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not equal
作家さんの新作発表
お誕生日を教えてくれます
あの夏、果と愛しあい、このままずっと一緒にいたいと願ったのに、現在に戻って来てしまった凉。父と知っていたのか?と問いかける果に・・・。
凉が生まれた日のことを、凉の名付けを思案した日々を、凉が消えてからの22年間をすべて覚えている果にとって、禁忌に対する恐怖ははかり知れない。方や父親としての果を知らない凉は、母との会話で近親相姦を自覚しても、それでも果が好きなんだとより強く思い、倫理や禁忌についていくら考えても、答えが見つかるわけもなく、再びタイプスリップしようとしたり、個展のために東京に来た果に会いに行っては、ただ愛されたいと願う。
ある日、果が多額の養育費を長年仕送りして来たことを知り、自分が子供としてずっと愛されていたことを、複雑ながらも嬉しく思う凉は、果を苦しめたくない。果には笑っていて欲しい。14歳の果に出会ってから、それだけが俺の真理だったのだと思い出して「果を諦める」と告げるのです。
ここから数年の二人の距離が切なくてたまりません!お互いに気持ちがあるとわかっているのに、離れなくてはいけないと思うのに、どうしても離れられない。親子の振りをしてでもそばにいたい。会えば余計に思いは募るのに、会わずにはいられない。凉が果の住む町の近くに就職したことで、毎週のように食事を共にする二人ですが、東京への異動の話が持ち上がり、淋しさに耐えきれなくなった果は、大雨の中、とうとう自ら凉の元へやって来ます。このシーンで、物語の冒頭の「明日、俺は父親に呪いをかけた」という言葉の意味がわかったような気がします。あれは「一人ではいられなくなる呪い」だったのだと。ひとりぼっちの果が、2度と一人にならないようにと願った凉の呪い。だから一人になった果は、凉の母と結婚して凉が生まれたんだと思う。そして今、たとえ倫理に背いた関係だとわかっていても、それがどんなに苦しくても、再び凉を激しく求めてしまう。
自分のせいで凉の人生をめちゃくちゃにしたと悩み、2度目の精霊流しの夜に「死にたくない、今が一番幸せだから」とすがる果に、凉がかける力強い言葉が、解けない2つ目の呪いになればいいのにと思う。世間の倫理観と彼らの幸せはノットイコール、互いの幸せがイコールなら、それでいい。
この先ずっと二人が苦しむことになったとしても、世間が彼らの関係を認める日が来なくても、誰からも理解されなくてもいい、もう一人じゃないから・・・。
どんな終わりになるのかと怖かった。二人が幸せなら私も満足です。どうかあの夏の呪いが永遠でありますように。絶対に解けませんように!
追伸
2012年のサイン会で配られたノットイコールの小冊子が、池先生のブログで公開されています。あまあまの二人が見られますよ!
