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エキスパートレビューアー2022 ソムリエ合格

女性atyanmamaさん

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二人のひとでなしの平行する思い

くずな人間は許されるべきなのか、永遠に許されざるべきなのか。
リアルの世界においての個人的な見解は置いておいて、少なくともフィクションの世界では私はくずが好きである。
クズであることは人間の弱さの鏡であり、ある意味非常に人間の匂いがすると思うからである。


物語の中で賀予はその血肉に飢え、己の中の凶暴性を抑えられない(ざっくり言いすぎか?)病を抱える存在として幼いドラゴンに例えられ、3巻で賀予を混乱の極みに追いやった謝清呈が実はその病の唯一の生還者であり、先駆者であり、何より同胞であり、まさに成体のドラゴンであったと詳らかにされ、記されるようになるように、二人は人間であるが、ある意味ひとでなし(「人ではない」)であるとわかった。

同じ病の持ち主であり、同胞である二人は、だが別人格故に、ひとでなしの方向性も違う。
賀予はある意味わかりやすいひとでなしだ(った)と思う。自分の欲望、自分の抑えきれない血への渇望、暴力性を自分を捨てたクズ野郎と認定した謝清呈へ余すことなくぶつけまくる様はいっそすがすがしい位だった。
だが4巻冒頭で賀予は謝清呈への混乱極まる感情が「好き」という気持ち故だったと自覚する。
今までの自分行い故にがんじがらめになりつつ、己の気持ちに気付かれないように、表面上は今までのクズの香りを残し謝清呈のそば居ようと努める(なんといってもクズ行為の積み重ねが3巻分あるので業は深い)。
それに対して謝清呈もある意味別方向でひとでなしである。いっそ恐ろしい程の効率厨である彼は、目的の為なら自己が血を流すことなどどうでもいい。体の痛覚がなくなってしまったから心の痛覚もどこかに投げ捨ててしまったとしか言いようがない、彼はある意味人であることを諦めた人間なんだと思う。
そんな二人のひとでなしが今回もある事件を調べていく。
もともと人の感情の機微に疎い謝清呈は、恋愛脳に染まった賀予の抱えたくそデカ感情には一ミリも気が付かず「こいつは一体何はしたいんだ?」と思いつつも、大人なので見たくないものはスルーし、気が付きたく無いものは元から見ないようにする。さすがの効率厨である。いっそすがすがしい。
だが一方、謝清呈への気持ちを自覚したのち賀予は混乱を極めつつ、その方向性が正しいか否かは別にして、もがき苦しみつつも謝清呈への対応を考えるようになる。ある意味ひとでなしが人に成るための一歩を踏み出すかのようだった。
だがもともとが他(=謝清呈)責傾向にある故に、どうしてもその方向に思考回路が傾くし、その一歩は1mmかもしれないし、もしかして前進ではなく後退かもしれないが…。
そして肝心の謝清呈はそんな彼の抱えたジレンマにほとんど気が付かない。というか、彼にはその余裕がないのが正直なところだろう。
謝清呈は忙しいのだ。大学教授で、妹が己を苦しめたおぞましい薬を投薬されたと分かり、彼女を救うために奔走し、そもそも自分が自分であるの為に非常に厳格である。自分の拒否にもかかわらず己を犯しまくったあたおかな賀予がその内心を隠して行動しているのに、その隠した心情を分かれというの無理。そんな賀予に心を寄せる義務などない。
混乱の極みである。ひとでなしが二人いるとここまで取っ散らかるのかといっそ笑いたくなるくらいの混乱である。
そんな二人のひとでなしのおかしな攻防は、賀予の遂に抱えきれなかった告白を招くことになる。
この告白があまりに熱烈で切なかった。
心の底から、謝清呈からの心のお返しを求めていないところが。(彼の今までの行いを考えるとそれは当然なんだが)
ひとでなしドラゴンくんが、告げれば拒否され唾棄されると恐れていたのにも関わらず告白したのは、今までさんざんに振り回し彼の身体を犯した謝清呈を傷つけたくなかったから。
混乱にもほどがあり、逆説にもほどがあり、
そしてそれがエモすぎました。
思わず読んでいて「うわお」と声が出た。
これほどの告白を読んだのはいつぶりかな?と思うくらい混乱して、切実で、痛い位熱い告白だった。
だがその熱烈な告白を受けた謝清呈は同じ病の生還者として、元主治医として、完全に拒否することができないがもちろん受け入れることもできない。
よって賀予に【大人として】、それは気の迷いだと諭す。
ですよね…これで簡単に「そっか、今まで混乱してたからあーんなこともこーんな言動もしていたんだな?何もかも俺の事が大好きだったからか!仕方ない俺も同じドラゴンだ。お前の番になるよ」なんて受け入れるようだったら13歳年上の大人ではないですよね…。


