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第4回 BL小説アワード「再会」

はじめてのひと

エロあり/童貞攻め

前田の頭には、いつの間にか立派な耳が生えていた。猫耳にしては大きい。

もむ
グッジョブ

「スノボ、一緒に行くって言ってただろ?!」
 つい大声を出してしまった。
 間髪入れず、隣人に壁を殴られる。
 しまったと思った隙に、通話終了を告げる短い電子音が鳴った。
「……、最悪」
 電話の相手も、そんな相手との約束にぬか喜びしていた自分も。
 ――こういうやつだって、わかってたのに。
 携帯をベッドに放り投げ、自分もうつ伏せに倒れこむ。硬めのマットがギギッと嫌な音を立てた。
 荻原柊生(おぎわらしゅう)は、窓とベッドの間に立てかけられた新品のスノーボード板を恨めしく見上げた。大学最後の春休み、スキー旅行に行こうと誘われて奮発したものだ。約束を反故にされた今となっては、新しく買ったのが馬鹿みたいだ。
 付き合っていると言っていいのかわからないまま、ずるずる関係が続いて一年。柊生が何人もいる相手のひとりだと知ったのは、数か月前のことだ。
 最近は、自然消滅を狙っているのを肌で感じる。それでも、旅行に誘われれば心が躍った。
 だけど、もうやめた。
 もう疲れた。
 予約した旅館をキャンセルしなければと思った途端、急に冷静になった。
「もう知らねぇ」
 溜息をつき、仰向けに寝返りをうつ。
 春休みの旅行がなくなってしまったが、あんなやつと行かずに済んで良かった。そう思い直せば、少しは気分がましになる。
 早くキャンセルを済ませてしまいたい。確か、予約した旅館のメモをサイドボードに置いていたはずだ。
 サイドボードには、電気やガスの請求書とDMがぐちゃぐちゃに入り交ざり、封筒が山のように積み上がっている。そろそろ整理しようと思いつつ、ついここに溜めてしまう。
 がさっと山を崩したとき、一枚の封筒が目についた。
 確か、小学校の同級生から来た手紙だ。届いたことをすっかり忘れていた。
「そうそう、前田」
 差出人の名前は、微かに覚えがある程度だ。一学年二クラスの小学校で、前田は隣のクラスだった。思い出そうにも、顔が出てこない。卒業アルバムで前田の顔を確認したかったが、あいにく埼玉の実家に置いてある。
 元々は、実家に届いた手紙だ。
 律儀に返信用の葉書まで同封されていたので、てっきり同窓会の誘いだろうと思ったら、故郷の古野で民宿を開くという宣伝だった。オープン前なら、昔のよしみでタダで泊まらせてくれるらしい。いまどきパソコンも使わずに汚い字で、地図まで手書きだった。
 わざわざ返事をするのも億劫で、かといって葉書を捨てるような思い切りも持てず、そのまま置きっぱなしにしていた。
 封筒から手紙を取り出してみる。
 民宿ふる乃。
 古野だからふるの。なんとも安直だ。
 ネットで検索してみたが、何も引っかからない。まだオープン前だからだろうか。
 春休みに予定していた唯一の旅行がなくなった今、ひとりで生まれ故郷を見るのも悪くないと思えた。
 小学校の卒業を機に家族と埼玉に引っ越したせいで、しばらく戻っていない。
 それに、ここにはスキー場も温泉もある。前田を誘えば付き合ってくれるだろう。
「おっし」
 弾みをつけてベッドから起き上がる。他の郵便物を押しのけてスペースを空けてから、ボールペンを取りに行った。

 新宿から高速バスで三時間半、特急からさらに路線バスに乗り継いで、合計六時間半。
 スノーボードケースをぶつけないように身を屈めてバスから降りた途端、硫黄の匂いが鼻についた。顔をあげると、坂の上から湯気が立ちのぼっているのが見えた。
