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ori no soto
作家さんの新作発表
お誕生日を教えてくれます
ノベルス版『箱の中』の続編。一般書としての文庫版には収録されていない【雨の日】【なつやすみ】を含む完結編ともいえる1冊です。
もし文庫版しか読んでいない方は、ぜひこちらにも目を通されることをオススメします。
■檻の外
長い空白の期間を経て、ようやく堂野を見つけ出した喜多川が再会を果たす所から夢を形にするまでを描いた話。
「家があって、堂野がいて、犬が飼える」
喜多川が抱き続けたささやかな、されど、不可能にちかかった遠い夢。
なぜなら、堂野は結婚し子供がいて、すでに自分の居場所をもっていたから…。
喜多川はその現実に打ちのめされました。だけど、諦めることはできないので、可能な範囲で堂野のそばにいようと足掻きます。
大好きな主人に飛びつきたいのに、ずっと「待て」をしてシッポをぶんぶん振っている犬のごとく、終わりの見えない日々をただひたすらに耐え忍びます。
物語の視点となるのは堂野。
愛する妻と子供がいる堂野からすると、喜多川の出現は歓迎すべきものではなかったはずです。
しかし、喜多川という男の悲しい過去や痛々しいほどの真っ直ぐさを知っているため、突き放すことはできません。
喜多川が望んだ形ではないけれど、友人としてならそばにいたい…。
堂野の葛藤と喜多川の忍耐の勝負のような日々です。
その感情のせめぎ合いは独特の緊張感があり、膠着しているようで、ずっと揺れ動いているのです。
結局、展開を進めたのは、堂野の妻や娘を含め、周りの人間が巻き起こす状況の変化でした。
大きすぎる犠牲を伴うどうにもやるせない辛い事件がきっかけで、二人の距離が近づくというのも皮肉なものです。
万事が万事うまくいくというハッピーエンドが虚構であることを改めて認識させるような、最後まで厳しく甘さのないシナリオでした。
そういう辛い現実に何度もぶつかりながら、堂野も、喜多川も必死に生きていて、そしてこの先も楽な道ではないことを理解しながら、ふたりでいることを決意するのです。
「家があって、堂野がいて、犬が飼える」
たったそれだけで幸せそうに笑う喜多川にどれだけ堂野が救われているのか。
きっと喜多川は知らないでしょうが、そんな喜多川という男がほんとうに愛おしく思う作品です。
■雨の日
シリーズを通して唯一、喜多川の視点で書かれた短編。
堂野と同棲をはじめ、花火大会の話をしたり、浴衣を買ったり…と、何気ない日常を綴った話。
二人のこれまでを思うと、そのふつうに過ごす日常がどんなにかけがえの無いものかがわかります。
堂野が大好きでたまらない、毎日が幸せすぎてたまらない、そんな喜多川が心のなかでジタバタしてる感じがとても微笑ましく、そしてちょっぴり泣けてくる、そんなお話。
補足ですが、作中、スペインに旅行にいこうと約束するシーンがあります。
【番外編・すすきのはら】に、海外旅行に行った時、ホテルのベッドがツインだった、とあったので、きっと二人で建築途中のサグラダ・ファミリアを見上げたこともあったのでしょうね。二人の旅行編も読みたいなあ、と強く思いました。
■なつやすみ
『雨の日』の7、8年後から喜多川の最期までを描いた作品。
堂野の戸籍上の息子、尚(ナオ)の視点から書かれており、離婚したお父さんとしての堂野や、堂野の友人で一見怖いけど子供好きなおじさんとしての喜多川がみれます。
毎年、夏休みの間だけ会える堂野と尚の家族ごっこ。
実は血のつながりがないという事実を尚が知るまで続いた習慣の中で、尚はたくさんのことを堂野と喜多川から教わります。
疎遠になった後、尚が密かに慕い続けたもう一人の父・堂野と再会したのは、喜多川の葬儀の席でした。
思いもよらず早すぎた喜多川の死を悼み、思い出と感傷に泣き崩れる尚の姿を綴った描写は、そのまま自分にも当てはまるようで、2冊を通してずっと喜多川の人生を追ってきた私も泣き崩れました。