しかしこの二人が番になる日が来るの?来るんだろうけど…来るんでしょうか?
賀予が犯したクズ行為の数々は簡単には許されるべきではないだろうし、そう簡単に許されるとまた面白くない。
許されるとか許すとか別の意味で二人が(特に謝清呈が)ともに並んでいくことを受け入れる日が来るといいなと思いつつ、次を待ちます。
物語は様々な事件が絡み合い、より複雑になってきているので、5,6巻が出たときにまた細かいことを忘れていそうで怖いので次ができるだけ早く出てくれるといいなと思わずにいられません。


いろいろ長々書きましたが、
正直クズ好きな上ドラゴン好きなのでこの表現が出てくるたびに心が躍って仕方がなかった。
これに尽きる。

黒い後見人 電子 コミック

ss 

言語化できない素晴らしさ

このお話を始めて読んで半年以上、何とかこの作品の素晴らしさを言語化できないか頑張ってきましたが、いろいろな要素が重なっている作品の為全部を拾うのはもちろん無理で、作者の生国の持つ背景や、その言葉イラストに隠されたオマージュであったり意味であったりを考えたり紐解く喜びなどもあって、でもそれはあくまでそれは私のつたない知識の上であるし、なおかつ宗教上の事を触れる勇気も持ち合わせていないので、できるだけ割愛したい、けどこの物語の素晴らしさを伝えたいともがいてきました(それにしても長すぎた)。
前置きが長くなってしまったが、できるだけシンプルに言語化するように努めたいと思うのですが、上記のように非常に複雑な背景を持つ物語なのであくまで私の解釈であることを踏まえてお読みいただければ幸いです。

正直読み終わってその素晴らしさに本気でのけ反りました。
(物語は宗教的な存在を持って語られているのでそれを脳裏に置いて読むと萌えが倍増になると思います。)

すごく単純にシンプルに表現するなら、
「幼いエリヤが彼の前にあらわれた存在の異質さを一目で見抜きつつも、そのさみしさ、孤独に打たれ、寄り添い彼と共に居たいと強く願い、すべてを、今世どころか来世どころではない本当にすべてをなげうって彼を選ぶお話。」


物語の内容に即して説明するなら以下。
神と悪魔が純粋な魂の持ち主エリヤを対象に賭けをする。
悪魔が大人になったエリヤの魂を堕落させれば悪魔の勝ち、純粋さを失わなければ神の勝ちという賭けだ。
孤児院で育つエリヤをぜひとも自分の物死体悪魔は幼い彼のもとに訪れ彼の後見人になる。だがエリヤは一目見て彼が異なる存在と見抜いてしまう。だがそのうえで彼に毎年来てほしいと願うのだ。
毎年エリヤの誕生日に黒いものを送ってくる悪魔だが、ある年流行りのペンダントロケットを気まぐれにおくる。好きな人の写真でも入れておけと。
そしてエリヤの20歳誕生日に悪魔は現れ彼に問う。
俺に望みを言え、その欲望を叶えさせろ、と。その欲望の対価にエリヤの魂をもらうために。
エリヤは迷わず欲望があると伝える。エリヤが欲望を持つ=エリヤの魂を自分のものにできると思い喜ぶ悪魔にエリヤが告げる「あなた(悪魔)と共にいたい」と。

