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西条公威が秀逸な表現力で峻烈な陰と陽の世界を純粋無垢に描いた短編集!
zouka no kaitai
作家さんの新作発表
お誕生日を教えてくれます
初めて読んだのはもうずいぶん前で、当時は衝撃のあまりレビューの言葉も正直見当たりませんでした。「答姐」の「イタイ話」トピで久々に思い出し、数年ぶりに読み返してみると、痛いのも重いのにも変わりはないんですが、少しだけ衝撃以外のものも受けとめることができたような気がします。
主人公のエスは31歳。アンダーグラウンドで傷や死体や畸形など「壊れかけた身体」を専門に撮る写真家だ。みずから「傷に選ばれた」と名乗る彼の胸には、「錬金術の失敗」だという大きな傷痕が走り、12歳で妻子ある男と通じて故郷を追われ、写真家になるまでは男娼だった。今でも被写体とはたいてい身体を繋げるし、「セックスは生活の重要な部分だ」と言いつつ相手の性別や年齢、特異な嗜癖などには頓着せず、すべて受け入れている。生きながら腐ってゆく女や、機械にからめとられた瀕死の少年の肉体を、熱くも冷たくもないそのレンズで切り取ってゆく。
異形の者たちのうごめく世界を淡々と漂っていたようなエスだが、1人の男との出会いは、その彼にしても大きな衝撃だった。プロメテウス。エスが「撮る男」なら、彼は「録る男」。股間に凶器を飼う彼は、連続レイプ犯で、彼の録る音は獲物たちの悲鳴をかさねたものだった。
彼に犯されてエスは勃たなくなった。プロメテウスは彼の火を盗んだ。その火なしには写真家としての彼もたちゆかない。「盗まれたものは、返してもらう」仕事の依頼と称して訪ねてきたレイプ犯と、エスはふたたび向かい合う。
1度目は,まごうかたなき凌辱だった。でも2度目は明らかに違っていた。「おれは誰とやろうがよくしてなんてやれねえ。痛い目にあわせることしかできねえ」それでもいいかと訊くプロメテウスの背中にエスは手を回す。「いいよ、痛いほうが好きだからな」
欲望にはやる身体と罪の意識に引き裂かれた1人の繊細でやさしい男。ストレスで血を吐き、頭は総白髪になってもやめられなかった行為が、エスに余すところなく受け入れられることで変容してゆく。「もうやらねぇよ。頭と身体がつながっちまった。どうしてくれんだよ」エスっていつも小汚い恰好で無精ひげだってある30男なんだけどプロメテウスにとっては「地獄で出会った天使」なんだそう。「お嬢ちゃん」と繰り返しエスを呼ぶその呼び方までマジで甘いのには参った。
一方のエスは彼に願う。「おれを壊してくれ」「バラバラにして、スーツケースに入れて、どこへでも連れまわしてくれ」でもその願いは聞き届けられない。プロメテウスは彼にはさみを向ける。「一部分だけもらってく」耳を削ぐのか目をくりぬくのか・・・エスの「期待」したところではなかったけれど、プロメテウスはたしかにエスの一部分を持ち去った。消えずにともりつづけるちいさな火とともに。
エスの物語が最初に紡がれたのは阪神大震災、地下鉄サリン事件のあった年です。以後長きにわたる商業活動のブランク等も経て、この本が出版されたのは東日本大震災の年。(作家さんは仙台在住の方です)
最後の書き下ろし「愛されたい。ただ、愛されたい」のみ被災後の作品だということで、売り専ボーイが40歳童貞の客をただ抱き締める話。こちらは暴力とも流血とも無縁の、奇妙に凪いだ風景がひろがっています。それでもそのタイトルの悲鳴にも似たさけびには、エスやプロメテウスの面影をかさねずにいられません。時を経ても、未曽有の災害に遭っても、変わらずにあるそれは、たぶん作家さんの本質といえるのでしょう。
実に9年ぶりの西条さんの新刊!
