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兄の恋人だった秋を密かに想う広見。足が不自由でも優しく懸命に生きる秋を傍で守っていけたらいい。そう思っていたはずなのに…
hidoikuraini
成績優秀で性格も良くて顔も抜群という出来が良すぎる兄を持つ広見。
そんな優秀すぎる兄に屈折した感情を抱きながらも、周囲からの賞賛や親の期待など兄が得ているものは一度も欲しいと思ったことはなかっのに、生まれて初めて兄のもの(恋人)を欲しいと思ってしまう広見。
兄の恋人をオレのもんにしたいぃぃ〜!!と渇望する広見視点が萌えました。
で、完全無欠マンかと思われたにーちゃん。
彼は彼なりに、長男とは、物分かりの良い兄とは、親の期待に応えるには、優等生とはetc.etc
こうあるべきと皆から望まれる姿を演じてたんだろうなぁとちょい哀れ。
いつでも正しく穏やかと思われた彼が見せた激情シーンはそりゃ自分勝手だし、「一人じゃ生きられないくせに」と言い放った姿には本性見たり!という気持ちになったけど、何故かそこまで嫌いにはなれません。
萌えたのは、そんなにーちゃんが呟いた「でも、性格のいい本当にかわいい子は、広見のことを好きになっちゃうんだ」というところと、「自分がどれだけ世界に愛されてるかわかってない」と言うぼやきに対して「そこが広美のいいところだと思うよ」と秋に広見のフォローをされちゃうシーン。
にーちゃんの胸の内を想うとかわいそすぎて萌えました。ざまぁ。
攻め受けよりも攻め兄への言及が多いので、受けの秋について。
秋の孤独や枷にはなりたくないと思ってしまう気持ちが痛々しかった。
広見を追いかけたくても物理的に出来ない玄関のシーンが印象的。
それにしても、前半のお風呂場のシーンも、後半の事故の電話シーンも、感情決壊が凄まじいですね。
事故が起きて以来、様々な感情を削ぎ落とさなくては生きてこれなかった秋の慟哭が突き刺さります。
それだけに、広見の胸で泣くことを自分に許すシーンや、広見の指先に口付けながら秋から言ったシーンは感動的です。
兄の恋人を好きになる弟…これだけでもう萌える!
表題作「酷いくらいに」は、この弟広見の攻め視点で綴られます。
兄の同級生で今は車イスの秋。広見はどうしても秋を汚したくなる衝動に駆られて苦しむ。秋は兄の克至に捨てられた恋人だから…。
広見は理解できない。克史と別れて、それでも優しく微笑んでいる秋が。両親も足の自由も、そして恋人も失った秋が神を慕っていることが。
オレなら神様のことなんて考えさせない。抱き締めてキスをして、どうにでもできる…そうして自分の浅ましさに自分で苦しんでいる。
でも秋は?
いつもやわらかく礼儀正しい秋は、激情のひとでした。
「ガラス細工みたいに大切にされるのはたくさんだ。僕は生身の人間なんだ」ここの挿絵もすごい迫力です。
「でも僕は強欲だから、優しいだけじゃ足りないんだ。だから、だから僕を、酷いくらいにー」
もう我慢をしない広見との初めての行為。秋は何も隠さず、自分でも広見を求める。自分にも性欲があることを、言葉で、その身体で広見に伝えて。
「ひとの望みのよろこびよ」
秋視点。
足に障害を負って、進路を変え生活を変え、その自分を受け入れていく日々。犬のコーデリアと暮らすことで心の拠り所を保っている秋。
広見は優しくて、少し強引で、秋は満たされて。でもなぜか別れを意識してしまう…その時は広見の邪魔になりたくない、と。
こちらの作品はアニマルセラピーのNPO絡みで出会うあゆみちゃんという女の子とのエピソードが中心です。これが後味の悪い話で…。
動物が怪我する展開、私は苦手です。
結局秋は広見の前で声を上げて泣くことができて、すれ違いそうになる心はまた寄り添えたけど、この辺の展開は正直安易に流れたかなぁという印象です…
ラスト、事故の後周りに迷惑かも、と遠出を諦めていた秋が、フランスで修行中の広見とクリスマスを過ごすためにパリに行く予定を立てている場面で物語は終わります。足は動かないけど、心に翼が生えるんだって!
