檻の外

ori no soto

檻の外
  • 電子専門
  • 非BL
  • 同人
  • R18
  • 神226
  • 萌×29
  • 萌7
  • 中立5
  • しゅみじゃない9

--

レビュー数
40
得点
1192
評価数
256
平均
4.7 / 5
神率
88.3%
著者
木原音瀬 

作家さんの新作発表
お誕生日を教えてくれます

イラスト
草間さかえ 
媒体
小説
出版社
蒼竜社
レーベル
Holly Novels
シリーズ
箱の中
発売日
価格
¥857(税抜)  
ISBN
9784883862986

あらすじ

別れから六年経ったある日、堂野崇文は、自宅近くの公園で喜多川圭に再会した。
喜多川は「ずっと捜していた。
一緒に暮らしたい」と告白する。
六年前とまったく変わらぬ一途な想いに堂野の心は乱れ、連絡先を教えてしまう。
が、すでに堂野には妻も子供もいて…。
『箱の中』待望の続編!せつない二人の物語『雨の日』や『なつやすみ』など、大量書き下ろしを収録。

表題作檻の外

34歳
36歳,妻子持ち

その他の収録作品

  • 雨の日
  • なつやすみ

レビュー投稿数40

すごくいい作品 初めて泣きました

この作品を読ませていただきました


講談社文庫から来ましたが、ノベルス版の夏休みを読まないと私は心の整理が出来ませんでした

ここから感想です!
夏休みの内容は切ないけれども、安心して読めました それでも、やっぱり号泣ものです
2人はゲイのカップルでどう頑張っても子供は出来ないし どうしてもそういう社会の何かがあるけれど、2人で愛し合っていくことは幸せで何かが必ず残るんだなあと思いました。

ここからはネタバレなのですが、

堂野のラストシーン「一緒に死にたかった」というシーンが辛かったです。尚が父さんが可哀想だと言って、堂野に2週間寄り添ってあげたのがなんというか言葉に言い表せないほどジーンときました
初めてBL本で泣きました。


読み終わったあとはああこの2人を見届けられた幸せに包まれました。けれど、1日おくともうこの2人は見れないんだなと思うと切なすぎました。

喜多川と堂野が幸せに暮らしたことだけでも満足です(泣

もうこの話が新しく世の中に出ないだろうと思うともったいない気持ちでいっぱいです。
いつか美しいことも含めて、木原音瀬先生の番外編をまとめてくださいと深く思いました。


木原音瀬先生ありがとうございました

3

箱の中の方は神評価でした

堂野の娘が死んだのがショック過ぎて、それ以降もう読み進められないです。なので読んでません。

登場人物の死は話を深くする上では好きな展開ですが、作者が邪魔だから殺した感が透けて見えるような退散の仕方は好きではないです。

2

ストレートなBLでないけれど、泣きに泣きました。。。

最後に収録された「なつやすみ」まで読んで、漸く不朽の名作と言われている事に納得しました。
それぐらい「なつやすみ」が素晴らしく、もともと創作物で涙するタイプの人間ですが、この作品には泣きに泣かされました。。。

表題作の「檻の外」も冒頭を読んでいた時には、予想もつかなかった終盤展開が待っていました。怒涛の展開でありますが、わざとらしくなく、淡々と話が進みます。話的には堂野家族の話が中心なので、BL小説で敢えて取り扱わなくてもいい内容かなーと思う所もありました。BL小説として手に取ってるので、そういう面では、意図しているものと違う物が見せられた、そういう側面は正直ありました。
それでも喜多川が泣かせる性格をしているので、話に引き込まれました。喜多川と穂花との心温まるエピソードとかも泣けましたね〜。喜多川の魅力で読み終えました。

「なつやすみ」もBL小説という括りの中心からは外れるけれども、いい読み物を読んだ…という感想です。尚少年を通して見た或る風変わりな二組の家族の歴史がユーモアを交えて描かれています。年齢を積み重ねて、いい形になっている堂野と喜多川の関係を見れて嬉しかったです。二人の日常のイチャイチャを見るよりも、地味だけれど、着実に人生を積み重ねている二人の姿を推測できて、とても嬉しくなりました。

