俎上の鯉は二度跳ねる

sojo no koi wa nido haneru

俎上の鯉は二度跳ねる
  • 電子専門
  • 非BL
  • 同人
  • R18
  • 神515
  • 萌×255
  • 萌56
  • 中立37
  • しゅみじゃない32

--

レビュー数
134
得点
3000
評価数
695
平均
4.4 / 5
神率
74.1%
著者
水城せとな 

作家さんの新作発表
お誕生日を教えてくれます

媒体
漫画(コミック)
出版社
小学館
レーベル
Flower comics α
シリーズ
窮鼠はチーズの夢を見る
発売日
価格
¥476(税抜)  
ISBN
9784091325150

あらすじ

妻と離婚した恭一。だが今ヶ瀬との男同士の微妙な関係は、今も続いていた。今ヶ瀬に抱かれることに慣らされいてゆく日々。
ところが、恭一に思いを寄せる会社の部下・たまきの存在が二人の関係を大きく揺るがし始め…!?
ケータイ少女誌「モバフラ」で配信された水城せとな大人気シリーズ完結編!!

表題作俎上の鯉は二度跳ねる

会社員
調査員

その他の収録作品

  • 憂鬱バタフライ
  • 黒猫、あくびをする
  • 俎上の鯉は二度跳ねる

レビュー投稿数134

死出の道を ひとつでも多くの花で

恐らく今年一番売れるであろうBLはこの作品に違いない。
小学館の携帯サイト『モバフラ』にてちまちま配信されていた「窮鼠はチーズの夢を見る」の続編が、この度ついに書籍化された。
もちろん携帯にて事前に全て読みつくしていた私だけども、今回改めて頁を繰りながら、内容は同じだというのにまた胸が熱くなってしまっていた。

前作「窮鼠はチーズの夢を見る」のレビューの中で、
『今ヶ瀬だって「愛してるから傍に居る」のではなく、「愛されてるからここに居る」ことを選びたいはずだ。だって永遠に片想いなのはあまりにも辛すぎるから。』
という感想を残していたんだけども、今回の続編ではたまきに「恭一さんの片想いなんですね・・・」という言葉をかけられてしまうくらい、今ヶ瀬に身も心も囚われてしまっている恭一がラストシーンには居た。
これはすごいことだと思った。
いつも逃げ道ばかり探していたあの流され侍が、戻れるところを失うくらい遠くまで来てしまうなんて。

腹を決めた男の顔はとても精悍だ。
今ヶ瀬が自分を愛しているから一緒に居るのではなく、今ヶ瀬が自分を見限って背を向けてしまったとしても「俺は お前の背中を見送る」と言えるくらいの強い気持ちがそこにはあった。
また3度目はないと言いつつも、それは実のところ今ヶ瀬に逃げ道を作ってやっているんじゃあないかとも思える。
以前なら「さあ これからどうしたらいい」とぼんやり思い悩んでいた恭一が、「・・・これからどうする?」と、愛しい人に微笑みかける。
そして追い打ちをかけるような「指輪を買うよ」には、今ヶ瀬の心中は筆舌に尽くしがたい想いで、溢れて混ざってぐちゃぐちゃになっているんだろうなあと。
あああああ良かったね、今ヶ瀬!。・ ゚・。* 。 +゚。・.。* ゚ + 。・゚・(ノД`)
これからは「ぺきんだっくが たべたいです」と言ったあのシーンのように、甘え倒せばいい!!
(個人的に超絶プリティだと思っている今ヶ瀬。)

ちなみに『俎上の鯉は二度跳ねる』というタイトルだが、まな板の上に乗せられた調理寸前の鯉はあまり暴れないと言われているが、一度だけ強く跳ねるのだとか。
そうすると2度跳ねた今ヶ瀬は、やはり往生際が悪い鯉だと言えるのか(笑)
また鯉は恋なのかな・・・と、ちょっとベタだが、そんな置き換えをしてみてもしっくりくるタイトルだと思った。
どうしようもない男とどうしようもない男が、愛し愛され追い詰められて、泣いて喚いて溺れかけて、観念したかと思えばまた抵抗して・・・という、なんとも往生際の悪かったお話だが、人生なんてぶっちゃけ格好悪いし面倒くさいし先行きは闇だ。
そんな2人の道にこれからどんな花が飾られるんだろうかと、たまには覗いてみたい気もするが、それは野暮というものなのかな。

