匿名5番さん
(4/4)
ちょっとお伺いしたいのですが、
闇好き、無理矢理好き、レイプ好きのかたはどういうところを好んで読んでいるのでしょうか?
同じ目に遭いたいわけではないですよね?
無理矢理されてるのを見ると興奮するとか?
可哀想な他人を見てると楽しいとか?
日常が退屈で刺激が欲しいとか?
単純に読んでて楽しいだけ?
読んでると辛い気持ちになると思うんですけど、それすらも楽しいということでしょうか?
おそらく闇や無理矢理展開からしか得られない何かがあるのだとは思いますが……。
ひとさまの好みに難癖つけるつもりはなく、シンプルに疑問です。
一般的につらいとされる設定(犯罪や虐待など)を好んで読む理由は何かありますか?
いろいろ聞いてしまいましたが、差し障りなければ、ご意見をお聞かせください。
匿名5番さん
(4/4)
新たにご回答くださった5人の方ありがとうございます。
それぞれのお考えとても興味深かったです。
「なるほど〜」とか「あ〜そういうことか〜」とか「そうだよね」とかいろいろ考えながら拝読しています。
かわいそかわいいに関しては、私は「可哀想」→「可哀想」としか発想がなかったので、「かわいそう」→「かわいい」の転換は新しい癖だなと思いました。
ご回答くださった全てのみなさんの投稿ひとつひとつ何度も読んで咀嚼しています。
そういう楽しみ方も面白いかも、と思えることが増えたらいろんな作品にチャレンジしてみたいと思います。
自分ひとりで思いつかない考えを紹介していただけたのはシンプルに面白く勉強になりました。
少なくない時間を割いてご回答いただけたこと心より感謝します。
匿名13番さん (1/1)
自分も匿名7番さんの理由と似てるかなぁ
例えばルパン三世とか犯罪おかしまくってるけど 犯罪者視点でみんな楽しく観てるよね
だからと言って盗人行為を支持してるかと言ったらそうではないし
BLでもバース系てどれだけほんわかハッピーエンドに描かれていても
設定自体は生物学的に男性に妊娠出産させると言う女性のエゴと差別(階級)から出来たものだし (そこに無関心なのは逆にヤバいw)
背徳行為による快楽と言うのは誰しにもあるものだからBLに限らずだと思うんだけど
ハピエン作品でもトラウマ設定なんて一種の闇だし それをハピエンで結んでるだけで
背徳行為よる快楽の許容範囲と背徳の種類の好き嫌いじゃないかなと思う
逆に言えばトラウマを軽く扱って幸せになれて良かった~ のがある意味エグいなと思わなくもない
匿名9番さん (2/2)
>>14
「かわいそかわいい」のは好物ですが、私の場合、日常の中でプチ不幸に見舞われたりとか、自業自得でしょっぱい目に遭って怒ったり悔しがったり悶々としたりしている推しに対して感じることで、虐待や犯罪に遭って本当に痛々しいことになってる状態には、思わないですね。
>>14
「初めてのおつかい」って特番あるじゃないですか。
子供が大泣きしながら一人で買い物行って帰ってくる大冒険。あれに近い感じじゃないですかね?