子孫は残せないけれども、着実に尚少年の人生やその子孫へ受け継がれる魂にも確実に影響を与えた二人。何も遺さない、生み出さない人間はいないなーと。生きている限り、誰かに何らしかの影響を与えるものだと感じました。LGBTに世間の理解がもっと深まって欲しいです。この作品が出て10年過ぎて、漸く少しずつ世の中も動き始めている兆しも見えるかな。色々な家族の形態があっていいじゃないかなー、そう強く思える作品でした。これからの時代に益々そぐいそう。

個人的には、上巻にあたる「箱の中」も表題作よりも「脆弱な詐欺師」の方が秀逸した作品に感じました。下巻でも表題作「檻の外」よりも「なつやすみ」の方を素晴らしく感じました。第三者視点から紡がれる主要人物の物語を描くのが上手い作家さんの様に感じました。今更ですが、日常の観察力の鋭い感性に優れた作家さんですね〜。とにかく喜多川という男の懐の深さや味が伝わる一冊でした。
BLが主題でなく、たまたま愛した人が、同性であり、それも人生の一部分に過ぎない、そういう小説も良いかな、と思えました。本人達にとっては自然な事であり、凄く特別な事ではないんですよね。例え周りの価値観と違っていても…。草間先生の挿絵が絶妙で、ここぞというシーンが心に強く刻まれました。とても温かい気持ちになる挿絵でした。

ところで他のレビューアーの人の話により、別出版社から出ている文庫版では「なつやすみ」が収録されていないと知り、驚きました。この話があるから、二人の愛や人生が昇華された作品になるのに。。これを外した出版社の作品愛に疑問を感じてしまいます。「美しいこと」もホーリーノベル版を頑張って入手して正解だと思えました。やはりオリジナル(元祖)版は偉大だ…。

3

愛はつながっていく

喜多川と再会した堂野は、情を断ち切りがたく、喜多川を家庭に招き入れます。娘・穂花が喜多川に懐き、穏やかな交流が続くかと思われた矢先、穂花が殺害され、堂野の妻の不倫が発覚。堂野の家庭は崩壊してしまいます。

喜多川の堂野への愛は、堂野に妻子がいても、娘の殺害で誤認逮捕されても変わりません。ただ傍に居たいと願い、寂しさをこらえ、堂野の娘を大切に思い、自分の命さえ惜しまず堂野を守ろうとします。その一途な愛に、深く胸を打たれました。愛を知らなかった喜多川が、堂野を愛し、作中の誰よりも深い愛を持つに至ったことに、愛の真理を見たような気がしました。求めなくても愛を与えられてきた者は、きっとその大切さを身にしみてわかることはないのでしょう。

ささやかな幸せで満足できなかった堂野の妻の身勝手さ。娘の死であらわになる周囲の心無さ。困難は、残酷なまでに人の本性を明らかにしてしまう。愛とは何だろうと悩む堂野が、喜多川が穂花を悼んで作る花輪に答えを見出す心の動きが、本当に素晴らしい。今、目の前にいる男が無性に愛しい、ただただ愛しいと。
堂野の服役中も、娘を失ったときも、苦しむ堂野を支えたのは喜多川。喜多川の一途な愛、深い優しさが、堂野に届いた瞬間に、心が震えて仕方がありませんでした。

書下ろしの「雨の日」は、喜多川と堂野の穏やかで幸せな日常が描かれます。浴衣や夏祭り、海外旅行など、喜多川がこれまで経験できなかったことを、堂野が一緒に楽しもうと提案する姿に、喜多川への愛情を感じました。心が温かくなる短編でした。

