修行中
芭→曽、漫画は表題作のみの薄めな本。表紙はタイトルが透明(?)なインクで刷ってあり、それが内容の繊細さに合っているとても素敵な本です。
細道の旅の途中、一軒の民家で一夜の宿を借りることになった二人のその夜の出来事。
近付きたいが近付けない、言葉にすると別にどうということのない一連なのに、そこには尋常ではない緊張感が。息詰まる空気の中で手綱を握るのは弟子で、その手さばきがまた色気を含んでいて。行為は全く描写されていないのに(口付けのみ)むせるような淫靡さが漂っているのです。
何が淫靡かと言えば、師匠の表情。弟子に触れようか迷う表情、言葉に窮して黙る表情…顔を赤らめて視線を逸らしオドオドするその態度、弟子じゃなくてもそそられる!全く罪作りな師匠だよ…!!!
そこでは、色気や可愛さだけじゃなくウザさや小汚さもしっかり感じられ(でも不潔ではない不思議!)、イジメたくなる所がポイント高いです。
更に、それを見つめる弟子の透明なまなざし…師匠との対比も有るのか、尚のこと真っ直ぐ過ぎるぐらい美しい。ああ苦しいぐらいにキューッとする…!!!読んでいるこっちは息が止まりそうですよ本当に!!
それから、ちょろっと作品の説明が付いていて。その内容が、嶋二さんの芭曽(いかにも曽芭なのに実は芭曽…という)を読み解くヒントになりそうで興味深かったです。
(何となくちょっと下げてみたりします。個人的には結構衝撃的なネタバレだったので…)
いきますよ。
「曽良くんは芭蕉のことだいきらいだけどその芭蕉に嫌われるのはたいそう怖ろしいことなのです。」
この作品だけの設定かも知れませんが、これを知っているのとそうでないのとでは内容の感じ方が随分違うのではないでしょうか。
“だいきらい”という感情を心の中にホールドしつつ冷静に距離を測り自分は手を汚さない――何てずるい弟子。でもそこがたまらないです。本当に。この設定を知ってから、この作品への萌えが数倍になりました…!!!
それにしても、この作品読んでても“芭蕉のことだいきらい”とは気付かなんだ。しかし気付かなくても、例えその説明が書かれて無かったとしても、気になどならない神作品だと思います。大声で叫ぶよりも心の中で密やかに温めていたい神ですv
…本当は芭曽と魚太の本になるはずなのに予定が狂ったらしく、残り(後書きとゲスト原稿)は見事に魚太ネタ。そこはまあご愛敬?(笑)