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……僕は大人の女性を愛せません。 僕の好きな人は、大人でも女性でもないんです。
love cemetery
胸糞悪い話なのだけど、引き込まれてしまい
読むのが止まらず最後まで読み切ってしまった。
4人の視点の話で紡がれます。
ペドファイル(小児性愛者)のお話。
主に2人の該当者について描かれるのですが、表向きは常識人で社会的にも認められている人物なのです、性対象が10歳未満の子ども。
現実にもそんな人は居てるのだろうなとすごく胸騒ぎしながら読みました。
【ラブセメタリー】
飯田クリニックに勤める看護師 町屋 智視点のお話。
患者としてやってきた百貨店の外商員 久瀬 圭祐が道端で酔って倒れているのを助けた事から親密になっていくお話。
2人はそれから意気投合。ゲイの町屋は洗練された久瀬に心惹かれていく。
って、ここまではBLっぽいですよ、ちょっとときめきます。
でも、そんなラブストーリーなわけ無いんですよ。だって、最初にクリニックに来た理由が[性欲が強すぎて犯罪者になってしまいそうだから去勢したい。10歳前後の男児しか性の対象と見られない]って事だったから。
実際に行動をおこしたわけではないから、その処置は相応では無いと判断されて睡眠薬の処方だけされたのよ。町屋は、カーテン越しの隣のスペースでこのカウンセリングを聞いていたから久瀬は町屋が自分の秘密を知ってるとは知らない状況。
さて、どうなるか。
地獄が待ってます、ええ、木原作品ですもの。
【あのおじさんのこと】
久瀬 圭祐の甥っ子、出版社の契約社員 篠原 伊吹視点。ラブセメタリーで話題に出た[伸さん]こと森下 伸春についてのお話。河川敷で小屋を建ててホームレスをしていた友人の祖父の弟に興味を持った伊吹がルポを書こうと取材をしていくうちに、我が身に起こった過去の記憶が呼び覚まされて嫌悪感を抱く。
【僕のライフ】
[伸さん]こと森下 伸春視点で、半生の振り返り。性の目覚めから、ペドファイルと自覚し衝動が抑えられなくなるまで。
本気で自分勝手で胸糞悪くなりますが、何故そういう行動に至ったのか本人視点で語られたのは良かったです。
海外で貧しい国で子ども売春が行われている事実は、なんとなく知ってる事だけど、見て見ぬふりしている部分。
こちらに関しては以前に梁石日 著書[闇の子供たち]を読んで衝撃を受けた。とても生々しい描写で読んでいて救いがなく辛くなった。忘れられない作品。この作品と併せて忘れられない衝撃になった。
【エピローグ】
久瀬 圭祐と篠原 伊吹の母 幸恵の従兄弟である 大貫宏一視点。圭祐と幸恵の母、恵子のお葬式でのエピソード。宏一にとっては叔母の葬儀。おばあちゃんっ子だった伊吹はお通夜には来てたのに仕事があると葬式には出なかったそう。
これって圭祐と会いたくなかったからじゃないの?
表向き若々しく人生勝ち組な男に見えている圭祐を羨む宏一のコミカルな感情で終わるのだけど、宏一の息子と仲良さげにコンビニから帰ってきた圭祐がほっぺにキスしてるところでコイツー!!!!ってなった。
ペドファイルの伸春と圭祐の許せないところは、子どもとはいえ相手に人格がある事を無視しているところ。自分の性的指向が倫理的に許されなくて辛いじゃねーわ!10歳前後までしか対象じゃないってもうモノとしか捉えてない。
自分がされて嫌な事は人にもしたらダメだ。
オメーも性対象じゃない相手にレイプされる地獄に落ちろ!と。私的には今VRの技術が進んでるから拘束してマシンでバーチャルレイプするとかどうだろう、目には目を歯には歯をでさ。相手の気持ち分からせてやりたいって思ってしまう。
このお話なのですが、
いろんなところがリンクしていて痺れる。
ここから超ネタバレなので読みたくない人は回れ右
・町屋と友人の大輝はかつて2丁目のゲイバーで[伸さん]と顔見知りだった。
・大輝の部屋にあった友人からの海外土産の子どもが表紙のポルノ雑誌は[伸さん]の運命が狂い出すキッカケのひとつ。
・伊吹が[伸さん]の過去の取材で町屋の友人の大輝に会ってた。
・伊吹の母と弟の久瀬 圭祐は、[伸さん]が小学校教師時代に同じ小学校に在籍していた。
木原先生の作品ってやっぱりスゴイ!