42

乱菊

>ミドリさん
『俺の人生なんかどうにでもなるんだからさ』
くーーーーーっ!男だよ~、先輩!!
バス停でのラストシーン・・・泣けました。
恭一の言葉や想い、もうその全てに今ヶ瀬が楽に生きてゆけるように・・・という気持ちが込められているように感じました(´Д⊂ヽ
いっぱい逃げ道作ってやって、今ヶ瀬が袋小路でキリキリしないように、なんかもうすごい愛だぜーーー!って思いつつ読んでました。
そう言えば「男だから」っていうのはすごい2人のネックになってましたね。
「男だから」どれだけ愛しても愛し足りないんじゃないかって迷う恭一と、「男だから」いくら愛してると言ってもらっても、それは相手の一時の気の迷いじゃないかと疑心暗鬼になる今ヶ瀬。
ぶっちゃけ隘路はノンケとゲイという性嗜好の差でしょうか・・・身も蓋もない結論ですが。
ならそれは埋まらないですよねえ、でも橋をかけ続けるんですよね( ノД`)
私もバブル期、そして安定期、そして倦怠期を経てまた激闘編(笑)まで見てみたいです!
あああああこれ以上書いていると、またレビュー1本分くらいいってしまいそうなのでこの辺で・・・。

ミドリ

恭一の「俺の人生なんかどうにでもなるんだからさ だからお前は…心配すんな」にやられました、ミドリです。
ほんとに恭一はイイ男になりましたよね。今ヶ瀬も、粘った甲斐があった。
あの恭一があのたまきと別れ、男である今ヶ瀬を選んだっていう時点で、それが今ヶ瀬への愛の証ですよね。
窮鼠では「男だから」って理由で一度は今ヶ瀬をつっぱねましたもんね。。
これからの二人は見てみたいけど、やっぱり怖いから、ここで終わってくれてちょうど良かったような気もします。バブル期は是非見てみたいけど。
弾けた後は怖くてみれない…!

恋愛の修羅である側面を描いた名作

◆あらすじ◆

「窮鼠はチーズの夢を見る」の続編。
その後妻と離婚した大伴は、今ケ瀬との半同棲状態を続けています。
相変わらず今ケ瀬に対する気持ちが愛情なのかどうか分からないまま、今ケ瀬との情事に溺れていく大伴ですが、そんな時、部下の岡村たまきに告白され、たまきにも惹かれ始めます。
大伴の異変に気付いた今ケ瀬は大伴に別れを切り出し、一旦は別れる二人。
しかし、たまきと結婚を前提に付き合い始めた大伴の前に、再び姿を現した今ケ瀬に、大伴は――
恋愛の修羅である一面を描いた後編です。

◆レビュー◆

「窮鼠は~」では今ケ瀬に押されっぱなしの大伴でしたが、後編に入って二人の関係は攻守交替しはじめます。(左右の関係もリバへ!)
狂言廻し的な役目もしていた前半の冷静さを失い、恋に溺れて壊れていく今ケ瀬。
今ケ瀬の言動が被害妄想的になっていく一方で、大伴は次第に覚醒的になっていきます。

今ケ瀬に対する「持て余すようないとおしさ」が愛情と呼べるものなのか、自問自答を続ける大伴。
同性愛であるがゆえに生まれるこの疑問によって、愛情というものの本質と否が応でも向き合わされていく大伴の葛藤が、とても赤裸々で、リアル。
大伴の葛藤は、恋愛感情というものの、相手を思うばかりではなく実はエゴそのものな部分や、劣情の延長線上である部分、ある種の支配と従属の関係である部分(そうでない形もあるのでしょうが)など、恋愛の喜びよりも、恋愛の苦しみや汚れた側面を読者に容赦なくつきつけてきます。
恋とはそういうものだと知りながら、どうしようもなく恋にはまり込んでしまう「業としての恋愛」が、この作品のテーマになっている気がします。