「なつやすみ」は、堂野の妻が不倫で身ごもった子ども・尚が、堂野と喜多川と毎夏過ごす話。血のつながりは無くても、堂野と喜多川から愛情を注がれて、尚が思いやりある青年に成長していくのが良かったです。そして、喜多川を病気で亡くした堂野の悲しみに尚が寄り添う描写に、涙が溢れました。
尚の中には、堂野の愛情と喜多川の生き方がしっかりと根付いており、尚は自分の息子にもそれを伝えていきます。堂野と喜多川が愛し合い幸せだったからこそ、尚に伝わったものがある。愛はつながっていくのだと、深い余韻に包まれました。

9

知ってほしい

今更の神評価です。
とにかく、より沢山の人に知ってもらいたい。
何度読み返しても感動に震え涙する。
blのくくりの中で納めて欲しくない。
【なつやすみ】の尚は、‘博士の愛した数式’のルートだと思う。博士は喜多川。
できるだけ沢山の人に読んで欲しい。

3

BL的萌えは必要ないと感じた

箱の中の続編。
前回は、攻めである喜多川が6年かけ執念で受けの堂野を探し出すまでのお話でした。
そして今作で再会し、苦悩し、模索しながら関係を作り上げていきます。

本編は1冊の半分ほど。
そこでは相変わらず萌えは行方不明でした(苦笑
ただ萌えを求めず普通の小説として読むならば、昼ドラ並みのドロドロさで面白いです。
女性はとことん嫌なやつとして書かれ、しかもその嫌な部分が本当にリアルなんですよね。
あー、いるよねこういう人ってと読まれた方は感じたのじゃないでしょうか。
胸糞の悪さが本当に良かった(笑

そして後半の『なつやすみ』は受け攻め以外のとある人物の視点で進むのですが、これが素晴らしかった!
文庫版にこれは収録されていないのでしょうか。
だとしたら絶対読まれた方が良いと思います。
泣きましたから。
この後半も普通のBL的な萌えはまったくないのです。
でも、人間としていかに胸を張って生きれるか、他者の痛みに鈍感にならないかという辺りが胸にグサグサ刺さり、木原さんはやはりBLではなく一般の作品を読みたいと感じました。
わたし自身読む前にノベルス版をおすすめされたのですが、この『なつやすみ』を読むためにノベルス版買われた方が良いと思います。
この部分が本当に文庫版に未収録なのだとしたら、それは彼らの生き方を見守れずひじょうに残念なことだと思いますので。

5

見返りのない愛とは

まるで、一本の映画を見終えたような充足感。愛し愛されるとは、人生とは…そんなメッセージがそこいらに散らばっているのに、この二人が辿る道は特別ではなく、どこにでもある幸福の形でした。

『箱の中』を出て外で織り成す展開は劇的な事件へと発展していきます。少々、唐突感を否めなくもありませんが、冤罪で苦しんだ堂野という男を考えると、こういう結果に妙に納得できる気がしました。
堂野は友人として喜多川を必要としますが、完全に拒絶しない辺りが残酷であり非情になれない彼の狡猾さをよく現しています。喜多川の一挙手一投足に猜疑心に駆られ、娘を嫁に欲しいと言いだす彼に薄ら寒いものを覚えるのは至極当然な反応です。
面白いことに、堂野は喜多川に対していつも疑惑の目を無くす事が出来ずに、自問自答を繰り返しています。疑いの目を向けるべき相手は他にいるにも関わらず。
疑ってかかるという事は相手を理解しようとする事と同義であり、本質を見極めようという事の現れです。信頼しているから疑わないという事は、無関心であるとも言えます。
喜多川も堂野と再会し現実を知らされ、堂野との距離を彼なりに模索していきます。かつて自分勝手に向けた好意も、檻の外では堂野の家族という社会を通じて、箱の中の世界はあくまでも箱の中だけなのだと痛感するのです。堂野のそばにいられるだけでいい、生まれ変わって堂野の子供になりたいと願う喜多川の言葉は、堂野にとっては重すぎるものです。堂野は喜多川の素晴らしい人間性を知っているからこそ、自らを尊ぶ事のない彼に憤るのだと思います。それは同時に喜多川をそれだけ大切に想っている証明です。
やがて事件の真相が明らかになり、喜多川の元を訪れた堂野は、喜多川から過去の罪の懺悔の告白を受けます。娘の死を嘆き悲しみ、深い深い真っ直ぐな自分に対する愛情を目の当たりにしたとき、ようやく喜多川という男を真の意味で理解したのではないでしょうか。不器用で誠実で優しい喜多川は、箱の中から少しも変わらず堂野を裏切る事はありませんでした。愛しいという感情を受け入れるくだりは、ともすれば都合がいいと言われそうですが、絶望に落とされた堂野を救えるのはやはり喜多川しかいないのだと思います。