エリヤがなぜ悪魔と共に居たいかという理由故に彼は神に選ばれる。エリヤの後頭部にまるで黄金の麦わら帽子を被ったような天使の輪(聖人の輪ともいうらしいが)のように光りが現れ、彼と悪魔を包む。(もともと画力が高い漫画ですがこのシーンの美しさに心が震えずにいられませんでした。)
悪魔はエリヤを神に渡さないために、悪魔が二度と行けない場所にエリヤが行ってしまわないために、エリヤに天国へ上る道を永遠に閉ざす言葉を言わせるのです。
故にエリヤの聖人の輪は粉々になり、彼は悪魔の腕の中に落ちていく…。だが悪魔は二度と彼のもとに現れなかった。
天国の神の足元で永遠を過ごせなくなったエリヤは、不細工な悪魔の風刺画の切り抜きを彼のよすがと入れたまま、彼にもらったロケットを手放さないまま枯れるように死んでいく。
転生しヨハネという名前になった次の生でそこにまた悪魔が訪れます。神と決別した二人の本当の生が始まるかのように。
このタイトルに悶えます。表題作「黒い後見人」「蛇の恋」「羊の愛」蛇の恋のなんと愛おしく愛らしくかわいらしいことか。羊の愛のなんと超然としたものか。肉体の愛よりも、深く結びついている存在全てを捧げた愛を愛と言わずなんとするよ?と泣き伏しました。
もう、すげえな。としか言いようがない。



私は無神論者でキリスト教についてまるっきり素人です。神と悪魔、天使、ルシフェル、アダムとイブと蛇、の関係性はうっすら知ってるというレベルです。(ほとんどが漫画から得た知識)なのですが、この作品に込められた彼らの存在、あり方、そして選んだ道、その表現に震えずにはいられませんでした。一言で、めちゃくちゃ萌えました!
この深すぎエリヤの愛を前に悪魔ルースがちょっとおかしな方法であたふたする(言い方)お話が「蛇の恋」だったり、2巻だったりするかなと思います。
この橋は渡れるかな?と叩きまくるような(愛情の確認)方法がまたかわいいので激しく萌えます!

何より絵がうまい。
うますぎてびっくりする上にこの内容・・・・圧巻としか言いようがありません!
これが神でなくしてなんとする。

ありがとうと天を仰ぐ

先生のファンですが文庫版やノベルズまでしか追いかけておりませんでしたので、未収録の作品の数々は正直諦めておりました。
書かれました時代を考えるとかなり手を入れられているだろうことは明らかですが、先生の世界で未読のに触れられる機会を得られ、この企画に感謝です。

3作、どれもテイストが違ってそれぞれ面白かった。
1,年下攻め恋愛もの
2,SFホラーテイストもの
3,ベトナム戦争を舞台としたブロマンスより濃厚な関係性のお話。
どの作品もいわゆる木原節と言われるほど激しくはないと思います。
書き下ろされた小編が3作品とも素晴らしく、そのおかげで昇華されるものがあるので、先生の本を読んだことがない方にはいいかもしれないなと思う。

個人的には1が好きでした。
どうしようもない中年の悲哀と本人はかわいくないとおもっているし、全方向的にかわいくないどうしようもない男と十二分に書かれているのに、かわいくてたまらないなこのおじさん!…と思わせるのはさすがだとしか言いようがないです。


あと2冊楽しみです。

攻め視線の逆シンデレラストーリー

初読みの作家様
攻め視線の小説ということ自体が、まず珍しく
満足度が高かった。
キャラクターの持つ背景、展開、意外性を含関係性を文庫1冊の濃度で読むには充分満足できるクオリティーの1冊だったと思う!

いわゆるクズで傲慢であったはずな攻めが受けに出会い
自分を見つめ直し生まれ変わろうともがき
受けに選ばれる
逆シンデレラストーリーとも言えるかもしれない

受けの存在とその背景にも、周囲特に攻めとの関係性の持ち方に説得力があり
しかもありきたりのそれではなく、でも気を衒いすぎていないところも良かった!

泥中の蓮のような表現と関係性

一、二巻同時発行から間を空けての三、四巻発行となったので一巻から読み返したが、一、二巻で靄がかかっていたようで、どうにもならないだろうと思われた二人の関係性に、三巻を読み終えた今、一縷の光が刺したような、もしかしてどうにかなるのかもしれないと思わせる匂いを感じることができたことにまずは安堵した自分がいたことに気がついた。
と言ってもどうにもまだまだ二人の中の混沌は続き簡単に着地してくれなさそうではあるが…。
この混沌さを硬質な文章で描かれていること、又、どす黒くどうにもならないと思わせる時に、ハッとするような美しい表現が用いられることに驚きつつ読み進めることが楽しくなる。
又二人の因果に二人の持つ背景に蠢く陰がどう関係していくか、サスペンスミステリー的な面からもこの先が楽しみだ。
だが、今はただ2匹のこの傷ついたドラゴンがどうなっていくのが幸せなのか全く見えないので、四巻を読みます。