「少女みたいな可憐さを残しつつ案外しっかりしてて積極的」というたまきは、大伴の理想の女のコ。
彼女を選べば、誰からも祝福され、安定してやすらげる幸せな人生が送れることは目に見えているのに、どういうわけか、情緒不安定で、大伴を愛しすぎているがゆえに大伴を信じきれない、同性の今ケ瀬を選んでしまう。
そこに安定した幸せは望めないにもかかわらず…
「幸せになれる選択」という物差しを見失ってしまうほどの激情を、大伴は知ってしまいます。

そして、二人の関係がいずれ終わりを迎えることを予期しながらのラスト。
ハッピーエンドが求められるBLというジャンルでは、こういう苦みを残したラストは珍しい。ここはレディコミならでは、な気がします。
でも、多くの場合恋が成就した瞬間はその幸せが永遠に続くと錯覚しているだけで、本来恋にも終わりがあるものなんですよね。

恋に溺れて、自称「大伴(への愛)しかないつまらない男」になってしまった今ケ瀬と、今ケ瀬に出会って本当の恋を知り、恋の修羅に堕ちた大伴。
恋は人を幸せにするばかりじゃない――これも、恋愛の真理です。
作者あとがきに「ミクロコスモスとマクロコスモスの大きさは等しい」とありますが、大伴と今ケ瀬の物語は、同性愛というシチュエーションならではの特異なものではなく、あらゆる恋愛が包含している、修羅である側面を描こうとしたもの…そんな気がします。
そして見事にそれを描き切ることができたのは、BLという引き出しを持つ水城さんだったからこそじゃないでしょうか。

「窮鼠は~」同様に、言葉の放つオーラが凄い。
まるで、恋愛がテーマのエッセイを読んだような読後感です。
こういう重みのあるBLに、もっと出会いたくなりました。
本来「抱かれたい側の男」である今ケ瀬の本質が後編に入って見えてくる…という溜めのある展開にも、大満足!です。

27

腐女子悶絶、モバフラのちまちま配信は鬼だったけど楽しかった、そんな思い出

怒涛のレビューラッシュに、何を書こうか迷いますねーw
今更なあらすじ等は、もちろん割愛するとして。ちょっと違う角度からレビューしてみます。
私は携帯でちまちま配信されるのを読んでました。で、さらにコミックスを買って――上手い商売に完全にヤラレましたが、ちっとも惜しいと思いませんです。
細切れで配信されるたびにあっちこっちにある掲示板等を覗いて、『たまき妊娠オチの予感がしてきた…もう最悪だ…うあああぁああぁぁ』(←勝手な予想して鬱って発狂する人が続出)『あの言葉の意味はあーだこーだどーのこーの』(←二、三行のセリフに対して、異様に長い解説をする人が続出)『また逃げやがって今ヶ瀬のバカ!もう知らん!』『たまきはさすがメカケの子。根性座りすぎ。まじムカつく』『あれは、たまき相手に弱音はいた恭一が悪い』『リリリ、リバキター!!!!』『リバ嫌いだけど、これは許す!』(←一番盛り上がった、リバシーン配信の瞬間。ただしその後→)『ここでこんなサービスシーン満載なら、やっぱラストは鬱エンドじゃ…』『だよね…まだ配信いっぱい残ってるのに、こんなとこで盛り上がりすぎだよ…逆に怖くなった…』
などなどみんな一喜一憂、鬱になったり盛り上がったりしてたのをロムしたのもいい思い出になりました。
私も、水城せとな作品の鬱エンドの多さ――とくに、結局男女でカップルになってしまうBLにあるまじき鬱エンドがくるんじゃないかと、ラストまでハラハラドキドキ、不安に悶絶しまくる日々でした。

この結末も、完全なハッピーエンドじゃないですよね。いつか別れがあるかも知れないことを色濃く匂わせる、余韻の残る結末だ。でも、ゴタゴタしながらももしかしたらこのまま未来へと続くんじゃないかという夢の残る結末でもある。
ベストなラストだと思います。
てゆーか、ラブラブイチャイチャの完璧大円団な結末より、こっちのほうが好きだな。

水城せとなさんは私の、切ない教の教祖です。非BL作品含め、手に入らない絶版本以外はぜんぶ読みました。大ファンです。
みなみなさま!この機会に、彼女の他の作品も是非試してみてくださいな。素晴らしい作品だらけです。
てゆか水城せとなさん、またBL書いてください。鬱エンドでもいいので…。
素敵な作品をありがとうございました。合掌。

19

愛してるということとは?

