タイトルの『CHERRY』はDTの意味での「チェリー」。草食系の気弱な男の子がDTなら「なるほど」ってなるんですけど、『CHEERY』の主人公は、
容姿端麗、実家は資産家、学部賞を貰えるほどの秀才、しかし性格だけは傲岸不遜なワールドイズマインを地でいく「王子様」なのです!
本人曰く振ったことはあっても振られたことはない!だそうで……
そんな子が…そんな子が…童貞なのです!!!
童貞を捨てる機会はあったにもかかわらず童貞を守りつづけた(?)直希くんは本当に受けとしてのポテンシャルを存分に秘めていました…!
そして童貞わがまま王子様の彼氏になるのが、大学の先生である阿倍先生です。 この先生もなかなか癖のあるキャラクターでした!
基本的には溺愛攻めで直希くんに優しく、年上の余裕で年下彼氏をめろめろにしていく手慣れた彼氏なんですが…阿倍先生もとにかく直希くんにめろめろです。お互いどっぷりはまりきっていて割れ鍋に綴じ蓋カプでした!
先生のめろめろっぷりを具体的にいえば、王子様の要望を聞く前に叶えてあげたり(なんだエスパーか)、王子様とのえっちが今までで一番興奮したとか言ったり(のろけか)、王子様の顔色を読んで隠し事や言葉の裏を読んだり(やっぱりエスパーなの??)と、直希くんの性格や行動のパターンを把握していないと分からないはずのことを察する能力がとても高いのです。それだけ直希くんのことを知りたい、分かりたいと思っていないと、あの気難しい王子様のややこしい愛情表現は分からないと思うのです。
先生のセリフに「見かけによらずおっちょこちょいだな」っていうものがあるんですけど、まさにその通りでした!努力しているところ、一生懸命になってるところをみられたくないという気持ちが直希くんを「完璧」たらしめているんだと思うんですが、若干の隙があるところがほんとに、かわいかったです!
この作品がとても好きで、何度も何度も読み返しています。
自分の好きなこと、好きなもの、好きな人にしか興味のない情の深すぎる志緒と、苦い過去を抱えたまま人を拒絶して大人になってしまった桂。
教師と生徒という許されない関係であることは、桂のかつての恋人との恋愛と同じですが、志緒は桂を決して諦めませんでした。先生が寂しいのならその寂しさを埋めてあげたいと思い、辛い過去があるのならそれを抱えたままの先生を愛そうと、たった15歳の志緒は決めてしまったのです。桂が高校生だったころできなかった、ただひたすらに愛するということをやってのけた志緒の深すぎるほどの想いに、桂は救われたのだと思います。
最後のシーン、「幸せにして」と桂がおねだりするのがよかったです…。桂は確かに教師だから志緒を守らなきゃいけない立場にあるんですが、志緒の恋人でもあるから志緒を頼ってもいいし、幸せにするだけじゃなくて幸せにしてもらってもいい。罪悪感だけで生きてきたような桂がなにかを「ほしい」と思えたり、与えられることを望めるようになってよかったです……!