怒涛のように涙がとまらず、悲しくてかなしくて仕方なかった。
「圭の方が先でよかった」と、こんな時まで喜多川を案じる堂野に、追い打ちのように泣かされて、それでもやっぱりその通りだなあ、と心から思いました。
喜多川は幸せものです。
誰がなんと言おうと、幸せな人生を生きたんだと。
そう思うのです。
たくさんの登場人物のたくさんの視点を通して、喜多川圭という男の人生を描いた作品。
そんな「ひとりの一生」という大きな時間の流れを感じさせるのはやはり【なつやすみ】があるからです。
【なつやすみ】の収録されていない文庫版では、残念ながらそこまでのスケールは感じられません。
もちろん、一般書として『箱の中』を世に出すのであれば、なくてもいい部分ではあります。
見返りを求めず、性別をも凌駕し「真実の愛」を探求した男たちが、どんな選択をするのかが重要だからです。
その先にある平穏な日常や老いて死んでいく過程は、知りたい人だけが知ればいいことだからです。
私は、ひたすら真っすぐで純真無垢な子供のような喜多川が大好きです。
彼の生き様に心を打たれ、彼の幸せを願ったひとりなので、死の間際まで堂野との愛を貫き、幸せに生きたんだということを読み収めることができて本当によかったと思いました。
読んで後悔することはきっとないと思うので、文庫版しか読んでない方はぜひ、こちらも読んで見てください。
ただただ直向きに、一生懸命愛を貫いて生きた喜多川の人生を見届けてあげてほしい、と心から思います。
《個人的 好感度》
★★★★★ :ストーリー
★★★★★ :エロス
★★★★★ :キャラ
★★★★★ :設定/シチュ
★★★★★ :構成
読んでて、とても苦しかったです。
『FRAGILE』を読んだとき以上に、木原音瀬さんは鬼畜だなと思いました。まさか穂花ちゃんを殺すとは思わなかった。
単純に考えて、妻と娘は、ドラマチックなかたちで主役二人をくっつけるためのアイテムなのだ。不愉快極まりない嫁にすることで、読者の目をそっちにそらし、主役二人が結ばれることで当然感じるべき罪悪感を完全に消した。
以上のことは読み終えてしばらくたってから思ったことで、読んでる最中はまったくそんなことは思わず、物語のなかに入り込んで、ひたすら号泣しながら読んでたんですが。
穂花ちゃんが死んだときの堂野の妻の狂乱も、苛立たしかったはずなのに、再読してこの妻のことを好きになりました。
あわれだとは思った。けど、罪悪感にうちひしがれて落ち込む暇もなく息子が生まれ、その後きっちり息子を育てあげたのは彼女なんだよな、と思って。女は現実のなかで生きている。彼女をイヤなやつだとは思えなくなった。
『なつやすみ』が良かったですねぇ。
『ニューヨーク・ニューヨーク』でも取られた手法ですが、ゲイ夫婦の晩年を子供の視点から描く、という。
喜多川というイビツで不幸な男の、愛にみちた後半生を、心から祝福しました。
良かったね、喜多川。
私はあなたが愛しいよ。
こんなBLをもっと読みたい。
魂が震えるような。
考えさせられるような。
綺麗事ではすまない人間の業、その醜さと優しさの両方を同時に味わうことができるような。
>>かにゃこさーん
そ、そんな謝らないでくださいな!お気持ちだけで嬉しいです(*´∇`*)
そうそう、かにゃこさんのレビューに飢餓感を煽られたんですよ。養子縁組のイキサツ…し、知りたい…。
小冊子短編を追加しては再出版というカタチでもいいので、ファンなら『またかよ!アコギな商売だぜ!』と思いつつも買うので(それでもオークションよりは安いしw)、本当に商業本のなかに入れてほしいです。
私も小さな一歩として、要望を出してみようかな。この場合は木原音瀬さん宛てに出すより、出版社さんに出すほうがいいのかな。両方がいいかな。
『箱の中』『檻の外』の二部作、ちるちるにファンがたくさんいて、こうやってコメントしあえること、本当に嬉しいです。
一人でシコシコ読んでるだけじゃ得られない感動まで得られて二度オイシイって感じですw
>>うえおさん
うえおさんもですか!