癖(へき)開眼

一二巻を通しての感想です。




まずはもう「ものすごく攻めた作品だった」と思うという事です。
コントロールできない己のドミサブというフェティシズムへの欲求を、どちゃくそエロく描いてくださった衝撃すぎる一巻は、あえて言うなら六さんのアンコントロールさを描いたんだと思う。
二巻では、(視点は六さんだけど)サミさんなんだと思いう。
癖の前に何をコントロールできないのか?何を恐れるのか、性癖の根幹と深く結びついてしまうサミさんの嫌悪や恐怖まで描こうとなさったのかなと思う。
好きな人を傷つけたくない、支配しつくして相手を奪いたくない、でも自分の嗜好としては相手を支配しつくして奪いつくしたい。
サミさんの仕事を思うと肉体を非常にコントロールしないとできないお仕事だと思うので(それも一巻や二巻冒頭でちりばめられていると思う)もしかしてサミさんは、アンコントロールなこと自体が恐怖なのかもしれない。(でももしかし過去に何かその裏付けになる経験をしたのかもしれない。)

ドミサブという心理的よりな性癖と、肉体的引力と恋愛的引力を同じものと判断してしまうと生じる違和感、その背景にある好意と行為のあいまいさと、同意の関係。
こう文字にするとすごく難しいことを、あくまで日常の生活の中で、それもオープンだけど無防備な六さんが、サミさんや同居の二人の存在や言動を通して気づいていく=コントロールしていくという様子をリアルに、でもリアルすぎずに描かれたんだと思う。


一巻を読んですごく好きで単話も追いかけて、二巻発売と発表されたときに「完結」と文字があった時は、正直ショックで読み違いかな?と思ったし、やっぱり二巻で終わってしまって悲しい。
なんで???と思ってしまいました。(今でも思っている)
読み終わってこれ三冊あってもいいんじゃね?と思うボリュームを二冊にしたのかなと思ってしまいました。
あと一巻あったら!!!と思わずにはいられませんでした。
なんでここで終わるの?????後一冊あったら!!!(しつこい)
もう少し余裕があるページ展開なら、詰め込まれていると感じないのだと思う。

それを押しても「神」としました。
サブミッションの忘我に陥る六さんの無二な、(読んでいるこちらに羞恥心を抱かせるほどの)エロスさと、サミさんの六さんを見つめる、(見てはならないものを見ている気持ちにさせる)あの表情の数々、滴るほどのエロスと健全さのマリアージュさは、癖(くせ)になると言ってもいいと思う。
栗之丸先生の作品は絶妙なリアルさが魅力の一つと思っております。
この作品でもそのリアルさが、エロスが凄く私の「癖(へき)」でした!
よって「神!」

やさしさの贈り物

久しぶりなレビューです。
ネタバレを含みます。


前作で冬眠を過ごした二人が恋人になって一年半、クマの消防士のディビスが教官になるための学校の入学することになります。
学校に入ったら外出は不可、厳しい勉強と訓練に明け暮れるという学校に一週間後には行ってしまうというディビスに、リュックはさみしいという一言さえなかなか伝えられません。
そんな二人の遠距離恋愛が始まります。
携帯もない、もちろんスカイプなどもない世界。
ディビスが留守にする家を守るために、彼の家に住むリュック。
どんどんディビスの匂いも薄れていき側にいない彼を想いさみしく、萎んでしまいそうになっているのに、訓練で頑張っているであろう彼を応援したくて楽しいことだけを手紙にのせるリュック。
さみしくて疲弊しそうなリュックの前に、ディビスにゆかりのある人々が現れたり、友人たちの気遣いに力をもらったりしてディビスの不在を乗り越えていこう頑張るリュックに冬が近づいてきて…。

