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Manhattan no madobe kara
『AI-M文庫』(これ、学研のm文庫の電子書籍版なんでしょうか?)から『47XXY』という題名で出版されていたお話の新装版だと思います。
そちらの初出年月日が解らないのですが、何も知らずに読み進めていた時には『懐かしの作品』だと勝手に思っていました。が、その後確認したら作者の別作品の発売って2013年以降なんですね。ローリィの一人称で進む所為もあるかも知れませんが、懐かしい感じの語り口です。
旧タイトルの『47XXY』というのは『クラインフェルター症候群』と言われ、x染色体がひとつ多い男性に起きる症候群のことです。その具体については作中で詳しく書かれますので、ここでは置いておくとして。
このお話は大きな、いわゆる『地雷』(または昨日のちるちる記事のご提言の新用語を使えば『パクチー』)があります。ただし、それをここで大っぴらに書いてしまうと『究極のネタバレ』にもなってしまいますので<失礼ながらブランクを取ります。
『死にネタ』です。
私はそれほど苦手ではないのですが、ただちょっとばかり釈然としない部分がありまして。
お話の中で、この『死』を利用した事件が起きるのですが、それによって『二人の人間関係に大きな変化がある』とか『二人の周りの人達の何かが変わる』とかがあるわけじゃない様な気がするんですね。
これがかなりモヤモヤしまして。
現実では『死』は必然です。
その日、その時に起きる理由はありません。
だからとても悲しいのと同時に無情を感じてしまう訳なのですけれども。
だから、フィクションにおける『死』は「物語のテーマに深く関わる形で起きて欲しいな」と思います。
残念なことにこのお話では、前述の事件を起す、トリック的な形で『死』が使われているように見えてしまいました。
「それはちょっとなぁ……」と。
そこまでのローリィとジョシーの日常生活のやりとりはとても好感を持って読んでいたんです。また、合衆国の風俗習慣や書かれる景色も興味深く感じたので余計にそう思ったのかもしれません。