初読組です。
困った。意味のある言葉がありすぎて何度も何度も読み返してしまいました。
それでも心に残るのは「おいで」とか「髪を撫でてやりたい」とか「別れてください」とかの単純でストレートなものだったりするから不思議。

待ちに待った完結編、俎上の鯉は今ヶ瀬でしたか。
自分のような卑怯な男は一生一人でいればいいと言った恭一。
確かに彼は簡単にふらつく流され侍だったが、今ヶ瀬の恋心の真剣さも実はキツイだろう立場もちゃんと理解している。
その上で、煩悶しながらも簡単には「愛してる」と返さない恭一は確かに酷い男だろうけど、果たして本当に卑怯だったでしょうか?
平等に優しく誰もできれば傷付けたくないという思いは、裏を返せばプライドが高く自分が悪者になりたくない、泥を被りたくないとも言えます。
そんな恭一が今ヶ瀬相手だけには、エゴをむきだしにできるという事実は、確実に今ヶ瀬が恭一の中で特別な存在という証拠に他ならないのでは?
けれど今ヶ瀬はそのことを分かっていても、気づいていない。気づけない。
もしかすると今ヶ瀬は相手のことを理解はしていても、実は恭一の気持ちを考えていないのかもと思ったりもします。
今ヶ瀬に対して、たまきに対して、悪者になろうとする恭一の姿は、流され侍だった彼だからこそとても誠実に映しました。

何はともあれ今ヶ瀬の想いは報われました。嬉しい。とても嬉しい。
「さあどうしよう」と恭一の自問で終わった窮鼠だったけど、「どうする?」と今ヶ瀬に問いかけるのが嬉しいです。
ようやく二人の問題になったから。
完結編だが、二人にはここからが本当のスタートなんだと思います。

それから登場する女性がみな素晴らしかった。
BL界でしばしばでてくる都合のいい女でも、馬鹿な女でもありません。
主役達と同じ土俵に立ち、真っ向から駆け引きできる大変魅力的なキャラクターでした。
BLの中での女性の扱いに同じ女として悲しくなってしまう私としては、
今後この世界でもっともっと彼女達のように人格が与えられることを願います。

17

乗り越えてこそ、恋

泣きました。
今ヶ瀬が好きだ。(←話が大伴目線で進むからだろうけど。)
BLに含むのはどうなんだろう…と思わなくもない。BLはファンタジーだと言うが、少なくともこれはファンタジーではない。


恋愛の相手が自分だったならどんなに楽だろう。
2人はお互い、そう思ったに違いない。
だって自分の感じたまんまの気持ちが相手に伝わるわけないし、言葉なんてなんの確証もない。
相手が自分だったならどれくらい大事にしているのかわかるのに。自分にはそれを理解してやるすべはない。
自己中に生きるしかすべがない。

恋愛の永遠のテーマですよね。
自分を好いてくれる相手のことを、自分も同じだけ愛したい。(作中では「対等」でいたいと表現されています。)
でも「同じ」なんて永久にわからない。わかるわけない。
つらい。やめたい。やめたくない。


あらすじとか語るの野暮なんで省きます。
他の方が十分に書いてますし(笑)

「窮鼠~/俎上~」で私が好きだったのは、大伴と今ヶ瀬が最後の方まで両想いになりきれてなかったところ。
BL小説なんかでは受け視点ストーリーで、肉体関係はあるけど攻めはきっと俺のことなんてどうでもいいんだ…と一人で勘違いする「始めから両想いだっただろww」パターンが多いですが(笑)、「窮鼠~/俎上~」はそうはいかない。
大伴がノンケでありストーリーテラーたることで話はすごく厚みを増している。
白黒グレー恭一も一役買って、大伴の気持ちが私たちに擬似体験されてくる。

大伴は最後の方まで自分の気持ちを否定し続け、女を愛すべき立場にある自分をたしなめる。
でも心を本当に裏切ることはできない。
その葛藤たるや、まさに恋。


ヤマシタトモコ作品でも思ったけれど、男を愛することがタブーであればあるほどBLとしては深みを増す気がする。BL特有の溝が存在を現すというか。
男同士がアリな世界なら特にBLで描かなければならない理由はないと思うのよ、持論的には。
乗り越えるべき壁があってこそのBLかな。なんて思います。

