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poe no ichizoku
この作品のテーマは一貫している。
孤独だ。
はからずもバンパネラとなった年齢が成長期の14歳だったせいで、エドガーもアランも、成人したバンパネラ以上に、同じ場所に長くとどまることができないのだ。永久に旅を続けるしかない。恋もできない。友達も作れない。
二人が真実気を抜いてやすらげる場所は、ひたすらお互いの中にしかない。
結末も寂しかったな。
今の漫画家さんなら、もうちょいラストでアレコレとサービスしてくれるかと。でもそこがイイ。
未読なかたがいるなら、是非読んでもらいたいです。
名作です。
ルーツです。
最初に収録されていた『小鳥の巣』はエドガーとアランがとあるギムナジウムに転入し子供達をかき乱す話なのですが、場面やキャラの転換が激しく文字数も多めで、今は誰目線でどこが舞台なのかを瞬時に理解することができず、読み終えるのに時間と気力を要しました。あらすじは面白かったんですが、読みにくかった印象が強いです。
『ランプトンは語る』『エディス』は、エドガーとアランが今まで関わってきた人間達の回顧や新たな出会い、再会が描かれ、こちらは読みやすかったです。エドガーはメリーベルに囚われ、アランはエドガーに愛憎を抱き続ける。2人の子供が背負う重々しい感情がこの作品の基盤にあり、その上で踊らされる人間達に同情も滑稽さも覚える、と同時にエドガーもアランも元は人間だったのですから、結局は身体的なことを除けば両者の間に大した違いはないのだと思わされる作品でもありました。
小学館文庫版「ポーの一族」第3巻。
この巻には3つの中編とエッセイ漫画「1975年度小学館漫画賞のしらせをうけて…」、「とってもしあわせモトちゃん〈番外編〉」が収録されています。
「小鳥の巣」
1959年、西ドイツ。川の中州にあるガブリエル・スイスギムナジウムに二人の少年が転入します。彼らの名前はエドガー・ポーツネルとアラン・トワイライト。同級生のキリアン・ブルンスウィッグは二人のことが気になりますが…。
「ランプトンは語る」
1966年。19世紀の貴族アーサー・クエントン卿の館に集う人々にはある共通点がありました。オズワルド・オー・エヴァンズの子孫である兄妹。グレンスミスの曾孫。ガブリエル・スイスギムナジウムの卒業生…。彼らは皆、永遠のときを生きるバンパネラの少年たちと縁があったのです。そのとき、館から出火し…。
「エディス」
時は現代、舞台はイギリス。エドガーとアランはエヴァンズの末裔の少女エディスと出会います。10年前に亡くなったエディスの姉シャーロッテへの贖罪の気持ちからエディスに優しくするアラン。やがてアランはエディスに恋心を抱きます。
最終巻ということで、長い時を生きるエドガーとアランの旅の決着が描かれます。最終回の前章である「ランプトンは語る」はエドガーたちのこれまでの旅の軌跡を第三者の視点で振り返りつつ、絵の謎解きをするというミステリアスな展開でした。期待しながら読んだのですが、これまでのお話と同様なぬるい結末を迎えます。ここから物語が大きく動き出す予感がしていたのですが、閉塞感のある終わり方でとてもがっかりしました。最終回の「エディス」もあっけないですね。作者の計算ずくかもしれませんが、まるで打ち切り漫画の最終回のようで、心に残るものはありませんでした。ごめんなさい。
また、解説の有吉玉青氏が述べる「ほんとうの孤独」というものを最後までこの漫画から読み取ることはできませんでした。吸血鬼の孤独や寂しさは『ポーの一族』から感じられないんですよね。特にアランが精神的に幼くて、自己本位で生きているようにしか思えなかったです。『屍鬼』の方が哀しかった。エドガーとアランはまだまだ甘いです。