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hotori no tobari
三崎先生の漫画を3冊とも読み終え、間違いなく私の好みだと思いました。
評判から、私の苦手な痛々しい作風なのかもしれない、と警戒していたのが嘘のように、すっかりこのあまずっぱさ、せつなさかわいさに心を奪われてしまいました。
三崎先生にかかると、ばっちいはずの小学生男子の鼻水がこんなにいじらしく見えてしまうのです。
絵も独特で、好きになれるか心配していましたが、今や、純真さのあふれる黒丸の瞳に釘付けです。
私の苦手な(黒歴史がいっぱいよみがえる)小中学生で、私の心を捉えた心憎い先生です。
先日レビューした「はるのうららの」とは全然タイプが違うけれど、これもまた同じくらいお気に入りの1冊。
これはBLかというと、そう思わずに読む方がすんなり刺さってくるんじゃないかなと、個人的には思っています。
好き嫌いは分かれるかも。
「現実」で満たされなくて「夢」に逃げ込んでくる少年たちと、彼らが見る夢の中の住人〔とばりちゃん〕のお話。
『夢うつつ奇譚』という表現がぴったりの不思議なお話ですが、作中に出てくるとばりちゃんの次のセリフが、この作品がどういう類いのファンタジーなのかを遠回しに教えてくれます。
「夢は物語や幻じゃないんだよ
現実の延長線上 はしっこのはしっこにあって 確かにつながっているんだ
どういう意味かわかる?」
この作品は2パターンの読み方ができると思うんです。
ひとつは、「夢」に逃げ込んできた少年たちに視点を置いて。
もうひとつは、暗い夢の中にいる不思議な存在の〔とばりちゃん〕に視点を置いて。
そして私は、後者の視点で読むこのお話がチクリと切なくて好きなのです。
とばりちゃんはいわば迷い人の“案内人”なのですが、とばりちゃんがいる現実のはしっこのはしっこに誰も来なければ、とばりちゃんは何者でもない“何か”でしかないんですよね。
そんなとばりちゃんを、ある時迷い込んできた1人の少年が〔とばりちゃん〕という存在にしてあげるんです。
それはただ、とばりちゃんに〔とばり〕という名前を付けた、というだけのことなんですけど、それによってとばりちゃんは「こんばんは、とばりです」って自己紹介出来る何者かになれた、と。
とばりちゃんを主人公にして読むなら、本作はそんなお話になるかと思います。
とばりちゃんの最後の笑顔がキラキラと可愛くって、本を閉じたあともずっと脳裏に焼き付きます。
このお話が教えてくれることはさらにもう少しあって、
とばりちゃんが〔とばりちゃん〕という存在になった途端に、とばりちゃんに対して得も言われぬ切なさが湧いてくるということ。
なんとも哲学的です。
「いつだって誰かの夢の「通りすがり」でしかない
だから僕はきみにこうして話しかけた
だってそうすれば「きみという人間と話をしている誰か」になれるもの」
最後のとばりちゃんのこの言葉をしっかりと噛み締めてもう一度最初のページに戻った時、どうしようもないくらいに切なさが募ります。
胸の奥のほうに静かにじわじわくる1冊です。
【電子】ひかりTVブック版:修正-、カバー下なし、裏表紙なし
独特のイラストと世界感に毎回魅せられる作家さんの作品だと思うのですが、
今回もそんな独自の世界に引き込まれるし、ほんの少し怖さも感じる内容でした。
タイトルを見た時は夜の帳と言う言葉を思い浮かべ、読み始めて夢魔かしら?
