梦溪石先生の大作『千秋』、待望の第三巻の発売です。
日本語訳版小説は全四巻になるとのこと。この第三巻で、物語は起承転結の “転” へと入ります。
王権を巡って陰謀と策略が渦巻き、世の中は不穏な状況へと突入していきます。
今巻も鮮やかな描写の武闘シーンが満載、また各宗派と王朝内での腹の探り合いは血みどろの展開となって非常に読み応えがあります。
そして、これは沈嶠の物語であると共に、晏無師の物語でもあったのだ、というそんな印象を強く受けたのがこの三巻でした。
第二巻までは、予想もしなかった晏無師との出会い(出会いというよりむしろ遭遇というか災難だったかもしれない)によって変化しつつも、それ以上に変わらぬ強くしなやかな信念を持ち続ける沈嶠に焦点が当てられていたように感じます。
しかし、この第三巻に至って、この晏無師というおのれしか信じず、心というものをまるで持ち合わせていない人間が、沈嶠との出会いによって何を得たかという部分が浮き彫りになってきます。
それは、単に心を入れ替えたとか思い直したとか反省したとか、もはやそういう話ではなく。
なんと言えば良いのでしょう。
騙し騙され、利用し利用され、命を助け助けられ、そんなあまりにも複雑な思いを共有し経験してきた、二人のそんな時間が揺るぎない何かとなっている、そんな印象です。
簡単に言葉にできるような、そんな関係ではないのが物語中からも良く伝わります。
晏無師はこう言います、「若者のようにそれを後悔することなど、本座にはできん」。
いつものようにサラッと冗談混じりで口にされた台詞のようにも思えますが、これには結構な割合で彼の本音が含まれているのではとも感じています。
覆水盆に返らず。口から出た言葉を取り消すことはできないし、晏無師はそんなことはしない。
でも、だからといって後悔したりもしない。
後悔したり悩んだりするその代わりに、謝るのです。
これまでに謝る晏無師を見たことがあったでしょうか?
この時点で既に胸が熱いのに、その上この晏無師の姿勢には第二巻番外編での沈嶠の以下の話を思い出してしまいます。
“間違っていたのなら正せばいい” 。
あの頃のあの行動は、そうすべきでは無かったのかもしれない。
ならばまずは謝って、そしてこれからどうするか考えればいい。
そんな風に考えたのでしょうか。あの晏無師が。
これにはちょっと感無量です。
石ころの話があまりにも良かったです。
「その男は初めから、ほかの金銀財宝よりその石が好きだったのではないですか」
無自覚に真理を突いてしまう、なんだかんだ言ってやっぱり純粋で素直な沈嶠です。
そんな沈嶠、今巻に至って晏無師の屁理屈にたびたび言い返すようになります。
それだけでも拍手喝采なのに、1000回に一回くらいは手玉に取ることさえできるようになるなんて、誰が想像したでしょうか。そんな日が来るなんて。
1000回に一回くらいですが。
番外編は、本編終了後、少し未来のお話です。
物語のその先を垣間見たことで、より一層第四巻の発売が楽しみになってしまいました。
梦溪石先生の大作『千秋』の日本語訳版小説第二巻です。
一巻から物語は進んで登場人物達も複雑に絡み合い、手に汗握る展開となっていきます。
二巻に関してはまさに起承転結の “承” 、一巻を受けての目まぐるしい変化と物語上でのアップダウンをこれでもかと味わうことができます。
沈嶠は、自分が裏切られたり蔑ろにされたりすることは一向に構わないけれど、人が虐げられたり物が粗末にされたりするさまには容赦しない、という性質を持っています。
そう言ったシーンで恐ろしいほどの冷酷さを見せる沈嶠からは、ひとつの道門のトップをつとめていた年月が伺え、非常に威厳に満ちています。
そんな沈嶠ですが、優しすぎるのか、はたまた彼の持つ自己犠牲的な面からか、自分自身に関することがらにはあまり大きな感情表現を見せることはありませんでした。
そんな沈嶠が、第二巻において経験する絶体絶命の窮地。
心身がばらばらになるほどの痛みと激しい怒りを経て、沈嶠の心情にも少しずつ変化が表れていきます。
他者との関係性について思いを馳せたり、感情が揺れ動いたりするような一面を見せるようになる沈嶠。
しかし、どのような状況になろうとも、沈嶠は決して屈しないし倒れない。
たとえすべてを失い、信じていた者には裏切られ、周りには謗られ嘲られ、誰もにお前は間違っている、と言われたとしても。どんなに追い詰められ絶体絶命の窮地に陥ったとしても。
「間違っていたのなら、正せばいい」と沈嶠は言います。これを行うのがどれだけ難しいことか。
そんな沈嶠の気高くしなやかで鋼のように強い姿勢は晏無師にも影響を及ぼす……のでしょうか??
