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hidamari no snowman
走汰は死んだ姉の夫、歩向に恋してる。
スカウトが来るレベルの高校球児だったのに、今はフリーターやりつつ父子家庭になった歩向の手伝いをする日々。
物語の序盤は、走汰視点で物語が進み、まあ何やかんやありながらのラブストーリーなのですが。
こっからネタバレ。
途中から、過去のエピソードで歩向と走汰の姉の話になるのですが、突然なんか歩向が共感覚の持ち主で、人の顔が人間の顔として理解できず、走汰の姉の顔はリンゴに見えるし、産まれたての我が子はタコに見える。それなのに走汰だけは翼のある人間として顔が認識できた…と言う設定が出てくるのですよ。
んで、歩向の娘にも共感覚は遺伝していて、娘ちゃんには感情が雪に見えて、難しい恋愛に身動きが取れなくなってる二人には雪だるまが乗ってるように見えてたらしい(タイトル回収部分)。
この辺の設定が、説明が足りないのか私の理解力が足りないのか、なんか分かりにくかった。
つか、この話に共感覚の設定、いる?フツーの人同士のラブストーリーでよくない?
最初から歩向の視点で「人の顔が別の物に見えるハンデを持った人の話」の方が面白かったかもしれないです…。
持っていても日常生活に何ら影響も支障もないもの。
「共感覚」ってそういうものだと思ってました。
かくいうわたしも色字の共感覚を持っていますが、視覚的にはふつうに見えます。
ただそれぞれの文字や数字にはっきりとした色やにおいの「イメージ」があるというだけで、ある程度の年齢になるまで、みんな同じように感じているものだと思っていたので、何かを説明するときにこのイメージを使うと「え、わからない」と言われるのに戸惑ったくらいで、超能力のようなものでもなければ、何かの役に立つようなものでもないです。
この作品の歩向(あゆむ)は、「人の顔が別のものに見える」ようです。
作者さんはこれを「共感覚」と言っているのですが、わたしの知る限りでは「共感覚」は目の前にあるものはちゃんと認識できる+はっきりとした別のイメージを感じることで、入れ替わるわけではないんです。
人柄や気分が色で見えるというひともいるけれど、完全にりんごにしか見えない、タコにしか見えないというのは、別の脳や心の問題だと思うんですよね。
相貌失認とも違うし、何でしょうね、これ。
でも少なくとも「共感覚」ではないんじゃないかなあ。
歩向の子ども・塁花の「感情が天候で見える」は共感覚と言っていいのかも。
ツッコミが長くなりましたが、ストーリー的には亡くなった姉の夫に片思いする少年(走汰)が、姉の夫(歩向)と姪(塁花)のために役立ちたくて…というもの。
前半はこのよくある感じの設定で進むのですが、中盤で9年前の歩向の回想が入った途端に「え?」ってなります。
顔がちゃんと認識できないせいで入院していた歩向が仲良くなったのが、りんごに見える女の子。
これが走汰の姉なのですが、その繋がりで知った走汰だけが「ひとの顔」に見える。
完全にフラグが立っているにも関わらず、走汰への気持ちはあくまで「ファン」で、入院続きの自分と似た境遇のりんごと付き合って、歩向はりんごと結婚します。
この設定のせいで歩向が「目も鼻も口もない、りんごにしか見えない相手に欲情する強者」に思えてしまうのに、引いてしまいました。
なぜ走汰だけ顔が分かるのかというところにつながらないし、それならりんごとは仲間意識で、余命少ないりんごには「夫婦」という経験を、りんごは歩向に走汰と義理でも兄弟になるという縁をあげるという契約みたいな方が理解できたかも。
そうすると子供が…、うーむ、難しいですね。
それ以前に感情表現が不自然だったり、ストーリーの流れがスムーズではないという難点も。
人物設定もやたらとみんなドラマティックな行動をするし、妻を亡くして一年しか経たない従業員に山のように見合い写真を持たせる呉服屋も無神経すぎて笑えないし、出て来たら確実に「可愛い!」と思えるはずの子供ですら、作りすぎたキャラ設定で可愛く思えず…。
無念です。