いつかレビューしてくださいな。首を長くしてry
でも好きな作家さんほどレビュー書きづらいって面、絶対にありますよねw
木原音瀬さんの作品もそうなんですが、英田サキさんや榎田尤利さんや高遠琉加さんなどに、私もまだまだ未レビューな既読作品がたくさんあります。
『すすきのはら』は、出品されてるのを見かけることも難しくなってるような…。
小冊子ほどではないですが、木原音瀬さんの作品を集めるのは大変です(涙)
某レーベルから出されてた絶版本の数々は、まんだらけで『ひー』と叫びたくなるような値段で売られてましたし。
投げ売りのような値段で売られてるBL古本も多いなか、コノハラーイジメだ(涙)
乱菊さーん!
うおー!読みたい…!
『すすきのはら』ですよね?ちるちるのこのレビュー欄で触れてるかたもいますが、どのブログを読んでも評判がよくて、読みたくて読みたくて読みたくて。
鼻垂らすどころか、カラダ中の穴という穴からへんな汁を垂れ流しながら読む自信があります!
乱菊さん、ランチどころじゃなかったでしょうねw
掲示板で小冊子レビューがあればいいなという話が出てましたが、レビューだけでも読みたいです。
さらに飢餓感が煽られて死にそうになると思いますが、それでもイイ。
乱菊さんもいつかこの傑作二作品をレビューしてください!首を長ーくしてお待ちしてます。
でも、なかなか書けない気持ち、めちゃくちゃよく分かりますw読み返せないという気持ちも。痛いというより、重い作品で。
こんにちは~。
箱と檻ですが・・・私も数年前に初めて読んだっきり、殆どちゃんと読み返せないシロモノなんですよねえ、これら。
だってすごい切なくなっちゃうから(。´Д⊂)
そしてその後に出た小冊子が、これはね、むつこさん鼻たらして泣いちゃうかもしれん・・・というくらい号泣ものです。
わたくし、待ちきれずにランチしながら読んだのですが、かなりヤバかったです。
ぶわってきました。
この2冊、レビュー書きたいんですけども、なかなか書けないやつらなんです。
だって読み返せないから~。
この人は心底凄い作家さんだと認識させられたこの連作。
当時はそのネームバリューも知らないまま読み始め、現実を完全に忘れ貪るように読み耽り、そして読後は放心してしまいしばらくわたしは使い物になりませんでした。
尚視点の最終話「なつやすみ」を読み終わった瞬間、よく分からない感情の渦が込み上げ枕に突っ伏したのを覚えています。
穏やかな話にも関わらず、涙が勝手に次から次へと…。
喜多川というどうしようもなく寂しい人間が、たった一人の男に取り憑かれたように焦がれ、受け入れられ、生きる喜びを知ることが出来た。
その事実がただただ嬉しかった。
人を殺すことの意味さえ知らなかった喜多川が、一日の出来事を人生になぞらえ「楽しいこともあれば嫌なこともあるってことさ」と言えるようになったことが心から嬉しい。
登場人物が幸せになってくれたことを、これほど嬉しいと思わされたBL作品を他に知りません。
萌えが先行しがちなこのジャンルの中で木原作品は、男同士という以前に人間同士だということを思い知らされます。
男×男の話ではなく、喜多川圭と堂野崇文という二人の人間の話なんだと。
脇の人々も各々の都合と思いがあり、その結果の人生があります。
特に堂野と妻の一件では、人間の浅ましさが目を背けたいくらい迫ってきて、犠牲になるのは(尚や喜多川も含め)いつでも子供たちなんだというリアルさが辛かった。
それでも母親として生きたその後の彼女の強さに、ひどい女だと簡単に切って捨てられないものも感じました。
どうして箱じゃなくて「檻の外」なのかなあとずうっと考えていました。
生きようが死のうがどうでもいいと言った喜多川に、堂野が打ちひしがれる場面での一文。
『幼い頃、粗末に扱われたことが…これほど人を絶望させるのかと思った。』