それは読んでのお楽しみです。
あと二巻で重要なのはやはり「皮杯児」シーンですね。
一巻のあれは伏線だったわけでしょうか。イラストで描かれる立場の逆転にも胸が熱くなりました。
初読では、二人の心の距離が近づいた…かと思いきや、上げておいてどん底まで落としてくれる二巻の展開に絶望しかありませんでした。
これだから中華耽美はやめられません。
いつも最高の読書体験を与えてくれる中華耽美の作家の先生方、それをこうして日本語の物語へと還元してくださる訳者の皆さま、素晴らしい挿絵や表紙を描いてくださる先生方、そして出版に関わるすべての皆さまにこの場を借りて感謝を捧げます。
本当にありがとうございます。
この度の日本語訳版小説第三巻の発売を機に、一巻から読み返しています。
こんなに寝食を忘れ夢中になれる小説があるでしょうか。
改めて読み、その面白さを3ページに一回くらいの頻度で噛み締めています。
物語は主人公である沈嶠の崖落ちスタートです。
中華コンテンツあるあるの冒頭崖落ち、これはもう
絶対の面白さを私達に約束してくれます。主人公は崖から落ちてナンボです。
そうして全身の骨がほとんど砕けるほどの悲惨な怪我を負い、生死の境をさまよう羽目になった沈嶠。
武功のすべてを失い、長い時間をかけて修練してきた内力も無くなり、そのうえ記憶も視力さえも失ってしまいます。
しかし、そのような何も持たざる境遇となってなお、品格と矜持を失わない沈嶠の生き様がひたすらに格好良いのです。
人の善性を本質とする姿勢、そもそもが穏やかで清らかな人格者であるというだけでなく、世を生き抜いていくしたたかさや冷酷さ無慈悲さ、ある種の打算が垣間見えるのが、主人公として非常に推せます。
崖落ちをきっかけに沈嶠が偶然出会ってしまったのは魔門の一派「浣月宗」の宗主、晏無師です。
晏無師は何の気の迷いか、沈嶠を助けるような真似をしてみたり、そうかと思えば次の瞬間には不意打ちで攻撃を仕掛けてきたりします。全然気も遣えないしおそらく気を遣うという言葉は彼の辞書にはありません。
横暴で気まぐれで自分勝手な俺様宗主です。でもめちゃくちゃ強い。とにかく強くてめちゃくちゃ格好良い。
沈嶠は清廉で気立ての良い人間ではありますが、ずっと道門の一派の宗主をつとめていた過去もあって、ただの人畜無害なお人好しではありません。
しかしながら、山に籠って世俗との関わりをほとんど持たなかったこともあり、いささか人を知らず世の中に通じていない部分がありました。
そんな沈嶠が、晏無師と行動を共にし彼に振り回され、世に揉まれ様々な経験を積む中で、人間的な深みが増していくのです。
また、天下の武術の極地を綴った伝説の書「朱陽策」の出現もあって、崖落ちと策略によってほぼゼロまでに減じた沈嶠のその武力にも様々な変化が訪れます。
武俠小説の一面も併せ持つ今作、武闘シーンの描写が巧みで活き活きとしています。
今にも吐血するのではというギリギリの状態で、なお手に汗握るような立ち回りを演じる沈嶠には、読んでいてとても引き込まれてしまいます。
第一巻は、晏無師と沈嶠の付かず離れずの距離感が多少近づいてきたかな?というところで一旦幕を閉じます。
心の距離感は付かず離れずですが、案外スキンシップは多いため、側から見ている人々にはいちゃついているようにしか見えないシーンも多いのが良いですね。
晏無師の一番弟子である辺沿梅とか一度完全に勘違いしていましたし。
最後に。
番外編は、沈嶠の師である祁鳳閣のお話です。
本編への理解を深めてくれるとともに二巻への期待もこれ以上なく促進してくれる素晴らしい短編です。
『孤独な猫は夜明けに眠る』の第2巻となるのがこちら、FILES.002です。