といっても、「スペル・イー・エス」のシリーズの未掲載分とウェブ発表短編、そして書き下ろしが1本のまるまる新作というわけではありませんでしたが、西条ファンとしてはこれが足がかりで電子書籍以外の紙媒体の新作をまた見られるきっかけになるといいな、と密かに期待と応援をしております。
壊れたモノ(身体)を専門に撮るカメラマン・エスと、彼に仕事を依頼してくる人々のお話は、実はどれもとても深くて甘いラブストーリーなんです。
相手を心底愛してその肉体が異形となってもそれでも愛したい、その姿の成れの果てをエスに託し、彼に見届ける役割を負わせる。
彼と身体を繋げる事で、それが完成する。
もちろん、エスが壊れた肉体に、傷に欲情するという性質をもっているものもあるかもしれませんが、エスは”聖母のような娼婦”の役割を持ってまるでイタコのような役割をしている気もします。
表題では、売春婦をしているシーナンとボーイのナミの二人が登場します。
娼婦であるシーナンと過去売りをしていたナミにとって、セックスをしないということが二人にとっての特別な関係であるという、プラトニックな愛を貫いている関係を見せますが、身体が腐って行くシーナンに本当は欲情していると本音を漏らすナミ。
エスは彼等の結末を身体をもって、カメラを持って、刻みつけていくのですね。
『スワンソング』では死期の近い息子を愛する父親がその姿をとどめてほしいとエスに撮影を依頼するのですが。
このシリーズの愛はどれも裏をかえせば相手に対する執着でもあるのですが、これもまたその一つ。
『サンプリングハッシュ』以下2本はちょっとそれまでの話とは違ってエスが恋をします。
ここに登場するエスをレイプする男・プロメテウス。
彼が実に味わい深く、憎めなく、そして可愛らしい男なのです!!
抱えたコンプレックスの為にレイパーとなり放浪するプロメテウス。
レイプした相手の声を重ねて録音した異常な音楽を完成させようとする、一見恐ろしい男の様に見えるのですが、
本当は小心者で、胃を壊したまに血を吐き、そして髪が白髪になってしまったプロメテウス。
レイプの後遺症で不能になってしまったエスが復活するのもまた、プロメテウスによって。
エスの以前からこだわる傷や殺されたい願望を叶えるのはプロメテウスなんでしょうか?
エスは、よく物語の中で無精ひげに伸び放題の髪、衣服は何日も同じものと、とても綺麗なものを想像できないのですが「お嬢ちゃん」と呼ばれます。それが楽しい。
自分が慣れたせいなのか、この短編集は若干エスの破壊願望が薄い感じでライトな雰囲気がします。
web掲載の短編集は、作者さんがリハビリの秀作といわれているように、どれも未満の、淡いお話です。
ちょっぴり胸が痛みます。
そして、書き下ろしは・・・あとがきを読むとすごく納得できます!
いつもの西条さんお得意の売りをしている男の話なんですが、
愛されたい、ぬくもりがほしい。
それがセツセツと伝わってきます。
西条さんの作品は、すごく自分自身の身を切って絞り出して内臓をさらしているようなものが多く、すごく自分をすり減らしているんだな~と痛々しく思えるのです。
でも、それが決して不快でなく、同調して共感するものを生み出しているとも思います。
性と生と死の濃厚な匂いが表紙から臭ってくる西条先生の短編集。
一般的に望まれない写真を撮影しつづける主人公エスを中心として、彼の依頼主とともに物語は繰り広げられます。
写真とは「承認」でもあります。
時を止めて永遠を作り出し、また、平面に「おこす」ことで存在を確固たるものにする事を可能とします。
外見も、性別も、身分も関係なく、ただそこに写っているものを事実とする写真は証人でもあり、そして承認してくれるものでもあるのだと、この本を読んで感じる事がありました。
恋愛はお互いを認めあう行為ですが、しかしそのどちらかが壊れていたら、もしくは両者が壊れていたら、誰が認めれば良いんでしょうか。
