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kono kassai wo kare ni
親友に恋する地味な高校生と美しい幼馴染 ゲイ同士のお話。
読みながら何度も声を抑えきれないほど嗚咽した。すさまじい衝撃の作品だった。
エイズが憎い。たった一度の過ちが、輝かしい青年の未来と最初で最後の恋を根こそぎ奪っていった。
これほど、感動のあまり言葉が出てこない作品にはもう巡り合えないかもしれない。素晴らしい名作。
短編とは思えない、重厚なストーリー、繊細な情景描写、そして表現の美しさ。どれが素晴らしい。
痩せ細ったパトリック(親友)を陶器に喩えるシーン、エイズにかかったと分かってもなお燃え続けるパトリックへの恋心を「彼こそが、彼だけが俺の恋」と心のうちで呟くシーン…このほかにもたくさん、ロマンティックで美しいシーンがある。
ただの美しい闘病話ではない、苦しみ、もがき、悲しみと戦いぬいた男たちの、生々しい記録。
命の輝き、愛の尊さを痛感する、素晴らしい作品。何度も何度も読み返したい。
愛のお話しでした
とても貴く力強くそして深い
主人公達が過ごしたティーンエイジの時代が自分の年代に非常に近く、作中に登場する音楽もすごく当時の空気感を呼び起こす役割を大きく担っていてもはや創作の世界とは思えぬような感覚で読み耽りました
彼らが年齢をごまかしクラブで飲むラム&コークにジャック&コーク、それすらも自身の記憶かと錯覚するかのよう…
そしてクラブの中で行われるその場の空気や若気の至り…
病気やセックスがもたらすリスクがどこか他人事だった時代
今ほど情報を簡単に手に入れられなかったあの頃
すごく色んな事が自分にリンクしてしまいました
実際この数年後に自分自身もアメリカで過ごす事があり、そしてその中で件の病を身近に感じる事もありました
それは当然今でも忘れられず、この作品の中で語られるマシューもパトリックもソニアもそしてポールもまるで昔私が出会った古い家族のように感じます
余りにもプライベート過ぎる話になってしまいましたが、どうしてもこのお話しを読んでその時の事を思い出さずにはいられないし、そして読んだ事で溢れる想いを抱えたままではいられない程に胸を締め付けられました
マシューとポールがこれからどんな関係を築いていくかは分かりません
それでも彼らが今出会った事は偶然ではなく必然である事は疑いようのない真実と感じます
私は彼らの場合はこの必然を「運命」と呼べる出会いに変えていけるように感じます
その運命がやがて友愛となるのか、パートナーの可能性を感じる愛になるかも分かりませんし、どちらでもいいと思います
この運命が彼らにもたらす愛がどんな愛であってもマシューのパトリックへの、ポールのショーン・カリバーへの気持ちを抱えたまま2人は向き合えるだけの想いを確実に共有した時間が流れていたと思える、そんな確かなひと時を読ませて頂きました
マシューという慈愛に満ちた1人の貴く力強いドラァグクイーンにありったけの喝采ととびっきりの1杯を贈ります
私もAnita Bakerでモルガン&コークを一杯
”Sweet Love”が今迄聞いて来た中で1番沁みる夜になりそうです
素晴らしい作品を紹介してくれたサイトのBL記事に心から感謝したい…!
電子での海外BL短編。
一読して。
あー…そうだったよね…と。
私は今50代なんで、この物語の語っている年代の、AIDSが恐怖の病だった時のこと、ものすごくリアルに知ってる。
そして私はその頃、興味半分面白半分にゲイカルチャーを野次馬として消費していた。
エイズがゲイにとっての天罰、と言われてたこともリアルに知ってて、完全に他人事で、それどころかエイズで死んでいくアーティストたちを、正にエイズで死ぬがゆえにカッコいい、と思ってた…
他の死因より、エイズで死ぬことこそが最先端でお洒落だと思ってた。
この物語を読んで、今さらすごく打ちのめされてる。
感染した一人一人、その周囲の一人一人。あの頃私はそこがまるで見えてなかった。
主人公は、今47才のドラァグクイーン。
学生時代の初恋の相手をAIDSで喪っていく過程を振り返る物語。
今若い世代はこれ読んでどう感じるんだろう?