前作で、一体どうなるの?というところで終わった菊池さんと吉野さんの関係性ですが、揺れながらも思いに忠実でひたすらまっすぐな菊池さん、そして心の中を占めてくる兄以外の大きな存在に動揺を隠せなくなってきた吉野さん、そこに吉野さんの兄も関連する事件も加わり、ドキドキの展開を迎えます。
こちらの第2巻で訪れる見どころは↓
・ダブルベッドで眠るのが当然な吉野兄弟
・駅のエスカレーターの手すりを軽々と飛び越えるパルクールできそうな身軽な菊池さん
・仮に寝ぼけていてそして仮にお兄ちゃんだと勘違いしていたとしてもその距離感は近すぎるだろ、な吉野さん
・の結果、ちょっと可哀想で可愛い状態になる菊池さん(通常運転)
・捕まってもういいか、と諦めかけたところで菊池さんを思い出してあらがう気持ちになる吉野さん
・なんと菊池さんに嫉妬までしてしまうようになる吉野さん 誰がこんなアツい展開を想像しただろうか、期待こそしていたけれど①
・が、行ける!と思いきやそこで出てくるラスボスお兄ちゃんの壁は高かった 頑張れ菊池さん
・いざという時に頼りになる強い男、顔色ひとつ変えず大の男をねじ伏せる元警官の吉野さん 受けが強いの最高です
・いつも冷静沈着で動じない(お兄ちゃん関連は除く)吉野さんが、よろめき倒れる菊池さんを目にして一瞬にして頭に血が上るさま 誰がこんなアツい展開を想像しただろうか、期待こそしていたけれど②
・終盤にある病室二連続の対比が最高です
002も山場が多く、胸が熱くなる展開も用意されており、菊池さん良かったね…としみじみしてしまいます。最高の作品です。
いつかまたこの二人の物語を拝読できる日を心から期待しています。
里つばめ先生作品の中でも、大好きな一作です。
元々の『FILES』のほうは未読でしたため、こちらの『孤独な猫は夜明けに眠る』ver. になって初めて001、002と通しで拝読しました。
なんと面白くてなんと絶妙にドキドキさせてくれる物語なのか!と夢中になってしまいました。
この何とも言えない距離感が本当に良くてですね…。
お互いにお互いのことを意識はしているけれどまだ名前のない間柄。気づけば心の中を占めている大きすぎる存在感。
そういった、関係性と距離感の中でも私が個人的に一番美味しいと感じる部分が存分に描かれている作品です。
設定は探偵事務所でのお仕事バディ物。
強引に押しかけてきた菊池さんを、最初のうちこそ邪険に扱っていた吉野さんですが、共にあれやこれやのトラブルに巻き込まれる中で少しずつ信頼が生まれていくさまが感じられます。
それこそ、独りぼっちの猫が少しずつ少しずつ心を開いて懐いていくかのように。
吉野さんのちょっとした表情や言動によって、彼の心の変化が伺えるのがたまりません。
また、吉野さんの兄を巡るサスペンス的な一面もあり、物語としてもとにかく面白いです。
里つばめ先生の台詞間の余白や細やかな表情の変化が大好きです。
何かを言おうとして、でも辞めて…、というその人間的な逡巡や葛藤に想像力を掻き立てられます。
001だけでも非常に楽しめる作品ですが、002と合わせてぜひ。
仕込み屋さんという設定、そして忍さんのヴィジュアルに惹かれて購入しました。
白めの金髪、首のタトゥー、そして表紙で着ているデニムonデニム、とても似合っています。
読み進めながら特に好ましく感じたのが、忍さんの大人な言動、社会人としての立場を維持する姿勢です。
その見た目とのギャップで彼自身の魅力を加速させることに加え、彼がそういったスタンスでいることがこの作品の大切な要素となっているように思いました。
そもそもが裏稼業的な職業設定、そのうえ物語上で絡んでいく戌峰くんが未成年かつ暴走気味ということもあって、忍さんの理性的で常識的な判断ができる側面にはとても助けられたのではと感じます。
戌峰くん、とても危なっかしいです!
