すごく、人、というものを考えさせられる作品です。
人を何年も会わずに好きでいること、って、凄く大変だと思うんです。でも、それが、なんていうか、自然とできる人間、というのが、宇野なんだと思います。そして、この宇野の恋は、どちらかといえば、燃え上がるものではなくて、ただ、じっくりとみていたり、思い出をそっと心のアルバムから開いてみるような、そういう、植物染みたなにか。そして、それが、宇野の恋の形なんだろうと思います。そして、きっと、たぶん、村上を神聖視していたのだろうなあ、と思います。
そして、村上。彼のプライドも、彼の中身も、たぶん、落ちぶれてもなにしても変わらなかったのだろうなあ、と思うのです。きっと、本質は変わらなくて、ただ、空気のようにその場にいるものが宇野、という彼の中の位置づけは、宇野を神様のような人、と思わなければ変わらなかったのだろうと思います。ただ、私の中では、この、神様のような人、って言う言葉が、今一歩村上が宇野へ恋できないキーワードのような気がします。
神様のような人、つまり、村上にとって、宇野は、大事な人で神様になっているわけです。つまり、神様を愛するということは、信仰に変わる、つまり、てをだす事すらいけないような、神聖な、ままならない存在になる、ということではないか、と思います。宇野を自分とあまり変わらない場所に置くには、彼は、宇野に恋をしてはいけないのではないか、宇野を愛してもそれに気づいてはいけないのではないか、それが、宇野も村上も、村上の中で人間であるために必要なことではないか。
彼らの関係は、そういう意味で、歪で、恋であって、恋ではなくて、依存していて、依存していなくて、アンバランスであるからこそ、保っていける関係なのだろうなあ、と思いました。
きっと、この、神様のような人、という言葉が、たぶん、関係性を表しているような気がするのです。
とても好きな作品ではありますが、お互いに見方がすごく食い違っている作品なので、萌え評価、かなあ、と思います。
なんかもう、可愛いですよね。本当に。
尽くして尽くして相手の思い通りに、本来の正体なんて見えないように、って、かなり自分に枷をつけているように見えるのですが、この受け、本来の性格が、愛するからには尽くしたい!な感じなのだろうなあ、と。
というか、そうじゃなければたぶん、セルフ開発なんてしないんじゃないだろうか、と思うわけです、私は。
そして、一図で一直線で、その一生懸命さって、きっと誰にでも伝わっているんだろうなあ、と。
たぶん、攻めはそれだけの尽くしっぷりを受けが一生懸命に見せていなければたぶん好きにはならなかったのでしょうけど、その、尽くしっぷりになんかもやもやして、いろんな意味で、嫉妬して、って、子供か!と思うけども、受け以外にはただのサービス精神旺盛なオカン。
ううむ、それだけ受けに心を許しているんだろうなあ、と思うと、すごく素敵に感じるのです。
攻めも受けも最終的には男前可愛い系って言う感じで、可愛いなあ、と思います。
泣き虫健気って可愛いですよね、本当。
可愛いなあ、と思いつつ、軽く読めました。
でも、本当に、この主人公はすごいなあ、と思ったのは、最後にはちょっと嫉妬したところ会ったけど、でも、それも寂しさがひどかったから、というだけで、無条件に相手を信用できるって凄いことだなあ、とおもいます。
素直とバカ正直って、近いようで遠いものだと思うんですけど、でも、その中間くらいで本当に一途に前を向いているんだなあ、と思ったら、すごくいじらしいと思いました。
でも、バカっこではあるけれど、ただのバカじゃないな、と思います。
信じるっていう簡単なようで難しいことを素直に普通のこととしてやってのけるって凄いなあ、と思いました。
人を信じてみたいとか思う人にはお勧めだと思います。
ここまでの、どこまでもノンケで、ドノーマルで、そして、どちらもお互いに底が見えないって言う感じは初めてです。
このおっさんはなにものだー、なにものなんだ、何を考えているんだ、って、気まずさとか、そういうの全くなく、ただただ穏やかにって、怖い。気持ち悪いのに、この気持ち悪さこそが、萌えの材料で、だんだんと、この気持ち悪さが癖になるというか、もっとくれ、もっともっと、と読むうちになるのが凄くいいです。
木原先生もあとがきでおっしゃっていますが、この魔性のおじさんがどこまでも嘘つきで動かないし、何度手を変え品を変えしても、って、河瀬大変だよなあ、と、思いましたね。
最後まで一人でいいんだ、夢だったから、見えないから幸せだったんだ、みたいな感じで、目を塞いだら素直になるって、見えなければ小さな世界で幸せなのに、見えないから面倒見てもらえてかまってもらえるんだ、って、かたくなになってる感じが、可哀想でかわいいなあ、と思います。
かわいそうでかわいいの、大好きです。
ただ、小説を読みつけてない人にはお勧めできないです。
ちゃんと読みつけていて、裏を想像して読む、ということに慣れていない人は、本当に理解が及ばないと思います。
高校生なんてガキだろう。っていう台詞に、ほっとしたかんじです。
らいかちゃんがなー、苦手です。
高校生のかわいいらいかちゃんは好きでした。
でも、なんていうか、全てに裏切られたみたいな、そんな気分になってるのが、なんかイライラしちゃって、ダメでした。
まともな親もいて、まともな友人もいて、
ちょっと人がよすぎて騙されたりしてるような人だけど、
どこまでも人がよくて独占欲の強い攻めに恋されて、
いいじゃないか、と思ってしまって。
どこまで悲劇思考なのかなあ、なんて思ってしまったのがダメだった原因かなーと。
今回って、悪かったのは女の子とその周りだけで、
それも全部騙されていた奴らばかりなわけで、
だから、ちょっとうーん、と思って、
趣味じゃない、にしてます。
好きな人は多いと思いますけど、
私は胸糞悪く思えて好きじゃなかったです。
最初に読んだのは、高校生の頃でした。
受験生だったような気がします。(曖昧)
なんというか、王道に飽きてしまって、そして、なぜか、表紙に魅かれたという事を覚えています。この時点でおかしい。
でも、この、ろくでなしで、そして、最後の挿絵が、血みどろ、って言う時点で、なんだろう、これはハッピーエンドになるのだろうか、とわくわくしました。
どこまでも受けはろくでなしというか、本当に性格が悪いのですが、それでも、なんというか、蜜月ともいえるあの甘ったるい部分からは、受けが攻めに対して甘い感情も持ち出したのではないかと思いました。
でも、たぶん、それは、普通で小心者で、という受けにはキャパオーバーだったんだろうなあ、と思うのです。
だからこそ、相手がいなくなれば、とも思って、あの、赤字の二文字になったのではないかと思います。
でも、最終的には、お互いがお互いへの執着があるのは間違いはなくて、そして、葡萄の甘さはきっと、受けの攻めへの、奥底にある甘い気持ちを表しているのではないかなあ、と思いました。
だから、ハッピーエンドだと思いますし、これは、中毒になる話で、お勧めです。
この、人間と思わないような対応は嫌だと思う方もいるかも、と思うのですが、執着とか、どうしようもなく愛憎で壊れている人、という点では、適当であると思っています。
私はかなりいいな、と思いました。