待ってました!第二巻。ようやく完結ですね。
タイムスリップで過去にとんだ攻(息子)が出会ったのは、若かりしころの受(父)。
いけないこととはしりつつ恋に落ち、二人は結ばれた。
何も知らなかったまだ若い父と身体を重ねてしまう。
禁忌の重さより~なお話から、現代に戻ってなところからですね。
あるいみパラレルワールドという感じではあります。
ありますが、父にしてみれば、過去に自分が味わった恋しい気持ち。
けれど、長い年月の経過があるわけで
けれど、息子にしてみれば、少し前まで全身全霊をかけて愛した相手なわけで。
この複雑怪奇な気持ちをどう表現していいのかわからないのですが
胸が騒ぎました。
このザワザワした感じって、気持ち悪いんだけど
なんか凄くいいよね+.(・∀・).+゚.。oO
22年。突然目の前から消えた恋しい人。
忘れるために努力してきた22年。
似た女性との間の子供。けれどそれが実は・・・
というか、理想の恋人を自らが・・・どこかで聞いたような(笑
ではありますが、しょうみ「実は血のつながりが無くて」よりも
ずっとこの終わりでよかったのかなとすごく読後思いました。
禁忌の色があるからこそ、重くてイイ。
心で否定しつつも、攻に若くみられたい
と、なんだかんだでかわいい父も良かったですな。
第一、17年も離れてくらしてて、顔もしらなかった相手。
よもや出会ったのは父だって存在をしらなかった22年も前。
血のつながりさえあれど、実際他人もかわらんのじゃ・・と思ってみたりはするんだけどな
≠、完結巻。
「小さい頃からずっと果に会いたかった」。
「昔から会いに来てくれていたらこんな気持ち持たなかった」。
……この間、男女ではあるけれどそんな内容の番組を見ました。
【GSA】という「幼少期に何らかの原因で一緒に暮らさなかった近親者が再会した時、恋に落ちる心理現象」ものらしいのですが、凉の言葉はまさしくそれに近い気がする。
けれど。
本当にそうなのでしょうか。凉の感情は、それだけじゃない気がします。
二人の幸せは、彼らのみが知っている。
それが周りがとやかく言う筋合いなどない。常識なんてくそくらえな訳で。
……でもそればかりじゃいられない。
だから、凉も果も葛藤しているんですよね。
ずっと変わらず20年以上思い続けた果。
将来の自分の父親だと知りつつ、昔の果を抱いた凉。
心はお互い繋がったままだけれど、それは既に「親子」愛じゃない事が分かります。
『子供をつくる訳じゃないのに』という、凉の言葉が物凄く頭に残っています。
世間の倫理観、当然本当の血の繋がりのある親子。
どれを取っても、果の言葉を借りて言うところの「正気の沙汰じゃない」訳で。
それでも、それらを覆す訳ではなく、お互いの気持ちあらば、と自分らを納得させている気がします。
この作品を読んで最後まで気持ちがもやついたままです。
でもそれがいいのです。だからこそ素晴らしい作品です。
池先生も仰ってますが、最後まで「実父子」だったのが良かった。
ここまで読んで、最後の最後で『実は血は繋がっていませんでした』という展開では興ざめだったことでしょう。
最後の描き下ろし、【=(イコール)】。
果目線で話が進められています。
2人で暮らし始めた後のお話。
致していても、甘い空気が感じられないのはやはり、背徳感にまみれているからでしょうか。
世間の常識を切り捨て、息子との愛を手に入れた果。
凉よりずっと苦しんできた果。
そんな彼が手放したものはきっと大きかったのじゃないかと思えて仕方ありません。
それでも凉を選んだ事に意義があり、そしてそんな自分に底なしの愛情を与えてくれる恋人へ身を委ねる。
手離しの幸せはやって来ないかもしれない。
でも、2人の世界は幸せに満たされているといいなと願っています。
現在に戻ってきた凉が最初に感じたこと、
それは若かった果(父親)に対してしてしまったあまりにも重い罪の意識でした。
それなのに自分が果を好きだと思う気持ちが止められません。
それでもやがて二人はお互いに普通の親子の振りをしようとします。
もちろんひかれ合っていることはどうしようもない事実としてあるけれど、
忘れるべきこととして、お互いに距離を保とうとします。
まぁ凉のお母さんが二人の事を知ったときの気持ちを考えるとそりゃそうするべきでしょうね。
しかし、あふれる想いは止められず。
寂しくて、果のほうから凉のところへ飛び込んで行きます。
そして親子という事実がきっとこれからも二人の首を絞めることになっても、
この絆を手放さないという選択をするんですね。
いや~よく考えたらすごく重いテーマでした。
でも果がどう見ても父親年代に見えないし、凉も父親に全く似ていないから、
近親相姦という部分があまり感じられないんですよね。
ま、そこが画面的に救いだと思います。
前の巻の時、あとがきにて池先生が「父子ものだし、タイムスリップだし、万人受けしない」というようなことを仰っていたんですが、万人受けしなくてもこうして私にヒットしたんで池先生は私にとって貴重な方であります。
そして「才能がなくてもしつこくやってれば良いことがある」と。
才能はあります!むしろこのファンタジー路線でしつこくやって頂きたい!!←何様か!?