未成年の前では喫煙しないなど、本当に配慮が行き届いた大人の男、忍さん。
お前には関係ない、と言われても「そーね」とだけ返すところ、良かったです。
そこで逡巡したり躊躇ったりなど一切しないのが忍さん。関係なかろうがどうだろうがそれはそれ、と自分の意思で物事を貫く揺るがなさ。カッコいいです。
戌峰くんが人口100人の池袋村で出会ったのが忍さんで本当に良かった…。
リオナ先生の『兄の親友を抱いてます。』
楽しくてカラッとしていてクスッと笑えるポイントもあって大好きです。
軽やかな読み心地ながら緻密な構成、テンポの良い展開にページをめくる手が止まりません。
そして、ただカッコいい可愛いだけではない、ちょっと癖のあるキャラクターたちがとても魅力的で良い味を出しています。
今作のちょっと癖があるキャラクターと言えば、まず伊織くん。登場時からもう既に「この人は目付きは鋭いし口も悪いけれど絶対にいい人だ…!」と確信してしまいました。
金髪ツーブロックパーマにゼブラ柄のジャケットを妙に着こなしている人に悪人なんているはずがありません(たぶん)。
伊織くん、番外編でも豹柄の開襟シャツを着ていらしたので、アニマル柄がお好きなタイプとお見受けしました。
そしてこれまたちょっと癖があるのが、皐くんのお兄ちゃんである葵くん。
常に笑顔なところも、弟大好きなところも、弟大好き過ぎて他の人には一切興味がないというか視界にすら入ってなさそうなところも、清々しいほどに狂気的で大好きです。
親友をサラッと馬の骨呼ばわりするところなど大いに楽しませていただきました。
いつか葵くんフォーカスのお話など拝読してみたい、と思わせてくれるとても魅力的なキャラクターでした。
男子高校生の眩しくてハッピーな両片思いに、読んでいる間中ずっとニコニコしてしまいました。
心もあたたかになって癒し効果抜群です。
二人がお互いに、これはもしや…??と疑いつつも核心には触れることができず、心の中ではビクビクしながらも探り探りしている時間のなんと尊いことか。
両片思いとその間の心情の描写&互いの攻防戦のさまが大好きな私にとって、読んでいて幸せしかない時間でした。久文くんと充司くんのモダモダ、一冊分まるっと読みたいくらいでした。
二人のヴィジュアルのコントラストも良いです。
黒髪に柔らかな目付き、制服をきちっと着こなして明るく爽やかな印象の久文くん。
明るい色のサラサラの髪にピアス、アレンジを加えた制服の着こなしに鋭い目付きでクールな持ち味の充司くん。
充司くんはヤンチャそうでありつつも綺麗な色気があって、それでいて男前でもあり非常にいいキャラクターです。
どこまで行っても男前な受け、最高です。
二人のさり気ない身長差、脱いだ時に伺える若干の上半身や腕周りなどの体格差もとても味わい深いです。
爽やかでキラキラとしたストーリーと共に、児島先生の描く美しい絵の数々を存分に楽しませていただきました。
この二人の話なのはわかっているけれど、いったい何がどうなってこの二人がそうなるの…?を心から楽しめる作品です。
物語中の緩急が彩り豊かで、最初から最後までずっと楽しいです。ここぞというところの見せ場の展開にも胸がギュッとしました。
表情のふとした変化や、巧みなモノローグ使いがとても良いんです。
ストーリーを追うことそのものが楽しめる、キャラクター達の立ち居振る舞いがとても魅力的な作品です。
個人的に塩野くんがツボです。
基本的な表情は変わらなくて何を考えているのかわからない系の男子かと思いきや、裏表が無くて一途でしかも走り出したら止まらない超大型重機でした。いやー可愛い。
普段は無愛想な塩野くんが不意に呟く本音や、あまり見せることのないやわらかな笑顔の破壊力と言ったら。それはもう、多古井さんが振り回されてしまうのも仕方ありません。
次作がなんと来年からスタート決定とのこと、今からとてもワクワクしています!
一筋縄では行かなそうなこの二人。またどんな展開を見せていただけるのか、心から楽しみにしています!