『なつやすみ』では元妻と別れてから産まれた尚という小学生が、父親に会いたいと母親に内緒で喜多川と堂野の元へ会いに来るという話です。この作品はこのシリーズ最大の要だとい思いました。
尚は自分が生きていくうえで必要不可欠である、欠けてしまったものを求めて堂野に会いにいきます。けれど堂野の不自然な態度に拒絶されたと感じ、理想はただの幻影なのだと落胆します。ですが、ここで尚を温かく見守り堂野へ導いていく良き理解者として喜多川が描かれていきます。
かつての無愛想がいくらかやわらぎ、よく笑い大らかで優しい幸福にあふれた喜多川がそこにはいました。喜多川のお陰で尚が救われていくのは、かつて堂野に救われた喜多川そのもののようです。
堂野は接し方が分からず戸惑っていただけで、尚もまた父親の不器用だけれど真摯な愛情に気付いていきます。
母親に連れられて喜多川の家から離れる場面、尚が喜多川にお父さんに感謝と謝罪を伝えて欲しいと叫ぶと、母親が突然泣き出してしまうところは、母親を代弁しているようで大変泣けました。
やがて尚は真実を知り、思わぬ形で堂野と再会を果たします。

子供を望めない堂野と喜多川にとって、抗いようのない別れはもはや避けようがありません。どちらかが必ず残される。そんな漠然とした不安や哀しみを抱えたなかで、尚という存在がどれだけの希望だったか、察するに余り有ります。本当の子供のように愛しく慈しみ愛した証拠に、尚は結婚後も自分の家族を伴い堂野に会いにいきます。それは遺された堂野が孤独ではない事の証でもあり、そんな宝物を遺してくれたのはまぎれもなく喜多川なのでした。喜多川の途方もないほどの愛情は、彼の死後も続いていくのだなぁと、尚を通して感じさせてくれました。
そしてそんな喜多川を愛する事が出来た堂野も、彼を独り遺す事もなく最期の時まで愛し抜きました。愛されるよりも、無償の愛を与え続けられる幸せは何物にも変えがたい。遺されるほど辛いものはないけれど、他の誰でもない自分が天国へ見送れる幸せ、独り遺す事のない幸せもあるのだと思います。

涙無くしては読めない、語れない。これ以上の幸福はないし、これ以外の結末もない。こんなにも幸せであってほしいと願う二人もいない。
そんな作品でした。

15

どこまでも真っ直ぐで深い愛情、その先にある未来

言うまでもない神作品です。
もちろん、『箱の中』も読みました。こっちは自分が堂野の気持ちに何度かシンクロしてしまい、キュウキュウと胸の奥が軋みました。淡々と落ち着いた文章や差し迫る心理描写は、まるで子供が水たまりの上でバシャバシャと跳ね回るように、胸の内をかき乱してきます。

BL小説の中には、ある部分(萌える点)さえ押さえてあれば・・というか、途中で気がぬけたのかな、と書き方に首を傾げる作品もあるんですが(そういうとこに一回引っかかりを覚えると、先を読んでもしらけてくる)、この作品は全編通して、頭の中に絵が浮かび、自分が作中に引きずられていくような・・、小説家がBLを書いてる、作品です。
世間の読書家に『BL舐めんな、読んでみろ』って薦めたい一冊ですね(笑)
エロが嫌なら、そこだけ読まなくてもいいから読んでみてって言いたい(でも最後は、BLって実はいいよねって思い知らせたい)
いえ、すいません。自分の趣味を人に押し付けちゃいけませんよね。はい。

