条件付き送料無料あり!アニメイト特典付き商品も多数取扱中♪
sanshoku mazareba kuro ni naru
作家さんの新作発表
お誕生日を教えてくれます
半グレ集団のリーダーの辰吾と実弟の智巳、
二人の男の間で揺れ動くヤクザの跡継ぎの巽。
一向に満ち足りることのない心。
求めていたのは男の腕に抱かれること、愛されること。
辰吾に抱かれて巽はそのことに気がついてしまう。
辰吾は優しく、孤独な巽の唯一の理解者のように思われた。
けれど、巽が辰吾を抱きしめる背中でこっそり暗い笑みを
浮かべる辰吾にぞわりとした。
そして、そこから始まる辰吾の暴力。
辰吾の元から逃げ出してきた巽を弟の智巳は優しく抱く。
傷ついた巽を癒し、強さも、愛も、求めていたもの全て与えてくれる。
そんな智巳の無償の愛こそが自分の求めていたものかもしれない、と惑う巽。
けれど、そんなとき、父の愛人の右介に人それぞれの愛の在り方を
諭されて自分の心が向いているのが誰なのか、気がついてしまう。
巽が衝動的に向かった先は辰吾の元だった。
純粋に心が、体が、辰吾を求め、ただ辰吾に会いたかった。
そんな巽を試すかのように暴力をふるい、
残酷な笑みを浮かべながら乱暴に巽を抱く辰吾。
辰吾のそれは暴力と痛みを伴う不器用な愛で
そういう風にしか誰かを愛せない、孤独を抱えていた。
結局、巽はそんな辰吾を受け容れてしまいます。
求めるではなく、愛を与えることで満たされようとして。
正直、本編を読み終えた時点ではこの結末が
ハッピーエンドなのかはわかりませんでした。
だけど、描き下ろしの最後に嬉しそうに微笑む巽を見て
ようやく巽にとってはこの結末が幸せなものだと思えました。
すごく歪な愛情だとは思うけれど。
巽も辰吾も智巳も、その心情を理解しようとしても一筋縄ではいきません。
読み込んで、考えて考えて、そういう愛もあるのか、
と強引に飲み込むことにしました。
みんな愛に飢えていて、しんどかったな。
辰吾は巽から愛されることが出来たけれど、智巳はどうなるんだろう…
はじめは智巳の兄への執着は嫉妬だと思っていたけれど、
兄を恨みながらもそこには家族愛や性愛の情も込められていて、
母親から与えられなかった愛を兄に求めていたのかな。
そう考えると、巽の選択ってすごく残酷です。
どうか、今度こそ周囲に認められ、自分の居場所を見つけられますように。
前作『バラ色の時代』を未読のまま本書を読んでしまったので、
突然の右介の登場に誰?となりはしたものの、読んでいなくても
特に本作を読む上では支障は感じませんでした。
読んでいた方が楽しめるとは思います。
うーん、業を感じますね…
ヤクザの組長を約束されているのに、違うものを求めている巽。
一心に、兄の巽を好きな智己。
半グレの辰吾。
これ、読んでいて気づいたのが名前。
巳と辰の間の方角が、巽なんですね。この名前からも3人の関係性がわかる。
読み終えた感情は、複雑です。闇の中だとすがるものは、光だけじゃないのだなぁと。酷くされても、巽が辰吾に引寄せられて行くのは何でなんだろう?
もちろん、一心に愛してくれる智己も弟ですから明るい光に何か薄がかった感じですしね。
何を持って人は満たされるのか、わからなくなりますね。
巽と智己の父、情人の右介が登場していてちょっと安心しました。こちらは、穏やかに過ごして居るのでしょうかね?
読み終えたけど、決してすっきりしません。でも、白黒つけなくていーんですよね。きっと。
一気に読んでしまいました。
『バラ色の時代』の大和の子・巽と智巳が登場します。
ガチ兄弟だけど色々してます。
しかし、巽が選んだのは、半グレの辰吾。
この辰吾が人を信じられない男で、
巽にひどいことをするのだけど、
巽は辰吾を愛しています。
全身全霊かけるような巽の愛で、少しは辰吾も変わることができたのかな?と思う描き下ろしに救われました。
智巳は可哀想でしたが、下の者に慕われているのは次男の智巳です。
きっと、大和の跡を継ぐのでしょうね。
しかし、菊池も右介も老けましたね……
大和が出てこなかったのは残念でしたが、
別宅で右介と幸せに暮らしているのかな?