そんな風にも思い描いてしまいましたね。
現実社会で満たされない思いを抱いている者が夢に逃げる、なんとも深層心理に
深く入り込んでいる風に思える。
作品は主に3カップル、学生がメインの内容で、現実でもがいていた時夢で見知らぬ
人物、とばりちゃんと出会いながら夢と現実の狭間で揺れ動く心、
夢での出来事が現実生きていく時に大きく関係してくる。
それが密かに思いを寄せている相手だったり、夢の中にだけ存在している者だったり
不思議な世界観が溢れているけれど、ファンタジーだと簡単に言えないものが
確かにあって、夢の中でしか言えなかった事を現実で勇気に変えて夢の中へ
逃げ込む事がなくなる主人公たち、そしていつも残されるとばり。
はたしてこのとばりちゃんは何者なのか?どこか悲しくも見える夢の住人に
思いをはせるような作品で素敵でした。
いろんな人間の夢の中に現れる謎の男の子、とばりちゃん。なんとも不思議な世界観に、最初は物語に馴染めるか少し不安を覚えましたが、読み進めていくうちに実は彼はあらゆる人の身近な存在であることが分かり、すぐに親しみを感じるようになりました。夢は幻や物語ではなく、現実の延長線上。この言葉がとても印象に残っています。時にはまったく知らない土地や知らない人間が登場する夢も見るけれど、現実を少し歪めたような夢の方がずっと多いですよね。夢を見ている登場人物達に、本当は本人も気付いているであろう深層心理をそれとなく仄めかすとばりちゃんの台詞は、鋭い所を突いてばかりでした。
とばりちゃんと登場人物達の会話も興味深いのと同時に、各カップルへの萌えも十分に感じられ、唯一無二のテーマとストーリー性の高さ、良質なBL、どこをとっても素晴らしかったです。キャラクターも非常に魅力的。勉強も練習も人一倍頑張っているのに本番で力を発揮できない上野、小悪魔的な軽薄さの裏に深い孤独を抱えている友野、親友との距離感をずっと測りかねてとばりちゃんに救いを求めてきた睦月、見る角度によって感じ方がぐっと変わる彼らのキャラ設定が秀逸でした。三崎先生の世界の見え方を知りたくなるような作品でした。
数度読むと各所に巡らされた伏線にゾクッとなりますね。
三崎先生の絵柄は丸く可愛らしいものなのに、お話は斜め上のほの暗さを孕んでいてそのギャップがたまりません。このうす~く広がるダーティな雰囲気が大好きです。
今作「ほとりのとばり」も正にそうです。表紙で逆さまになっているこの子が とばり なのですが、得体が知れなさすぎて(そして最後まで、いったい何者なのか明確な答えはない)ゾワッとしました。
でも とばり 自身も言っていますが、誰かの夢の[通りすがり]の存在だったはずなのですよね。それが睦月に見いだされてしまったことで(おそらくあかりちゃんに似ているのは偶然なのだろうと思います)実体化したというか、『なにか』に成ってしまったんじゃないでしょうか…。
連載されていたものをまとめた一冊ですが、いくつかのカップリングがあります。
・好きと言い出せない優等生×努力をしてもなかなか実にならない平凡な子(ここはもしかすると逆かもしれない)
・ヲタクで元ノンケ×ゲイで可愛い同級生
・一生傍に居て面倒見たくてたまらない攻め×常時洟垂れの受け
3組目(おそらくメイン)は一応社会人枠なのですが、記憶掘り返していると小学生の頃がわんさか出てきます。三崎先生のあとがきにもありますように、六割がた学生ネタです!(笑)
――現実[あっち]で満たされない人はすぐ夢にすがりついてくる――
この言葉は とばり のものでしょう。十島はまさにそれですし、仲の場合は行き場のない悶々とした感情が昂ぶったからこそ夢へ無意識に頼ったのかもしれません。
睦月の場合は、彼はうっかり叶えてしまった枠だと思います。たまたまぶつかっただけのあかりちゃんと、そっくりな存在を見つけてしまった奇跡を夢のなかで起こしてしまった。
とばりは、生きてもいないし死んでもいない。夢のなかでだけで存在できるのでしょう。
彼(彼女?)が人に興味を持つことで楽しんだり、羨んだりする様子になんとも言えない侘しさを感じました。でも、寂しいわけではないと思います。人間になりたいとか、そういうことを言っているわけではないから……。
けれどもやはり、最後の最後、睦月が書き連ねていた「ゆめにっき」を手に微笑む姿は、可愛らしくもあり哀しくもあり、不気味さと妖しさを放っています。
一連のお話はそれぞれのキャラクターたちが主人公でしたが、本当の意味での主役はこの とばり なのでしょう。儚い存在です。現実のはしっことはしっこ、ほんの少しの繋がりのなかでだけ存在し、血が通わずとも生きられる不思議なとばり。
それぞれのカップルにいいところがありましたが、なかでも個人的には十島・上野のふたりがとても好きです。
描き下ろし(たっぷりあります!)で十島から見る上野の姿も素敵ですし、なにより何事も努力しようとする上野の中身が好きです。実になる、ならないは別としても。
惜しげなく努力できることは才能だと思います。今は花開かずとも必ず成功するものです。十島はそういう上野の姿を知っているからこそ、惹かれるんだと十分分かります。夢でしか歩み寄れなかった臆病な十島が、現実でようやく想いを伝えられたことでニヤけました。
睦月を見ていて思いましたが、三崎先生はこういうぼんやりしたタイプのキャラクターがお好きなのでしょうか。ぼんやり、洟たれ、放っておけない雰囲気。
いい塩梅です。寝物語のような、不思議なお話でした。