 懐かしい、温泉の匂いだ。
 まだ道に雪が残っているほど寒いのに、温泉巡りらしき観光客がほかほかした顔でソフトクリームを食べている。自分と同じように、ケースを背負っている観光客もいた。
 古野は、山の裾野に広がる一帯を指す。柊生の住んでいた場所も古野だが、こことは離れた集落の中だ。前田が民宿を開くのは、集落の方だという。
 観光地に構えた方がいいと思うが、敢えてそんな場所を選んだのかもしれない。最近は古民家に泊まるのがブームだと耳にしたことがある。
 それにしても、と吐く息は白い。
 民宿の電話番号はおろか、携帯すら教えてくれないとは一体どういうことなのか。
 前田には、自分の行きたい日程とあわせて、電話番号とSNSのIDを教えてほしいと書いて送った。もちろん、自分の連絡先もそえた。
 ところが携帯に連絡は入らず、待ち合わせ場所と時間が書かれた一枚の葉書が届いただけだった。もう一度連絡先を教えてくれと葉書で尋ねるのも面倒で、結局諦めた。
 待ち合わせは、観光地の中心から少し外れた場所だった。小学生の頃よく通った道を歩いてみたら、意外と覚えていて驚いた。見覚えのある家が昔と変わりなく建ち並んでいるかと思えば、突如真新しいコンビニが出てきたりする。確かな時間の流れを感じた。
 十分ほど歩いたところで家々が途切れ、小さな水路の前に出た。温泉が混ざっているのか、水の中に湯の花が踊っている。
 水路には、小さな橋がかかっている。前田から届いた葉書を取り出して、場所を確認した。
 待ち合わせはどうやらここだ。
 まだ、前田らしき人物はいない。あたりを見回してから正面に向き直ると、いつの間にやってきたのか、ひとりの少年が橋の反対側に立っていた。
 小学生……いや、中学生かもしれない。
 手足のすらっとした、色の白い美少年がこちらをじっと見ている。髪の色素も薄いので一見すると外国人に見えるが、顔は日本人だ。
「わ……」
 思わず口が開いた。
 現実離れした容姿に柊生が呆けていると、少年は踵を返して道の向こう側へ駆けていき、やがて見えなくなってしまった。
 ――ハーフかな。
 凡庸な見た目で黒髪、夏の日焼けが未だにうっすら残る自分とは対極だ。よく流行りの若手俳優に似ていると言われるが、ひとによって言われる名前がまばらなので信用できない。
 旅行の約束を破ったあいつも、最初は俳優のナントカに似ている、なんて声をかけてきた。もう誰の名前を言われたかも覚えていない。
 嫌なことを思い出してしまった。
 携帯で確認すると、待ち合わせの時間までまだ早い。荷物を下ろして、道路脇の段差に腰掛けた。待ってましたと言わんばかりに、一匹の野良猫が柊生の膝に乗ってくる。少し驚いたが、動物は嫌いではない。むしろ好きだ。
「お前が前田かぁ~?」
 猫の額を撫でると後ろ足で立ち上がり、柊生の肩に前足を置いてもっともっとと強請ってくる。思う存分撫でてやると満足したのか喉を鳴らして丸くなってしまったので、そのまま暖を提供してやった。
 しばらく左手で猫の体を撫でながら携帯をいじっていると、猫が不意に耳を立てた。小さな体が緊張したように強張っている。
 ばり、と服を引っ掻く嫌な音がした。
 同時に、思い切り蹴られたような衝撃を太腿に受ける。
 猫が何かに弾かれたように、柊生の膝から駆け出していった。
「いって! お前~っ……!」
 爪を立てられた太腿を手で抑えながら腰を浮かせる。鈍い痛みが響いているが、血が出た様子はない。服に少し土がついた程度で済んで、ほっと息をつく。
「柊生」
 突然、頭上からか細い声がした。
「え?」
 覚えのない声色で急に呼び捨てにされ、心臓が跳ねる。
 中腰のまま後ろに顔を向けると、グレーのコートを着た見たことのない男が立っていた。