本当にこの作品含め、池先生の路線が好きだ~という話です。
そして1、2巻を通して気になったことが一つ。
だんだん修正がひどくなっている!!!
なぜなんですか!?
2巻の最後なんて果のアレが白くなってる・・・。
い、いんですけど・・・いや・・・やっぱりそこは・・・ごにょごにょ・・・。
と思ったりしました(笑)
1巻に引き続いての雑感的なレビューではありますが、こちらはセリフの引用などもしているので未読の方はご注意ください。
***
この作品には1巻と2巻の両方に一度ずつ、果と凉が2人で精霊流しを見に行く場面が登場します。(この作品は長崎が舞台)
物語の肝になっているシーンです。
1巻では、14歳の果が流れる精霊の光を見ながら「早く人生を全うしたいな」と言い、「何となく末続果という人間が解ってきた気がする」と思った17歳の凉が、そんな果に「俺と…友達になる…?」と提案します。
ここから「俺が守ってあげるね──」に繋がるまでの果の心の中は、果と同類の人達にはおそらく難なく手に取るように分かるんじゃないかなと思います。
果と凉の一つ目の始まりの場面です。
そして2巻では、1巻の〈現在〉の方の時間からさらに数年が経って40歳を過ぎたであろう果が、あの日と同じように無数の魂が流れて行くさまを見ながら今度はこんなことを言います。
「死にたくない」「だって今…生きてて一番幸せなんだ…‼︎」
そこからの凉のセリフがタイトルである「≠」の意味へと繋がっていきます。
果と凉の二つ目の始まりの場面です。
この二つのシーンが大好きなんです。
心に留めるように何度も読み返しています。
「早く人生を全うしたいな」が「死にたくない」に変わるなんてことは現実的にはそう簡単にあることではないからこそ、お話の中だけでも果がそう思えたことが良かったねと思うし、救われた気持ちになれるのかもしれません。
ルールや秩序というのは元からあったものじゃない。
だから「正しいこと」「正しくないこと」(つまりは倫理観)が一から十まで世の中と必ずイコールである必要はないんだよと。
自分にとっての「幸せ」が狭い世界でしか存在出来ないものだとしても、幸せは幸せ。それが真理。
外に出してあれこれ言われるのなら自分だけの小さな世界に大事に閉じ込めておいたらいい。誰かに認めてもらわなきゃいけないもんでもない。
この作品が教えてくれるのはそんなこと。
凉は自分の父親の幸せを願って「呪い」をかけたけど、読者はこのお話を読んである種の呪いを解いてもらえるんじゃないかな。
囚われていた心がこの作品を読んですーっと溶けました。
ずっと大切にしたい神作品です。
現代に戻されて、父子として対面した二人。
父親に拒否され、改めて父親(14歳の時の)と寝たことがズシリと心にのしかかる息子が、駅のホームであれこれと考えるシーン。
「生理的嫌悪感の本質って何なんだ」というモノローグ。
ガチ親子が何故、私の地雷なのかといったら、生理的に嫌悪を感じるからとしか言いようがなくて、悩む息子に対して説得すべき言葉を私は持っていない。
ダメといったらダメ!としか感じていなかった私に対して、この言葉は結構突き刺さりました。
俺さえいなければ…と無意識に投身しかけたり、息子と寝てるようなヤツに何かを教わるなんてそんなのは不幸だからと長年やっていた版画教室を畳んだりと、罪の意識に最後の最後までとらわれている父親の姿が良かった。