辛くて苦しくてでも頑張ってるその姿が尊くて、でも画面の向こう世界だから可哀想より可愛いが勝って笑顔になっちゃう。的な。
どんなに辛い中でも、それでも誰かの事を好きって気持ちを抱えて頑張ってる姿は美しいと思うんですよね。
いじらしい。
って表現がぴったりかな。
匿名12番さん (1/1)
>>14
可哀そうで可愛い、可哀そうだからか可愛い、カワイソカワイイの感覚に関してです
元々全然そういう感情はなかった方なのですが、ある作品で急に開眼した!というか「あ~…こういう事か!!」とワカッタ者の感想です
その作品はとにかく受けが泣いているのが好きな攻めが出て来ます
泣いている受けを見てゾクッとしてる攻めを見て私もゾクッとする…!という所から入り、いつの間にやら攻め視点で受けを見ていました
この受けさんは攻めに意図的に泣かされている事に気付かず地団駄を踏むタイプの何とも頑張り屋さんの報われない感じが意地らしくもありすごく堪らなかったんですよね
そこで気付いたのがこの受けを泣かす事が出来るのは自分だけ(攻めだけ)という「特別感」に高揚するんだな、という独占欲や庇護欲のような執着を感じた時にこのクソデカ感情にバンザイ三唱大合唱となった訳です♡
なので、私の場合の「可哀そう」の条件は他の人にはそう見えない事が大前提で相手にだけに敵わない、抗えない、無自覚に振り回されている、というのが好きみたいです
もしこれが可愛そうなのが攻めの場合は三蔵法師様の掌で踊らされる孫悟空のような可哀そうさにグッと萌えている気がします
本人には可哀そうという自覚がない、本人にあるのはせいぜい「悔しい」という感情なのが傍から見てると健気に映るのかも知れないです
なので不条理な環境などによる責め苦のような不憫さに依る「可哀そう」さだと、ただただ心配になっちゃうので切なさを感じる事はあってもカワイイ~‼と楽しむ境地には至らない事があります
この場合は完全に見守るシフトで見届けていると思います
こちらのトピの趣旨からはもしかしたらズレたカワイソカワイイかも知れませんが、、、
夜明け属性強めなタイプの好きなカワイソカワイイ感覚かな?とは思います(そんな事ない!という夜明けさん居たらスミマセン…!)
匿名11番さん (1/1)
モブレは苦手ですが、最終的にハピエンとなる、攻めの無理やりは好きです。
このトピを見て、なぜ好きなのか改めて考えてみたんですが…。
ちょっと明確な理由が浮かばないので、癖なんだと思います。
初めは心底嫌がっていたのに、紆余曲折を経て受けが絆され最終的に結ばれる、というストーリーが好きみたいです。(我ながらちょっと歪んでると思いますが…汗)
ちなみに、無理やりされて受けがずっと攻めを嫌いなまま終わるような内容だったら、楽しく読めないと思うので、単に無理やりが好きというわけでは無さそうです。(モブレが苦手なのもそういうことかな)
匿名5番さん
(3/4)
新たにご回答くださった5人の方ありがとうございます。
まとめてのお礼で失礼します。
みなさまそれぞれのご回答興味深く拝見しました。
なるほどな〜と感嘆しきりです。
私には無かった視点で作品を選べそうです。
引き続き、ご意見募集しています。
こちらのトピをご覧になってくださってる方の中で、「受けが可哀想なのが可愛い」って感覚をお持ちの方いらっしゃいますか?
攻めでもいいんですが……。
「かわいそかわいい」とか「不憫かわいい」とかってどういうかんじなのでしょうか?
「可哀想」が「可愛い」とは……?
言語化しにくいかもしれませんが、こんなかんじだよってお伝えできるかたいらっしゃいましたら、教えてください。
匿名10番さん (1/1)
けっこう前のことですが、ダンガンロンパというアニメがありました。
全くの予備知識なしでアニメを見始めたのですが、苦手な殺人ゲームもの!
失敗した、見なければよかったかもと思いながらも、そのまま視聴し続けました。
なぜ、殺人描写もあるアニメを最後まで見続けることができたのか?
理由は、ダンガンロンパはミステリー仕立てだったからです。
つまり、登場人物に感情移入するドラマとして見た場合、ものすごいトラウマ作品なのですが、ミステリとして見たら、殺人が起こるのは当たり前なのです。
殺人の謎解きがストーリーの主眼なので。
このように、作品によって自分の頭を切り替えて読んでいることは、誰しもよくあるのではないでしょうか?