高遠先生の作品には素晴らしい言葉がたくさん散りばめられていて圧巻です。
『僕には愛さないなんて選択は無理だ。この燃え上がるような瞬間の喜びを知らなくて、長い人生をどうして生きていけるだろう?』
これはよかったです。高遠さんではかなり好き。これで続編が受一人称でなかったら、『神』だったかもしれない、と思ったくらいです。もともと受一人称は苦手なんですが(攻一人称はその作品によります)、高遠さんの受一人称はとりわけ合わないんです。
私にとって、高遠さんはかなり当たり外れのある作家さんなんですよ。正直、広見の勤めてるレストランが舞台の、大変評価の高い作品は、私はどうしても攻キャラクターが好きになれなかったんですね(他のキャラクターやストーリーはむしろ好きなんですが。あとスピンオフはまた別です。メインキャラクターが違うので)。
広見(攻)は、本来の私の好みとはちょっと違うかもしれませんが(苦手な年下攻だし)、自分でも不思議なくらい気になりませんでした。逆に、秋(受)より7歳も年下だからこそ、広見の若さゆえの無神経さその他も流せたのかな~と。
秋は結構複雑なキャラクターでしたが、私は好きですね。『障碍者は心が美しい存在』的な祭り上げって、げんなりするんです。そういうのって逆に障碍者を人間以外の存在にしちゃってるんじゃないの?と思えるんですよ。障碍者は、あくまでもまず『人間』であって、それぞれ個性がある(障碍そのものがすでにそのひとつ)という当たり前のことがスルーされてしまうのが気になるんですね。まあこれは、実際に障碍者と接する経験があるかないかでも違ってくると思いますが。
秋は一見したイメージと違って、強いし自立しています(精神的にも)。それに、『ひとりで生きられない』のは、障碍の有無は関係ないですよ。『ひとりで生きられる』と思っちゃってる方が、本当の意味で自立してないんじゃないかと思いますし。
広見の兄は、私は決して好きではありませんが、そこまで嫌なヤツとは思いませんでした。報復を受けたからというのが大きいですが(これで上から目線のままだったら、もちろんまた別です)。
彼が『完璧』というのもある側面からは間違ってはいませんが、実は単に臆病な小心者だったんじゃないのかな、と思いましたね。つまりまわりや自分の決めた『枠』からはみ出ることが、怖くてできなかっただけなんじゃないのか、と。そういう意味では続編の(叩きのめされた後の兄は)良し悪しはともかく人間味ありましたね。
しかし、続編のフリースクールの少女・あゆみが絡むエピソードはなんとも中途半端で、正直蛇足に感じました。いろいろと詰め込み過ぎで、散漫になった印象でもったいなかったです。広見のフランス行きに加え、CP以外のキャラクターならすでに兄の存在もあるし(まして続編でも絡んで来てたんですから)、それで十分だったんじゃないかと思いました。
でも、いろいろ言いましたが、トータルとしては好きなんです。
ただ・・・イラストは、正直残念でした。
事故にあって両親をなくし、自らも車椅子生活になってしまった秋と、秋の犬を思いっきり散歩させるために毎朝秋の元を訪れる広見の繋がりが、とても丁寧に綴ってありました。
秋との関係の深め方はもちろんだけど、それよりも広見とその兄との秋に対するスタンスの対比がとても分かりやすかったです。
こういう問題って難しいですよね。
身体障害者側からすれば、「同情されたくない」って思いもあるんだけど、それでもやっぱり人の手を借りなければ出来ないことも沢山あります。
健常者側からしても、善意で手を差し伸べているつもりでも、その根底にまったく「同情」が無いかと言えば、それは無いとは言い切れないと思うんです。広見は無いと言いますが。
だから、その「同情」を、どう捉えるかの違い。
可哀相だから手伝ってやるという上から目線なのか、大変そうだから力になってあげたいという同じ目線なのか。
それって言葉でも態度でも絶対伝わらなくて、要は身体障害者側の気持ちだと思うんですよ。
どれだけ善意の手でも、「俺って同情されてて惨め」と本人が思ってしまえば、いくらだって人を疑えるんだもの。