喜多川が自分に全く価値を見い出せないことの理由がその生い立ちにあるのなら、確かに喜多川の中には、母親の残した呪縛のような檻があったのかも、と思いました。
その後に続く
『誰か、誰かあの男を愛してやってくれないだろうかと堂野は思った。うんざりするほど愛して、そして二度と死ぬなんて言葉を口にできないように、愛情と責任でがんじがらめにしてくれないだろうかと、そう思った。』
という自身の願いを、結果的には自ら叶える事になった堂野との日々が、喜多川を変えていきます。前編通しての喜多川の変遷が、ほんとに素晴らしい。
二人は男同士だから遺伝子は当然残せません。
それでも、満たされた日々で成長した喜多川が尚に諭した言葉…それが更に尚の子供に伝わるエピソードに、こんな形で二人の遺伝子が残るんだと、胸が温かくなりました。
堂野に会えてほんとに、ほんとに良かったね、喜多川。
それに尽きる本です。
再読です。でも以前読んだのは講談社文庫版で、物語としては一応の完結をみているものの、この作品を評価する上でとても大切な部分が欠けていました。こちらの蒼竜社版を読んで、はじめてスウッと腑に落ちました。後書きで作者の木原さんは言っておられます。「喜多川の人生を書ききった・・・」わたしたち読者の側からすれば、それは「見届けた」となるのでしょう。BL作品では、どうしても身体を含めたLOVEが主題となるために、人が最も華やいで恋に血道を上げる時期を中心に描かれます。1人の人間の一生を丹念に、それこそ当人が亡くなった後まで追いかけるというのはそれ自体とても稀有なことでしょう。この本の最後に収められた「なつやすみ」。ここまでたどり着いてようやく、喜多川圭という人は本当はどんな人だったのか、その波瀾の生涯をどんなふうに受け止めればいいのかが、おぼろげながら見えてきます。
お話は堂野の息子・尚が、小3の夏休み、幼いころに生き別れたお父さんにひとめ会いたいと、堂野と喜多川が暮らす海辺の町を1人で訪ねてくるところから始まる。諸々複雑すぎる事情を抱えて戸惑いを隠せず、ぎこちない接し方しかできない堂野。一見とっつきにくそうに見えて、すぐに子どもの心をわしづかみにしてしまう喜多川。同じ目線で、全力で遊んでくれる彼は、おさない子どもにとって最高の夏休みの相棒だ。でもいけないことをしたときには、大人としてちゃんと叱って、教えてくれる。「いいこととわるいことがわかってりゃ、それだけでいい」
尚はじきに堂野とも打ち解け、毎年夏休みの3日間を2人と過ごす。思い切り遊んで、会えないときは電話して、母子家庭では話しづらい思春期の悩みや、進路の相談もして・・・母の再婚で「新しいお父さん」ができても、尚にとっての父なるものは堂野と喜多川がすべてだった。満たされていた。大学進学を控えて、自らの出生の秘密を母に打ち明けられるまでは。
一方の堂野と喜多川。同性を生涯の伴侶に選んだ時点で、実子をもうける可能性は閉ざされている。失くしてしまったとはいえ一度は妻子を持ったこともある堂野に対し、喜多川の人生は子どもとはどうしたって縁がなかった。いちずに思い続けた堂野と添い遂げられて喜多川的には本望だったろうが、2人の関係が社会的に認められていたわけでもない。(この作品が世に出て10年以上の月日は流れたけど、日本で同性婚が法的に認められるには道なお遠しの感がある。最近になってようやく一つの区で同性カップルに証明書を出すようになって、それが大きなニュースになるような、いまだにそういう国なのだ。)
ごみ溜めに放り投げられるようにして育ち、母に請われるまま10代で殺人犯となって、20代のほとんどを刑務所で過ごすという、あまりに過酷な喜多川の前半生。それでも誰を恨むでなく懸命に生きて、人を愛する心も喪わなかった男に、人生の後半は少しくらい神様のご褒美があってもいいじゃないか。大人たちの複雑な事情を知らず、ただ愛されるために飛び込んできた尚は、まさにそういう存在だった。
