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たった一人の男を愛し求め続けた執念の恋。
作家さんの新作発表
お誕生日を教えてくれます
タイトルと今市子さんの挿絵で選びました。古い作品なので内容もJUNE寄りで、読みにくいとのご指摘もありますが、個人的には読みごたえがあり、読後もかなり引きずっていた作品です。スラスラ読めて起承転結がしっかりしていて、読んでスッキリ、ハッピーな作品はツボにはまれば迷わず「神」ですけれど、読み終えた後も印象的だったシーンがふと浮かんできたり、登場人物の心情をもう一度考えてみたり、疑問を抱いて突き詰めてみたりさせてくれるような作品も時には「神」だったりします。今回は後者の方でした。
裕福な境遇でご近所さん同士の幼なじみとして育った苅田圦也と塚本澄。彼らは十一歳の頃、既に主従関係が確立していた。澄は容貌も目を惹く聡い子供で、色白で気弱な圦也は澄のいいなり。二人の子供時代が丁寧に描かれていて、お互い性的な芽生えを覚えるシーンや、澄を欲情させていることをうっすらと自覚し、表向きは彼に従っているようでいて澄の心をガッチリ絡めとっている圦也の密かな自負心や優越感が汲み取れます。その後二人がそれぞれの道を歩みながら形勢を変えて何度も向き合うことになるのは、予め運命付けられているかのよう。
二人が高校生の時に家族旅行で訪れたハワイで起こった一件から、澄は決定的に圦也を避けることに。にもかかわらず圦也は一途に澄を思い続けるのですが…。
澄はゲイではないので、彼に付随して女達の存在がかなり大きく関わってきます。彼女達が女性の色々な面を見せてくれながら暗に問題提起してくれるのですが、その点もとても興味深く読みました。ネタバレになるので誰々と詳しく関係性には触れませんが、作家さまがあとがきにも書かれていた圦也の母親に、わたしは泣かされました。
一方の執着モノというより、運命の二人の末路といった方がしっくりくるのですが、本編のその後がまたいいんです。(「惑い」、「色紙の裏側」が同時収録。)初恋の人を手に入れるって、幸せなことなのかなぁ…。今市子先生のカバーイラストでなければ出会えない作品でした。個人的には先生の挿絵だったからこそ楽しめたんだろうなと思います。挿絵の影響力はやはり大きいですね。
とても複雑な恋愛話。後から考えればもう少し周りの人も傷付けずうまくいったんじゃないか?と歯がゆくなるお話です。個性的なお話を書かれる五百香さんと今市子さんの美しいイラストのコラボで前から気になっていた作品です。
普通BLの受けって見た目は男前なのに性格は健気で可愛くって…って話が多数だし自分もそういう物を好みますがこの話の受けは見た目は美しいけど性格が本当に悪い。それも子どもの頃から。
攻めはなぜこんな受けを愛せるのか。ドMなのかもう思い込みというか意地になってるんじゃないかという感じです。ずるいのに悪にはなり切れない中途半端さ。見た目は美形でも中身は平凡で何の取り柄もない受けだけど、脚本家である攻めのミューズのような存在なんだと思います。
そして修羅場がすごい。受けを挟んで女と攻めが罵り合います。昼ドラもびっくりです。受けも攻めもお互い過去に複数体の関係のあった人がいるし、BLの王道とはほど遠いお話を多く書かれた五百香さんですが、なぜかお話に惹きつけられ最後まで読まされてしまう作家さんです。先日お亡くなりになり、その才能が惜しまれます。残された素敵な作品をこれからも読んでいきたいです。
久しぶりにBL小説を読んだ気分になれました。最近BL以外の部分に力を入れられた小説を読む事が多かったので、若年期から中年期に至る迄の執着愛はとても新鮮でした。
今は亡き五百香ノエル先生の偉大さを感じる作品でした。ゲイ男性とノンケ男性の一筋縄でいかない恋愛ヒストリーに重みがあって味わい深かったです。人間の感情や生まれ持った気質のどうしようもなさを感じさせられる作品でした。長い目で見ると、二人の人生劇場も悲喜こもごもで…。