その点、広見はとても上手に、スルリと秋の懐に入ったんだと思います。
兄が決して、「自分をいい人だと思いたい」ってだけで秋に構っていたとは、思わないしあまり思いたくもないんです。
その溝を埋めるのはただ、障害以外の部分でどれだけ繋がれるかなんだと思います。
仕事とか、趣味とか、そういう沢山の話題を持つことで、「障害があろうがなかろうが関係ない」と信じられる関係を築いていけたから、秋と広見は惹かれあったんじゃないでしょうか。
広見にしても、気にしないとは言うけれど、やっぱり最初に秋を意識したのは、階段で兄に抱えられている姿を見たからなわけで、それが普通にすれ違っただけなら意識なんてしなかったのかもしれない。
聴覚障害の子供を持つとある芸能人が「障害は個性」と言ったけれど、それってこう言うことかな、と思いました。
「美人だから思わず振り返った」とか「スポーツが出来てカッコよかったから目で追った」とかってのと同じ感覚で、秋を意識するきっかけだったんだと思いたい。
秋がちゃんと仕事もしていて自分の身の回りのことも出来るだけ自分でやろうとする自立した人だったことが、とてもこの作品の魅力でした。
それでもままならないことは沢山あるだろうから、そう言うときには広見に対して、気負わず卑屈にもならず、気軽に「これやって」と言える関係になれば良いな…と心から願いました。
なんだかBLというよりも、「彼らと向き合うには」という観点で読んでしまいました。
帯『優しさだけなら-いらない。』
兄の元同級生で元恋人の秋[受]と、彼に恋した弟、広見[攻]との話。
前半は広見視点、後半は秋視点で語られます。
兄と秋とは同い年で、広見はその7歳下。
この位の年齢差があるので、若さゆえの勢いや怖いもの知らずっぷり、あとエリート一家の次男での立ち位置に説得力があった様に思います。
広見視点なので兄はやや身勝手に描かれますが、そうする事によってむしろ兄をそう見ている広見と、ともすれば否定的に書かれてるのにも関わらず滲み出てくる兄なりの考えや背負ったものが読み取れるのが良い匙加減でした。
これは後半も同じで広見の兄は決して身勝手な人ではなくて、秋がその辺に引きずられるんじゃないかと思ってたんですがそこは留まって線引いてましたね。
あ、秋は本当に心底から広見が好きなんだなーと感じたシーン。
秋のそういう引きずられそうでいて引きずられない所が芯の強さと通じていて、最初読み始めた時はひたすら優しいタイプかなと思ってたんでそれだけじゃないんだなー、と。
車椅子での生活や、料理人見習いの広見の料理が丁寧に書かれている点がいい具合に作品を深めてます。
秋はクリスチャンですがガチガチの信奉者ではないのでその設定が邪魔をしていないのもいいな。
うーん、犬の怪我はもうちょい軽傷にしてくれると嬉しかったかなあ。後遺症が残りそうなのはなんか読んでて辛い……そこはご都合主義でも元気になって欲しかった。
なんか動物の怪我は苦手なんですよ。
そして広見が働いているレストランがあのレストランなのがやっぱ嬉しい。
レストランシリーズを読んでいなくても問題は無いですが、読んでいる人にはたまらないというこういう作品の繋げ方は大好きです。
読めるものならお兄ちゃんのスピンオフが読んでみたいところ。
あとエレシのバター!美味しいけど高いよなーって思いました(自分的にはカルピスバターが美味しくて好きだー)知ってる食材や好きな食べ物が出てくるとそれだけでちょっと嬉しくなりますね。
のっけから変な話ですみません。
CMで、歩道橋を登る老婆に、男子高校生が手を取ってあげるのってありますが、あれ好きじゃないんです。
手摺を自分のペースで登った方が楽だし、気を使わなくて良い分、気楽ですから。
だからアレ健常者の思い上がりだと思っています。
世間の「道徳」だから、あのCMが出来たんだろうけど(良い子なのは確かですよ)、ずっと不快だったんです。
足の不自由な愁堂秋にとって、恋人(広見の兄)もあのCM男子と同じだったと思うんです。
秋が先に別れを切り出したのも、兄の優しさを受ける事が心地良くなかったという事でしょう?