物語は、大人になり、結婚して父となった尚が、5歳になる息子を連れて再びあの海辺の町へ向かうシーンで終わる。このとき喜多川はもうこの世にはいない。かつて自分が喜多川に言われた言葉そのままに、息子を諭す尚。血のつながりなんてなくても、そこには確かに、喜多川が手渡し、尚が受け取ったものが息づいている。それはもう立派に「子育て」だったんじゃないだろうか。ゲイカップルの地平をひとつ広げた作品だったと、あらためて思います。草間さかえさんのイラストも、質実剛健なくせに色っぽくて、ほかは考えられないくらいハマってました。
刑務所で別れて6年後。妻子とともに平凡ながら平和な毎日を過ごす堂野の前に、突如、喜多川が現れます。刑務所にいた頃と同じ、あるいはそれ以上の情熱で堂野に執着する喜多川に戸惑いつつ、彼の一途で不器用な様子を放っておけない堂野は喜多川を自分の日常へと招き入れます。
何も知らないけれど堂野を愛していると言い切る喜多川と、手にしていたはずの幸せを見失って途方に暮れる堂野。二人はそれぞれに傷ついて、最初は真正面から同じだけ想い合っていたわけではないけれど、時間をかけてかけがえのない存在になっていく――。二人の人生がゆっくりと一つになる物語です。
堂野視点の表題作「檻の外」、喜多川視点の後日談「雨の日」、そして尚の視点で書かれた「なつやすみ」が収録されています。
「檻の外」はドラマチックな展開で、人生の波乱万丈が分かりやすい形で語られています。面白いなーと思ったのは、堂野に降り掛かった不幸は喜多川と再会してもしなくても起こり得たことなんですよね。堂野がどうしようもなく弱った時に傍にいる、そのために喜多川が現れたのかも…と考えると、喜多川は天使みたいな男だなと思います。まぁ当の喜多川は堂野こそ天使だと思っていそうですが。
「雨の日」「なつやすみ」は案の定、泣いてしまいました。一番近いのは…嬉し泣きかなぁ。喜多川が大切にされていること、まるで堂野と再会してから生き直したように素敵なおじさんになっていたこと、真っ直ぐな考え方、尚との関係、沢山の人に愛され、幸せに包まれて旅立ったこと。そのすべてが本当に嬉しかった。思い出しても涙が出ます。
私は、死について考えるとついつい涙が出る涙腺弱いマンですが、年を取って、天国で待っている人達にやっと会えるなーと思いながら死ぬのも悪くない、なんて考えるようになりました。そのためにはちゃんと生きて、胸を張って天国に行かねばならないわけですが。「一緒に死にたかったな」と言いながら、あのボロ家で一人暮らす堂野はいい男ですね。強いばかりじゃないけれど、いい男です。彼のことを思うとまた胸が詰まりますが、きっと喜多川は絵でも描いて待っていると思うので、焦らず、残りの人生を穏やかに過ごしてほしいと思います。
まるで、一本の映画を見終えたような充足感。愛し愛されるとは、人生とは…そんなメッセージがそこいらに散らばっているのに、この二人が辿る道は特別ではなく、どこにでもある幸福の形でした。
『箱の中』を出て外で織り成す展開は劇的な事件へと発展していきます。少々、唐突感を否めなくもありませんが、冤罪で苦しんだ堂野という男を考えると、こういう結果に妙に納得できる気がしました。
堂野は友人として喜多川を必要としますが、完全に拒絶しない辺りが残酷であり非情になれない彼の狡猾さをよく現しています。喜多川の一挙手一投足に猜疑心に駆られ、娘を嫁に欲しいと言いだす彼に薄ら寒いものを覚えるのは至極当然な反応です。
面白いことに、堂野は喜多川に対していつも疑惑の目を無くす事が出来ずに、自問自答を繰り返しています。疑いの目を向けるべき相手は他にいるにも関わらず。
疑ってかかるという事は相手を理解しようとする事と同義であり、本質を見極めようという事の現れです。信頼しているから疑わないという事は、無関心であるとも言えます。