 ――でかい。
「柊生!」
「わ、ちょっと何、……、うわっ!」
 男は柊生の腕を引くと正面を向かせ、今度は肩をがっしりと掴んだ。
「久しぶり! 元気だった?」
「えっ……、あの、誰……」
「前田だよ」
「…………。は~っ?!」
 百八十センチはありそうな男の顔を至近距離で見上げる。
 前田の顔は覚えていないが、前田とは思えなかった。
 綺麗に脱色された、薄い灰茶色の髪。切れ長の目をした細面の顔。
 かっこいい、なんて俗っぽい言葉は似合わない。日本画に描かれていそうな顔の造形はどこか中性的だが、自分の肩を掴む手はがっしりした男の手だ。
 やはり、見覚えがない。
 下の名前で呼ばれるほど仲が良かった覚えもない。
「まじで?」
 そう聞くのがやっとだった。
「うん、前田です」
「お前、めちゃくちゃ変わったなぁ」
「そうかな」
「いやまじで」
「柊生はあまり変わってないね。すぐわかったよ。どんぐりみたいな目、昔と一緒だ」
「どんぐりって……」
 確かに、小さい頃は祖父母から団栗眼だとよく言われた。十年ぶりに聞いた例えに苦笑する。
 前田は柊生の顔をまじまじと見つめ、久しぶりの再会にいたく感激している様子だ。ぱあっと開いた口から八重歯が見えた。
「会いたかった」
「うぅわっ!」
 今度は強い力で抱きしめられる。鼻から空気が抜けて、鼻水が出そうになった。
「おぉおちょっと待て」
 ここまで熱烈な歓迎を受けるとは思っていなかった。
 半分笑いながら後ろに仰け反ると、前田は背中を屈めてぴったりくっついてくる。自分より大きな男を受け止めるような格好になってしまい、どうにか踏ん張る。
「倒れるっ、まじで倒れるからっ!」
 スンスンと鼻を鳴らす音が耳を擽る。突然、首筋に冷たいものが触れた。
 前田の鼻先だ。
「っ!」
 匂いを嗅がれたと思った瞬間、前田を突っぱねていた。首筋を手でさすると、鳥肌が立っている。
「お前、ちょっとやりすぎ」
「ねこ」
 そこまでやると笑えねぇから、と続けようとして、予想外の単語に遮られた。
「……え?」
「柊生、猫の匂いがするね」
「あ……、あぁ、さっき触ったから」
 唐突に言われ、思わず正直に返答する。
 前田は困ったように眉毛を下げて、顎に手をあてた。
「なに。もしかして俺、なんか臭った?」
 気付かない間に、猫の尿でもかけられただろうか。
 コートの襟元を引っ張り、自分で服の匂いを嗅いでみる。寒さで鼻がうまく利かない。三月中旬の昼下がりとはいえ、雪が溶けずに残る程度に寒いのだ。
 汗なら少しかいているが、自分では匂いがわからなかった。
「……あ。ひょっとして、猫アレルギー?」
 前田の鼻がヒクッと動く。
「鼻で返事すんなよ。笑うだろ」
「ごめん。猫、苦手で……」
「そうなの? やべぇ、べたべた触っちゃったよ」
 前田がさっきから妙に鼻をむずむずさせているのは、そのせいだろう。アレルギーがどれだけ敏感かは、よくわかる。柊生自身も、花粉のついた上着が同じ空間にあるだけでくしゃみが出る。このまま宿に入るのは申し訳ない。
「俺、先に温泉入っていこうかな。前田は先に戻ってていいよ。あとで民宿行くから、携帯の番号教えてくれる?」
「俺も一緒に行くよ」
「いいって。いきなり風呂に付き合わすの悪いしさ。それにお前、手ぶらじゃん」
「あぁっ」
 古野温泉には、誰でもふらっと入れる外湯が点在する。地元の住民が管理する無人の小さな温泉で、洗い場すらないところがほとんどだ。かけ湯で体を流し、温泉に浸かるだけ。柊生がよく使っていた頃、タオルや石鹸といった備品は置いていなかった。前田の反応から察するに、きっと今でもそうなのだろう。
 自分は荷物にフェイスタオルを二枚ほど突っ込んであるので問題ない。