結婚だって何だって、他人が証人になるケースは法律上多々あります。第三者に自分を許容し、証明してもらうというのは、例え恋愛をするうえでも、お互いの存在とはまた別に人間が求めずにはいられない、本質的な性なのかもしれません。
正直、この主人公エスが、そんな高尚なものを胸に写真を取り続けているのかというと、そうではありません。
ただ彼は、自分を駆り立ててくれるものを求めている。そのためにシャッターを切っている。
彼も彼でまた写真によって存在を証明しているわけです。
腐りかけの恋人や、著しい身体的特徴を持つ者、そして異常性癖。
彼らが「生きる」ことを自ら実感するために、エスは証人として立ち会い、シャッターを切り続けます。
確かに傍から見ると文字通り痛いのですが、表面上は異常に見える彼らの、しかし静謐ともいえる「彼らだけの」世界を、ちょっとだけ羨ましく感じ、そしてとても惹きつけられました。
恋愛の醍醐味の一つに「二人だけの常識」というのがあると思いますが、いわゆるSMなどの倒錯行為というのはこれに通ずるところがあって、この作品はその辺を深く掘り下げていると言えば良いんでしょうか。基本的に「理解」は不可能.....というより不要の世界です。
主人公に関して。表題作ではまだ「エスの自己紹介」的な部分が強く、いまいち彼の本質を理解出来なかったのですが、しかし「サンプリングハッシュ」でのプロメテウスとの出会いで一気に愛しさがこみあげる存在に。ちなみにプロメテウス×エスであります。
さて、このプロメテウスもまた、自分の異常(とある身体的特徴。読んでからのお楽しみ)に悩み、自己の存在を他人によって確認するようなところがある、つまり自信が無い。
人を嫌うあまり自分さえも憎み、そしてよりどころが無くなり他人依存に陥いるような超絶不器用な奴なんですが、存在を承認してくれるエスに出会う事で彼の硬さが変わって行く過程が..........萌えぇぇ!
なんていうか、これぞ「男と男」の恋なんですよ。愛する人が出来たからこそ、最後は自分の足を踏みしめてしっかり自分で生きて行く。この様がしびれるほど格好良い。でもたまに寂しくなっちゃうところなんかね、もうね。
西条先生の作品は確かに人を選びます。
一般的にBLに求められるような「疲れたときに元気が貰える」作品ではなく、むしろその逆です。
そこに甘い癒しはなく、あるのはただひたすら他人に向かって慟哭しつづける"孤独"。
果てしない迷路を「誰か!誰か!」と叫びつづけながら、たまに聞こえる声にほっとしたり、ふと見上げると輝く太陽の美しさに安心したりする。
この痛さが癖になっちゃうんだな〜(笑)
茶屋町先生の挿絵もまた凄く良い。
影が印象的な先生の絵は、この作品の暗さとは対照的に、強く輝く太陽の下にいるような光が印象的です。
やけにセンシティブなレビューになりましたが。
お薦めです。
滅多に手を出さない小説ですが、運命的に出会えましたね、西条公威さん。
あらすじからの期待を裏切らないグロテスクな表現やBLとして読むには幾分厳しい性描写が頻出しますので誰もにオススメという訳にはいきませんが、埋もれてしまっては勿体無い作品だと思いました。
「壊れた身体」を撮るカメラマン〔スペル・イー・エス〕の目を通して切り取られているのは、バランスを崩しながらも愛を尽くしたい人間達の様々な愛の“果て”だと思うのです。
エスが担っているのは、そんな彼等の受け入れられ難い愛の形を、認め、記録し、残してくれる第三者、言わば、証明係のような役割。
「造花の解体」のナミも、「スワンソング」のヴィニも、エスならきっと否定しないと信じて、ずっと仕舞ってきた本心を打ち明け、大切な宝物を見せ、認めてもらえた後は嬉しそうに誇らしげに最愛の人の“その後”を見せにくる。
誰だって承認されたい。その欲求を満たしてくれるのがエスの存在。
エスによって満たされた登場人物達がくれるカタルシスは、グロテスクな物語を読んだ後とは思えない晴れやかな読後感をもたらしてくれます。
その一方で、シリーズの最後に入っているエス自身の物語が切ない。