喜多川も堂野と再会し現実を知らされ、堂野との距離を彼なりに模索していきます。かつて自分勝手に向けた好意も、檻の外では堂野の家族という社会を通じて、箱の中の世界はあくまでも箱の中だけなのだと痛感するのです。堂野のそばにいられるだけでいい、生まれ変わって堂野の子供になりたいと願う喜多川の言葉は、堂野にとっては重すぎるものです。堂野は喜多川の素晴らしい人間性を知っているからこそ、自らを尊ぶ事のない彼に憤るのだと思います。それは同時に喜多川をそれだけ大切に想っている証明です。
やがて事件の真相が明らかになり、喜多川の元を訪れた堂野は、喜多川から過去の罪の懺悔の告白を受けます。娘の死を嘆き悲しみ、深い深い真っ直ぐな自分に対する愛情を目の当たりにしたとき、ようやく喜多川という男を真の意味で理解したのではないでしょうか。不器用で誠実で優しい喜多川は、箱の中から少しも変わらず堂野を裏切る事はありませんでした。愛しいという感情を受け入れるくだりは、ともすれば都合がいいと言われそうですが、絶望に落とされた堂野を救えるのはやはり喜多川しかいないのだと思います。
『なつやすみ』では元妻と別れてから産まれた尚という小学生が、父親に会いたいと母親に内緒で喜多川と堂野の元へ会いに来るという話です。この作品はこのシリーズ最大の要だとい思いました。
尚は自分が生きていくうえで必要不可欠である、欠けてしまったものを求めて堂野に会いにいきます。けれど堂野の不自然な態度に拒絶されたと感じ、理想はただの幻影なのだと落胆します。ですが、ここで尚を温かく見守り堂野へ導いていく良き理解者として喜多川が描かれていきます。
かつての無愛想がいくらかやわらぎ、よく笑い大らかで優しい幸福にあふれた喜多川がそこにはいました。喜多川のお陰で尚が救われていくのは、かつて堂野に救われた喜多川そのもののようです。
堂野は接し方が分からず戸惑っていただけで、尚もまた父親の不器用だけれど真摯な愛情に気付いていきます。
母親に連れられて喜多川の家から離れる場面、尚が喜多川にお父さんに感謝と謝罪を伝えて欲しいと叫ぶと、母親が突然泣き出してしまうところは、母親を代弁しているようで大変泣けました。
やがて尚は真実を知り、思わぬ形で堂野と再会を果たします。
子供を望めない堂野と喜多川にとって、抗いようのない別れはもはや避けようがありません。どちらかが必ず残される。そんな漠然とした不安や哀しみを抱えたなかで、尚という存在がどれだけの希望だったか、察するに余り有ります。本当の子供のように愛しく慈しみ愛した証拠に、尚は結婚後も自分の家族を伴い堂野に会いにいきます。それは遺された堂野が孤独ではない事の証でもあり、そんな宝物を遺してくれたのはまぎれもなく喜多川なのでした。喜多川の途方もないほどの愛情は、彼の死後も続いていくのだなぁと、尚を通して感じさせてくれました。
そしてそんな喜多川を愛する事が出来た堂野も、彼を独り遺す事もなく最期の時まで愛し抜きました。愛されるよりも、無償の愛を与え続けられる幸せは何物にも変えがたい。遺されるほど辛いものはないけれど、他の誰でもない自分が天国へ見送れる幸せ、独り遺す事のない幸せもあるのだと思います。
涙無くしては読めない、語れない。これ以上の幸福はないし、これ以外の結末もない。こんなにも幸せであってほしいと願う二人もいない。
そんな作品でした。
読み終わったあと、しばし放心状態でした。
それくらいズンと心のに響くお話でした。
「箱の中」に引き続き、最悪キャラの登場でしたね。
それは、堂野の妻。
多分、この人の行動って、決して計算ずくじゃないんだろうけど
だからこそなおさら腹立たしい。
結局、堂野の娘・穂花が死んだのも、元はと言えばコイツのせい。
でも、コイツは自分のやってた事を棚に上げて
「自分だけが悪いんじゃない」みたいに言うんだよ。。。
それでも、決して妻を責めようとしないやさしい堂野。。。
こんなやさしい人は、幸せになってくれなきゃダメだ!