「いいから携帯教えて。つか、葉書に書いたのになんで連絡くれねーの?」
 がっくりしている前田の肩を携帯で小突く。
 前田はゆっくり顔をあげると、柔らかく揺れる前髪の隙間から柊生を見た。
「持ってない」
「なんで。修理中?」
「本当に持ってない」
「……まじで言ってる?」
 こくんと頷く前田に嘘をついている様子はない。
 気を取り直して「じゃあ民宿の番号は」と尋ねると、それもないという。
 唖然とした。
 春から民宿をオープンさせようというやつが、電話すら置いていないなんてことがあるだろうか。一体どうやって予約を取るつもりだ。
 他人ごとながら、一抹の不安が胸をよぎる。
 結局、別行動よりいいだろうと、前田と一緒に温泉に入ることになった。タオルはひとつ貸しだ。

 外湯には、賽銭箱が置いてある。地元民は無料、観光客の方はお気持ち程度に、というわけだ。前田に案内された外湯も、古びた賽銭箱が置いてあった。
「こんなとこにも外湯あったんだ」
 賽銭箱に百円玉を落としながら、中を見回す。
 脱衣所と湯船の間に仕切りがない、一体型のこじんまりとした外湯だ。先客はいない。心地よい湿気が木材と湯の香りを孕んでいる。
「穴場なんだって。近所のおばさんが教えてくれた」
「おばさん?」
「うん。すごくお世話になってて、いろいろ教えてくれる。柊生も知ってるひとだよ。柊生が狐を追いかけて自転車で田んぼに突っ込んだとき、手当てしてくれた」
「そんなことありましたっけ」
 小学四年生の頃の話だ。荷物を置きながらシラを切った。
「あったよ。お風呂貸してくれて、その間にパンツも洗ってくれたでしょ」
「な、なんでそんなことまで覚えてんだよ」
 おばさんから直接聞いたに違いない。狐のことまで言われて、急に懐かしくなった。
 四年生になったばかりの春、柊生は親とはぐれた子狐を保護してリクと名付けた。田んぼに落ちたのは、予想外の方向に駆けていったリクを追いかけようとしてバランスを崩したからだ。
 食べるときも寝るときも一緒で、絶対に離れることはないと思っていたけれど、引っ越しによってあっさり終わりを告げた。今でもたまに、リクが恋しくなる。
 感傷に浸りつつふと隣に目をやると、前田はすでに裸になっている。
 柊生はまだ荷物を置いてコートを脱いだだけだ。棚を見ると、前田の脱いだ服はきちんとたたんである。
 さすが、民宿を始めるという男は違う。
 柊生も、服を脱いでから恥ずかしくない程度に服をたたんだ。バッグからタオルを二枚引っ張りだし、一枚を前田の服にかぶせる。どうせ湯船に入れば取るのだが、もう一枚は自分の股間にあてた。
「前田~、タオル置いとくぞ」
 返事がない。
 振り向くと、前田は屈んで湯船に指先を突っ込み、温度を窺っていた。桶を使えよ、と思いつつ名前を呼ぶ。
「前田」
「あっ、何?」
「タオル、棚に置いとくから……」
 前田の体を正面から捉えた途端、語尾が消えた。
 天窓から入る陽の光と照明を受けて、裸体がくっきり見える。
 着痩せするたちなのか、細面の顔からは意外なほどしなやかな筋肉がついている。
 しかし何より、柊生が目を奪われたのは右足だった。
 ふくらはぎからくるぶしの後ろまで、いびつな白い線が通っている。
 大きな傷痕だった。
 肉が引き攣れたような光沢を持ち、古い傷のようだが今でも怪我の酷さを物語る。
 だからといって、奇異の目を向けるつもりはなかった。自分にも、こどもの頃に作った傷が残っている。
 ただ驚いて、凝視してしまったのだ。
「あ……」
 視線の先に気付いた前田が、気まずそうな声を出す。何事もなかったふりをするには間を空けすぎた。
「ごめん」
 咄嗟に謝っていた。