伊達先生のお話を読むと先生のその文章からやさしさが伝わってくると思うのは私だけでしょうか。とても切なくても悲しくてもその根底にやさしさ、柔らかさがある。このシリーズは特にそう感じます。
例えるなら、本を読んでいるはずなのに、自分の心に届くのは柔軟剤とお日様でほっかほっかのふっわふっわになった何かで、先生からそれを送られて抱きしめているような感じ…と何言ってんだこいつ…と思われそうですが、なんとなくそう思うのです。

今回リュックがディビスの不在をより感じ、さみしさに押しつぶされそうになった時、彼はある方法を選びます。
まずその方法がとてもかわいくて切なくて、そして強い。リュックのやさしさの中にある強さがまた愛おしいく思います。
ほわほわでふわふわで、でも強くてかわいい。そんな彼らの魅力が詰まった一冊でした。


リュックとディビスが、お互いの不在の間に愛を育てたなら、またいつの日か二人に会える日まで、私も彼らへの愛を育てたいと思います。

今回も優しくて柔らかい幸せな時間をもらえました。
ありがとうございました。


火花 コミック

中村明日美子 

描かない美しさを感じさせる一冊

誤解を恐れず言わせてもらえるなら、先生の代表作、「同級生」と背中合わせのような話だと思った。あちらが朝日ならこの作品は黄昏…的な。(因みに中村先生のお話は大体読んでいます。同級生の大ファンです)



(あらすじは既に多くの方が触れていらっしゃるので大体は省かせていただきます)

高校の時の一瞬目があったときに、恋に落ちる。自ら恋に落ちたことことを認められず、ただ湧き起こる激情をどう宥めればいいのかわからなかった場合、その感情の表現の伝手を多く持たないDKだと(しかも既に暴力と親和性を持っていた過去があるなら余計に)こうなってしまうこともあるだろうなぁと思う。勿論暴力を認めているわけではありません。でも誰しも自分の気持ちとすぐにまっすぐ向き合えるわけではないし、間違わず相手に誤解されない言葉を選べるわけではない。
この多感な時期の、このような暴力を介する歪んだ愛情表現を題材に扱った作品は時折見かけます。そのどれも印象的で心に残るお話達です。
だが、この透明感、空気感、表情で読ませる唯一無二感は、さすが中村先生だと思う。

女子BLというけれど、この物語はBLと言うより主役は女子の戸森さんだと思う。
彼女の目の前で散った花火のお話。
高校、大学、社会人と犬飼と三郷の二人が出会うたびに散る花火を、彼女が見つめるお話だと思う。
彼女が見ていないから、読者である私たちも犬飼と三郷の事はあまり分からない。(その分その行間を想像してしまうのだが)
でもその余韻も含めて花火なんだと思う。

そしてやはり結婚するなら、戸森さんがいいと思う。



同時収録作品「英雄と少年」もその描かれない部分に想像を掻き立てられるお話。


描かないところの美しさを感じさせる贅沢な一冊でした。

もう読めないのではないかと思っていた二人に会えた奇跡

新刊出ます
と聞いた時、夢かな?と一瞬思ったのは私だけだったでしょうか?
先生の取り巻く環境が大いに変わったであろうことを思うと、果たしてまだBLを出して頂けるのか、さすがに厳しいのではないだろうかと危惧していましたから。
暗澹たる思いがするたびに、雑誌掲載の平良の暗闇瞑想状況を読んでは、私の知る二人はこのままなのか…こんなキモい平良のままなのかと思っておりました。
と言っても実写からの大きなムーブメントはすさまじく、さすがに出してくださるよね?と一縷の望みに縋り付いてもおりましたので、本当にうれしい一報で、一冊でした。
本が手元に来ただけで泣きたくなるくらいうれしく思う本はそうないと思います。
二人手を握った表紙は宣伝などで既出でしたがやはり手元で見ると胸がいっぱいになりました。
メディアミックス化され、どの分野でも大成功の作品ですけど、私にとっての清居と平良は小説の中の二人で、葛西先生の二人なんだと改めて思いました。