この一冊の本からどれだけの感情を教えてもらえるか。

彼らが、出会えて良かった。普通だったらあり得ない出会い。必然でも偶然でもない。
彼らが悩み、頑張って努力して、やっと、そこまで着いた。
だけど、それは間違ってなんかなかった。
その安堵感に胸が締め付けられます。
読んでる私の方が、切ない現実を前にして苦悶する彼らを見て、諦めた方がいいんじゃないか、その方が、傷つかないで済むんじゃ・・と思っていたのに、狂気とも見える思いを抱え、求める事を諦めない方が正解でした。
自分の予想とは逆の展開が、また心を震わせるんです。
私だったらもうやだって思ったら逃げちゃう。けど、彼らは逃げない。それは、もしかしたら融通がきかないとか、不器用とか、真っ直ぐだからとか、色々理由があると思うんですが、その形を目指そうとする強さに涙が出そうになります。
『箱の中』とセットで、本当にシビれしました。

神作品です。






7

泣き過ぎて目が腫れあがりました (。´Д⊂) ウワァァァン!!

「箱の中」を読了。続きが気になって、気になって、今作を手に取りました。前作では出所後、堂野(受)が女性と付き合い、妊娠を機に結婚をすることになったところで終わりました。いよいよ堂野(受)と喜多川(攻)の再会。どんな展開が待っているやら。

目次
・檻の外(受け視点)
・雨の日(攻め視点)
・なつやすみ(高村尚クン視点)

あらすじ
堂野(受)は妻子と共に買い物に出かけた帰り、所用で席を外した妻を待つため、幼い娘と公演のベンチに腰掛け待っていました。するとそこに道を尋ねる背の高い男が。紛れもなく喜多川(攻)。とうとう二人は6年の時を経て再会を果たします。子供のように喜び、堂野(受)を抱擁する喜多川(攻)。そこに「パパ」という娘の掛け声。喜多川(攻)の表情が曇ります。堂野(受)は5年前に結婚したことを伝え…。

本当は私、受けに感情移入をするタイプなのです。でも木原作品を読んでから変わりました。攻めの立場に立って読むことが多くなったのです。先生の描く攻めは人間味に溢れていて、魅力的で、純朴で、素直な人が多いように見受けられます。好きにならずにいられません。この作品でも、堂野(受)の娘をめちゃくちゃ可愛がるとても素敵な良い男なのです。

本当だったら、堂野(受)の家族への嫉妬とか、嫌悪とかありそうなものなのに、そういった感情は全くないんですよね。それどころか、堂野(受)の娘をいつか自分にくれと頼んだり。正直これにはピックリしてしまいましたが、喜多川(攻)の、堂野(受)と家族になりたいと思う気持ちが透けて見えて、なんて素敵な愛なのだろうと、とても微笑ましくホットな気持ちになりながら読ませて頂きました。

一途。これに尽きます、喜多川(攻)の愛は。ところが、それに反比例するかのような堂野(受)の妻の裏切り。そう、私は浮気っていうのは伴侶に対する裏切りと捉えています。裏切られたことで、今までと同じ目で妻を見ることが出来なくなってしまった堂野(受)。めちゃくちゃ分かります、その気持ち。確か堂野(受)は「箱の中」においても、信頼していた三橋に裏切られました。その落ち込みようを知っているだけに、亀裂の入ってしまった夫婦が元の鞘に収まるのは無理だろうなと考えたのは、私だけではないと思います。

しかもこの妻は、二人の関係を知った後、橋の上から喜多川(攻)を突き落とそうとしたのです。普通だったら不意打ちを喰らっても、女性の手によって橋から落ちることはないと思います。でも妻が上手な嘘をつき、喜多川(攻)を絶望に追い落とし「死にたい」と思わせたんですよね。