木原音瀬さん、、、これを一般で出したのは凄いと思う。
まぁ BLの括りではないし、どちらかと言うと社会派小説的な側面もあるんじゃないのかな。BLでは無いけれど、木原さんらしい後味で(最後の書き下ろしね)圭祐と昔は好きだったいとことの話が素晴らしい創り。
祖母の葬儀でのシーンですが、いとこからその息子へ興味が移ったと思われるところで終わっています。
連載分の物語は、それぞれの問題?を抱えた主人公が出てきますが、やはり伸さんが一番嫌悪感を感じます。でも、実際問題、ニュース報道でどこぞの教頭が捕まったとかアジアの貧困地域の少女買春の話を聞いたりする限り、存在するし治療できるもんなのかどうか…
BLでファンタジーとして楽しんでる分にはイイけど、実際のところは男女間でも同じようにある問題やそれ以上に色々あるのだろうなと思う。
なのでやはりDKものや少年ものは苦手だ。
大人同士の恋愛なら性別関係ないし、お互いがわかっているなら恋愛小説の一つなんですけどね。さすが木原音瀬!って唸りました。
BL界を震撼させる巨匠・木原音瀬先生作品で。
非BLとはいえ、小児性愛を題材にした問題作で。
その上、
昔「ペット・セメタリー」という怖いホラー映画があって、セメタリー繋がりでもう読む前から「怖いバイアス」がかかってる。
何が書かれてるの?
何が始まるの?
死臭漂う墓地。幼児に抱くよこしまな欲望を埋葬する荒れ野…
本作は、繋がりのある3編の短編とエピローグで構成されている。
「ラブセメタリー」
表題作。
日常生活で欲望を抑えている幼児性愛者・久瀬。
その久瀬と、精神科クリニック看護師でゲイの町屋のいびつな交流。
町屋は久瀬に惹かれる、だが久瀬は絶対的に小児にしか惹かれない。
だからの、絶対的な断絶。
「あのおじさんのこと」
あのおじさん、とは「久瀬」の事。
だが、始まりは久瀬とは無関係よ。その辺の小説的メソッドが巧み。
はじまりは、ホームレスになって死んだ男。
友人の親類がホームレスとして死んで、ふとした事でそのひと・伸さんの過去を探って行く編集者の伊吹。
その過程で、伊吹は優しかった叔父さん・久瀬に疑惑を抱いていく…
「僕のライフ」
ホームレスとして死んでいった男・森下伸春の一代記が本人の追想で語られる。
元々は小学校の教師。そんな安定していたはずの森下は何度も服役もして河原で暮らす事になって行く。
今ではもう開き直っていて、男女問わずお菓子で釣った子どもを河原の家に連れ込み、パンツに手を入れ、上に覆い被さり、また捕まり、また出てきて、そしてまた。
そして最期の時を迎える森下の姿。
「エピローグ」
久瀬の母親の葬式にて。
視点は、久瀬のいとこの宏一。
喪主は、久瀬。
宏一は自分と同い年なのに独身で高給取りで、生活感のまるで無いスッキリとした美形の久瀬が羨ましい。
いいなあ、いいなあ。かっこよくて金があって、女がいくらでも寄ってくる。いいよなあ…
だが読者の私たちは知っている。
「愛は全て素晴らしい」というワンラブ思想、その中でも小児性愛(他にも死体性愛や近親姦も)は別、これらは絶対にタブー、なのだと思う。
しかし、そう生まれた人たちは一体どう生きればいいんだろう。
重い。
そしてこうも考える。
彼らは、いつでも、どこにでもいる。
私が。
私の家族が。
彼らと会わなかったこと。
それは幸運だったという事。
重い。
ここまで衝撃を受けた小説は人生でそうありません。読み終わってから数ヶ月はきっとタイトルを耳にしただけで涙が出てしまいそうなほど、深く刻み付けられ問い詰められた心地です。
お話の展開が甘くないだとかではなく、生身の当事者の一人としてお前はどうだと詰問されているようでした。
映画「エレファントマン」を観た時、自分がこの作品を観たいと思った理由が、作中の見世物小屋の観客と同じような怖いもの見たさだったのだと思い知らされました。観客達の考えなしの野次馬、罵声。その容姿で生まれどう考えどう生きるのか興味本位で見たかった私は、行動はせずとも間違いなく観客側の同類で、それを思い知らされて、自分はどうあるべきか2ヶ月は思い悩みました。
この「ラブセメタリー」はペドフィリアをテーマに大好きな木原さんがどう扱うのかとゾクゾクしながら読みはじめました。
「気持ち悪い」と思う事は自由です。ていうかお前は気持ち悪いと言える立場なのか?と感情の派生さえ考えさせられました。
このペドフィリア当人は好きでそうなった訳ではない。ただ自分が嫌な気持ちだからと、間違っている事だと判断してすぐ考えることをやめてしまうのは短略的過ぎる。問題は解決されません。
LGBTが認知されてきても、マイノリティの中でも極地である性癖が理解されることは到底ないでしょう。その理解されない苦しみと欲望が木原さんの筆力で読む者をこれでもかと抉ります。
“あぁ、堕ちるっていうのは、自由になることなのかもしれない。”という台詞。彼らは犯罪だと知っていて、望んでいない性癖で常に苦しみ雁字搦めになっている。ゲイの男の子ですら羨ましい対象になるほど。
この本では犯罪を犯すかもしれない、また起きている状況で人は微笑ましく生活し、相手と話し尊敬する。良い面だけを見る側、見せる側。何も考えないことのおぞましさがジワジワと漂っています。
嫌悪感を持ちながら、理解できずとも目を向けること、その一面だけで人を判断しないこと、逆に恵まれている面だけを見てその人を判断しないこと。それを服の表と裏で表現された文章は上手いなと思いました。
これはペドフィリアに限らず肌の色や身分、国の差別でも言えることです。
当事者のその周囲の苦悩を現実問題で考えたことがあるか?これはファンタジーじゃない。「スポットライト」「バッドエデュケーション」「フォロワーズ」お金払って見たよね?