現実ではあり得ない設定や闇展開だからこそ、頭を完全にフィクションに切り替えて、現実のストレス発散をしてるのではないですかね。
キャラクターには人格も人権もありませんから。
匿名9番さん (1/2)
基本的にはこわいもの見たさですね。
それと、商業で企画が通るくらいなので、ストレス度の高いエピソードに負けないくらいの面白さもあるんだろうなと期待してるとこもあります。
匿名8番さん (1/1)
私の場合、BLはハピエンが多いので、たまにはメリバやバドエンも読みたくなる。
好んでと言うよりお口直しな感じです。
おやつが毎日チョコじゃ飽きる、ポテチや柿の種も食べたい。
みたいな感覚に近いかな。
チョコの中でも、今日はホワイトチョコ気分とかビターチョコ気分とか、両方食べたいとか。
今読んでるのは一般小説とBLコミック。
一般小説はかなりビターな内容で、BLコミックは人気作家の切ない系です。
その前は甘々ものを読み返してました。
暴力(戦い)は苦手だけど、一般コミックでも人気作読むには避けられないし普通に読む。
そんな感じ。
匿名7番さん (1/1)
ホラー映画や殺人ゲーム等の好き嫌いみたいなものでしょうか
実際に遭うのは絶対嫌ですが、擬似的なドキドキハラハラを楽しむみたいな
わたしは暴力的なものを見て現実のストレスを消化、どん底から這い上がって幸せになる所を自分に重ね合わせる、怖いものみたさ、してはいけないことへの好奇心、激しい性描写への興味などが混ざったような気持ちで見ていますね
昔は暴力的なものを好んで読んでいましたが、年を重ねた今はそういった刺激物よりも優しい物語のほうが好きになりました
匿名6番さん (2/2)
→
闇作品(シリアス、痛い系)に関しては、まずBLを抜きにそういったテーマに興味があります。
家も仕事もあって、毎日ご飯を食べられる私達の幸福な生活のすぐ隣には、貧困、病気、戦争、差別、裏社会、などといった辛い現実が必ずありますから。
BL以外の一般の創作物でもそうしたテーマを好んで読みますし、ノンフィクションのドキュメンタリーや本、資料館、いわゆるダークツーリズムなども好きですね。
私が明るい作品より暗い作品が好きな理由は、暗い作品のほうが私にとってはリアリティがあって読み応えがあるからです。
現実を無視せず、だからこそ作者や読者にとって都合が良い展開にはならず、先の読めない展開にワクワクします。
作者や読者のための物語ではなく、実際に紙の上で彼らは生きてるんだな、と実感したいんです。
若くて性格が良くて誰にでも優しい明るいイケメンキャラよりも、いい年して根暗で口が悪く性格も悪いしイケメンでもない、みたいなキャラの方が萌えます。
その方がより人間味があって興奮しますが、ここまでくるとやっぱり癖な気がします。
とある映画に「幸せって誰にでも手に入るもののことを言うの」というニュアンスの台詞があったのですが、それも闇系作品が好きな理由のひとつかもしれません。
みんなが手に入る幸せよりもありふれていない(隠されている)不幸せを読みたい、知りたい。
自分の好きを、なぜ好きなのか言語化するって難しいですね。長文失礼しました。
匿名6番さん (1/2)
以前お見かけした時はもう回答終了かなと思い、書き込み遠慮してしまいました。
まず、そもそもなぜ好きなのかと聞かれても、好きだから、としか答えようがない人も多いかもしれません。
なぜパクチーが苦手なのかと聞かれたら、匂いが苦手とか味が苦手とか理由がぱっと思い浮かびますが、なぜオムライスが好きなのかと聞かれても、瞬時にこれ!という理由は思い浮かばない、みたいな感覚でしょうか。
私の場合は、同じ目に遭いたいわけではもちろんないです。
好んで読む理由と問われると、一言でいえばそれが性癖だから、ですかね……。
無理やり、レイプ系に関しては、心では嫌だと思っているのに身体は反応してしまう(徐々に開発されてしまう)みたいな展開が個人的な興奮ポイントです。
そこから些細なやり取りを通して心も通わせていくという展開になるので、マイナススタートの方がより好きになるまでの振り幅が大きく読み応えがあるといったところでしょうか。
ストックホルム症候群、リマ症候群、共依存的なテーマも好きで、最初は憎くてしかたなかったのに世界から隔離されてもなおお互いがいないと生きていけなくなったみたいなところにどうしようもない萌えを見出しています。
続きます→
匿名5番さん
(2/4)
すみません、あげます。
楽しんで読んでらっしゃる方が少なからずいらっしゃると思ったのですが……
あんまりいらっしゃらないですかね?
結構ニッチなんでしょうか?
