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少女マンガで革命を起こしたマンガ家の半生記
shounen no na wa Gilbert
今や巨匠の竹宮恵子先生の、1970年代を中心にして書かれた自伝。
まだ20歳の竹宮恵子が大学を中退して上京し、
萩尾望都が増山法恵と出会って「大泉サロン」と呼ばれるようになる
古い長屋で同居生活を始める。
その経緯から終焉まで、有名編集者や他の漫画家も交えながら
描かれる濃密な時間。
その後、スランプを脱して『ファラオの墓』を描ききり、
ついに念願の『風と木の詩』(1976〜80年)を描くまで。
上京間もなくから温めていて、でも世に阻まれて日の目を見ず
長い苦闘の末にようやく描くことができた『風と木の詩』への思い、
同年齢の萩尾望都への共感と憧れとそして嫉妬、
増山法恵から受けた刺激やプロデューサーとしての彼女の役割、
そんなものが非常に正直にそして生き生きと描かれている。
比較的フォントの大きな活字だということもあるが、
惹きつけられて休むこと無く一息に読了。
(読んでいて電車を乗り過ごしました!)
後半は涙がにじんで、こみ上げるものに胸が一杯になった。
学校に上がる前から、呼吸をするようにマンガを読んできた、
大切なことの多くは、マンガから学んだ、
『ファラオの墓』も『風と木の詩』もむさぼるように読んだ、
そんな世代だからのことだろうか……
:
今でこそ、本屋に行けばBL本が並び、こうしてBLサイトもあるが
40年以上前、かの作品を世に出すのはいかに難しかったのか、
その困難の中、自分を磨き周囲と戦う様は感動する。
竹宮恵子のみならず、尽きぬ創作への情熱に突き動かされて
あのまだまだ少女や女性が枠に嵌められていた時代に、
果敢に新しい世界を開いていった作家達の「革命」があって
今の時代があるということに、改めて敬意を表したい。
『風と木の詩』に感動した方、竹宮恵子ファンの方、のみならず
広くマンガ好きな方には一読をお勧めしたい一冊です。
超大御所・竹宮惠子さんの自伝。上京~大泉サロン時代が中心。
増山法恵(のりえ)さんのことを、結構詳しく書いています。
『風と木の詩』以降のことは、「概略を紹介するにとどめたいと思う」と、本当にさらっと触れるのみ。
アラフォーの私でさえ、「風木」は、古本屋をめぐって揃えて読んだくらいだから、リアルタイムで読んでた方は、もう50代とかなのかな?
「風木」の連載は1976年から・・・もう40年も前なのね。竹宮惠子さんご自身も、もう60代半ば。大学の学長になるわ、紫綬褒章を受章するわ、凄いお方になっちゃいましたね。
そして、『風と木の詩』は、今でも新たな読者がいたりするんだから、本当に凄い。まだ読んでない人には、一読をおすすめします。
しかしこの自伝を読んでみると、竹宮氏は、思いのほか素直で、おとなしく理知的で繊細、少女のような内面を垣間見ることができて、良かったです。田舎から出てきた普通の人といえば普通の人。でも、若くして仲間を持ち、作品を発表していくうちに、ひとつの時代を作り、少女漫画の世界を塗り替えていく。すごいなあ。仲間っていいね。妬みや諍いまでも。ラストの一段落が素敵。「風木」の有名なモノローグ「思い出すものも あるだろう 自らの青春の ありし日を」を思い出しました。
個人的には、竹宮さんの作品のなかでは「ミスターの小鳥」が好きなので、この作品を描き終えたとき、「スランプが終わった」ことを自覚したって書いてあったのが、何だか嬉しかったなあ。
ちなみに、絵はセルジュとジルベールのカラーイラスト(当時のもの)2枚と、大泉サロンの図2枚、それから「風木」初回の2コマがあるのみで、コミックじゃありません・・・。
この本は、とても正直に書かれています。
今も昔も変わらない漫画編集者の頭の固さ
(協力的な場合もありますが)
萩尾先生への嫉妬でおかしくなって幻覚が見える話
風と木の詩やファラオの墓を増山さんが手伝っていた話
山岸先生による同性愛漫画ライバル宣言(?)など、
衝撃を受けるところがたくさんありました。
増山さんの発言が毒舌で面白いです。
竹宮先生、萩尾先生のファンはもちろん
漫画家志望にもおすすめ出来る本です。
竹宮恵子さんが20歳で徳島から上京してから、ライフワークとなる作品「風と木の詩」を連載できるようになるまでのあれやこれやを描いたノンフィクションですが、読み物として大変面白かったです。偉大なる少女漫画家達の若かりし頃の青春物語。登場する他の漫画家の名前もその作品も知ってる方ばかりなので余計に楽しめました。