桂には志緒の溢れんばかりの情に多少怖気付きながら(青林檎参照)、幸福の中で生きていってほしいなと思います。
桂は怖がりだから、志緒くらい「好き」だけで構成されている人に大切にされているほうがいいんじゃないでしょうか。志緒の愛情の深さを受け入れられるのも、ちゃんと愛情の重みを知っている桂だからだと思います。
すごく、恋愛をしていました。言い方は変かも知れないんですが、シンプルに、すごく恋愛をしてました。
ざざっとあらすじ。
高校生のころ少しの間付き合っていた太一と直人は度重なるすれ違いから別れてしまうものの、2年後同じ大学の同じ学部同じクラスで再会!なんやかんやあってもう一度付き合うことに。でもまた上手くいかなくて直人は身を引こうとする。でも最終的にはまるくおさまる。
書き出してみると起承転結がしっかりしてる作品だったことに気が付きました。ストーリーは読者の期待に沿って進んでくれるストレートなお話です。
「エスケープジャーニー」は、形や名前にとらわれない関係性を探る物語だったように思います。
直人は太一との関係をどうしたいのか?という自問に「家族になりたかった」という答えを出すんですが、男同士で「家族」になれるのか?というところで躓いてしまいます。太一が「ただいま」を言えるような家族を作りたい、という希望をきっと直人はもっていたのだと思うんです。
家族を作るのは、「普通に」幸せなことで、その「普通」が広がっている価値観の中で生きてきた直人が「好きな人と家族になりたい」と思うのはきっと当たり前のことだと思うんです。どちらかが異性なら結婚して家族になったはずです。でもそうじゃないから、「普通に」幸せにはなれない。当たり前のことが叶わない苦しさを直人は知ってしまうんです。
太一のセリフで印象的なのが「一緒にいてくれればそれでいいから」という一節です。
「エスケープジャーニー」で描かれていることってきっとどこまでも、こういうことなんだと思います。
すごく恋愛をしている、というのは、この「一緒にいてくれればそれでいい」というごくごく普通の願いを叶えるために二人がとても悩みぬいた過程のことです。
一緒にいたい、でも叶わない、でも一緒にいたい、でも…を何度も何度も繰り返す姿は本当にへたくそな言い方だと思うんですが「すごく恋愛している」としか言えませんでした。
登場人物みんなに癖があって、一筋縄ではいかない人たちばっかりですが、みんなただ好きな人と一緒にいたいだけ。そんな当たり前の幸福を願っている人たちの物語でした。
攻めのエドワードは、礼に対して、学校で空気になれ!一人でいろ!とにかく目立つな!と命令する「王様」です。その命令の理由はまだ明言されていないのですが、それが礼を守ることにつながっているとエドは信じているのだろうなーとなんとなく読み取れます。
受けの礼は、エドに嫌われないように上記の約束(命令)を守り、エドを愛することに人生を捧げているような少年です。
礼は、礼の世界の中にはエドしかいないと思い込んでいたために、エドに嫌われることはそのまま世界の終わりでした。たしかに、12歳で見知らぬ土地で味方もいない中暮らさなければならないという過酷な状況下で、心の支えを必要としたのは当然です。ですが、礼はエドの望むように振る舞うことで、礼自身を「エドがいないと何もできない無力な子供」のままにしてしまっていたのです…。
エドは礼をいつまでも、混血で全面的に立場が弱く、それゆえに守られる対象のままにしておきたかったのだろうと思います。でも、礼は16歳で、自分の足で歩くことができます。エドの命令に逆らうことになっても、礼は自分の決めた道を歩くことができる、とようやく気づくのです。そして、出自に基づく「支配する側」「支配される側」の構造が壊され、二人は初めて個と個で向き合い始める……のだろうと、わたしは信じてます。
1巻は、礼が淋しさからエドに依存していることを自覚し、かつ自立したいという気持ちを持ち始めるお話でした。
どうしてエドはストレートに礼を大事にできないのでしょう。エドなりの葛藤があるのだと思いますが…これから礼とちゃんと会話してくれますように…。エドの葛藤は2巻で描かれるところだと思うのでドキドキしながら待とうと思います。
※ネタバレしかないです
『誤算のハート』のスピンオフ作品になります。
わたしは『誤算の~』をさらっと一読しかしていなかったので、スピンオフと聞いて楽しめるかなと若干緊張していました。ところがどっこい。
めっっっっっちゃくちゃおもしろい!!!!
『誤算の~』の二人を知っていても、たとえ知らなくても、面白く読める作品でした。
中学の頃から一途に、かつひねくれながら、同級生の清竹に8年間も片思いを続ける烏童視点で物語は進みます。(なので清竹くんの気持ちの推移はあまりよく分からない)
この烏童くんが、ものすごくおしゃれでイケメンで、まさに「何の苦労もしてない」「何でも持って」そうな人生勝ち組みたいな人なんです。頭も家柄も容姿も良い!男も女も引っ掛け放題!