エスのファインダーを通り過ぎてゆく赤の他人達は満たせても、エス自身は何一つ満たすこと叶わず苦しんで叫び続けている。
愛を乞えない代わりに「壊してくれ!」と叫ぶ。
ぐわんぐわんと反響だけし続ける行き場のない叫び。
そこには作者である西条さんの叫びが投影されているのかもしれない。
こちらには少なからずの共感が詰まっていました。
後半にはいくつかの掌編の締め括りに、3.11の震災後に書かれたという1編の書き下ろし短編が収録されています。
「愛されたい。ただ、愛されたい」
エスの物語から15年近い時を経て、他人のぬくもりや愛を直接的に乞う2人を書かれている作者に涙がにじみます。
本作の前に「殺人音楽」、「鋭利な刃物」の2冊がスペル・イー・エスシリーズとして出ているのですが、残念ながらこれらはすでに中古でしか手に入れられなくなっています。特に1作目の「殺人音楽」は高値過ぎて手が出せません…
もちろん全部読むに越したことはないでしょうが、この1冊だけでも読む価値は十分にあるかと思います。
前半「スペル・イー・エス」シリーズ、後半webサイトよりの掌編、そして書き下ろし作品1点が収録されております。
この前半と後半のテイストの違い、というか振り幅が大きくて、この一冊が見た目の厚さ以上の一つの小宇宙のようです。
後半の掌編たちは、あとがきでの作者様の言葉で言えば、白であり透明でありまたピンク色の淡いグラデーション。
BL未満の、年上の従兄に抱く憧れや、仔猫を抱く友達にお前の方が可愛いと呟く少年、転職しようとする男と上司、などなどの印象的な一場面たち。
対しての前半。こちらは凄絶です。
世はきっとこちらの西条公威だけを欲したのでしょう。あとがきにある『ひとつの色だけであり続けるのはとても疲れます』との言葉こそ真実だったのだと感じられます。それほどこの「スペル・イー・エス」は黒い。或いは暗闇の中の狂った極彩色のよう。
「造花の解体」
表題作。生きながら腐っていく、人体改造の果ての女の子を撮る。
描写はかなりのグロではある。腐臭の中でただシャッターを切るエス。
「スワンソング」
スワンソングとは本来、人生の最期に成し遂げるもの、という意味なんだけど、ここではどうやら死期が迫った時に聴こえる死神の声、のようなものらしい。
目隠しをされ気管も切開されて全裸で椅子に座るサシャにフェラするエスにかすかに聴こえるサシャの淡い喘ぎ…エスにはそれがスワンソング。
その後、サシャは父親によって機械と一体化させられて(ギーガーを想像する)。二人の姿を撮るエス。エスに撮られる事が特別席へのチケットかのよう。
「サンプリングハッシュ」
これが凄かった。この話を読むために、この一冊に出逢ったような気がする。
エスがレイプされる。
プロメテウスという男は連続レイプ犯で、被害者の声を多重録音してそれを流して聴かせながら超巨根で犯す。
プロメテウスは巨根すぎて誰とも肉体的に繋がれない。なのでレイプをする。プロメテウスは神話では火を盗む男。エスもプロメテウスに何かを盗まれる。それはもしかしたら心。心の一部。
疎まれて心と躰がバラバラのプロメテウスと、プロメテウスに犯られてから一種の執着、あるいは恋(!)を知るエス。
プロメテウスは初めて性の相手から受け入れられ『頭と身体が繋がっちまったよ』と震え、一方『俺を、壊せ…』と呻くエスは置き去りにされる。
時折接近する彗星のように、この二人はまた逢えるのだろうか?
ここで語られる情景は、他のBL小説では見たことのない景色。多分これが「恋の果て」なんだと思う。
茶屋町勝呂先生の描くプロメテウス。口絵はまだレイプ前の彼か?街角に紛れるプロメテウスは……エスの恋にふさわしい、のか?とにかく素晴らしい。
これは読めなかった。
痛い、というレベルではなく、人間としてあり得ないような一線を超えてしまっています。気分が悪くて読むことができませんでした。
特に、幼児への虐待を超えた非人道的行為や、腐敗し肉体が溶解する中での性行為など、とてもではありませんが一人の人間として受け入れることができない内容でした。