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作者あとがきに、形を変えて何度も書いてしまう話があると添えられていて深く頷いてしまいました。自分が初期の菅野作品に感じていたテーマというのが「憐れみと愛情は似て非なるもの」、「求められるものを与えたくても与えられない人の苦悩」だったので、特に後半の徭がそのものズバリ!で。
表題作とそのスピンオフの二篇が収録されています。どちらもシリアスで暗い。読んでいて愉快な気分になれるタイプのお話ではないけれど、作者独自のテーマが見えてくるとワクワクしてしまうんですよね。イラストに坂井(国枝)先生を選んだ方、神だ…
表題作は高校生の危うい逃避行もの。先のレビューで触れている方もおられるように、わたしも大好きな『恋のまんなか』を思い浮かべました。『ただでさえ臆病な彼ら』の八代と越智のお話かな〜と期待したけれど別物ですね。
高校陸上部に所属する有望選手の司馬と、受験のために部を引退した八隅。二人はセックスで繋がっています。陸上選手として才能に恵まれ嘱望される司馬の中に不似合いな不安の影を汲み取った八隅は、それが自分と会えなくなる淋しさからくるだけでなく、もっと根深い事情があると知ります。夏休み中に司馬から二人旅に誘われた八隅は、全てを投げ出して今にも消えてしまいそうな彼と心中するつもりで旅に出ますが——
経験値度外視の17才って無敵だな…。でも、たとえ本能的な欲求に理性や判断力が追いつかず未熟だったとしても、感情とか情動の方が効果的に力を発揮することもある。八隅は司馬が欲しがっているもの見抜いて、与えられる子でした。その役割を担えたのが異性ではなく同性だったっていうところが思春期らしくてエモいです。司馬の希死念慮は父親の不在からきているので、女子から「あんたって、親みたい」といわれる八隅の中に、飢えていた父性を見出したのかもしれません。
後半収録の「向こうの縮れた亜鉛の雲へ」というタイトルは宮沢賢治作品からの引用だそう。
こちらは、大学進学後故障のために陸上競技を引退せざるをえなかった英一と、彼の遠戚・徭のお話。(前半にちょこっと登場した弓田先輩が英一です)
二人は英一の父親が亡くなった頃に一時交流があったきりでしたが、教職を辞して再出発を考えていた徭が英一の実家近くに住むことになり再会します。
徭は傷ついたり弱っている人間を憐れんで慰めてあげたくなる性癖があって、そういった関係性にある意味依存して存在意義を保っているような人物。しかし、相手からそれ以上を求められると何を返していいのか分からないという、やっかいな拗らせお誘いさんです。
英一も徭の餌食?となるわけですが、徭が英一から逃げて別の男に走った時に吐いた英一のセリフが男同士ならではだな〜って、ハッとさせられました。その後、英一は過去に向き合うことで得られた自分の気持ちを曲がりなりにも徭に伝えて、徭も自信がないけれど一歩踏み出す…という素敵な結末を迎えます。
英一が徭に投げつけた、「女に生まれてくりゃ良かったんだ、おまえなんか」ってセリフ。これ、差別じゃなくて男同士の間には求めていない、求められない関係性を欲しているってことの裏返しなんですよね。男女関係のモデルをまんま男同士に当てはめる違和感を描くことで、一歩踏み込んだ理想の関係性を模索する菅野作品。エンタメ色極薄な本作を読み終えて、BLの土台の一つは「関係性」の再構築なんだった、とあらためて実感致しました。
若さというのはある種独特の絶望感や厭世観を抱いてしまう時期なんだと思う。
経験値が低いが故の不安と迷いが、何か自分にとって特別なもののように感じてしまう・・・そういう時なんだろう。
表題作は陸上部員の司馬と八隅のお話。
初めは司馬が八隅を襲うようにして体を繋げたのか始まりだが、そこからずるずると切れないまま、今に至るといった関係のふたり。
陸上で大学の推薦をとり、3年の夏を過ぎた今も走り続ける司馬に対して、進学の為に部活を引退した八隅。
どう考えても司馬の方が才能にも恵まれており、不満などなさそうに見えるのだが、なぜか司馬の顔は浮かない。