対等な目線で純粋に自分を乞う広見に、秋が傾倒していくのは仕方ないこと。
秋の、守られるだけなら「酷いくらいに」して欲しいという願い。
秋の欲するものは、穏やかな外皮からは想像できない生の熱さでした。
世間から羨望を受ける兄は、秋と別れた頃から少しづつ歯車が軋み狂っていって・・・
自業自得とか簡単に言えるけど、嫁も子も地位も失くしてしまった兄は可哀想でした。
あとがきにあった高遠先生と編集さんが思う程、嫌な人には思え無かったです。
多くを失ってからの兄の方がさっぱりしていて、広見との仲がもっと良くなるのでは?と希望を持っています。
【ひとの望みのよろこびを】
秋がキリスト教信者っていうのもあってか、讃美歌の題名みたいです。
(高遠先生のお名前も“ルカ”だし。はっ!だとしたらBLはご法度じゃっ?!)
秋視点の、ボランティア・愛犬コーデリア・広見との件が書かれています。
何事にも穏やかに真摯に取り組む秋は、何の驕りも無く自分より相手の事を考える愛の人でした。
自然体のやんちゃで若い広見との仲は、遠くに離れても冷える事はなさそうですね^^
愛レスのスピンオフでしたか!(また読みたくなってきた♪)
それ関係なくても、やっぱり良い話でした♪
凛とした強さが切なさを凌駕して、主人公達の自立した強さが印象的なお話でした。
05年にビブロスの小説雑誌に掲載されて、単行本化されていなかったのでしょうか?
それに書き下ろし『ひとの望みのよろこびよ』を足して一冊が構成されています。
何と言っても注目は、主人公・広見の勤めるレストラン設定があの「ル・ジャルダン・デ・レーヴ」ということ!
名前は出てきませんが、あのお話のその後ということになるのでしょうかねv
あのお話は08年出版ですが、これの初出は05年、後付けの設定?
でも、ちょっと嬉しですねw
主人公・広見は大学教授の父に医者の兄、と先生を輩出している一族の中で、唯一料理人を目指している、ちょっとはみ出し者の感があり、そつのない優秀な兄にコンプレックスを抱いている。
そんな彼が、最初は兄の友人として事故で足が不自由になっている秋と出会い、彼のハンデに負けない前向きな姿に惹かれ段々と好きになっていくのです。
しかし、秋と兄は恋人同士だった。
この兄弟の性格の違いが、秋への愛し方の違いに現れています。
秋はほとんど自由にならない足でも、できることは自分でやり、外へも出て、自分の運命を、ハンデを嘆くことなく受け入れて、きちんと自立している人なのです。
しかし、兄はそんな秋を壊れモノのように、お姫様のように扱う。
一方、広見は遠慮のない言葉で、出来ることは手伝ってあげたいけれど、秋をあくまでも尊重している態度で接する。
秋にとって、どの対応が一番いいのか、それが彼等の選択になるのです。
健常者ではないという設定が、すごくデリケートな問題だと思います。
よかれと思うことが、相手の負担になる。
親切にされるのは素直に嬉しいが、本当に困ったら助けを呼ぶからその時だけ助けてほしい。
そんな秋の気持ちは、自分が実際生活している中でのそういう場面を思い出させて、実に身につまされるのです。
でも、広見もできることはやってあげたいと思う。
兄との一番の違いは、兄は、秋の身体が不自由ということで、自分を優位に感じるというある種のエゴだという部分です。
そういう援助を受ける側の秋は、最初は兄の好意を嬉しく思うが、それがエスカレートすればうざく思う。
だから、兄と別れたのは秋からだったという、その展開に、この秋はタダモノではない、本当に強い人間なんだ!とそこがすごく説得力と好感を持つことができました。