何か一つの事に執着すると途端に人生の難易度が高くなるので、物事は程々に…とイリヤの人生を見て思いました。イリヤと同じくらいの年頃に読んでいたら、澄への執着をもう少し理解出来たのかもしれないな。
本編自体は理路整然と進み、純文学風の文章に引き込まれて読み進めましたが、内容が内容だけに、ストーリー進行や結末にモヤモヤする所が多かったです。イリヤが執着する澄に1mmの萌えも持てなくて…。対象的にイリヤが魅力的なのでイリヤの行き末が気になって読み進められました。
五百香先生の受けは性格が軽薄だったり、どうしようもなかったり、パッとしなかったりと自分の好みと合わない事が多いのですが、攻めが魅力的なのでいつも助けられる感じです。イリヤは年齢を経て益々魅力的なゲイ男性に進化していく所が良かったです。個人的には大鹿との関係の方が萌えました。
結果的に本編の後の「惑い」と追加書き下ろしの「色紙の裏側」を読んでこの作品に対する見方も変わり、雨降って地が固まる的な安堵感を得られました。メリーバッドエンド的な本編から一変、素直にハッピーエンドだなーと思えました。恋人から掛け替えのない家族という愛の形に昇華された所が良かったです。最後まで浅はかな澄でしたが、「惑い」と「色紙の裏側」で三十過ぎになって世の中の酸いも甘いも知った澄の姿を目にして、ようやくイリヤと澄の関係に萌えられました。この作品を読んで、同性愛って深くて複雑だなーと実感し、ますますドツボにハマりそうです。
五百香ノエル先生の痛い系作品の一つでした。「天国までもうすぐ」も痛かったけれど、こちらも輪にかけたしんどさがありました。最後まで読んで素直に良かったなーと温かい気持ちになれました。イリヤに乾杯!
この作品を一言で表現するなら、
歪み愛
に尽きると思います。
色々と歪みすぎてて、所々薄ら寒くすら感じました。
まずヤンデレと分類するには、攻が歪みすぎてるのです。
そして受の性格の悪さも折り紙付きで、読んでる途中で気分が悪くなってくるレベルなんですが、これが不思議な吸引力。
読み始めるとやめられません。
やめさせてもらえません。
こんなに歪みきったふたりの愛が、一体どういう風に着地するのか見届けるまでは、眠れません。
この独特の後味の悪さは木原さんを彷彿するものがありますので、そういった系の展開が好きな方にはぜひおすすめしたいです。
新装版ですので作品自体は結構昔のものなのですが、なるほどJune風味で苦み系BLのような感じでした。
本編の後味の悪さを補うように、書き下ろしの甘さに悶えます。
色紙の裏側のラストに、もう何とも言えずこみ上げてくるものがあり、あぁ、読んでよかった……と思わずにはいられません。
これを切ないというには、あまりに苦しくて、
これを痛いというには、あまりに切なくて、
複雑なモヤモヤした感情が渦巻く物語なのは確かなのかもしれない。
98年の新装版なのだが、それに多少の手を加えた箇所があるのかどうかは不明ですが、その文章が、作者さんの若さというか情熱をぶつけて、作品の世界にのめり込んで書かれたものなのかなーという印象は大きく見受けられます。
それはラストに挿入された新たな書下ろしの短編を見ると明白で
同じような構成文章の形をとっているのに、そちらのほうが非常に解りやすくまとまりを感じるからです。
そんな点で作者さんの過去と現在の対比を見られるのも面白いかと。
もし、今の文章の構成でこのお話が描かれたら、もっともっとよいものになっていたのでは?と思わなくもないです。
家が隣同士で幼い頃からずっと一緒だった澄(のぼる)と圦也。
神童の名の元、プライドばかりが高く自分にマイナスになることは他者を貶めても避ける子供時代の澄と、
彼の後をついて、彼のいいなりになり、澄に格下に見られていた圦也。