15

手放しでは喜べない、けれどきっとこれ以上良い結末はない

 大伴がどんどんかっこよく男前になっていく反面、今ヶ瀬はどんどんヒステリーさが増してダメな男になっていくこの最終巻。とにかく内容が濃過ぎて、メイン2人のシーンも女性が登場するシーンも印象的なシーンが多過ぎて、これを読んだ後はしばらく何を読んでも霞んでしまうので、本当にたまにしか読み返さないのだけど。でも、やっぱりすごい作品だな、読んで良かった作品だなと思います。

 私にとって前巻での印象は最悪な大伴だったけれど、もしかしたら同族嫌悪かなとも思ったり。大伴みたいに次々と好きになってくれる人が現れるようなモテ女なんです、なんていう意味ではありません。私はありふれたしがない人間です。ただ、誰かと付き合っていてももっと自分を好きになってくれる人がまだ現れるんじゃないか?とか、自分は積極的に動かず相手の熱に身を任せているのが楽だとか、狡いことを考えたことがないと言えば嘘になる。何でも相手の感情任せ。入れ込まないから関係が駄目になっても苦しむことがないし、全部相手がやったことだからと自分は何にも責任を負わずに済むわけです。

 女性としての感情移入をBL作品の感想で見るのが嫌な方がいらっしゃったら、この辺でスクロールしてくださいね。私は大伴を見ると、そんな風に考えたことのある自分を見ているようで嫌だったのかもしれません。だから前巻を読むと、いつもちょっと落ち込んでしまうのかも。本当は今ヶ瀬みたいな生き方がしたい。こんな風に脇目も振らず1人の人間を愛せる人間になりたい。どこにも根を張らず漂流し続ける人生より、辛いことの連続かもしれないけれど、自分の幸せはここにあるとしがみついて離さない方がよっぽど充実した人生を送れるんじゃないかと思うのです。大伴はこの巻で、ついに自分の幸せの在り処を見つけました。だから私はこの巻では自分と異なる次元に行ってくれた彼を、安心して魅力的な人物として見れるのかもしれません。

 一方で大伴のことを何でも見透かしたような言動をとる今ヶ瀬は、この巻では前巻よりずっと弱音をぶつけることが増えていて。以前からヒステリックなキャラではあったけれど、さらに情緒不安定なキャラになっています。本当は前に踏み出せないのは今ヶ瀬の方であって、ノンケの大伴はもう既に十分過ぎるほどゲイである彼の元に降りてきてくれているはず。でも、今ヶ瀬はなかなか信じきることができなくて。

 彼の心情は痛いほどよく分かる。一番大伴のことを見てきたから、その流されやすさを一番理解しているのも彼なんですよね。しかし、腹を括ってその底知れない不安にひとまず蓋をし、自分を奮い立たせて大伴の言葉を精一杯信じるしか、一歩前へ進むために彼に残された道はもうありません。あとは限界まで歩み続けるだけ。間違いなくハピエンの空気ではあったけれど、常にこの関係の終焉を頭の隅っこで考えている2人を見ると、堂々とハピエンだとは言い切れない結末。どうしようもない男達の行き着く先はとても不安定で。でも、私はやはりこの作品とこの2人が大好きで、それだけは確実に言い切れることです。

12

別れてる間にTVを薄型に買い替えましたね

恭一、成長しましたね。
今ヶ瀬に育てられました。
逆に今ヶ瀬は恭一のせいで弱くなったかな?

『梟』でキレイな別れを演じた今ヶ瀬。
必ず来るであろう終わりの時には、あんな風に別れようと思いながら付き合っていたのでしょう。
最後に相手の良いところを伝える。
なかなかできませんよ。
「本当に好きだったなあ。」と言う彼の気持ちを、痛いほど感じました。
でも片思いのまま離れるのと、応えてもらえてから離れるのとでは違います。
結局は後悔し、最終話の表題作ではみっともなくも復縁を迫る。

恭一の言葉に言い返せなくてもうダメかと思った時に、自分が置いていった灰皿を発見。
取り上げられた冷めたコーヒーは入れ直され、今ヶ瀬はもう一度勝負に出ます。

むちゃくちゃ頑張ったというのにラスト近くで逃げ出そうとしたので、かなりはらはらさせられました。


BLを読んでいて、「普通の男女モノを書けばもっと売れるだろうにな。」ともったいなく感じることがあります。
でもね、水城さんの場合は絶対BL設定にした方が魅力が増すと思うんです。
少女まんがも面白いですよ。
それでもやっぱりBL界へ帰ってきて欲しいです。


最後にトリビアをひとつ。
『ヴァイオリニスト』の新連載予告時タイトルは『ヴァイオリスト』であった。

10

本当にイイ!