主な登場人物は語り手の竹宮さん以外に、同世代漫画家の萩尾望都さん、竹宮さんのブレーン的存在の増山法恵さん、小学館の担当編集Yさんです。萩尾さんは一時期同居したり、一緒にヨーロッパ旅行にまで行った仲なのに、ジェラシーと憧れが強くなりすぎて近くにいることすら辛くなったということが赤裸々に書かれていて、クリエイティブな仕事をする人同士って友人とはいえライバルでもあり大変なんだなと思いました。萩尾さんの描く「トーマの心臓」も少年愛要素のある話でしたが、直接的な性表現はなかったのに、90年代の「残酷な神が支配する」は同性愛の性描写や義父から息子への性的虐待が主なテーマだったので萩尾先生も「風と木の詩」の影響を少なからず受けてるんじゃないかと思います。どちらも腐女子が読んでおくべき大作・名作ですが。
増山さんは少女漫画への熱い思いを持っていて文学、芸術の知識が深く竹宮さんへ与えた影響が大きかったようです。ヨーロッパ旅行へ同行した時も立場的には辛かったと思います。同世代の女性3人と旅行に行きましたが、その3人は連載を持った漫画家だけど自分は音大浪人生に過ぎなかったのですから。でも竹宮さんが「風と木の詩」の構想を思いついた時、電話で何時間もそれを聞いて、誰よりも早くその素晴らしさを理解し、一緒にそれを出版する夢を持ち励まし続けた所に感動しました。
編集のYさんは竹宮さんを上京した時から世話したり、親に挨拶にまで行ってくれた恩人ですが、女性の思う少年愛というものは当時は中々理解出来なかったようです。でもヨーロッパ旅行の時も1人で見送りにきてくれたり、人間味のある方です。Yさんの次の編集のMさんは「自分の本当に描きたいものを紙面に載せたければ、まずは読者アンケートで1位を取る事です。」と言って竹宮さんを乗せて最後はちゃんとそれを実現するなんて彼もその道のプロだなと思いました。(前少年ジャンプにそんな漫画家マンガがなかったっけ?)構想から連載にこぎつけるまで6年もかかったけど遠回りしたからこそあの名作が出来上がったのかと思います。ありがたくまた読み直さなければ。Yさんの最後のエピソードは泣けました。
名作の裏に名ドラマありです。朝ドラでやればいいくらい面白い話だけど、恋愛要素がないのと最終的な目的がBL的漫画を世に出すということなのでNHKは厳しいかー。
この本、昨年一年間に出版された書籍全体の中でも一二を争う名著と言っても過言ではないのではないでしょうか? 形としては一漫画家の自伝本です。しかし、単なる自伝…資料的価値のある本…ということにはとどまらず、読み物としてとても面白いんです。
それは、私が竹宮さんの漫画をずっと追ってきたという歴史があるから…ということは否定しません。しかしこれは、彼女のこれまでを知らない人が読んでも面白い本として読めるのではないかな?と思います。
具体的な内容に関しては、他のレビュアー様も書いていらっしゃいますので多くは書きません。
ここで書いておきたいのは、天才同士、時代を切り拓いた者同士の熱くて複雑な心のぶつかり合いのすごさ。特に萩尾望都先生とのエピソードの数々はまるで映画のようです。色々な意味でたまらない! 漫画を愛する人、芸術を愛する人全てに読んでもらいたい名著です。
最近BLものを読むようになって、やっとこの著書の存在に気づいて、そんなことがあったのか、と驚きました。竹宮先生が作風を変えた背景に、栗本薫先生との交流があった事も、最近知りました。
『ポーの一族』
『風と木の詩』
この2作をBLと知らずに愛読していたんです。ホントに私は鈍い・・ずっと腐女子してたんだ。
「『風と木の詩』の竹宮惠子 萩尾望都への嫉妬に苦しんだ日々」という記事や、
「少年愛を描いた『風と木の詩』の裏にあった、竹宮惠子と萩尾望都の短くも濃い友愛」
などなど、この著書が出た後に随分話題になっていたことも知らなかった・・読めない仕事に勤務してたせいもありますが、興味が無いって恐ろしい。目がいかないんですね。
讀んで良かった。BLは革命だった。
天才の動きに気づくことが出来た竹宮先生も異才な人。竹宮先生は、天才と称されて、萩尾先生と横並びは好まないのじゃないかと思うのですが、二人とも、天才だと思います。
>ライフワークと位置づけた竹宮の『風と木の詩』を「少年愛はテーマとして不適切、わからない」とボツにする編集者が、同じように少年愛を含んだ萩尾の『ポーの一族』を「別冊少女コミック」にあっさり掲載していく――。
これは、どうして??