ハッピーエンドではあるけれど、のほほんハッピーではない苦さが漂う終わり方が秀逸だと思ったし、罪深さを充分自覚しながらも、生涯でたった一人の好きな男と一緒にいたいと思う父親のことを私は否定できませんでした。
あとがきで「倫理観はとても大事な感覚だからこそ、常に懐疑的でならなければいけない」「二人の結論が許せなくても、それもまた正しいのだと思います。」とあるように、ガチ親子って最高だよねー!背徳感が萌えるよねーー!!みたいなガチ親子萌え布教の為の作品ではないところが、ガチ親子地雷の私でも最後まで読み通せた最大の理由だと思います。
大事なのは、自分の頭で一度は考えてみることなのかなぁと。
だから読んでみて、やっぱりガチ親子ってナシよね……と思うのも全然アリだと思う。
ガチ親子地雷の私が読めた理由として他にいくつかあります。
・父親が37歳なのに非常に若くてお互い似ていないので、親子感が皆無で視覚的に抵抗がまったくない。
・生まれて間もない頃に別れて以来、小さい頃に一度会ったきりなので親子として過ごした時間がほぼ皆無。そのため親子という実感が非常に希薄で、家族愛や父性愛といった親子の情が育まれる前に恋愛感情が芽生えてしまったという設定の妙。(一つ屋根の下で育った一般的な親子の話だったら、私は絶対に読めなかったと思う)
だから、ガチ親子地雷の人でも、大丈夫そうなら読んでみてほしいなぁ……って思いました。
多分、読めると思う。責任は負えませんが……
世間とは「ノットイコール」でいいから自分たちは「イコール」でありたいという二人。
どこかでひっそりと幸せでいてほしいなぁと思います。
それにしてもタイトルが秀逸で、神だなって思います。
一巻を読んで、二冊まとめて入手しなかったことを激しく後悔し、
速攻で購入した二巻…
実は果の子ではなかったというオチはやめて欲しい、と思いながら開いたのだが、
安易な結末にせず描き切られていて、強く心を揺すぶられて読み終えた。
元妻にも、実の母にも明かせない重いタブー。
それを抱えながらも共に生きていくことを選んだ二人。
思い出の場所に、精霊流しを見に行く二人。
かつて15の果は同じ場所で「人生を早くまっとうしたい」と言ったが、
彼はそこで「死にたくない!」と言う…
この関係こそが、この愛こそが、彼が生きる意味なのだと思う。
にわとりが先か卵が先か、考え始めるときりがない話ではあるが、
涼と恋に落ちて、涼と似た瞳の女性と結婚して、涼が生まれる。
果はタイムスリップによって彼と出会ったことによって、生きる意味と未来を手に入れた。
長く苦しい22年間という時間が間に用意されていたとはいえ。
彼の孤独を救う為に、この不可思議な出会いはあったのだろうと思わされる。
ただ、若くそれなりに幸せに育った涼にとってもそれでいいのか?という思いも残る。
全ては果の為の奇跡であったように思えるのだ。
そして、抱える葛藤の深さもその分果の方がずっと重い…
疑問も残らなくはないし、伏線を全部回収でスッキリとはいかなかったけれど、
そんなことどうでもよくなる位素晴らしかった。
二人の心情、季節感、構図も素晴らしい流麗な絵で細やかに描きながら
倫理とはなにか?タブーとはなにか?
甘くお気楽なBLが増える中、実はBLが避けては通れないテーマを、
美しさや甘さ(がないとね、やっぱり!)も兼ね備えつつ描いている傑作だと思います。
池先生は二巻に渡る作品は初だとのことですが、今後は更なる長編で
素晴らしい作品を読ませて頂けるのが楽しみです。
ー戻れ戻れ戻れ!