でも、本気の恋愛ではずっと負けっぱなし。
女の子にとってイケメンの烏童くんは、小さくてかわいい女の子がタイプな清竹くんにとっては恋愛対象「外」。報われない片想いに胸を焦がし続けながら、それでも諦めきれない恋を抱えて8年間を過ごします。
8年前の中学の頃、烏童くんは清竹くんから彼女を奪い絶縁状態になってしまいます。そのことを自業自得だと自覚しながらも、好きだから清竹くんに彼女が出来ることに耐えられず、好きだから絶縁状態になっても諦めることが出来ず……と、とにかく、烏童くんは自分では諦められない・終わらせられない恋に振り回されます。
8年後再会してからも、烏童くんはずっと恋を「諦めること」を行動の指針として、決して幸せになりたいとは願わないんです。ただ臆病に、清竹くんが離れていく心の準備をするだけ……。体だけ奪ったりすることすら、気持ちが手に入らないのは分かっているから、という前置きを感じさせて切なさに拍車がかかります。こんなにかっこよくて何でもできそうなイケメンが、一番ほしいものに対しては怖がりというギャップにすこぶる萌えました……!
わたしがこの作品を読んで「最高に好き!」と思ったのは、烏童くんが迫ってくる清竹に対して
「信じない」
と拒絶するシーン。
好きになってもらえないとずっと思っていた清竹くんがやっと烏童くんに向き合ってくれたのに、それを「信じない」と完全拒否!
お互いに好き合って、そこでハッピーエンドにならないところが、この物語のリアルというか、共感できるところなんじゃないのかなと思います。
手に入ったら、いつかは失う日が来るんじゃないか、いつか気の迷いだったと気付く日が来るんじゃないか、そしたらまた自分だけが終わらない片想いの中に閉じ込められて苦しむだけなんじゃないか。余計に傷つくくらいなら最初から手に入らない方がマシ。……という思考回路なのかな、と。
「奇跡は起こらない」と諦めたり、「俺なんかがよがって気持ち悪い」と自己嫌悪したり、清竹くんの言う通り烏童くんは「自分の気持ちばっか」なんです。でも、怖いとか嫌われたくないとか、そういう気持ちでいっぱいいっぱいになってしまうのはすごく分かります……。怖さを乗り越えるためには、他者(清竹くん)と言葉と気持ちをやり取りするしかなくて。でも、烏童くんは傷つくのが怖くてコミュニケーションを取るのを拒絶していたんだと思います。どうでもいい人には勝気でいられるのに、清竹くんの前では小さくなって怯えるのは、やっぱり傷つきたくないからなんだろうなと。
「いつ捨てられてもいいように 捨てられた日を想像しては傷ついて そうやってこれからを過ごしていくんだろう」
付き合うようになってからも烏童くんの「不幸」は終わらないようです。でも、きっとこの「不幸」はいつもしあわせと隣り合わせなんですね。清竹くんが傍にいるからしあわせで、だから「不幸」でもある。
あとは、烏童くんが「不幸」が訪れる日なんて来ない、と清竹くんと自分を信じるしかないのだと思います。実際、不幸0・しあわせ100みたいな内訳にはなり得ないからこそ、しあわせでありたいと願えるのかもしれないです。
巻末のその後のお話で、烏童くんが心から幸せそうに笑えていて、こんな日をこれからもずっと積み重ねて、「不幸」が頭を過ることがないくらいしあわせに満ちた生活であってほしいなと思います。烏童くんにはめちゃくちゃしあわせになってほしい……!!
好きになってほしいけどフラれる日が怖いから好きにならなくていい。でも恋しいから好きになってほしい。でもやっぱりいい。だけど、嫌いにはならないで。
……と、とにかくひねくれてて面倒くさくて、でも誰より清竹くんのことを一途に愛していて、烏童くん最高にかわいい人でした!そんな烏童くんに出会えた感謝を込めて神評価です。