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作家さんの新作発表
お誕生日を教えてくれます
表題の「エディドヤ」に関わる3作品と、全く別の2作品収録の短編集。
「バテシバ」
表題作関連の1作目。
バテシバとは、旧約聖書に出てくる女性の名前。
その「バテシバ」のお題で風景画を描く男と隣人の大学生の物語。
先達さま方のレビュー通り、観念的というか純文学的で、特にBL展開も起承転結も無い。空気感と雰囲気。
「アブサロムの沈黙」
幼馴染の両片想いを步田川和果が料理すると…
展開は辛口、というか「苦口」です。
好きを言えない2人はお互い行動を間違えたの?ボタンの掛け違いの手直しはまだ時間がかかりそう。
「二十三時」
高校時代にセフレ的に付き合っていた先生に心が残って…
大人の方が余裕すぎて腹立つかも。
「羊」
表題作の関連2作目。
聖書からの用語イメージで言うと「迷える羊」だけど。
恋人に去られて一歩も動けない篠田も。
飄々とした表情の下で本当は何を感じてる?の井上も。
心がここには無い篠田に惹かれてしまった野瀬も。
みんな迷子さん。
「エディドヤ」
誰がバテシバなのか。
誰がダビデなのか。
ならば、神が自ら名付けたいとし子・エディドヤ(ソロモン)とは。
はっきり言って…
タイトルや聖書イメージに引きずられるけれど、内容は必ずしもイメージと同一ではなくて、あまり意味を考えすぎると難解になってしまうと思う。
そこが「純文学的」であり「観念的」な部分なんだろうなぁ。
BL的に見れば恋愛は起きていないし、逆に恋を壊した恋敵と束の間くっつきの腐れ縁、そこに偶然新たに加わってしまった子との、いわば一角が不在の四角関係の微妙なバランスを淡々と描いている作品。
ハマる人にはハマる系、かな。私はこういうの好きです。
えっと最初と最後の二つだけが続いていて、真ん中二編は別の話ですよね。
微妙に関わりありそうで別の話だったので、混乱しました。
でもアブサロムだし。まだ読みが足りないのか。う、うーん。
歩田川さんは、この頃の絵が一番好きかもしれません。全体的に細長いですが。
色々対話で話が進むスタイルで、オチが……とてつもなく斬新な三角関係の結末でした。
ああ、そうか。そうなるのか(笑)
旧約聖書の下地があれば、読みやすい話だと思います。
この作者さんの作品を語る時の枕詞として
『独特な絵柄』などと言われる事がありますが、
評者はそこまで独特だなと捉える事が出来ずに
います。
それはきっと貼り付けた表情の奥からにじみ出る
色々な匂いに気が行ってしまっているからなの
でしょう。
カバーからして額面通りの笑みだとは正直評者は
信じておりません。
表題作シリーズ(バテシバ・羊・表題作・おまけのその後。)
でも併録作でも嘘つきな正直者が厄介な真理相手に
それなりの格闘を試みており、それなりの勝利を
収めております。
決して英雄に数えられようなどと思う事無く。
表題作のシリーズ4篇と、それぞれ独立した短編2編で編成された作品集。
で、いいのよね?
唐突に子供時代を回想する話とか始まるし、
唐突に主人公の勤め先が画廊だし、
なので、どこかリンクしているのかと思って、名前とか確認したけど…??
リンク、してないよね?
私の読み方が間違っている訳じゃないよね?
ということばかりがとっても気になって、あまり浸れなかったんですが、、、
それにしても、初版から1年で新装版の大人の事情が気になる、、、
旧版は09年の4月なのに、もう新装版?
これには事情がありまして・・・新装版ということで何か変わったのか?と思いましたがどうやら何も変わっていない感じが(旧版を手放していた身なので)
当時、あまり好きになれなくてすぐ手放してしまったが、時間が経って見てみると、、、好きじゃないか!!
会話の底に含まれる、心の奥底と憶測。
彼等の会話の意味を考えながら噛み砕いていく作業の心地良さ。
旧約聖書のダビデ王のエピソード・・・聖書のページにしてたった2ページに満たない小さな逸話を、こんなに広げて比喩する能力のすごさ。
自分にとって謎解きのように、奥深く踏み入って一体彼等は誰なんだろう?
その姦淫をした妻・バテシバ(口語訳ではバト・シェバ)と、王・ダビデ、妻を寝取られ殺された夫のウリヤ。
多分そうであろうという結論が出る結末に、聖書より奥深い人の心の寛容さと優しさを、聖書よりもより深く感じる事ができるのです。
ああ、篠田は絵を描くことによって、失った恋人・千春を追いかけるきっかけが欲しかったんだ。
その背中を結果的に押すことになったのは、篠田に恋をした野瀬。
野瀬に押させるきっかけを作ったのは、篠田の恋敵でもあった井上。
この変な三角関係が、微妙なバランスの上で、篠田の背中を押す時、胸に何とも言えない切なさと温かさがこみあげてくる。
ああ、バテシバは篠田、ダビデは井上、ウリヤは千春だったんだ!そして、彼等の感情によって成長した野瀬こそが彼等の子供のような存在・ソロモンになぞらえられてよいのだ・・・と・・・
作中にも野瀬に指摘されているが、ウリヤの死体は確認できていなし、バテシバは嘆き悲しんでいる。
その肝心部分を除いて野瀬に解説した篠田は知っていたのだ。
そして、待っていたのだ・・・誰かが背中を押してくれるのを、そして自分が許される時を。
かなり作品の世界観になぞらえた文章をかいてしまったが、単純に彼等の会話を読めば、それは解説されているし、少し読解する必要はあるが、きちんと読めば理解できるものだと思う。
作者も自分も、こむずかしく考えるのが好きなのだ。
篠田がその後出してきた絵ハガキの「聖家族」これもまた象徴的であるが、幸せを感じる。
おまけのその後、を読むに多分、期待ではあるが井上と野瀬は・・・でいくのではないだろうか?
井上、こんな飄々とした人物なのに、、、いや飄々としているからこそ、ずるかったのだろうか、掴みどころのない男の存在、彼はキーポイント的存在だ。
観念的世界観を考えながら読むことが好きな方にお勧めなのです。