しかし、それなりに互いは意識をしており、小学5年の夏かわした初めての接吻から、彼等の道は離れて行く。
中学になり、平凡な、他人にはそれがまるわかりなのに、まだ己に気がつかずプライドだけが高く、それでも外見から女子にはことかかない澄。
澄への心を認識して、そのやり場のない気持ちを見透かされた原宿でナンパしてきた大人の男性・大鹿との出会いによって、自らをゲイと知り、彼により心を埋めていく圦也。
澄を忘れられない圦也が、高校2年の夏家族旅行で澄の家族と一緒にハワイに行った時、初めて体を重ねるのだが、直後澄の裏切りにより、ひと時の心の通い合いは幻となり、さらに、21歳の時、澄の婚約と婚約者の妊娠により二人は決定的な別れを迎える。
更に4年後、大鹿の元、脚本家として力を付けた圦也が落ちぶれ果てた澄と再会するのだが・・・
実に長い長い時間を経過する物語でした。
圦也は比較的わかりやすい。
彼はゲイであることを早くに認識し、いつまでたっても澄が好きな気持ちを忘れられなくて、彼を育てた大鹿の影響もあるかもしれないが、澄以外にはクールな面を持つ。
彼が澄に執着する理由。
ほんとうは澄が圦也を小馬鹿にして扱うのも、皆に虚勢をはるのも、その本質を知っていて、周囲の皆も本当はしっているのかもしれないのに、本人のみがそれを知らないという状況に、ひょっとして圦也はほの暗い満足感(決して彼をバカにしてと言う意味でなく)その愚かさが愛おしい自分だけのものと思っていたのだろうか?
彼は早くから大人と付き合い、早くから苦しみを知ってしまったから、精神的に早く老成してしまったのかもしれないように見えたのですが。。。
澄はよくわからないんです!実は。
子供の頃から圦也に性的にも惹かれていたのはわかりました。
それを隠す為に圦也に酷い仕打ちをするのも解りました。
けど、彼が圦也に依存していたとか、彼を唯一の理解者として見ていたとか、圦也を愛してると思う根拠がどうしても自分には見えて来なかったのです。
何となく、ホモフォビアというか圦也フォビア(?)な部分があったのか?とかも考えたりしたんですが、性的欲求を覚えただけでは納得いかないような。。。
初めて体を重ねる時も彼の意思はどこにあったのだろう?単なる好奇心?それによって圦也の関心を引くため?
そして、突然大学生になって今までのプライドをかなぐり捨てて頭の低いヘタレ男に変身してしまうのは?
彼が婚約者と圦也との修羅場を迎えるシーンまでくれば、そこを抜きだせば心の動きはわかるのですが・・・
この婚約者に小狡い女性の姿を見て、その結末に呆れかえってしまいます。
彼女は澄を好きなんじゃなくて、圦也に勝ちたかっただけなんだと、圦也に勝てば澄が戻ってくると全然澄を見ていない浅はかさに、澄が気がつかない点に、澄のバカさを見ました。
そして、後半で登場する澄の子供、里沙の存在ですが、
彼女は本当に澄と圦也を足して割ったような女子だな~と、ユニークな存在でした。
圦也を助けた(?)脚本家の大鹿もまたユニークなキャラクターでしたね。
ショタコンって設定が何ともw
彼等の性体験が中学生、19歳も年上の大鹿が中学生の圦也と関係したり、中学生の里沙が圦也を好きになり寝たがったりと、今新たに書こうとすると制限のある年齢設定なのかもしれません。
一瞬、この物語の暗くて重い雰囲気は木原作品と似たものがあるな~と思いながら読んでいました。
書下ろしの『色紙の裏側』で大鹿に嫉妬してヘタレる澄と、そんな彼に優しい圦也の姿は、多少痛いながらも大変に甘いものでした。
きっと、とても好き嫌いの別れる作品でしょう。
長い時間の一部分ずつしか抜きだしてない時間構成だし、文章も大変に読みにくいと思います。
しかし、筋としては大変に面白いのであります。(自分的に)
ほんとうに、できうれば大幅改稿でいいので現在の五百香さんの文章で全てを読んでみたかったと思うのですが。。。