いわずとしれた大ヒット作ですが、絵がなあ…とBLレーベルでもないし…と最初はあまり興味が無かったんです。でも電子書籍で見つけてちょこっと立ち読みしてみたら、なんと最初の僅か数ページで物凄い切なさに胸打たれて思わず涙が!こりゃ単行本で読まなきゃ!と急いで買いに走り(笑)。
ホント、食わず嫌いするもんじゃないですねえ。

窮鼠はチーズの夢を見る、の続編ですが 窮鼠~よりもこっちの方が更に重くて深い。
両方読んで初めて、素晴らしいと思える作品だと思います。

流されるまま、今ヶ瀬と関係を持ってしまう、恭一。さすが流され侍だ!この人本当よく流されます。俎板~だけ読むとただの優柔不断ダメ男に見えるんじゃないかと(笑)
でも今回は色んなところが少しずつ変化していきます。

自分を「貴方の巣に自分から飛び込んだ蛾」だ、
自分は本来貴方の餌ではないけれど 食べてもらえる日を夢見てる、という今ヶ瀬の気持ちも痛いほどよく解るし、
自分を「ユーカリの葉以外で生きていけるのか実験しているコアラ」だという恭一の気持ちにも共感できる。

だってコアラはユーカリの葉に魅せられるのが自然だし、
蜘蛛は蛾よりも美味しそうな蝶が目の前を飛んでいたら食べたくもなる。
自然の摂理に抗えない本能、というのがすごく哀しくも切ないんだけど
このお話は勿論人間なわけで。
人間である恭一は 流され侍 であっても自分で選ぶことが出来る。

一人の男を選ぶことで 自分の人生が大きく変わることは分かってる。
世間からは「至ってノーマル」な自分もゲイの男に見えるんだろうし、
「男がいるくせに女で体裁を取繕ったゲイ」だと後ろ指を差されるかもしれないことも覚悟の上で。

「こんなものが恋愛ならもう二度としたくない」
…なんて重い台詞なんだろう。ここからもうひたすら涙。

自分が今ヶ瀬を選んでも、今ヶ瀬がずっと幸せでいられるなんて保証は無いし、自分の周りに女が現れればまた苦しい想いをさせることは百も承知だけど離せない。

全てを捨てる覚悟で今ヶ瀬と一緒に生きていくことを決めた恭一はすごく男らしかった。
成長したなあ流され侍…(涙)

結ばれた2人を繋いでるのは本当にか細い糸。いつちぎれててしまうかわからない脆さ。けどこの糸がずっと繋がっていることを願うのみです。
BL的なハッピーエンドとは程遠いんだけど、この二人にとってはベストというよりベターな選択肢だったように思います。今ヶ瀬の幸せそうな最後のページの表情を見れて本当に良かった♪

重くてひたすら切ないのに、のめり込んで読んでしまう。この作品は男も女も皆傷つき苦しみもがく恋愛劇なのに、読後感は寧ろ爽快です。本当に良い作品はいくら読んでも飽きないんですね。不思議。

10

何度読んでも泣いてしまう…

 「俎上~」が配信されるのを待っている時は今ヶ瀬に幸せになってほしい、ただそれだけでした。いろいろ疑問はあったけど、まぁでも最後にはハッピーエンドだったし、今ヶ瀬が幸せになって良かったー(^◇^)と本を閉じていました。

 それからしばらく経ってもう一度読むことにしたんです。それももう忘れかけた頃に。もう何度読んでも涙出ちゃうよ…━━あれ?「俎上~」での恭一はやけに“同性愛者”を気にしていないか…?ということに気がついたんです。

