riceplant
so deep is the night
※閲覧注意※
ネタバレが苦手な方はご注意ください。
『ナイトガーデン』本編後の話。
和章視点。
和章は影が嫌いだった。
薄い闇は己の怠惰や嫉妬や憎悪がしみこんでいる気がするからだ。
決して自分から離れない影は、自分の『悪いこと』をすべて知っている気がして怖かった。
整は昔、ある漫画(影を影武者にして使役するうちに主従が入れ替わるという物語)を怖がっていて、その対処法(隠すor捨てる)をめぐり価値観がすれ違った。
整の恋人(一顕)は、それをすんなりと受け止められるのだろう考えると胸がすこし痛むけれど、整がいま幸せなのだろうと思うと大きく安堵してとても嬉しい。
柊との間でもすれ違いはある。でも整のときのように隔てられた感覚はなくて、むしろくすぐったくて心地の良い気分にさせられる。
新しい家の寝室には大きな窓があった。
月が巨大に輝く夜、ブラインドを閉めずに柊を抱く。
月明かりに照らされた柊を『きれいだ』と思い
今まで感じたことのない様々な感覚を覚える。
柊によってもたらされる新しい種から咲く美しい花たち。
体を繋ぐ間、緑の瞳はおそれや興奮やもどかしさを次々と映し出して輝き、言葉がないのに雄弁に「愛している」と伝えてくれるから甘い陶酔に誘われ溶けていく。
シーツや壁に映るふたつの影も、生身の肉体では決して交われない部分までひとつに溶けて交歓を分けあっている。
その影を見て、自分の影と柊の影が重なりあいひとつの影となるならば、
もう影は怖くはない、と和章は思った。
眠る前に他愛もないことをぽつりぽつりと話す。
朝その会話を照合すると、どこで会話が途切れたのかいつも意見が食い違う。
以前の自分ならば曖昧やあやふやは嫌いで受け入れ難かったに違いないのに、柊とふたりで交わしたぼんやりとした柔らかな会話を愛している。
柊は『光』だ。石蕗先生の言葉通り、和章が長く闇の中にいたからこそ光はより鮮烈で美しく感じられるのだろう。
何気ない、けれどまぶしく輝く日々の幸せを謳った掌編。
ふたりで過ごす、甘い日々がたまらなく愛しい。
『ナイトガーデン』書き下ろしペーパー。
本編の後半『ブライトガーデン』で、山を出て一緒に暮らす未来が示されていた。
そんな二人の新しい家の寝室には大きな窓があり、
そこに頭を向ける形でベッドが置いてある、
月光の冴えた晩、周囲に高い建物がないのを幸い、ガラスに夜を透かして交わる。
シーツにうごめく影、白い壁に滲む影。
影を巡る、幼い日の思い出。
そこには幼馴染みの姿があり、今その彼を受け止めてくれる人のいる安堵がある。
そして、ここには柊がいる。
……そんな和章の心と、抱き合った後の柔らかな時間。
萌えで評価するのが躊躇われるような、ジンワリした一編です。
※タイトルの『so deep is the night 』は……
フィギュアの浅田真央ちゃんのエキシビション曲として有名になった曲。
原曲は日本では『別れの曲』の名で有名なショパンのエチュードだが、
それに歌詞をつけたカバーバージョンのタイトル。
Chopin: Etude in E major, Op.10 No. 3『Tristesse (Sadness/悲しみ)』