【コミック部門】 1位
――「男でも女でも関係ない。貴方だから好きなんだ」という話では決してない。――
このBLがやばい!2010年 水城せとなインタビューより
この漫画は、異性愛者が同性愛者に好かれたらどうなるのか?というif(イフ)と異性愛者である主人公の葛藤を、できるだけリアルに執拗に描いている作品だと思います。
その計算されつくした緻密さこそが、多くの読者の心を掴んだのではないでしょうか。
まずキャラクターについて。主人公である大伴恭一は前作『窮鼠~』から読んでくると、自分の感情や欲望をさらに正確に把握するようになり、そしてそれに悪びれることのない肝の据わった男になっていきます。
以前はこの作品のレビューで“今まで今ヶ瀬をなんとなくで飼い殺すようなことをしておいて、次第にその好意を実感して行き、最後には今ヶ瀬の身勝手さを断罪するまでに至るなんて残酷だ”と書いたのですが今は少し考えが変わり、彼は自分にできる最善の行動をただ精一杯に行っていただけなのだと考えています。
ちょっと流されやすいだけの、普通の男性であったはずの彼は作品の中で、順応性が高く、相手の気持ちを想像し受け入れることのできる、懐の深い男性へと成長していました。
それは今ヶ瀬渉という不安定な男性を相手にしていたための必然であり、岡村たまきという安定した女性に与えられた癒しの時間のなかでなお確実になったものではないかと思います。
次に、主人公を恋い慕うあまり無様な姿も見せる今ヶ瀬渉について。彼は一見するとたいへん一途に恭一を思い、気持ちだけでなく生活の世話といった部分でも彼に尽くしているのですが、実はそれはただ彼自身の性質であるように思えてきます。
彼は、作者がインタビューでも強調し、恭一が今ヶ瀬につきつけたように「お前なんかもし俺が女だったら洟も引っかけなかった」のです。
自分の性癖に合う好みの相手を感傷に浸って追いかけ続けてすがっているだけの身勝手な、けれどかわいそうな男です。
たかが恋情に囚われて身動きがとれず苦しむ哀れな蝶ならぬ蛾です。ただし「自分が幸せかどうかは自分で決める」そうなので、他人が訳知り顔でどうこう言うのは野暮なのでしょう。
結局、彼は苦しいのも楽しかったようにも見えます。読み返すうち、そもそも今ヶ瀬は恭一に恋していても愛してはいないのではないか、と思えてきます…。
そして欠くことのできない人物が、主人公を愛し、同時に導く岡村たまきという女性。
彼女は “もっとお父さんを好きになってくれる人と結婚すれば良かったのに”と幼い恭一に思わせた女性に代わり、また今ヶ瀬では持ち得ない寛容な【母性】で彼を赦し、癒すためだけに存在したのでは…と考えるのは穿ちすぎでしょうか。彼女によって恭一は暗く厳しい道を行く強さを得たのだと思います。
レビューでも書かせていただきましたが、この作品で最大の魅力といっていいのが【会話】だと思っています。
場面によってはかなりのネームの量です。特に圧巻なのが、別れてから再会した恭一と今ヶ瀬が感情をぶつけ合う長い長い会話。
練りに練られたセリフの一つ一つは、キャラクター設定が細部まで考え抜かれているからこその説得力で、読み手の心をえぐります。
舞台だったら見応えのある二人芝居ですし、映画だったらロング多用でカット数を少なくし、役者の力量に大きく頼るようなシーンだと思います。
余談ですが、ドラマCDでもこのシーンはかなり聴き応えがありました。(一箇所、映像的な演出が適している部分がありますが、そこもうまく処理されていました。)
また二人の関係が性的にも対等である(ネコとタチが固定ではないいわゆるリバ)という点は、あくまでも男性同士での容赦無き戦いなのだ、ということの強調だったのではないかと思います。
舞台・映画・音声、または小説といった媒体と比べても、この作品は漫画が一番適していたと思えるのは、セリフ以外の手書き文字や「白恭一」「黒恭一」「グレー恭一」といった漫画ならではの表現が多用されているためです。
そして、ナイフのように研ぎ澄まされたセリフも、細かな演出や暗喩の一つ一つもいくらでも読み返し、読み込むことができ、漫画という媒体の利点を最大限に生かしている作品ではないかと思えます。そこがこの作品の“勝因”ではないかな、と考えました。
そしてやはり、これだけ内容がぎっしり詰まっていてコミックス一冊の値段が税込み500円というのがすごいと思うのです。