エイズは正に絶望、死神、天罰。
家族に言えず、差別の中で、愛を喪い死にゆく。
80年代NY。仲間、友達が次々死んでいく中で死ななかった自分。それはサヴァイヴとは捉えられず偶然生き残った、というような感覚だと思う。
死にゆく恋人/友人を見ながら何もできない自分。どれほどつらかっただろう。
今、生き延びて華やかに夜を生きるマシュー。
今はいない初恋のパトリックの思い出と共に生き続ける事を自分に課して。
そうやって今までいくつの出会いと別れを繰り返してきたんだろうね。今目の前に現れたポールとはどんな出会いなのかな。
クラウス・ノミ、ロバート・メイプルソープ、ティナ・チャウ、デレク・ジャーマン、ジョルジュ・ドン、ルドルフ・ヌレエフ、キース・ヘリング、フレディ・マーキュリー、古橋悌二etc…
R.I.P.
『小説ディアプラス2016年アキ号』掲載作品。
う~ん……重い。
そしてかなり哀しい。
47歳のドラァグクイーンが雑誌記者のインタビューに、若かりし頃の恋の思い出を語る形式の物語なんですけれども、1984年から3年未満のお話なんです。
高校3年生のマシューは、幼馴染みのパトリックに恋をしていました。でも、レズビアンのソニアと3人でつるんで遊んでいるばかりで、告白する勇気が持てないまま。いつものクラブに遊びに行った日、パトリックは別の男としけ込んでしまいます。傷ついて帰ろうとするマシューの車に戻って来たパトリックこの喝采は、その男の体には赤く腫れた斑点があり、コンドームなしのセックスをしたことを話します。「1人でいたくない」というパトリックをマシューは自宅に泊め、医者にも同行します。高校を卒業した夏、進学の為に地元を去る予定のソニアも含めた3人で出かけた別のクラブは『女装ナイト』。ステージにヤジをとばしていたマシューは行きがかり上、ウィッグをかぶりステージ上で踊ることになりますが、これが大ウケ。その夜、パトリックはマシューにキスをし、愛し合おうとするのですが、その途中で「やっぱり、お前にとり返しのつかないことはさせられない」と言うのでした……
1984年って、検索してみたら、日本でエイズ発生動向調査を開始した年であり、フランスの哲学者ミシェル・フーコー(読んだ事はありませんが)が亡くなった年なんですね。この頃からエイズがセンセーショナルに知られ始めました。
最初はパトリックの軽率な行動に疑問を感じていたのですが、話を読み進めるにつれ、彼が家族(特に父)と上手くいっていないこと、暴力を受けているらしいことなどを知り、納得しました。
家族に愛されていないと感じているからこその無軌道な行いであり、たぶんそういう行いは、自暴自棄であることが必要とされていて、大切な友人であるマシューが相手ではダメだったんだろうと思ったんです。
このお話が切ないのは、マシューが図らずもドラァグクイーンとしてデビューしたその夜の煌めきが、とてもとても美しいからなんです。
長い間、ずっと想っていた一番の友人から愛していると告げられ、夢見心地で一緒に帰り、ベッドインする。そこまでの夢の様な描写が、その後、マシューが突き落とされる哀しい出来事と対比して、胸が裂かれる様に哀しい。
秋○和○さんの某コミックで号泣した私にとっては、たまらない物語でした。
藤たまきさんのイラストも美しく、涙をそそられました。
エイズを扱った作品。エイズ支援活動に精力的なドラァグクイーンと一人の記者が、最後に心を通わせるシーンが良かった。
現在と過去で構成される物語は、マシューがなぜそうなるに至ったかの過程に重きが置かれている。たった一人愛した相手がエイズに罹り、姿を消した。
題材は重いが軽くまとめてあって読み心地はさらさら。流行というのも変な言い方だが、一時期エイズ絡みの話は大量に創られたんじゃないかな。ゲイ映画・小説といえばエイズが描かれていて、これもそちらの(初期の方の)流れを汲んでいる気がした。
初恋の相手が一夜の過ちから死に至る病に罹って亡くなり、彼を一生思い続けるドラァグクイーンの図は感動的なのかもしれない。職場に骨壺を連れて来ていることとタイトルを合わせて考えると泣ける。
ただなんというか……エイズに思い入れがあったり特別視したりする時代の読み手に向けたものかな、という雰囲気を感じた。いや、時代は関係ないのか。でも何か一つ乗っかってる。治らない病気の一つとして見ると作品と距離を感じた。
短編でラストに小さな仕掛けというか驚き?をくれる構成は良かった。