堂野(受)が気づいて助けに入ったものの、一緒になって橋から落ちてしまいました。でも二人とも無事でした。ここからラストに至るまでが実に良いのです。ようやく堂野(受)から喜多川(攻)への愛の言葉が聞けました。何よりも「君が、いいんだ」と言う堂野(受)の言葉に、子供みたいに泣いて嬉しがる喜多川(攻)が可愛くて、可愛くて。

「雨の日」は二人のイチャイチャぶりを拝むことが出来、心が和みました。
ラストがまた良くって。芝から届いたハガキを握りしめ、ちょっぴりうれし涙を流す喜多川(攻)がとても愛しくて、私の眼にも涙がほんのり。

「なつやすみ」は、堂野(受)が認知した息子、尚の視点で展開します。
喜多川(攻)は堂野(受)の娘の時もそうでしたが、よく子供に好かれ懐かれます。たぶん遊びにしても、話にしても、子供の視点に立って考え行動することが出来るためだと思います。喜多川(攻)がどれほど良い男か、再認識させられる作品となっています。ですが…ラストは号泣しました。涙が溢れ、止まりませんでした。ボロボロ、ボロボロ。あとがきで木原先生が仰ってました。喜多川(攻)の人生を描き切ったのだと。まさしくそれに尽きますね。

この作品を読み終えたとき、そう言えばだいぶ前に読んだことのある大好きな凪良ゆう先生の「おやすみなさい、また明日」を思い出してしまいました。人生を描き切ったというところに共通点があるように思います。忘れられない作品となりました。とても素敵な作品を有難うございました。生涯、私の宝物です。

P.S.読めるものなら「すすきのはら」読んでみたい。誰かコピーをくれないものだろうか (┯_┯)

11

嬉し泣き

刑務所で別れて6年後。妻子とともに平凡ながら平和な毎日を過ごす堂野の前に、突如、喜多川が現れます。刑務所にいた頃と同じ、あるいはそれ以上の情熱で堂野に執着する喜多川に戸惑いつつ、彼の一途で不器用な様子を放っておけない堂野は喜多川を自分の日常へと招き入れます。

何も知らないけれど堂野を愛していると言い切る喜多川と、手にしていたはずの幸せを見失って途方に暮れる堂野。二人はそれぞれに傷ついて、最初は真正面から同じだけ想い合っていたわけではないけれど、時間をかけてかけがえのない存在になっていく――。二人の人生がゆっくりと一つになる物語です。

堂野視点の表題作「檻の外」、喜多川視点の後日談「雨の日」、そして尚の視点で書かれた「なつやすみ」が収録されています。

「檻の外」はドラマチックな展開で、人生の波乱万丈が分かりやすい形で語られています。面白いなーと思ったのは、堂野に降り掛かった不幸は喜多川と再会してもしなくても起こり得たことなんですよね。堂野がどうしようもなく弱った時に傍にいる、そのために喜多川が現れたのかも…と考えると、喜多川は天使みたいな男だなと思います。まぁ当の喜多川は堂野こそ天使だと思っていそうですが。

「雨の日」「なつやすみ」は案の定、泣いてしまいました。一番近いのは…嬉し泣きかなぁ。喜多川が大切にされていること、まるで堂野と再会してから生き直したように素敵なおじさんになっていたこと、真っ直ぐな考え方、尚との関係、沢山の人に愛され、幸せに包まれて旅立ったこと。そのすべてが本当に嬉しかった。思い出しても涙が出ます。

私は、死について考えるとついつい涙が出る涙腺弱いマンですが、年を取って、天国で待っている人達にやっと会えるなーと思いながら死ぬのも悪くない、なんて考えるようになりました。そのためにはちゃんと生きて、胸を張って天国に行かねばならないわけですが。「一緒に死にたかったな」と言いながら、あのボロ家で一人暮らす堂野はいい男ですね。強いばかりじゃないけれど、いい男です。彼のことを思うとまた胸が詰まりますが、きっと喜多川は絵でも描いて待っていると思うので、焦らず、残りの人生を穏やかに過ごしてほしいと思います。

16

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