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gekka no chikai
最近のリンクスロマンスのファンタジー作品のテーマは「コミュニケーションギャップ」なのでしょうか?
先日出た「黒曜の災厄は愛を導く」も攻めと受けが会話できない設定だったので、少しデジャブを感じてしまいました(ただの偶然だとは思いますが)。
本書の攻め・キヴィルナズは、耳が聞こえないため、会話は読心術や筆談で行います。
主人公で元奴隷のシャオ(受け)も、あまり語彙豊富でなく、話すのが苦手なので、どちらかといえば寡黙な二人です。
したがって、シャオの心理描写や、キヴィルナズの仲間たちとのやり取りを中心に、物語は進行していきます。
奴隷だったシャオを買い取り、家に住まわせてくれるキヴィルナズ。
卑屈でいつもびくびくしていたシャオが、彼の仲間たちに迎えられ、文字を教わり、少しずつ人間らしさを取り戻していく姿にじ〜んと感動します。
キヴィルナズは呪術師とのことですが、本当は…?
彼を「化物」と恐れ忌み嫌う集団から、二人は逃れられるのか?
後半の展開は暴力描写もあり、迫害されるマイノリティの悲しさも感じられ、なかなか読むのが辛いです。
それらを乗り越え、時をも越えた真実の愛を手にする二人…という結末は美しいですが、巻末の二つのエピソードで、涙の別れのあとすぐ再会のラストになってしまうので、ちょっと余韻に浸りにくいのが惜しいかも。
また、キヴィルナズの耳が聞こえない設定は必要だったのか?
シャオが文字を学ぶ動機付けにはなっていますが、言葉の壁はシャオとキヴィルナズが愛し合う上で大した障害になっていないので、この設定はあってもなくてもあまり変わらない気がしました。
勿論、キヴィルナズが初めてシャオの名を呼ぶシーンは感動的でしたが…。
妖精も出てくるファンタジーですが、楽しい夢の世界というより、現実世界の残酷さもちゃんと描かれた温かくも切ない物語で、その方向性には惹かれるものがありました。