って強く思いました。
その間にも、喜多川が人間としてどんどん成長して言ってる様子がうかがえて
この人も幸せになってほしい、って思っていたので
「雨の日」の二人の何気ない日常が幸せそうで安心しました。
そして「なつやすみ」。。。
読み終わったすぐは、すべてを息子・尚にばらしてしまった母親の身勝手で
今までのように年に1回の再会さえ果せなくなってしまって
ここに来てまで、堂野たちを苦しめる麻理子を恨めしく思ったりもしたんですが
あらためて物語を思い返すと
いろんなことがあったけど、この2人はとっても幸せだったんだろうなと思えて
読み終わったときに流した涙とは別の種類の涙がまた込み上げてきます。
しばらくは、草間さかえさんの描く表紙を見ただけで泣けて来そう。。。
その位、心に深く刻まれた名作でした。
いやぁ……前作を読んでから、いてもたってもいられずに手を出しました。
翌日仕事で眠くても、眠さなんて吹っ飛ぶくらい引き込まれます。
心をごっそり持ってかれてしまって、真夜中に放心状態です。
心をね、抉られてしまう。
結局はハッピーエンドなんですが、これは単なる恋愛ものではなく、家族愛に恵まれなかった喜多川の生涯の物語だったんだと思います。
堂野が喜多川にむけた愛は恋愛感情での愛ではなく、家族に向ける愛に近かったのではないかと思いました。
『死ぬまで一緒にいてくれ』と、そう願った喜多川の言葉の通り、堂野は
最後まで、それこそ、喜多川が息を引き取るそのときまで側にいました。
喜多川は本当に幸せだったんだろうな、と思うと、読んでいてもう涙が噴き出してくる。
堂野の元妻の子供、尚の視点で書かれた『なつやすみ』に至っては、涙がだらだら流れっぱなしで、こらえきれなかった。
子供・動物・年寄りネタってだけで涙腺が10倍くらい緩くなります。
死ぬまで
一緒にいてくれ。
死ぬまで一緒に。゚(゚´Д`゚)゚。ハラハラ
この言葉だけで涙ぐむ。
感想書くにもちょっとした落ち着く期間が欲しかったので読み終わってから少々放置してましたが、やっぱり泣きそうです。
最後が最後だっただけに余計に。
ストーリーは、前作『箱』で、喜多川に堂野の居場所がわかったと伝えられた後。
地図が書かれた紙を握って喜多川が走り出した後に続きます。
視点は堂野視点。
近くの公園。
何処にでもある家族の風景。
堂野の奥さんに、小さな娘。
その光景が目に痛いです(*ノД`*)・゚・。
だって、喜多川は6年も必死に探したんです。
探す為だけにお金をつぎ込んだ。
莫大なお金。
そのお金を稼ぐ為に昼夜問わず、食うものも食わず。
着る服や、布団まで売って・・・・・。
そしてついに堂野を見つけた。
それなのに・・・・それなのに・・・・・
これほど泣いたBLって無いんじゃないかと思う。
ぼろ泣き。
一途な想いと、裏腹の現実。
堂野も堂野で、運命に翻弄されつつ~な話。
最後、二人が一緒に暮らし始めて~のくだりがホノボノで一番好きです。なによりも、嬉しそうだし。喜多川。
最後の最後。
結末はまたすごく切ないような幸せのような終わり方でしたが。
普及の名作。
もう一度読み返したいようでもあり、心痛くて読めないと思うようでもあり。
「箱の中」の続編。
喜多川が堂野を見つけ出します。
堂野には妻と娘がいて、そこに喜多川がやってくる。
堂野と妻と娘と、喜多川という図式で
お話はすすみます。
BLに出てくる女って、馬鹿な女で本当によかったーって思いました。
心底思いました。
喜多川と堂野は、箱の中(刑務所)からでたのに
高い塀に囲まれた借家でsexをしてるのが
なんだかすごく不思議な感じがしました。
とにかく、喜多川も堂野も、どうしょうもなく優しい人たちで
何度も何度も涙を拭って読みました。
若い盛りを箱の中で過ごしたふたりだけど
年齢なんか彼等には意味もなく、ゆっくりとふたりだけの時間を紡いでいる。
老いは、愛することの障害にはならないんだなぁというところまで
じっくりと彼等の人生の傍観者でいさせてもらえました。
喜多川圭という人生。
父も知らず、母の愛を知らず、ただ堂野だけを求めた男が
最後にたどり着いた先・・・幸せな家族の息子に生まれ変れたと思っていいんですかね?
「檻の外」と「なつやすみ」の間の話が非売品の小冊子「すすきのはら」になるのですが
喜多川が養子に入るいきさつが書かれてあります。
それと芝さんが亡くなったというくだりもサラっと書いてあります。
もっとたくさんの人が読めるように、まとめてもらえるといいと思います。
挿絵の草間さかえさん
喜多川の面差しがどれもこれも絶品でした。
木原さんのお話には、よく泣かされるのですが
“痛い”というよりも、どこまでも“優しい”そんな印象です。
優しく心に突き刺さるお話。