『ひとの望みのよろこびを』で、この秋の視点に移ります。
広見との出会い、広見の兄との出会いと別れの秋の気持ちをここで知ることができます。
この物語の中で、二人は壁にぶつかります。
もっと一緒にいたいという広見と、それを拒む秋。
うやむやのまま、料理の修業の為に広見がフランスへ行こうかどうしようか悩むのです。
それについて、二人が軽い言い合いにはなるのですが、それを引きずることはありません。
ここで広見は頭を冷やすといって、秋の元を訪れなくなるからです。
その間に秋にある事件が起きます。
一番辛い時に、一番側にいて欲しいのは広見と自覚する出来事になりました。
この事件は、自分的にちょっと辛い出来事でした。
少し病んだ少女が出てきます。これもまた痛い設定です。
広見の決断は、秋の満足するものだったと思います。
秋の気持ちも、すごくしっかりしていてよかった。
彼等は、本当に辛い時は一緒にいたいけど、ちゃんとそれ以外は自分の壁は自分で乗り越える強さを持っています!
どんなことがあっても自立している。
秋には障害があるけれど、健常者と何らかわらない強さを持っています。
皆に支えられる優しさをもらったら、それはまた何かの形で返せばいいと考えるまでになるのに、彼は苦悶したと思います。
でも、それさえも一人で乗り越えてきたのですから、強くないはずがないんですよね!
ハンデのある登場人物がいたのにかかわらず、甘ったるくならずに、きちんと自立している彼等を思わず応援したくなる、そんな良い話でした。
ラスト、電話で広見が秋に「話たいことがある」といって、その内容は明かされませんでした。
一体何だったんだろう?
また見せてもらえるのかな?
障害者を物語に登場させてるということで、かなりおそるおそる読んだんですが、良かったです。(ちなみに高遠琉加さんは障害のガイを旧字にされてましたね。携帯なので出せませんが)
たぶんこの問題って、それぞれに様々な思いがあると思うんですよ。
つまり、「特別扱いすること」と「特別扱いしないこと」の境界線ですね。
ちなみに私は「障害者=純粋無垢、完全無欠の善人、ひたすら哀れな被害者、ひたすら庇護されるべき存在、みたいなスタンスで描き、その言葉を不可侵の神託のように扱う」というような、究極の特別扱いストーリーがキライです。
そういう話が多いんだよね~。
障害者を甘やかすことで感動物語にしたてあげることはしなかった高遠琉加さんのスタンス、好きです。
ただ私、ここに登場するお兄さん、けっこう好きです。
善意でもって面倒を見て、そんな素晴らしい自分に自己満足してるわけだけど、いいやん別にそれでもって思うんですよね。善人だと思う。なんかアホ可愛いよ。
ただそういう相手と恋人やってくのはシンドイという受けの気持ちはよーく分かる。ひたすら可哀想がられるのって、たまにならいいけどずっとだと憂鬱になるし。とくに男の場合、同情や哀れみよりも、尊敬されてプライドをくすぐられるほうが己を発奮させる材料になるし。
そういう意味で、受けが弟のほうに惹かれた気持ちがよく分かりました。
この弟は、受けを可哀想だなんて一片も思ってなくて、ひたすら敬愛の対象として見てたわけだし。そりゃあ受けも一緒に過ごしてて気持ちよかろう(笑)
受けがギリギリまで我慢して言った「会いたい」には涙が出ました。
ただ、せっかくだから、もうひとえぐりする毒が欲しかったなとも思いました。あゆみちゃん絡みのエピソードのまとめ方でとくにそれを感じましたね。