編集業界の謎のパワーバランス。誰の判断で決まったの?
ホント そこは改善してほしい。
下世話にも、まったくの好奇心で、「一度きりの大泉の話」を読み、続けて文庫版「少年の名はジルベール」を読んだ。
両著者、竹宮惠子氏と萩尾望都氏は、私のきらめく少女漫画愛読時代を彩った「24年組」と呼ばれる少女漫画家たちの恒星であった。
誠に失礼ながら、私はふだん漫画家さんが書いた文章の本に、読みやすさを期待しない。これまでの経験で思い込んでいる。
「少年の名はジルベール」の文章はすばらしかった。
事前に、自伝と聞いていたのだが、これはまさしくみごとな青春私小説だ。
そして、また、「これはテレビドラマの話が出ても仕方がない」と思った。
児童期からではなく、漫画家とデビューし、己の甘い見通しから3社の出版社から〆切を迫られるシーンから始まる、この場面の切り取り方はどうだろう。
やがて、その後の折々に意識せずにはいられなくなったライバル(萩尾望都さん)の登場。後にプロデューサーとして共に仕事をしていくことになる親友(増山法恵さん)との出会い。三人が生活するのは、同じ世代の実力者少女漫画家たち(花の24年組)が集って、未来の少女漫画革命を語り合った「大泉サロン」。
やがて、主人公はライフワークと言える作品(「風と木の詩」)の構想を抱くようになる。
そのライフワークに着手するため、主人公が「ファラオの墓」を描きながら、それまでのこだわりや思い込みを投げ捨て、新たな手法や参考になることをなりふり構わず貪欲に手中にしていく様の描写は、スピーディーで息もつかせない。
なんというドラマだろう。
ライフワークに着手する寸前で、青春の物語は終わり、簡単に後日談が語られる。そうなのだ、ドラマは青春の苦しく惑う心に始まり、青春期の終わりに着地する。
私が、花の24年組と言われる漫画家さんたちを意識したのは、山岸凉子さんの「ゆうれい談」からだ。これは、漫画家の仲間内で噂されていた怪談を語った、(発表当時は大変珍しい)エッセイ漫画だ。「ゆうれい談」で一番驚いたのは、私がふだん読んでいた憧れの少女漫画家さんたちが、こんなにも仲良く連絡を取り合ったり、交流し遊んでいる姿だった。びっくりし、ますます憧憬の感を深くした。
「大泉サロン」に、才能ある漫画家たちが集まっていたのは、偶然ではなく、増山法恵さんが厳選していたためと、「少年の名は~」で知った。私の夢は一つ壊れた。それはそうだ、偶然なわけはなかったのだ。
増山法恵さんも、私には長年謎の人だった。時々、お書きになった文章を見ることがあったのだが、その度に、ライター、評論家など肩書が違う。でも、「大泉サロン」には詳しい人。本書で、やっと増山法恵さんがわかった。私が思うに、増山法恵さんは竹宮さんのプロデューサーであり、後の少女漫画評論家の先駆的な方だったのだろう。
不思議なのは、萩尾望都さんの漫画の分析と賞賛が非常に多いのに対し、同居人の萩尾さんとの人間的ふれあいの描写がほとんどないこと。萩尾望都さんがおとなしい人だと書かれていてもだ。この謎は、萩尾望都さんの「一度きりの大泉の話」で明らかになった。
重ねて書くが、本書は、竹宮惠子さんのすばらしい青春私小説である。
(このレビューは、萩尾望都さん「一度きりの大泉の話」の私のレビューと、対のつもりで書きました。)