 しかし、謝ったことで余計に困らせたようだ。前田が傷痕を撫でながら情けない顔で笑った。
「これ、目立つよね。ちょっと気持ち悪いかな」
「いやっ、あの、……ほんとごめん! そんなつもりで見たんじゃなくて」
 慌てて首を左右に振り、狼狽する。股間にあてていたタオルが落ちてしまった。わざわざ股間を隠し直すのもおかしな気がして、拾うタイミングを見失う。
「俺も、そういう傷あるし。脱いだら別の意味でびっくりされるの慣れてるっつーか」
 ひたひたと前田の側まで歩み寄る。タイルに膝をついて、うなじの髪をあげて見せた。
 前田が、はっと息を飲むのがわかった。
 柊生には、耳朶の後ろから肩まで、十五センチ近い傷がある。幼いころ、沢に落ちたときにできた傷だ。傷は浅かったが、切り方が悪かったようで痕が残った。
 傷自体は、柊生自身に見えない場所ということもあってさほど気にしていない。
 それでも、いちいち聞かれるのは面倒だ。いつからか、服で隠せないうなじを髪で覆うようになった。
「柊生にも傷、あったんだ」
「うん。これでおあいこ。な?」
「おあいこ……」
 前田が小さく繰り返し、うなじの近くでスンスンと鼻を鳴らす。
 ――あ。
 刹那、記憶が甦る。
 電気のスイッチを入れたとき、パチッと明かりが点滅するような一瞬の感覚。
 だが、何故懐かしくなったのか記憶と結びつかない。微かな感覚はすぐ靄となって掻き消え、あっという間に遠ざかった。
 首筋に薄くかかった吐息に、表皮が微かにざわめく。
 不意に触れられるような気配を感じて、首筋を手で塞いだ。振り向くと、真っ直ぐに前田と視線がぶつかる。
 頬の薄い産毛が見えるほど、距離が近い。
 ごくりと音を立てて唾液を飲みこんだのは、自分だった。
「ふ……、風呂、早く入っちゃおう」
 視線を逸らし、側にあった桶を手に取る。
 古野の外湯は、相変わらず熱い。
 肩から一気に湯をかけたら、猫に引っかかれた場所が滲みた。

 温泉からあがったあと、コートについていた猫の毛を払い、着替えに持っていた新しいニットを着た。
 それから、一時間で歩けるから車には乗らないという前田をどうにかタクシーに押し込み、民宿ふる乃に向かった。
 ふる乃があるのは集落の最奥、坂道の一番上だ。坂道を上って右手が民宿、真っ直ぐ行けば神社の階段に通じる。
 雪かきされていない道路脇を見ると、三十センチ以上は積もっている。これでも溶けた方だろう。明日も天気が良ければ、絶好のゲレンデ日和だ。
 しかし、と隣の前田を盗み見て小さく溜息をつく。
 一緒に滑らないかと誘ってみたら、歯切れが悪い返事だった。スノーボードの話を出してもぴんと来ない様子で、今はまったく滑らないという。足の怪我を見てしまったこともあって、食い下がるのは気が引けた。
 板やブーツ、ウェア一式を入れた合計七キロのケースが重く感じる。靴に踏まれた雪がギュッギュッと音を立てた。
「もしかしてお前、車なかったりする?」
 ふと湧きでた疑問をぶつけてみる。
 さっき、タクシー運転手がドアを開ける前に飛び出していったぐらいだ。歩いていくと言い張ったこともあって、車が苦手なように見えた。
「ないよ」
「免許は……」
「それもない」
「えっ、どうすんの?!」
「どうって、別に平気。俺は遠くまで行かないから」
「だけど、買い物とか不便なんじゃねぇの」
「そんなことないよ。今あるもので十分」
「まさか、電気もガスも通ってなかったりして」
 冗談で言ったのに、前田はあっさり頷く。
「それ、自然派すぎない……?」
 唖然として立ち止まった柊生を前田が不思議そうに振り向く。
「ランプもストーブもあるし、火は囲炉裏で起こせる」
