Goma2
十亀の過去話。学生時代のお話です。家族構成とか友人関係とかキャッスルマンゴーで気になっていたところが、これ読むと、「あー!そうだったんか・・・!!」とコミックスを必ず読み返したくなります。
十亀と高校時代の仲良かった友人との話が中心。
このページ数、しかも2段組みなので、本当に読みごたえがあります。どうして小冊子・・・?!という位に。
コミックスと小冊子比較すると、コミックスではムクさんの持ち味のほのぼのだけど切ないところがすごく良かったけれど、小説はというとがらっと違って、木原さんの持ち味、遠慮ないシリアスなシナリオ。
アゲて・・・からの・・・鬱→やっぱ鬱→涙(切なさと喜びの) (わかりにくい)
ムクさんの挿し絵で救われるお話でした。
木原先生の宗教観が見えるような作品でした。
コミックの【キャッスル・マンゴー】の前説ではなく独立した1作品でした。
川って、よく人生に例えられるじゃないですか?
その行き付く先は海な訳で、誰の人生も纏まってとどの詰まりになる。
この小説では、その人生観と十亀が幼い頃に家族で見た映画のタイトル【リバーズエンド】とを絡ませていたんですね。
父姉弟の混ぜこぜの遺骨は近所の川で済ませた十亀に、姉の小春が言っていた「海に行ってお母さんとまた一緒になれる」の希望は、一寸でも慰めになっていたかな。
そうだったら良いけど。
散骨する暗い灯に浮かぶ十亀の影を思うと、とてもとても悲しかったです。
それでも、訥々と寂しさや不安も出さなかったこの場面に、高校生という若さに似合わない諦めと安堵感を、この場面から痛くも感じてしまった。
悲しみが大き過ぎて麻痺していたのかも知れない。
だけど、閉じ込めていた怒りは膨れ破裂する。
その矛先を二宮に向けた後、そこから逃げた戸亀には後悔しか残らないはず。
14年後の再会の二宮のサバサバした態度にホッとしました。
どの不遇な場面にも、静かに受け止めながら贖っていた高校生の十亀がいて、現時点のAV監督・十亀が出来ているんですね。
先に「1作品として」と言いながらも【キャッスルマンゴー】の十亀が、すごく気になって、次巻がもっと待ち遠しくなってしまいました!
もーどしよーっ!ってな感じになっています!
小椋ムクさんでコミックになるキャッスルマンゴーの前振りになる小説。
「キャッスルマンゴー」は、家がラブホテル・キャッスルマンゴーの男の子が主人公のお話で、この設定自体もなかなかな物ですが、主人公に対する、相手役といえる、十亀の高校生時代のお話がこの作品です。
十亀に、たたみ掛けるように、次々と襲いかかる過酷な事柄は、運命と呼ぶにもあまりにも過酷すぎて、いくら小説とはいえあんまりじゃないかと、
でも、そんな有り得ないような不幸の連続のお話が、ちゃんと成立するのが、これぞ、このはら!
橋の上から川に向かって、
全てに決別して
そして、、、
全てを失ったところから、
あとは前へ進むだけ。
その時、過酷な状態にいても、自分から前へ向かって踏み出す意志さえあれば。
そんな希望への物語でもあるのです。
P74と、読みでのある枚数。
父親は、飲んだくれて借金こさえて入退院を繰り返している。
母親は、早くに亡くなり
姉と弟と暮らしている 十亀俊司。
ホームレス経験もある、極貧生活だが
中卒じゃろくな仕事がないと、お金を工面して
高校にいかせてもらっている。
とはいえ、周囲とはなじめず一匹狼。
クラスメイトの二宮達に絡まれるも動じない十亀に
反発を通り越して好感を覚える二宮
野良犬に餌付けでもするように、二宮が十亀に近づいてきて・・・
みたいなお話なんですけど。
ものすごく貧しくて、みじめな生活をしている十亀の
卑屈にならずたくましく生きている様を
カッコいいと思ってしまう二宮の気持ちは、すごくよくわかる。
少しずつ少しずつ、十亀と二宮の関係が築かれてきた矢先に
台風みたいに全て消し去ってしまう木原先生のシナリオ運び。
読者はただの傍観者で、物語にでてくる彼等に何の手も差し伸べられない。
それがなんだか辛かった。
こちらの挿絵は、小椋ムクさん。
辛気臭い話なのに描かれている登場人物の顔は、どれも生き生きとしていて
シナリオとの対比で泣けてきたよ。