果とりょうが愛し合っていたあの日に戻ってくれ。
そう胸の中で訴えるほど、漫画の中の彼らに深く感情移入してしまう作品。
決して甘くはない「禁忌を犯す」という行為を、
鮮明に、そして生々しく描いてくださってます。
それはあまりにも切なくて、悲しくて苦しくて
許されないこと。
だけどそれでも、自分の感情に嘘はつけない、
恋は盲目とはこのことなのかと。
なんとまあ胸が苦しくなるお話。
最後まで、どうなるのかどうなるのかと、ハラハラさせられました。
ものすごい近親相姦ですw
うまく説明できないけれど、なんか自分に対して後ろめたい気持ちになったw
うーーーん、もう何にも言わないからとにかく読んで!
って感じです。
これぞ神
親子で男同士で・・・
そんな普通ではあってはならない禁断の愛なのに
不思議と二人を応援したくなる、そんなストーリー。
お互いに、好きで好きで仕方ないのに
もう、どうしようもないほど愛しているのに
だからこそ、相手の幸せを一番に願って距離を置く。
だけど、それが自分の本当の気持ちや幸せとは違うから
作中に、何が『イコール』で『イコール』じゃないか・・・
涼が果に語っていますが
このストーリーの全部がこのセリフに託され
すべてを語っていて・・・
社会のルールとか、世間の目とか、一般論とかに惑わされない
自分たちの揺るがない、愛する気持ちが今ここにあることを
力強く訴えていて、読んでいて「はい、その通りです」と答えたくなるような
説得力のある言葉でした。
内容的には、近親間のラブストーリーなので
悲しい結末にならないで欲しいと…祈りつつのラストでしたが
予想に反したHappyendにホッとしつつ、
少しだけ複雑な思いにもなりましたが
タイムスリップという、あまりにも現実には有り得ないストーリー展開も加わり
やっぱり二人の『イコール』が世間でいう『ノットイコール』でいいんだと
私なりに納得する結末でした。
高校生:芦塚凉×銅板画家:末続果の第2巻です。
1巻ではタイムスリップから戻ってこれたところで終わりましたが、
次はお互いの葛藤ですね。
私はこういうのが読みたかったのですよ+゚。*(*´∀`*)*。゚+
普通の親子としてなのか、それとも恋人になるか・・・。
しかも何気に3年越しの恋です。でも凉からすれば3年かもしれませんが、
果からすれば22年の歳月が流れていて、本当にその間は辛かったと思います。
だからその「りょう」と目の似ている女性と結婚したら、まさか大好きだった
「りょう」が自分の実の息子だったとか、本当にびっくりだったと思うし、ショック
だったと思います。
とありきたりな事しか発言できませんが、最後には無事、想いが伝わってよかったと
思います。
凉の母親がこの事実を知ったらどんな気分なんだろうか・・・と考えても見ましたが、
まさか、自分の息子と元・夫が付き合ってるなんて知ったら卒倒するだろうな・・・。
とかざっくりとしか想像できませんでした・・・。
でも、最後思ったのが、17年も離れて暮らしてた父親と一緒に住むと聞いた時は
正直どんな気持ちだったのかなぁ~とそこが気になりました。
まぁ自分は再婚するという話が出ていたので、あんまり気にしなかったかもしれませんが・・・。
できれば、そこの描写も描いてほしかったと思いますが、果は本当に色々大変な思いを
していたので、幸せになってほしいです。
迷宮のリコリス
snowblackさま
コメントありがとうございます!
あの小冊子、いちゃいちゃ可愛いし、設定裏話とかも楽しくていいですよね~( ´艸`)クフ
池先生のブログはお気に入りなのですが『MANGA』のページが特に好きです。
18禁の『Sajen』が恐ろしいのに目が離せなくて、何度も読んでしまいます。
snowblack
迷宮のリコリスさま、こんにちは。
今更なのですが、先ほどこちらのレビューに気がつき
2012年のサイン会で配られた小冊子が筆者ブログで拝見できると知り、
「え?きゃ〜!」と早速みて参りました。
う〜ん、甘くって可愛い♡
教えてありがとうございました!!