海外にはいけなかったのかと思うと、少し寂しいです。
『バラ色の時代』のスピンオフだったんですね。まさにあの父親にしてこの息子あり。妻がいながら男の愛人をつくり、その愛人に対して傍若無人に振る舞う父親がずっと反面教師のような存在だったのか、自己主張が控えめですべてに受け身な巽。一見父親とは正反対のように見えるけれども、最終的に愛に生きることを決断したのは父親譲りであるとも言えるんじゃないでしょうか。父親は家族を捨てまではしなかったけれども、人生の本当の伴侶には愛人を選んだ。私にはこの2人が、どうしようもなく愛なしには生きられなかった似た者親子に見えました。
巽が愛した辰吾は最後まで巽を痛め続けます。モブ姦は萌え要素になるけど暴力にはあまり萌えないので、萌えたとは言いにくいのですが、ストーリーには引き込まれました。弟はこんなに優しく愛してくれる、でも、巽が求めるのはそれではないのです。被虐嗜好があるから物足りないとかいう話でもなく、巽が自らその孤独を埋めてあげたい、愛したいと思うのは辰吾ただ1人なんですよね。相手が優しいかどうかで好意が変わるわけじゃない。穏やかに愛してくれる人を自分も好きになれたらいいけど、そんな簡単な話じゃないから恋は苦しい、でもだからこそ愛の尊さが増すんだとも思います。辰吾が巽を愛していることはちゃんと理解できました。お互い納得するまで、とことん相手の愛を確かめればいいと思います。
こちらを先に読んでしまったので、「どういうこと?」という点がいくつかあったものの、特に支障なく読めました。
むしろこちらを先に読んでから「バラ色の時代」を読んだ方が心がそこまで乱されずに済みます。地雷多めの方にはその順番がおすすめです。
ヤクザの後継兄弟とその母、それにチンピラ崩れの男の話です。
父に似ている長男の巽を溺愛する母。
自分を愛してくれる「誰か」を探し求める巽。
兄に執着する母に認められたい弟の智巳。
自分を受け入れてくれる「誰か」を手に入れたい辰吾。
まあ、とにかくすごいです。だいぶネタバレしてしまいますが、
殴る。友人たちに輪姦させる。実兄弟。
この3つのうちどれかひとつでも地雷の方にはおすすめしません。
それだけ激しく相手を傷つけなければ実感できないものって何なんでしょうね。そこまでに至る事情は描かれていないので、なぜ辰吾はそんなにひとを試すのかは不明です。
ただ巽の方は巽に執着しているかのように見える母が、巽ではなく巽の向こうに見える父の面影を追っているだけだからというのは分かります。だからこそ父が継いで引き渡していった組を継ぎたくない、父の人生のトレースはしない、ということなのでしょうね。
本編同様、誰もが不幸です。そして本編同様、欲しいものを手に入れたひと、手に入れつつあるひとの姿が最後に描かれています。
だけど本編を読んでみると本編ほどすっきりはしません。おそらく辰吾の試し行為の過激さや、弟の不憫さに目がいってしまうからでしょうか。
恋煩シビトさんの作品を集中的に読んでいるところですが、「萌え」はない作品が結構ありますね。人間の業の深さや狂気をテーマにされているので、読んだ後に顎をさすりながら「なるほど…」となるような作品。
こちらもそういう作品でした。なるほど…。
この作品は感想をまとめるのが難しいです。
いつもまとめようと思っては挫折…なので思ったことそのまま書きます。
もう納得いくとか納得いかないとかはさておいて、受けが弟ではなくそういう攻めを選んだのだから仕方ないね…としか言いようがない気分になります。ちょっと無力感に襲われるというか、外野があれこれもはや言えない…みたいな。
いくら忠告してもいくら警告しても耳を貸さず、あの人には私しかいないの…あの人を愛せるのは私しかいないの…とDV男に舞い戻ってしまうようなDV共依存カプを見ているような気分になるのです。
ただし攻めがDV男というよりも、サイコパスに思えるんですよね。DVだけではなく受けを他の男と共有して輪姦も楽しんじゃったり、半グレ集団のトップとしての制裁を楽しんでいるのとかを見ると。
自分でも何故暴力を振るうのか、何故酷い仕打ちをするのか自分自身も判らないがこれは性(さが)であり 持ってうまれたもの、自分では選べない、自分から逃れられないという絶望感を抱いている攻め。
それをこいつはこういうふうにしか愛せないと理解して全てを受け止める受け。
相手のどんな性があってもすべてを受け入れて丸ごと愛するという究極愛を描いているのだと思いますが、いつか殺されないようにね…としか言えません。あ、殺されてもいいくらい愛してるっていうやつなのかな。
ガチ兄弟をあまり好まない私なのに、ガチ兄弟同士でくっついたほうがまだいいのではと思えるような歪みが読む人を選ぶと思います。
表題作に関しては中立ですが、「バラ色の時代」の受けが登場する歪んだ普通じゃない薔薇について語るシーンが好きなので萌で。
地雷源を突っ走って行く感覚
暴力、モブレイプ、近親相姦…
アウトローな道の先に純愛が見える
愛の伝え方、考え方は人それぞれだなって
地雷を踏みすぎて感覚が麻痺した人は読んでみては。
「溺れる」が大好きなので、恋煩先生の今作も読んでみたが、ストーリーに入ることがでなかった。受けと弟ともう一人の攻めの3Pの話。受けと弟とももう一人の攻めとも、情があるより体の関係に流されているだけのように見える。