レヴューではないかと思いますが、読後の気持ちを記しておこうと思います。

美しい彼で結ばれた二人を、憎らしい彼、悩ましい彼と大きな岐路を通してより深まっていく二人の関係を見つめてきました。
今回は順番からもタイトルからも平良のターン。
先行していたお話などから予想していた通り、平良が写真とカメラとどう向き合っていくのかというお話だったと思います。
平良にとって清居は絶対者であるけれど、カメラはある意味自分であって、そのカメラを通して平良は世界を見つめて、見上げていました。
そして今作で平良はカメラ・写真=自分だと表現していく道に踏み出しました。
その中で平良はどう変わっていくのか、清居が演技と向き合ったように、写真と向き合う平良がどうなってしまうのか。
清居との関係はどう振動していくのか。
清居の言ではありませんが平良は成功すると信じて読んでおりました。そこの部分は正直まるっきり疑わなかったのですが、平良が普通(?)になってしまった時の「これじゃない…」感が半端なかったです。
キモウザの王様じゃないと黄金の玉座におわしめす清居には釣り合わない…これじゃない…誰だお前…。
頬っぺたぶった叩いて目覚めさせるという手段が通じない平良を前に清居も悩んでしまう。
普通になってくれていいはずなのに…平良が普通って逆に気持ち悪くない?とまで思わせるさすが平良。
清居もなんとか「キモくないとヒラじゃない…」て開き直ってくれて、というか、素直になってくれてよかったです。
清居も平良のいうままのキングでなくていいです。無理に丸くならなくて大人にならなくて、ノブレスオブリージュとか我慢し続けなくて、清居であってくれてよかったです。

もちろん二人はその間に少しずつ大人になり、今回は平良の成功により環境も周囲もまた変わっていきます。

本当の天才とは、才能とは平良の方が持っているんでしょう。
でも振り切れた努力をする人間も天才なのです。だから清居も秀才で天才です。
あら?私たちは天才カップルのお話を読んでるってことになってます???と今更ながらに気が付いたような、気が付かなくてもいいことに気が付いてしまったような気がします。
だって、天才だったり秀才だったり特別な二人という事よりも、キモウザで俺様な二人だけど、でも、二人は互いの前では互いの事しか見えていない、どうしようもない恋をしている二人、という事が一番大事でそれが読みたいのですから。
平良が最後だと思った瞬間に残そうと思った行動が本当に気持ち悪くて、でもとても美しく、尊くて、でもやっぱりキモかった。それがすごくうれしかった。キモすぎる平良に深く愛されすぎる清居も痛い位平良を愛してる、そんな二人をまた読めてよかった。



今作がBL小説レーベルで出版されたことを考えると、やはりこの作品にはエチシーンがないことをは明記しておかなければならないのかもしれません。
腐女子として二人のイチャイチャの実況中継は壁になってでも見ていたいです。ましてや平良と清居のイチャイチャです。30Pあってもおかわりします。
けど、一般小説でも成功され、実写版も大成功し、そこで先生のファンになった方々多くいるだろう現状で、そんな方々にも驚かずにBLを二人の関係を受け入れられる形で、でも二人の深くつながり愛し愛される関係を書いてくださったんだと思います。
以前凪良先生はBL小説のセオリーに苦しまれたと仰っていたと記憶しております。
今回はそのセオリーから解き放たれたようにも思います。



これからも二人はそれぞれの世界で悩んだり、苦しんだりしながらも、成功していくんだろうと思います。
でも、私はふたりの通い合ったようで、まるっきり分かり合えない片思いのままのような関係で、でも一瞬が深く互いに刺さる時間を二人が持つところをまた読みたい。

先生がまた二人のこれからを紡いでくださいますようにと願っております。
今作を読ませていただいた深い感謝をささげるその口で、また強欲を願う一読者ですみません。

清居と平良にまた会えて本当に本当にうれしかったです。
凪良先生、ありがとうございました。

愛は道標である

虫シリーズ10作目、待望の新作は6.7巻に登場したテオと彼の命を守るため彼を保護し自分の家族に引き合わせ育んだフリッツとの19歳年の差カップルのお話。




以下ネタバレを含みます。(本作だけでなく、この登場人物に深くかかわるシリーズ6,7作目についても触れていますので、ご注意下さい)



