せば三角は自分を見てくれると思っていたところに、ポッと出の矢代が労せず三角の寵愛を奪っていったら…。
自分自身を変えるよりも、邪魔者を消すという方法で状況を変える方が簡単。
特に平田のような人間はself-esteemが高いから、ありのままの自分に目を向けてさえくれたら、三角はきっと自分を側に置きたくなると思い込んでいる。
悲しいものです。
だからこそ、それだけの価値がある自分が寝返ることが三角にとって大きな痛手になると信じてるんですよね…。
ひとは自分に好意のある人間しか傷付けられないと考えていまして。
期待するから落胆するし、好きだから拒絶されたら悲しい。
だけど相手が自分に期待していなかったら、無関心だったら、何をしたところで変わらない。
たとえば別れ話をしてきた彼氏にどんなに酷い言葉を投げつけたとしても、言葉の矢が相手の心に刺さることはないんだよなあ。投げつければ投げつけるほど、自分だけがまだ相手への思いに囚われているという現実を突きつけられるだけで。
平田が何をしようと、三角は傷付かない。
ただ面倒ごとが増えることを憂うだけ。
平田が「こっちを見て!」と大きな声を出せば出すほど、その声の大きさを疎まれて耳を塞がれるだけ。
平田の最期に三角が投げつけた言葉が辛辣でした。
あんなに焦がれても、結局、三角の心を1mmも動かすことができなかったんだなあ…。
長くなりました。
矢代と百目鬼のことに全く触れないまま1100文字超えてしまった。
6巻で想いを遂げた百目鬼ですが、矢代の心を覆った殻を破ることは出来ず。
むしろ「百目鬼と自分は違う」という思いを強くさせただけで。
同じであれば、側に置いておけたのかもしれない。
けれど違うと分かったら、もう側には置いておけない。
自分のために何もかもを投げ出すやつだから、自分の代わりに盾になることを喜ぶような人間だから、側に置いておいたら自分が弱くなる。
守りたいものが出来るとひとは強くなると言いますが、全員がそうではなくて。
つらいです。
それでも食らいつく百目鬼がつらい。
何を言っても届かないのが悲しい。
そして突き離すことでしか百目鬼を守れないという矢代の考え方も切ない。
それぞれの想いが強ければ強いほど、苦しい。
そんな6巻でした。
間違いなく「神」です。
この巻は、出版された時に前巻をおさらいせずに読んで訳わかんなかった覚えがある。
2年弱空いていたからか、「掃除屋」と鮫/鯨コンビ、柳、豪多の仲本、平田、昔の三角、七原、などなど顔がこんがらかって…
今回1巻から一気に読んで、顔もいきさつもガッチリ把握できたらめっちゃ面白い巻じゃないの。
と言ってもこの場合BL的な部分じゃなくてヤクザの報復の部分ね。
平田が仲本と手下をあっけなく殺し、ここに至ってまだ矢代に罪をなすりつける。
だけどとっくに三角にはわかってて…
…と平田の粛清展開が始まります。
平田の野郎ぶっ殺してやりてぇ…と思いながら読んでたわけだけど、こうなってみると平田も可哀想な奴。
『俺を見ろっ 俺を…』
『俺の知らねぇところで勝手に死ね』
…三角の冷酷さが骨の髄までクる。
また、この巻では矢代の自己破壊願望的なものも。
わざと平田の暴力/殺意を薄笑いで受け入れる矢代の描写に音は無く、寄せる波、羽根を散らす鳥、茎が折れかかった花…
綺麗には生きられない、綺麗に生きる資格などない、もう終わらせたい…
そんな気持ちだったのだろうか?
この後は雑誌を追ってないので、7巻が出るのを楽しみに待ちたいです。
好きになるのが辛い…個人差はあるもののこじらせ度合いが群を抜く八代。
その為に愛と向き合えずに苦しむ様が、理解できるものの悲しすぎる。
これほど、読者の心を苦しめる受けに初めて出会いました。胸が苦しいです。
ストーリー展開もしっかりしていて、八代の頭としての度量には圧巻させられます。任侠者とは思えないスマートぶり。警察も手玉に取る様は八代だからこそできるもの。
「こんな人ヤクザにこそ必要なのでは」と思わせられます。暴力がほぼ皆無。お金は投資というスマートな方法で稼ぎます。だから、警察も文句が言いにくい。
ただ…どうしても好きな人を側に置く勇気は持てない。そんな八代に翻弄されてます。