『バラ色の時代』スピンオフ。大和の息子、巽が主人公です。この作品を読み、作家さまの本懐が遂げられたかのように感じました。『バラ』のサイドストーリーというより、『バラ』を描くことでその下に眠っているテーマの根幹が浮き彫りになったというか…。そのテーマを描ききるためには、ヤクザという特殊な世界でなくてはならなかったということも。
先のレビューでみみみ。さまがご指摘されているように、わたしもこの作品には『シュガーダーク』に近いものを感じていて、主人公たちが求めている愛の形とは一体どういうものなのかと読み返す度に考えていました。
ヤクザの長男である巽は、跡を継ぐことにためらいを感じている。家庭では父親不在。彼は半グレで暴力的な辰吾と、彼から巽を守ろうとする実弟、智巳の間で揺れます。
『シュガーダーク』の亜希生がふるう暴力の背景には、実兄への思いがあった経緯が描かれていますが、辰吾については何も示唆されていません。彼はただ「愛する」ことができれば自分を受けいれられるはずだと巽に語り彼を試します。他方、智巳はそんな辰吾から巽を守るといい、兄の愛を乞います。それは近親相姦の様相を呈していますが、家業を存続させるため、一族のために奔走している自分を巽にだけは認めて欲しいという、智巳なりの歪んだ家族愛の発露のように感じました。
巽は辰吾の温かくて大きな手に、ずっと彼が求めていたものを見出すのですが、わたしはそれを父性の象徴として受け取りました。巽が智巳の甘やかしに近いような包容力に満たされず、むしろ理由なく暴力をふるう辰吾に惹かれるのは、父親の望みに応えられない自分を罰してもらいたいという隠れた欲求を満たしてくれるから。今作で辰吾が振るう暴力は「性(さが)」だと表現されていますが、暴力で相手を服従させることが、一番欲していた頃に得られなかった親の愛情を求める哀しい代償行為のように思われてなりませんでした。辰吾が暴力をふるう行為と、巽の自罰行為はどちらも根っこが同じだからお互いに惹かれたのではないのか、と。共依存のような辰吾と巽の関係は、(父)親に存在を認められたいという欲求の表裏を二人のキャラクターに分けて描き出された、愛を求めて彷徨う渇いた者同士。しかしただお互いから搾取し合うだけでは不毛な関係で終わってしまいます。
巽も辰吾も智巳も、愛を求める相手からは自分の望む形で与えられることはありません。一方的に愛を欲しがるだけでは、行き着く先は出口の見えない闇(黒←タイトルの象徴)にしかならないけれど、もし相手の望む形で自ら愛を与え続けることができたら、何かが変わっていくかもしれない…。物語の最後、愛とは与えることだと巽は気付き、その姿を見せつけられた智巳は兄以外にも自分を支えてくれている人たちがいることに初めて目を向けます。エンディングで二人が何かを乗り越える希望を感じさせてくれているんですよね。また、辰吾についても描き下ろしで少し変化が見られ、作家さまによってしっかりとフォローされているのが窺えます。
初めて読んだ時は作家さまの作風ゆえに、筋だけを追っただけでは奥に秘められているテーマやタイトルの示すところを汲み取ることが難しかったのですが、改めて三人のセリフとモノローグをきちんと辿ると、「愛」の答えはちゃんと出ていました。
シビト先生が描くダークな世界観に惹きつけられてやみませんが、ここ最近は先生のシュールなコミカルテイストのお話に飢えつつあります。次はどんなお話を読ませてくれるのか、とても楽しみです。
『バラ色の時代』は登場人物たちの心情が丹念にトレースされていて、見開き・大コマを使ったシーンは映画みたいで余韻が残りました。
今作は『バラ色の時代』ヤクザ組長・大和から組を譲られた子供たちの話。
長男の巽は組を背負わなきゃならないのに、覚悟が決められず逃げている時に辰吾と出会い、優しく愛してくれる辰吾に溺れる。
でも辰吾は愛する相手に酷くしたい性癖があり、巽はDV・輪姦されまた逃げるように組(家)に戻ると、今度は弟・智巳に流されるように抱かれる。
最後は、流されるように生きてきた巽が自分の本心に気付いて行動を起こすけれど…
逃げ場が欲しい巽が辰吾に溺れてしまうのはわかるけど、いくら傷ついていたからって父母が同じで一緒に育ってきた弟にそんな抵抗も無く抱かれてしまえるもの?
姐さん(母親)が組を背負う覚悟を決めてる智巳を差し置いて、兄の巽に執着してる理由もいまいちわからず。大和に面差しが似てるから?
智巳も実の兄ってハードルを越えたうえでの行動なんだからもっと執着を見せても良いんじゃないの?アッサリ身を引きすぎなんじゃ?
智巳が身を引く決心をするシーンも、さほど盛り上がってるようには見えず…
切れ長の瞳・目線ひとつで感情を表す絵はすごく好きだけど、今作は登場人物達の行動理由に説得力がなくて、はてなマークばかりが残りました。
父親・大和はまったく登場しないけれど、愛人・右介が自分たちのことを巽に語ります。前作では綺麗で中世的だった右介が、年相応なおじさんになってます。
前作のラストシーンで大和と右介の未来は見えていたけれど、年を重ねても一緒にいるんだっていうのが実際にわかったのは嬉しかった。