ハイクラスばかりの国の中で、絶滅危惧種のハイクラスのみを求められる公族に生まれたロウクラスだったテオは、(もともと狂っていた)実母に疎まれ、しまいには殺されそうになってしまった過去を持つ。
実の兄は必至で彼を守ろうとしたが、兄自身も愛を知らず育ったため、テオが求める愛を彼の求める形で与えることができなかった。
だが愛を知らないという兄は確かに弟を愛しており、命を守るために友人フリッツに弟を託し、テオは隣国に亡命させられフリッツの家族に迎えられその後は温かく育てられる。
ハイクラスばかりの国の中で珍しいロウクラスの中、(しかもロウクラスでも珍しいレディバードスパイダーなのだが)人々が自分に興味を持つのは自分が珍しいロウクラスだから、愛玩具のように愛でられているに過ぎないと思っている。そしてそれだけでもありがたいと思っている。
そんな「かわいそうな子」テオ。
不遇な環境で育ったためか、その心の底に、自分だけに唯一注がれる愛がほしい、ただ一人でいいからその人の一番になりたい、その人が一番愛する人になりたいと心の飢えを抱えテオは生きていた。
そしてテオが愛されたいのは自分が愛するフリッツだった。
過保護すぎる兄として、テオを守ってきたフリッツ。その行動はどこからどう見ても過保護の域を超え、溺愛と執着の混合物を含んだ深い愛にしか見えないが、テオは今の関係が変わってしまうのを恐れ告白できない。
そんな中進路に迷うテオに、「人生の中幸せの基盤を決めなさい」と教授が言う。
進路よりも何よりも自分にとって大事なことは、フリッツと共に生き家族になることだと自覚したテオに、フリッツは「その気持ちは勘違いだ」と拒絶する。




前作のレビューでも書いた気がするのですが、樋口作品は恋愛の機微というよりも、愛は人をどう変えるのか、愛は時に人を強くし、時に弱くするかと言うことを描いていらっしゃると思う。
そして人の孤独について描き続けていると思う。
この虫シリーズはその傾向が顕著だし、前作愛の夜明けを待てはシリーズ中もっともその色が強く出ており、BL作品でありながらも、文芸作品に近かったと思う。(それは先生が一般文芸を経たからかとは思うが…)
そして今作は前作よりも少しBLに回帰された感じがする。
加えてここ最近の作品の受ちゃんは以前の運命に翻弄される(部分はもちろんあるが)よりも、運命に立ち向かう力強さというか、勇気をより感じられる気がしている。
今作のテオはもちろん不憫だ。
幼い頃からの状況はいっそ不憫のミルフィーユ状態と言っていいだろう。
テオはただただかわいそうな子だろうか?
もちろん実母からの仕打ちはありえなく、かわいそうの範疇は超えている。
でもテオは愛を自分の中で育てる強さを持っていたと思う。
テオの心の真ん中の本当に柔らかい部分はシオンが必死に守ったからだと思う。(ここら辺は6、7巻参照)
シオンからの不器用な手放すことで彼を守った愛や、フリッツ家族からの無償の愛はテオに孤独を与えたが、共に力を与えていたのだと思う。
その孤独ゆえに「ただ一人、フリッツに愛されたい」と強く願う。それさえあればもう何もいらないと思う位強い願う。
でも注がれた愛がテオに愛する強さも与えたのだと思う。
自分の気持ちに向き合い、フリッツを深く愛し、彼以外を愛することがないと気が付いてしまうほどの強い愛。
テオはそのことに最初絶望する。そしてそのことに喜びも得る。
ただ唯一に愛されたいと願う心は、ただ唯一に愛したいという勇気を持つ事なのだ。
19歳という年の差がある相手を愛するとき、その思いはテオの道標になるに違いない。



虫シリーズ10作品目は力強いお話だったと思う。
樋口作品を読むと、愛とはいろいろあって正解も間違いもないといつも思う。
ただ、愛を手放したくないのなら、そして愛を手放したいのなら、そこには苦しみが伴い、だから強さが勇気が必要なのだとテオ君に教えてもらったような気がする。
愛を知り強くなる、愛を知り弱くなる。愛って難しいです。
このお話を私たちに届けてくださった先生に感謝です。










ちなみに、コミコミ小冊子はフリッツ視線。
友人で未来の義兄になるシオンや葵その息子たちVSフリッツともいえるお話。とても楽しかった。永遠に読んでいられる。
テオは不憫でかわいそうだけど実は強く、フリッツの方がテオに執着し脆さも抱えていると思うので、フリッツ視線で迷走しまくるのも読んでみたい気もしていたので、その部分もちょっと満たされたかな。