春は桜、黒縁メガネ男子高校生と金髪ヤンキー風味高校生が、出会う。
パッと表紙を見た限りでは、そんな、今まで接点がなかった彼らが出会い、落ちる(むろん恋に)話だと思う。
が、どこか青春ものにしては渋く、翳りを感じるマットなグレーの背景と黒髪黒縁メガネ男子の朱色の瞳に一方的な執着では済まなさそうな、きな臭く、不穏な匂いを感じ取ったところで、彼らの背負った「クソの人生」もとい宿命と、「男とか女とかすっ飛ばして どうしようもなく惹かれる」運命と、いつか終わりが来ることを彼らも私たちも知っているー青春の物語が幕を開ける。
物語のテンポは、想像以上に小気味良く、現在と過去を行き来し、彼らのヘビーな背景が提示される。が、不思議と読み手側は落ち込まない。
なぜなら、今現在、彼らが軽口を叩きあい、煽り合いながらも、2人とも同じ熱量で共にいることを切望しているのが十分に伝わってくるからだ。(この熱量があるからこそ物語後半の彼らの選択が成立するわけで、それに対して心底から反対しながらも捩じ伏せられそうになった読者は私一人だけでは無いはずだ)
それほど2人で過ごす時の彼らの表情は、高校生らしい幼さと邪気のなさと安らぎに満ちている。
しかしながら、この時間が長くは続かないことを彼らも読者も十分に感じている。それほど時折差しこまれる黒の背景に白字で書き連ねられた彼らのモノローグは切なく、みずみずしく、不憫で不穏だ。
そんな重低音が流れ続けた末に、さも当然の様に彼らが取ろうとした選択のその重さに、内心ビビリ散らしながら物語終盤を迎え、安堵のため息をつきながら、もう一度表紙を眺めると、どうして、こんなにも灰色が強く、だが、そこに重ねられた桜のピンクや春のぽっかり晴れ渡った空を思わせる水色が淡くとも綺麗なのか、ようやく気づかされる。
そうか、これは彼らが出会った、あの春の日の瞬間を、灰色の世界が急速に極彩色になって行く刹那を描いたものなのだと。
そして、よくよく眺めないと気付かないほど存在感の薄まった拳銃(死)の意味に気づく。死なんぞどうでもいい。そう言わんばかりに魅入られたように見つめ合う彼らのー鉄太と迅太の、この出逢いの偉大さと、彼らが懸命につかむであろう真っ当な幸福が少しでも長く続くように。
そう祈らずにはいられない物語だった。
彼らの聡明な友人や作中唯一、真っ当な大人だったおばちゃん先生、危うくも放っておけない弟など、出てくる登場人物みんなが印象深く、とても魅力的だった。