 あぁそういえば…と思って「梟」に戻ってみると恭一は“今ヶ瀬が愛されていると感じているなら それは愛と呼ぶに足るものなのだろう”と言っていました。
 恭一は同性愛者ではないので、今ヶ瀬を満足させてやれる愛なのか悩んでいたんですね。てっきり私は恭一は自分のことしか考えてないのだと思ってましたけど…
 つまり恭一が今ヶ瀬に“貴方じゃだめだ”と言われた時、同時に恭一の愛は否定されてしまったんです。もう恭一には今ヶ瀬を好きでも引き留められなかったんです。

 そして今ヶ瀬が近くにいると分かったシーン。当時の私は恭一が今ヶ瀬の存在自体を“どうだって構わない”と言っているもんだと思って腹を立てていました。でも今読むと恭一はあの時、今ヶ瀬が誰を想っていても“どうだって構わない”と言ってたんですね。以前の恭一では考えられないこと言ってます。前は相手が好きだというから、自分も好きなんだと言っていたのに…。
 そしてその後の“お前の髪を撫でてやりたい”なんですね…。
 ところがすぐに恭一は自分の愛を“中途半端”だと罵り、“同性愛者の男なら もっと強く 俺なんかの想像の及ばないくらい深く 深く 愛してやれるんだ”と蔑んでいました。恭一は自分の非力さを痛感しつつ、まだ今ヶ瀬のことを思っていたんでしょうね。
 
 そして今ヶ瀬が恭一に復縁を求めている時、恭一はコーヒーを淹れなおします。以前の私はこのコーヒーのシーン必要なの?!と思っていました。
 でももし、そこでコーヒーを淹れなおさなかったら、今ヶ瀬は恭一から渾身の一撃を喰らわされていので諦めていたかもしれません。もちろん恭一は今ヶ瀬がどこまで本気なのか知りたいので優しくなんて出来ません。
 しかしコーヒーを淹れなおされると席を立てなくなってしまいますよね( ^^) _旦~~
きっと恭一の本心は帰るな、もっと縋り付けと思っていたんじゃないでしょうか。すると今ヶ瀬はまんまとそれにひっかかり、灰皿を見つけてまた縋り付くことを始めたんだと思います。

 こうやって忘れかけた頃に読んでみるとまた一味違って読めました。でもやっぱり何度読んでも「梟」のラストは涙なしでは読めませんねっ…(:_;)
 また忘れかけたころに読んでみると見方が変わるかもしれません!

9

恋愛の裏側。

「窮鼠はチーズの夢を見る」のネタバレも含んでいます。
レビューを書くにあたって本編を読み返そうかと思ったのですが止めました。それだと何か違うなぁ…と思って。
なのでまだスマホなんて持っておらず、ガラケーで配信されたのをリアルタイムで読んでいた、当時の私の気持ちを書こうと思います。執着攻め、流され・絆され受け、ましてやリバなんて単語も何もまだ知らない私が居ました(笑)

ハッピーな結末より、その経過にあった別れの場面が 今でも何よりも心に焼きついているお話です。何をもって『幸せな結末』とするかは、人それぞれだと思いますが。
なので私の中でこの作品のイメージは、バッドエンドに近いものがあります。そして嗚咽しながらページを繰った、数少ない作品の一つでもあるのです。

この作品を読んでいた時は、私の日常から今ヶ瀬と大伴先輩の恋の行方は、切っても切り離せないものでした。だからと言って思いつく限りの自分の実体験を引っ張り出して、登場人物の気持ちに寄り添うことも到底敵わなかった。
日常の中でピンチに遭遇した時私は、甲子園、決勝戦、九回裏、相手に打たれれば一発逆転の危機、絶体絶命のピッチャーの気持ちを想像し、それに比べれば これくらい(平気 平気)と自分を安心させることがありました。
そんな事をよく、この漫画を読みながら考えていたなぁーっと。言い方を変えれば、登場人物が常に重要な選択を迫られており、ずっと緊張感を強いられている作品というか・・・
大伴先輩が爽やかであればある程、今ヶ瀬が先輩に抱く気持ちの ほの暗い面や、同性同士である事の後ろめたさが際立つなぁ…と。

だからたまに挟まれる、二人の日常を描いたショートストーリーで心を和ませていた事を思い出します。今でもどの作品を読んでも、本編のこぼれ話・カバー裏・描き下ろしを本当に愛しく感じてしまうのは、その時の後遺症なのかもしれません。

9

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