今まで自分が取りこぼしてきたもの、受け止めなかったもの、真面目に考えなかったことを本で殴られているようでした。
次に読む甘い作品を準備してからどうぞ。
追記:2日経って少し冷静になってみると、性的な興奮がなくとも愛に結びつくことが、久瀬と伸さんにはなかったのだろうかと思います。心の底まで理解されずとも(例えばゲイの男の子が、女の子の親友がいるとか)この人と長く付き合いたいとか。もしかしたら町屋はそんな関係になったのかもしれなかったのか。範囲外が全て嫌悪の対象(汚いものをしまってという言い方から)だとしたら子供の頃のトラウマがありそうだし、伸さんの手にかかった子供が同じように性癖を持つとしたら、業は深過ぎます。そしてそれを矯正させようとするなら、何も理解していないことになるのでしょうか。
LGBTも〜との書き込みが安易で楽観的過ぎました。このレビューを書いてから、セクシャルマイノリティの方のドキュメンタリーを見たり映画を見たりして、苦しみを全く理解していないことに気付きました。不快になられた方がいらっしゃいましたら、誠に申し訳ありません。
読めば誰でも何かしら考えさせられる本だと思いました。
好きな気持ちは本物だけどそうなってしまったこと…どうにもならない部分を憎んでいる。
子どもが性的に好き。でも手を出せばもちろん犯罪…そういったレベルではなくその気持ちを抱いてしまう本質に迫っていたと思います。
なんて生き辛い…しかし誰もが闇を抱えつつも他人に見える部分は少ない。
それこそやっぱり隣の芝は青いんだ。
非BL本枠ですが、町屋くんに釘付けでした。
片想いした相手が最低な野郎だと知ってもそれでも一縷の望みをかけて彼が命じるまま全裸になった彼に一番興奮しました。
羞恥心と惨めさでグチャグチャなのにそれでも相手に惹かれてしまう…先生やっぱり諸々さすがです…!
成就することのない愛のお話の連作集。
1編1編は独立したお話ですが、そのお話のリンクの仕方が凄く巧みで、読み進めているうちに、人の内面が多角的に浮き彫りにされてきて圧倒されます。
非BLなので、ゲイのキャラクターは登場しますが、BL的な男性同士の恋愛関係が成立することはありません。
っていうより、このお話って恋愛小説ですらないよね。
性愛についてのお話ではあるけれど、恋愛にはたどり着けない、まったく一方的な思いのお話。
一般小説って、BL小説に比べると恋愛に縛られないので、逆に面白いお話が出来上がるのだなと思いました。
ペドフェリアをテーマに幸せとは何か、正しさとは何か考えさせられる作品でした。
この作品には2人のペドフェリアを抱える男が登場します。その2人を中心にペドフェリアの男を愛してしまった男、ある種被害者ともいえる男、ペドフェリアを持つ男を知る一般家庭を持つ普通の男など様々な人間が語り手となり物語か進行して行きます。
誰もが望んでその性に、そして愛する相手の性別や年齢を選んでいる訳ではない。けれども、意思だけでは変わらないその人をその人足らしめている絶対的なもの。
子供を愛してしまう自分に嫌悪し、葛藤しながらもペドフェリアを抱える2人の男性は全く違う末路を辿る。
1人はホームレスとなり地位も財産も失い亡くなり、1人は周りに尊敬されながら地位も財産も満足に手にしている。社会的な成功や幸福をどちらが得ているのかと問われれば誰もが後者だと答えるだろう。
しかし、どちらが自分の人生を自分らしく幸せに生きているのかと問われればそれは意見の分かれるところだと思う。
小児愛を否定する訳でも肯定する訳でもなく、人の背負う業の複雑怪奇さと理解されたい訳でない、ただ許されたいという強い想いが流れ込んできた。
マジョリティ側であることへの安堵とマイノリティ側になることに対する恐怖、自分にないものを羨む罪深さ、そんなものを考えさせられる秀逸な作品だった。
どこまでも木原音瀬先生らしい構成と結末でした。
何度読み返しても、モヤモヤとした感想しか湧いてこない。
幼児性愛が生まれつきの変えようのない性嗜好なら、どうしたらいいのだろう。