「あぁ~そういうコンセプトね。けどさ、サイトぐらい作っとけよ。俺、ちゃんとお前に会えるかすげぇ不安だったんだぞ。携帯ないし」
「大丈夫。ちゃんと会えたから」
 前田がニッと笑うと、大きな八重歯が覗く。
 細い目に薄い唇、白い肌。顔の造形だけをとってみればどこか神秘的な冷たさがあるのに、前田はその表情のおかげで柔らかい雰囲気を纏っている。
 出会って急に匂いを嗅がれたときは変なやつだと思ったが、きっと悪いやつではない。
「そうだ。俺んち寄ってもいい?」
 ふる乃に続く坂道の手前を左に曲がれば、柊生の生まれ育った家がある。祖父母の死をきっかけに引っ越したので今は誰も住んでいないが、取り壊したという話は聞いていない。
「柊生の家、見に行くの?」
「ここまで来たら行くだろ、そりゃ」
 前田の表情がふっと暗くなった。そんな顔をされると余計気になる。
 歩みが遅くなった前田を追い抜き、懐かしい道を進んだ。
「あっ……」
 こぼれた声が白い靄に変わる。
 懐かしい我が家は、確かにそこにあった。
 半分が崩れ落ち、雪に埋もれた姿で。
 折れた柱が雪の中から飛び出ている。きっと家の中もめちゃくちゃだ。狐のリクと並んで昼寝した縁側もまっさらな雪に覆われ、かろうじて原型を留める屋根からは太い氷柱が何本も垂れ下がっている。
「柊生が引っ越した年の冬に崩れちゃったんだ。大雪の日があって、雪かきできなくて」
 追い付いてきた前田がそう教えてくれた。
 誰かが住んで手入れしていれば、崩れずに済んだかもしれない。
「……やっぱり、ひとがいないと駄目になるんだな」
 ぽつ、と口から出た。
「だめになる?」
 前田が首を捻り、こちらを見る。柊生は崩れた家をぼんやり見ながら続けた。
「こういうのってさ、ひとが離れたら駄目になるって言うだろ。どうしようもないけど」
 言いながら、思考の隅にひとりの男がちらつく。
 会わなくなって――会えなくなって、駄目になった。
 自然消滅。
 ふたりの影が長く伸びる。しばらく、夕焼けに染まる家の残骸を眺めていた。

 ふる乃は、囲炉裏のある大きな居間と、八畳の和室がある古民家だった。近所の手を借りながら、少しずつ手入れしたのだと前田が話してくれた。
 夕食は、囲炉裏で作った鶏の水炊きをご馳走になった。釜戸で炊いたほかほかの白米に、古野名物の漬物が数種類。玉子焼きは、柊生が好きな甘めの味付けだった。
 シンプルなのに、どれも美味しい。前田が言ったとおり、ガスがなくてもどうにかなった。
「柊生、日本酒飲める?」
 夕食後、前田は熱燗を載せた盆を持って土間から戻ってきた。
「いいね。飲む飲む」
 酔うのは早いが、酒はそれなりに飲める方だと自負している。お猪口を受け取り、酒を注いでもらった。お猪口から淡く湯気が立つ。早速口をつけた。
 ツンときたあとで、鼻腔に甘い香りが残る。
「くぁ~っ、きたぁ……」
 ぷはっと息を吐き出すと、前田が小さく笑んだ。おやじくさいと思われたのかもしれない。
 前田は反対側に座ると、火かき棒で囲炉裏の火をつついた。ぱちんと弾ける音がして、火の粉が微かに舞う。それを見ながら、再びお猪口に口をつけた。
 囲炉裏とランプの明かりは優しく、暖かな光の中でふたりの影が揺らめく。壁掛け時計もないこの部屋では、時間の流れが穏やかだ。
 柊生の背後には石油ストーブが置かれている。反対側にいる前田は、寒くないのだろうか。よく見ると靴下も履いていない素足のままだ。
「そっち、寒いだろ。こっち来れば」
「ちょっと待って」
 隣に来るよう手を招くと、前田が隣の和室に消えた。ごそごそと音がすると思ったら、毛布を一枚抱えて戻ってきた。
「はい、どうぞ」
 前田は毛布を広げて、柊生の肩にふわりとかけた。
 後ろから回ってきた大きな手に、心臓が僅かに跳ねる。寒いのは俺じゃなくて、と突っ込めなくなってしまった。