私個人としては得意でも苦手でもなく、あまり自分から進んでは読まないのですが、
好きで楽しんでらっしゃる方に醍醐味でも教えていただけたら、私も楽しめるかな?と思い質問させていただきました。
またお手隙の際に答えてあげてもいいよーって方のご回答お待ちしております。
匿名5番さん
(1/4)
ご回答くださったみなさま、本当にありがとうございます。
心に関わることでとてもセンシティブなことだったとご回答をいただいてから気づきました。
そういう場合もあるんだなと知ることができました。
とても勉強になりました。
改めてありがとうございました。
匿名4番さん (1/1)
主人公達が幸せな様子を見て癒されるよりも、辛い目に遭っている主人公達に入り込んで共感したい、そしてそこから人生や愛や人というものについて考えたいという理由があると思います。
あとは全くの極めて個人的な理由ですが、自分が子どもの頃に性的虐待経験があり、ある程度の年齢までそういうことに対して罪悪感や嫌悪がありました。でも、大人になったら本能的にそういうことに興味もちゃんとでるんです。そのチグハグな相反する感情に折り合いをつけて鑑賞するとなると、自ら積極的に喜んで快楽を得ている人物には共感できなくて、結果的に同じように辛い思いをしている人物に重ねるしかないというのもあります。読んでてしんどい時も多いですが、あえてそうしているような気もしますし、自分でも複雑で表現は難しいです。
人間の心理って、単純なものではないですね。
匿名3番さん (1/1)
BLに限らず一般の映画でも不幸な境遇の主人公のお話は多いですよね。
匿名2番さん (1/1)
自分がそういう目に遭いたくはないが、読むのは楽しめる闇展開というのはあります。
でもすべての胸糞が無闇矢鱈に好きなわけではありません。こんな話見たくないと思うものはありますし、辛い鑑賞体験は基本的には好きじゃありません。
その展開を好む理由は、その展開から得られる何かがあるからで、何を得られるかはそれぞれ違うので一概には言えません。
私の場合ただ辛いものを見たいという動機があるわけではないですね。辛いことそのものに価値はあまり感じてません。
「なぜ好むか」というより、「なぜ大丈夫なのか、辛くならないのか」という観点でお話すると、それが自分にとってリアリティのある辛さではないから、また多分自分の想像力や共感性がそこまで豊かではないから、そこに痛みを感じてないというのが実際のところです。
キャラクターが感じている辛さの部分は自分には入ってこず、そこにある情感とかエモとかアート性とか快楽要素を拾って消費しています。こうやって言葉にするとあんまりですけど。
自分にとってリアリティのある辛い展開は、やはりそれなりにストレスを感じますし、基本的には避けています。
そのストレスを感じてでも鑑賞する価値がある場合は頑張るけども、という感じです。
匿名1番さん (2/2)
>>1
すみません。誤字脱字だらけでした。
色々書いてしまいましたがデカダンスの一種だと思います。
そんな私はドムサブが地雷で…
痛めつけられて喜びを感じるってのは理解できない。。けど、SMが純文で扱われてたりするのでもう全部まとめて芸術に通ずるんだと思います!
匿名1番さん (1/2)
まあ、救われる気がするんだよ。色々考え込んだり、世界とやっていくのを難しく思ってるのが、自分だけじゃないってことがわかるだけでも
ってセリフが「土の中の子供」 (中村文則)に出てくるんですが、私はこれが全てですね。
苦しんでるのが自分だけじゃない。
そして、その苦しみから這い上がってもがいてるのを見るとその強さに力を貰えるというか。
でも、それすらも結局打ちのめされる。
そこまで含めて、自分だけじゃない。って事に救わ何をされれるんですよね。
何をされたか。でなくて、された時に押し付けられる絶望や慟哭に自己投影して勝手に救われちゃうんです。
自分じゃない誰かの苦しみに涙を流す事で、楽なる。ってのもありますね。自分の事で苦しみが過ぎると上手く泣けなくなっちゃうんですよね。泣けば一時的にでも感情が楽になるってわかってるのに全然泣けない。そんな時には、他人の慟哭はすごく有用です。どっちかってゆうと、どれだけ酷い事があったか。っていうより、慟哭の心理描写の深さのが大事ですね。
あとは、自分の中にあるどうしょうもない自己破壊願望を満たして貰ってる。かなぁ
どこまでも壊れて廃人になりたいって衝動がやってくるんですよねー。現実に留まるのにもすごい有用なんですよー。
もちろん闇作品でも胸糞なのもあって、闇だから良い!とかじゃないんですけどねー。
その辺が難しい。
この質問に関する回答は締め切られました