性欲は食べ物と違って無くても死なないのだから、薬とかで鎮めるしかないんじゃないか?と冷たく思ってしまう。でも、それは今の日本ではとても難しいのだろう。久瀬が精神科のクリニックで懇願しても、そういう薬を処方してもらえなかったみたいに。
久瀬のセリフが心に突き刺さる。
「子供を愛するというだけで、永遠に理解されないんだ。だってそんな不愉快に感じることをわざわざ理解しなくたって、変態ってカテゴリーに収めて排除してしまえば楽だからね。」「犯罪に走るものが出てこない限り、誰も僕たちのことを理解しようとはしない。逆に言えば、理解しようとしないから犯罪が起こるんだよ。」
もし自分自身やわが子が当事者だったら、久世のように、助けてほしい!何とかしてほしい!と叫びたくなるだろう。
でも一方で、久瀬の言う「愛する」は性愛だけの愛で、精神的な愛は感じられない。究極の期間限定の見た目愛。大人の体になったら終わり。エロス限定の愛。それってなんだか寂しい。
久瀬は自分の性嗜好を知りながら好意を寄せてきた町屋に「可哀そうだと思っているんだろう」と攻撃しながら、実は自分自身を憐れんでいるように感じた。だから、町屋を辱めて傷つけても痛みを感じない。久瀬はエロスを抱く対象にしか心からの優しさを向けられないのかな。甥の伊吹に優しく接したように。満たされないからこそ、強く性愛に囚われてしまうのかな。
ホームレスの伸さんは、久瀬のように踏みとどまらず、一線を越えて開き直っていく。真面目に教師をして得たお金で海外に子供を買いに行く。「金を支払って気持ちのいい思いをさせて、お菓子をあげて喜ばせて、他には何も悪いことをしていない。」と言うけれど、ブローカーが子供にきちんとお金を渡しているとは限らないし、需要があるから供給があるわけで…。悪いことはしていないと、きっぱりと言い切ってしまうところがもう怖い。公園で幼い子供たちにいたずらを繰り返すことにも、何の痛みも感じない自己中心的な人間になり果てたのは、彼の人間性なのか、幼児性愛に執着するからなのか、何度読んでも分からない。
伊吹は久瀬の甥で、久瀬の過去の想い人。その伊吹が伸さんのことを調べるうちに久瀬の性嗜好に気付いていく過程が、たまらなく残酷だと思った。
傷ついた町屋を慰める大輝が優しくて、この作品の中で唯一ホッとした描写だった。
最後まで読んで、答えも救いも見えないこの作品。なぜ木原さんは書こうと思ったのか。
ひょっとして、伊吹のセリフ「自分が感じたこの胸糞悪さを多くの人と共有したい。」、こんな気持ちもお持ちだったのかもしれない、と想像した。
人の性癖は生まれた時からシールのようにべったりと貼り付けられている。
それは本人の意思で剥がしたり変えたりすることはできない。
マイノリティーのシールを貼られた人間はどうやって生きていけばいいのか。
その答えが出ないまま、苦しさだけが残る、そんな作品です。
正さは一つじゃない。
もしそれがマジョリティーなら誰にも責められない当たり前のこと。
ただ、マイノリティーと言うだけで責められる人生とはなんなのだろう。
人の業と哀しさを感じさせる素晴らしい小説でした。
最後に一つ。
一般文芸に行かれたせいかいつもより少しだけ文章が読みくいなと思いました。あのぐいぐい引っ張っていくようなスピーディな文体は影を潜め、その分じっくり読めるものに変えられたのかと思いました。悪くはないのですが先生の、あの一度読み始めたら止まらない文章が好きだったのでそれだけは残念でした。
電子書籍版を購入。
前知識なしに、非BLということさえ知らずに読み始めました。
さすが、木原作品。
話の運び方というか、見せ方が自然で巧みです。
作中のセリフ
『子供に手を出す奴は、まとめて牢屋に閉じ込めちまえ』
と私も思っていました。
それは、今も変わらない。
でも、
『愛する人の変化を受け入れられない自分と、継続しない愛情。』
という苦悩まで考えが及びませんでした。
例え、思いが通じあったとしても……プラトニックだとしても、その愛は続かない。
だって、子供は成長する。
こういった性嗜好の人達は、永遠にハッピーエンドを迎えることは出来ないのでしょうか。
だとしたら、悲しすぎる。
どういった結末だったらハッピーなのかと考えてみましたが、その答えはでないままです。