「あ……、ありがと」
 毛布を体に引き寄せると、畳の匂いがする。隣に座った前田が「どういたしまして」と微笑んだ。前田は自分のお猪口に口をつけるでもなく、手の中でただ酒の水面を揺らしている。
 間近で、柔からそうな髪の毛がふわっと揺れた。
 ……脳の一部がちりつく。
 また、何か思い出しそうになった。
 じっと見ていると、それに気付いた前田と視線がぶつかる。
「なんだっけ……。お前、なんかに似てるんだよなぁ~」
 よく見ると、前田は睫毛まで色素が薄い。どうなっているのかと目を覗き込んだとき、艶やかな鳶色の瞳と灰茶色の毛が記憶の中で像を結んだ。
「……あっ。リク!」
「はいっ?!」
 前田の手から滑り落ちたお猪口が鈍い音を立てて転がる。溢れた酒が畳の上に広がった。
 立ち上がろうとした前田の腕を掴んで再び座らせ、両手で顔を挟んで無理やりこちらを向かせる。
「前田って、リクに似てるんだ。やっとスッキリしたわ」
「えっ、えっ……」
 黒い瞳孔がきゅうっと縮まる。瞳が忙しなく揺れた。
「そういや、リクも猫苦手だったな。ちーっちゃい子猫相手に、キュウキュウ鳴いて俺の後ろに隠れてさ……。ただでさえ尻尾がぶっといのに、尻尾膨らませちゃってさぁ」
「そこまで膨らまない」
 何故か前田が拗ねるように唇を突き出した。
「可愛かったなぁ、あれ……」
 魅惑の尻尾をうっとりと思い出す。もし生きているのなら、まだこのあたりにいるだろうか。
「……そういえば、引っ越すときはどうしたの。その、リクって」
「親に言われて置き去り」
 前田の瞳が、どうしてと尋ねていた。ぱっと手を離し、顔を解放してやる。
「まだガキだったから。俺はてっきり連れていけるもんだと思ってたら、引っ越す前にいきなり置いていきなさい! だもんな。引っ越す前日の夜にだよ」
 ぜんじつ、と繰り返して前田の肩を叩く。少し酔いが回ってきた。
「マンションだから、犬とは違うから、挙句の果てに病気を持ってるかもしれないからなんて言われて。ありえないだろ? 自分たちだってリクのこと撫で回してたくせにさ……」
 今なら、諦めさせるための詭弁だと少しはわかる。
 しかしだからこそ、そんなことを言ってほしくなかった。
「そんで、寝てたリク抱えて裏山に逃亡。うろうろしてたら、沢に落ちてこの怪我だよ」
 話しながら、うなじに手をやる。
 とっくに成獣になっていたリクは、まだ十二歳の腕には重かった。それでも、離すことができなかった。わがままを言えばどうにかなるのではないかという気持ちと、もしかしたら本当に最後かもしれないという諦めと。
 雪の残る山の中では、リクの体が温かかった。抱きしめている間ずっと、リクが心配そうに耳元で鼻を鳴らしていたことを思い出す。
 そうだ。
 リクには癖があった。
 自分が不安なときや嬉しいとき、柊生が悲しんでいるとき、柊生の耳元で匂いを嗅ぎ、鼻を鳴らす。
「……そのあとは」
 ぼんやりしていると、前田が続きを促した。
「あぁ……、そのときリクも後ろ足に怪我したんだよな。結構血が出てて、もう完全にパニックになっちゃって。家まで助けを呼びに走ったらそのまま拉致られて、引っ越しの車ん中だった」
「俺もその車、見てた……」
「え? なんだ、前田もお見送りしてくれてたんだ」
 お猪口に残っていた酒を一気に煽り、ふっと短く息をつく。
「俺さ、本当はここに来る予定なかったんだ。別のやつと旅行することになってて、前田からもらった手紙のことすっかり忘れてた。……けど、相手にやっぱ行かないって言われて、こっちに来たんだよ」
 前田は黙って柊生の話を聞いている。酒のせいか、話すつもりもなかった言葉が溢れてくる。