『囀る鳥は羽ばたかない』待ちに待った9巻の発売です。
7巻から読み返して9巻まで読み、9巻だけもう一度読み、1巻から9巻までをとおしてあらためて読み返し、そしてまた頭から9巻を読んで。
その上で、この矢代と百目鬼という二人の以前と現在のあり方について考えていたら、感想を書くまでにかなりの時間が経ってしまいました。
1巻で矢代に「ウソが下手な奴だなぁ」と言われていたのがそれこそ嘘のように、現在の百目鬼は自分自身の思いや感情を覆い隠すことに注力しているように伺えます。
もう二度と悟られるわけにはいかないから。
二度と四年前のようなことは起きてはならないから。感情を制御し決して本音を口にはしない。そんな、この四年間を経てきた百目鬼の覚悟が見えるように感じます。
でも、それだけの覚悟を決めていてもなお、矢代に「仕方なく俺の性欲処理してただけだろ」と言われて微かに顔を歪める百目鬼がまだ、こうして生きているわけです。
このシーンからは、矢代からそのように言われたことに対する、百目鬼の複雑な感情が垣間見えるように思います。
これは不快感からのこの表情ではないはずです。
この直前に百目鬼は「俺としたいんですよね」「俺じゃなきゃ気持ち良くないんですよね」と言っていて、その言葉を矢代は否定していないわけで。
そしてそこからの「仕方なく俺の〜」、「なんのメリットがある」の台詞。
これらの矢代の言葉は、裏を返せば “お前がやりたくないならやりたくない” ですよねと。
こんなふうに駄々をこねられたら、うっかり本音を口にしたくなってしまいそうです。そうじゃない、そんなはずがない、と。
むしろ矢代がこんな言い方をするのは、“そうじゃない” のひと言を欲しているからのようにさえ思えてしまいます。
でも、幾らそう思えても矢代は矢代で、もしここで百目鬼が否定などしようものならばまた取り返しのつかないことになりかねません。
百目鬼にとって、このシーンは試されているかのような心持ちだったのではないでしょうか。
そんな百目鬼の一瞬の逡巡が、あの表情に現れているように感じました。
この後に続く「酷いの好きでしたよね」「…好きだよ」のシーン。この矢代ですが、なんだか安堵が伺えるなと。
このやり取りを見てすぐさま思い出すのは、少年時代の矢代の「痛いの好きだよな」「うん」のシーンです。
百目鬼は「酷いの好きでしたよね」の台詞によって、結果として矢代の中にある変わらない安全地帯を導き出したのかなと思いました。
この言葉によって、矢代の心が矢代自身に良くも悪くも戻ってきたように感じます。
変わらなくて良い、心を揺さぶられることのない、痛いのが好きで酷いのが好きなこれまで通りの矢代の居場所。
矢代には幼いころに、これは自分が好きでそうしているのだと、痛めつけられるのも酷くされるのも自分がそうされるのが気持ち良いからだと、そうやって自分にも周りにも言い聞かせ過ごしてきた過去があると思います。
これは辛いんじゃない、痛いんじゃない、これが好きなんだ、と。
その過去が今の矢代をつくりあげて来たわけです。
それを、痛い、酷いことをされるのは辛い、と認めてしまった瞬間、必死で生きてきた少年時代の矢代から現在の矢代までの、生き様すべてが瓦解することになってしまいます。
そしてその、矢代がつくりあげてきた居場所をおびやかす存在、それこそが百目鬼だったのだと思うのです。
彼を受け入れることは、矢代にとっては自分のすべてを一度手放すということです。
それだけではなく、幼い自分自身が受けて来た虐待を、あれは辛かったのだと、痛かったのだと、虐待だったのだと認めなければいけないことでもあります。
四年前の矢代はそれを認めず、百目鬼を受け入れることはありませんでした。変わらないことを選んだわけです。
でも、今なら。今の矢代なら。
9巻では、矢代は変わらない自分自身を家畜のようだと自嘲しています。
四年前に、こんな矢代がいたでしょうか。
1巻で「俺は俺のことが結構好きだ 俺という人間をそれなりに受け入れている」とモノローグで言っていた矢代です。
自分自身を受け入れているため、変わる必要も無ければ、積み上げてきた自分をわざわざ辛い思いをしてバラバラに解体しなければならないような必要もなかったわけです。
でも、現在の矢代は違います。
前述の9巻の独白からは、変わらない自分自身への微かな苛立ちが伺えるように感じます。
矢代がこのように考えること自体が、もう既に変化の兆しなのではないでしょうか。
既に変化は始まっているのでしょう。
矢代の心の内から、徐々に。
熱量が増してきた物語と比例して自分の熱もいや増し、原稿用紙5枚分ほぼマックスという過去最高の長さのレビューとなりました。
あらためて、このような素晴らしい物語を読むことができる幸せを感じています。
次巻の刊行を心から楽しみにしています。