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最終3巻は「エヴァンズの遺書」から始まります。
エヴァンズ家はエドガーの生家。記憶喪失になり、子孫たちのお世話になるといったストーリーです。
この巻になると時系列が混みいってきて、ノートに書いて整理したことがあります。高3の頃、テスト前なのに一心不乱にやったなぁ、懐かしい。なんて、それはいいとして、エドガーの不思議な魔性が際立つ素敵な話です。アランに会うより前になるので、メリーベルも出てきます。
二話目「ランプトンは語る」。時間が飛んで現代、1966年になります。オービンさんが登場してきますね。
複数の人物たちの話から、時を超えて存在しているエドガーとアランに迫る内容になってます。
小鳥の巣、のテオ委員長やルイスが出てきて嬉しいのですが、今読んでもアーサー・クエントン卿は何なのか、よく分からないかな。
三話目「リデル・森の中」。ペニー・レインの最後に出てきた小さな女の子だったリデルの話。
彼女からみた、エドガーとアランの関係には少し萌えました。
四話目「ホームズの帽子」。1934年、オービンさんの若かりし時の話。
ここでエドガーに出会ってしまったオービンさんは、その後の一生、エドガーを追いかけ続けるのです。
五話目がポーの一族の最終話「エディス」。時代は掲載時の現在、1976年になるのでしょう。エヴァンズ家の子孫とエドガー、アランの話ですね。
レビューを書きながら振り返り思うのは、ポーの一族とは何だったのだろうということ。
人間の血(エネジー?)を吸って体を保つというのは、バンパイアだとは思うけど、彼らは違う気もする。
エドガーはまだ少年の時に、欠片も望みもしないのに不老不死の身になってしまって、その哀しみや孤独に胸打たれるのです。
また、全編通して、主人公のエドガーではなく他者の立ち場で描かれる、静かなトーンの話が多いように思います。
時をかける、という躍動感や動的なドラマ性は薄く、時の陰にひっそりと潜んでいる、そんな感じ。
オービンさんのラストのモノローグ、「それはエドガーではなかったのかもしれない」の一節がグッときました。
小6から今まで、そしてこれからもずっと手放すことはないポー。
ただ一つ不満があるとしたら、他のどんなバンパイアものを観てもピンと来なくなってしまったことでしょうか。私にとってバンパイア的なものはエドガーが絶対なんですね。
永遠の少年で、心の片隅で常に人間に戻りたがっているエドガー。
だから、超セクシーなバンパイアものを観ても途中から違うと思ってしまう。(「ぼくのエリ」は良かったですけどね)。
有限の時を生きる人間と、無限の時を生きるポーの一族たち、不朽の名作はこれからも時を超えて在り続けることでしょう。