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kamen teacher
往年のショタ漫画の名手、黄毛あつきさんが
京山あつきと名を改めて再び表舞台に。
その第一作は「ショタ」と言う嗜好への一種の
回答であるかの様なコメディです。
改名についてはカバー袖にて簡素ながら
きちんと説明されております。
因みに、攻である諸岡覚が愛の対象である
少年達と肌を重ねる描写はございません。
受である日浦と合意の上肌を重ねたのは
嗜好の一致および一種の代償行為からです。
諸岡の嗜好は実に限定されておりますから。
少年が声変わりをしてしまった時点でも既に
彼には耐え切れない苦痛となるのです。
彼が「善良で無害」と言う仮面をかぶって
いるのは世間体の為だけではありません。
彼は、少年を愛するが故に自分の欲で
汚したくないという想いを抱いているのです。
それがジレンマとなって自分を苛もうとも。
彼は只、少年を慈しみ愛でたいだけなので
しょう。
まず最初に誤らなければならないこと。
仮面ティーチャー・・・変態漫画だと思っててごめんなさい(/ヘ ̄、)グスン
自分の性癖には気づいている。
表に出してはならない。
だから仮面を被るのだ。
と、可愛い男の子が大好き。大好きなのだ。
大好きすぎるがあまりに~な先生のキャンパスライフを描いた1作。
ショタに手を出すわけじゃないの!
見守ってるだけで幸せなのです!
あの笑顔があるから生きられているのです!
なんか、こっちが切なくなるほどにピュアな先生だと思いました。
そんな先生の前に、小さくて可愛いショタ!しかも好みの先生がやってきます。
見た目は子供でも大人だから犯罪にはならない。
しかも、むこうからモーションをかけてくるではありませんか!?
まるでミラクル!?ところがやっぱりそこは大人ですから、ナニは大人なイチモツなわけでして・・・それをみるとどうしてもなえてしまうわけでして。
最終的に気づく真実と、現実がなんかシュールで良かったです。
子供が、憧れの先生(女)を見つめている。
「キミも10年もすれば・・」と掛けた言葉の返事がこれまた現実的。
なんかとっても切ない気持ちになりましたorz
なんにせよ、あくまでもピュアで思っていた以上に面白い作品でしたw
最後、先輩と~なお話。
ティーチャーのやられ具合がまた乙w
この先輩、見た目的にはガッツリ好きなタイプwwww
もぅね、いっそ犯してもらえばスッキリ子供忘れられるんじゃないかと思うんだけど、どんなもんなんでしょ
とても面白かったです。
先生×生徒でもかなり抵抗があるのに、それに加えて
大人×ショタなんてもってのほか、と思ってたのですが、読ませてくれます!
強靭な理性でもって決して行動に出ることなく、
本性を隠す仮面を被り、必死に此岸に留まってる先生だから良いのです。
ショタの美しさ素晴らしさについての描写にも説得力があり、
その葛藤と悲哀がまた切なくて滑稽で楽しすぎました。
読んでるうちにショタ萌えを少し理解できたような気さえしました。
「聞こえない声」シリーズから流れ着いて来ました。
もっとざっくりとした軽いラブコメなのかと思っていたら
意外にもジーーンと来ました。
諸岡先生は「少年好き」というか「(美)少年を崇拝」していますね・・・。
その思いが大事だって、ひしひしと伝わってきます。
アンモラルな感じがしないんです。
・・・とあくまでも個人的な意見でした。
小学校の教師をしている諸岡先生は、少年が大好き。
ひたすら好き。
これって大丈夫なのだろうかと
ためらったものの、京山さんの作品違うティストのものを読んでみたくなり過去の作品である
この作品を購入したした記憶があります。
先生と生徒という禁断的なものというよりは、性癖丸出しの
作品。
小学生男子にキュンユンしちゃっている先生・・・・
色んな意味でどうかと思うものの
罪悪感重くなく、スラーと
読む事ができます。
コメディタッチだからかな。
京山さんの見せ方がうまいのかな。
天使のようにかわいい少年の変声期にダメージを受けたり・・・
笑い事じゃないかもしれないけれど、しっかり笑えます。
ラブという大人なところは
なくても、楽しかったです。
そう、タイトル通り、仮面をつけて生きるショタコンの先生のお話なんです。
「さよならbaby」にこちらの番外編があったために、前後しましたがこの作品に戻ってきて読みました。
今どきだとひょっとするとアウトかもしれない設定。小学生に変な妄想?しながら、先生としておくびにも出さずに生きる諸岡。
かなりコミカルに描かれていますので大丈夫だと思いますが、ちょっとでもシリアスだとやばい設定かもしれません。。
そんな諸岡の元にやってきた、超童顔の先生。いい感じになるも、向こうはただの一時的な関係と割り切っていて。。
なかなか諸岡先生の幸せはやってきそうにありません。
成人男性だとその気にならない諸岡が、がんばって日浦先生としようとする涙ぐましい努力が笑いを誘います。
最近では、わいせつ行為を行った教師のニュースが珍しくも何ともない。
自分に子供がいたら怖いなぁといつも思う。
今作の主人公である諸岡覚も、真性ショタ狂いの変態教師と言えるヤツだ。ただし実際に少年に手を出したことは今のところない。
時に邪な行為を実際にしたい願望にとらわれながらも、妄想だけに留めてる。
そこがすごく救われるのだけど、やっぱり私の好みの話でないのは否めない。
善き教師としての仮面が、ちょっとしたことで剥がれそうになる姿は確かに面白いんだけどね。
でも全体的にあっさりしすぎで、「あっそう」で終わってしまう。
諸岡覚がときめく少年たちが一人だけじゃなく複数いるせいだろうか。
焦点を絞って、一人の少年との関係性を深めた彼の姿を見たかった気はする。
実は、ショタに走る気持ちはわからないわけでもないんだ。
少年が好き、愛おしいって気持ち自体はわかる。
私も「少年合唱団」が好きで好きでたまらん。
その一瞬が放つ「美しさ」を愛でたい。
そこから発展して「性的対象」としてとらえてしまうのは、私にはどうやっても理解できないし、許したくもないのが本音なのでしょう。
だから、どうやっても、今作に良い気持ちは持てない。
ニュースになるような性的不祥事を起こしている教師は、若手と言える年代が多いような気はする。
だが、たまに40代、50代のベテランがいる。
その年齢までバレなかったのか、それとも、その年齢になってタガが外れてしまったのか…
諸岡覚も今は仮面をかぶり続けていられるけど、ベテランになってから、それが突然外れてしまうことがありませんように。
最後に、そんな妄想にとらわれてしまうのでした。