meet, again.はメタファーがとても活きた小説だとなんど読んでも思う。
繰り返されるシンメトリーの暗示(シャボン玉、蜜蜂と花の話、砂抜きされるあさり、栫の双子の弟)に対して、嵐と栫はそれぞれに歪で……まっすぐな嵐にもゆがんだ過去があり……決してシンメトリーにもアシンメトリーにもなれない。
人間のわかりあえなさ、というのがこの作品の大きな主題だというのが個人的な見解だ。唯一の理解者だった緑朗を失った栫はずっとひとりで生きてきて、だからこそ他者の心や感情をいともたやすく、無慈悲に踏みにじる。老若男女問わず身体の関係を持ったり、雪よ〜のりかに見せたようないちばん人を傷つけるやり方を選んだりする。
一方のが嵐は、自分の身にかつて起きたできごとから、『傷つける』行為にひじょうに敏感で繊細。
対極のふたりは歩み寄ることも、理解し合うことも、痛みを分かち合うこともしない、できない。それぞれに孤独なまま、会話し、身体を重ねる。
けれど、その距離があるゆえに葛藤する嵐は不憫だけれど一筋縄ではいかないくらい強い。栫と付き合える嵐が、いちばん得体がしれないと思うほどに。
どこまでも寂しく、透明なひとりとひとりの物語がときに心を捻じ伏せ、ときにデトックスになるとてもふしぎな小説だと感じた。
高校生同い年、幼馴染、両片想い。
個人的萌えを煮つめて煮つめて、きれいな結晶にしてもらったような作品。
幼少期の回顧で流星の母、奏さんがおおきな洗濯物を干していたときに交互に洗濯ばさみをわたした……というくだりがあるのですが、かっわいくないですか~幼馴染ならではのエピソードにキュンキュンです!
でも、ただラブラブなだけじゃないところが…流星の母の死後のどしゃぶりの雨☔のなかの一世一代の告白シーンは、ときめけるはずなのに「重い、重いよ流星……」ってつらくなるし(褒めてます)、ビリーさんの登場には肝が冷えるしで感情のアップダウンぶりはまるでジェットコースター並み。
後半はバイト代貯めて、ひとりでハワイ行っちゃう太陽に炎のごとき本気を感じました。べた惚れじゃない…って感じよ……。
好きと萌えをクリーンヒットされた、永遠のバイブルです!!!スピンオフのムーンライトマイルも好き〜