そんなある日、司馬は八隅を連れて当てもなく海へ向かうのだった。
実は松本ミーコハウスの「恋のまんなか」を読んだ時に、本作のことを思い出してしまったんだけども・・・設定が似ているからどうのという話ではなく(若者の逃避行の話なんて山ほどある)、十代というのはガラスハートなもんなんだあ・・・というのを改めて思い返してしまったわけで。
八隅との関係が変わっていってしまうことや、将来に対する不安などから逃げ出したくなった司馬は、刹那的に海に身を沈めようとするのだが、「泣かないで」と八隅に強く抱きしめられるシーンがとても印象的できれいだ。
ただ若者たちの苦悩を描いた青春小説の中に、たまたまそういった描写があった・・・という印象は強く、広義で言うとボーイズラブなんだろうが、厳密には少し違うような気がした。
とは言うものの、その内容は非常に透明感にあふれ繊細。
小説としてはなかなか上質な作品であるとは思う。
また同時収録は短編「向こうの縮れた亜鉛の雲へ」。
これまた文学的なタイトルだな!と思ったら、宮沢賢治からの引用のようだ。
菅野さんの物語には、よく同じテーマや想いが何度も繰り返し描き続けられている。
その中のひとつに『他人の欲しがるものはわかるのに、自分が欲しているものがわからない人間』というものがある。
普通は『自分が欲するものはわかっても、他人が欲しがっているものはわからない人間』が殆どで、そのわからない同士が、相手を慮りながら生きてゆくのが人と人との繋がりなんだと私は思う。
この少し歪なテーマを、菅野さんは繰り返しよく描く。
彼らの一見多情に見えた行動は、なるほどそういう理由からだったのか、と妙に納得してしまったんだけども、しかしやはりこれもBLなのかと問われると、微妙だ (;´∀`)
ちなみに挿絵は坂井久仁江(国枝彩香)。
あまり絵師としてはお見かけしない方なので、そういう意味でも非常に見る価値のある1冊とも言える。
ぐるぐるしたお話、ライトなものをお求めの方は、ぜひ菅野彰さんをどうぞ。
ライトなラブコメディとは違って、なかなか観念的で難しかった。
お話は2編入っています。
前半「17才」が現役高校3年生が夏休みに部活を引退する前後のお話、後半「向こうの~」が「17才」の中でちょっとだけ名前が出てくる部活のOBの大学生とその父親の従兄弟の息子の話。
そもそも、まず一読ではこの2作品の関係がわからなかった。
まあ、わからないまま読んでも大して問題はないのだが、釈然としないまま読み進めていると、上手く作品世界に没入できないのも確かなわけで、そこへ持ってきて「向こうの~」の遥がまた、生きたまま死んでいるようなキャラで、その遥に向かって感情を渡すだの受け止めるだのと英一が頭の中であれこれ考え抜くお話なので、ぼーっと読んでいてのではついて行けなくなりそう。
後書きで作者さん自身が何度も書いてしまうテーマといっているように、「毎日晴天」のシリーズなんかも似たようなテーマが延々と続いていたけど、読みやすさから言ったら、長いシリーズものだけど「毎日晴天」の方がオススメ。
うう…あらすじを読んで、『好きなタイプのレモン味の思春期の恋の話っぽいなァ』と期待したんだけど…何故だろう、入りこめなかった。
なんていうか、作中人物が先にいっちゃう感じ。少しずつ早いのだ。
じわじわと話が盛り上がってきて、こちらが切なくなるその寸前に、作中人物に先に泣かれる、みたいな。
ずっとおいてけぼりにされてしまった。
17歳の、掴みどころのない不安や迷いなどを描いた作品。死への欲求に導かれ、海へと逃避行する主役ふたり。
もしかしたら私が思春期だったら、この作品の説明のないモヤモヤ部分が見えた(or見えたつもりになれた)のかも知れない。
けどもう、私の脳の一部がとうに劣化してるからか、そのモヤモヤが見えなかった。見えそうで見えないので、イーッてなってしまった。
もう少しあざとい伏線を使ってストーリー展開させるとか、分かりやすいベタベタな動機の説明するとか、分かりやすさを優先するプラスアルファが欲しかったなァと思いました。