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にいちゃん コミック

はらだ 

漫画一冊で読書感想文が出来そうな

今までレビューなどしたことがなかったのですがどうしても、どうしてもここに自分のレビューを、レビューというとなんだか軽い気がしますから、つまりこの作品の感想を残したかったので書かせていただきます。ネタバレや、私個人の解釈も入っていますので、読まれる際はご注意ください。

初めに、私ははらだ先生の大ファンです。
一番好きな漫画家さんです。
いつもこの方の登場人物の表情の描き分けと言葉選びのセンスに震撼させられています。
今作も例に漏れず、大好きな作品となりました。
容易には人様に薦められませんし、非常に衝撃を受ける内容になっています。しかし、この作品は間違いなく私達の新しい思考の扉を開いてくれると思います。既に開いておられるのなら更に深く、深く考えさせられることと思います。


そして、予想の斜め上を行くストーリー構成には頭が下がります。だから評価は最大級のものにしたいです。
…つまり、私は神評価を選ばせて頂きます。

けれど、私の中でこれは「神」ではありません。
これだけ人間の黒く暗い部分をさらけ出したような作品です。「最高」であっても「神」ではないですね。

…つい自分語りをしてしまいました。
ここから本編のことを書こうと思います。


まず、私の中には、作者様が描かれた登場人物の人格を否定しないという前提があります。誰々の人格が気に入らない、クズだ、この人格はストーリーに都合が良過ぎる等々。それらは単に読み手の感覚(”まとも””ふつう”などの基準があてがわれますよね)であるからです。
一見自分の納得のいかない人格をもった登場人物がいたとします。しかしそんな人も、私達が知らないだけで実際にいるかもしれないですよね。また例えいなくても、マァ十人十色とか言いますでしょ、世界にただ1人、存在しても可笑しくない訳です。
これははらだ先生の作品に限らず、どの様な作品でも私が思っていることですが。

さて、先のレビューの方々が割と まともって何、ふつうって何 への考えを書いておられるので私も考えてみました。
男同士で愛し合うことや、(作中の言葉を借りると)13歳以下の人間とそれ以上の人間が愛し合い、「一線を越え」ること…。
世の中、多数決で回っています。斯く言う私もきっと大抵は多数派に居る人間でしょう。集団Aの中で一番数の多かった意見が総意となる、これは私達にとって当たり前で凄く楽なこと、と同時に自分が少数派に回ったときはとても苦しいといえます。
今、この世界の総意は上記の行為を「気持ち悪い」と一蹴します。私達はこの話が漫画であるから登場人物に感情移入出来たり、現実とか世間とか解ったつもりになっている場合があり得ますよね。本当に、身の回りでそれがあったときの自分の対応は如何なのかと考えるとぞっとするものがあります。
この作品が現実のストーリーであるとするならば、彼らは最も世間に受け入れられ難い条件を兼ね備えていると言っても過言ではありません。
従ってふつう、まとも、というのはより多くの人々の考えであり尚且つ相対的であるといえます。他者評価によって自己の何たるかが決まる現在、許されねば、認められねば、社会的に居場所をもてません。上に定義した通りが ふつう であり まとも であるなら、”ふつうでまともになれば ”確固たる足場は世間様から貰えるのです。

ーーーにいちゃんのこと許して理解できるのは世界で唯一、俺しかいないよ

今までのことを前提にこの台詞を考えるなら、景は、脆くとも、一人分の足場を手に入れたといえます。ゆいに、認められたのですから。
逆に、ゆいも景に認められています。一歩も動けないような足場に、2人で、その下を気にしながら乗って居る様が目に浮かびます。
大衆に迎合していくのか、それとも周りを切り捨ててでも愛を貫き通すのか。私が断言してしまう答えではないですし(答え自体は出ていても)、また、この問題は永遠に終わらなくていいとも思います。


次に、皆様のご指摘があまり無い「証明」という言葉に着目しました。
私は「証明」という言葉が、そこで、ここで、あのシーンで、と出てくるごとにその言葉の堅苦しい雰囲気に引っかかりを覚えていました。
それに、話し言葉なので主語がない。一体彼は、彼らは、何を証明したいのだろうと悩みました。オビでは”愛”ですが。……そうですか、愛を証明するのですね。
この話での「証明」は次々と形を変えていきます。再会時、ゆいにとって 「証明」は景から逃げないことでした。それが、ゆいとまいの2人で景の家に押し掛けるときには ゆいが景の「愛されたい」を「証明」するような、そんな使い方になっています。最後には、人前でキスすること。それが2人の「証明」に変わりました。
数学の証明の様な、何か条件が揃えばAだといえる様な、そんな話ではないのに「証明」という語を使ったことに私は違和感を感じたのだと思います。
きっと、「認めて」貰う為に証明が必要だったのでしょう。互いに足場を用意する為に。
何をもって証明されたとするかは、この場合、それぞれの感覚によるものなんでしょうね…。
「証明」には理由や根拠が必要です。上記の言動が、彼らなりの〇〇の証明の根拠となるものだったといえそうです。

最後にちょっと萌え語りを。
私、受けが学ランの上だけ着てる状態が凄く好きで…同じくはらだ先生の「やじるし」を読んでからずっと虜になっていたんです。パワーアップした濃厚学ランエロの提供、ありがとうございます、はらだ先生。

さて、長々と書いてきましたが、もしここまでお付き合い下さった方がおられたのなら、本当に本当に、ありがとうございます。
1人で語るとはいえ、誰しも人に認めて貰いたくて仕方ないですからね、うふふ。