「遊ばれてるって薄々わかってたけど、多分そいつのこと好きだった」
 無意識に選んだ言葉は過去形だった。
 そのことに、自分でほっとする。 
「でも、前田と話してたら気が紛れたよ。泊まりに行くって返事、もっと早く出しとけば良かったな。ごめん」
「柊生は……悪くないよ」
 掠れた声で言われる。右肩に重力がかかった。
 真正面を向いたまま、柊生は静かに焦った。
 横を見なくてもわかる。肩に前田の顎が載っているのだ。
 しかも、だんだん重くなってくる。柊生が反対側に重心をずらすと、前田もそのぶんついてくる。しまいには、肩口に顔を埋めてきた。
「柊生」
 ざらついた舌が、べろっと耳朶を舐めた。熱い吐息がかかり、肩が震える。
「う、うわっ」
 疑いが確信に変わる。
 間違いない。前田も男がいける口だ。そしてどうやら、今は柊生がその的になっている。
 柊生が混乱している間にも、舌が首筋から下に移動していく。性急な動きに戸惑い、前田の頭を引き剥がそうとした。
「ちょっとっ、待てって! ま……、え?」
 指に柔らかな毛が触れた。髪の毛とは違う、獣の毛のような感触に違和感を覚える。
 前田の額をどうにか押し上げ、頭についているそれを見た。
「…………何してんの、お前」
 正しく言えば、何を着けているのか、だ。
 前田の頭には、いつの間にか立派な耳が生えていた。猫耳にしては大きい。
 すっと酔いが覚めた。
 いくらいたずらでも、耳をつけていいタイミングとそうじゃないときがあるだろう。
 怪訝な目を向けられていると気付いたのか、前田が「はっ」と声を出して目を見開いた。一体どういう仕組みなのか、耳がシュンと下に垂れる。耳を掴んでみると、指にじんわり体温が伝わってきた。
 おまけに、内側まで毛がふさふさだ。
 冬毛かな――などと考えている場合ではない。
「い、痛っ、痛い」
「何これ。すげえリアル」
「柊生、痛いって!」
 いたずらにしては手が込んでいる。耳の付け根がどうなっているのか見ようとしたら、一瞬の隙をついて前田が逃げ出した。
「あっ、おい」
 逃げた先を視線で追いかける。
 前田は大きな体躯を折りたたむようにして蹲り、不安げな顔でこちらを見上げている。立派な尻尾をふさふさ揺らしながら、か細い声が「本物だよ」と訴えた。

「で、自分がそのリクだと」
 前田――もといリクは、やっとわかってくれたかという顔で何度も頷き、柊生の胸元に額を擦りつけてくる。その強さに小さく呻き、後ろに手をついて体を支えた。
 あぐらをかいた柊生の膝には、リクが向かいあうように載っている。人型をしているぶん、大型犬を抱くよりきつい。
 正体がばれたせいで開き直ったのか、何度引き剥がしても飛びついてくる。結局、柊生の方が折れた。
 耳をもぎ取ろうとした柊生の目の前で、リクが本物の狐に戻ってみせたのが数分前。再び人間の姿になるところまで目にしたが、正直まだ信じられない。まさに、狐につままれている。
 ふと、近所のおばさんは知っているのだろうかと心配になった。
「柊生と久しぶりに会ったら、大きくなっててびっくりしたよ」
「そういう前田……じゃなくて、リクもでかくなって……」
「そうそう、待ち合わせのとき、うっかりこどもの姿で行っちゃったから焦ったよ。そしたら柊生はおとなになってるし。慌てて俺もおとなに戻した」
「こども?」
 昼間見た美少年が脳裏をよぎる。
「あれ、お前だったのかよ! つか、年齢も好きに変えられんの? 俺に化けたりとかできる?」
「別人にはなれないよ。俺は俺、この顔だけ」
「へ~」
 便利なような、不便なような。超自然的な力が働いているわりに、制限があるようだ。
「俺んち来たときは、普通の狐だったよな」
「うん。こういう風になったのは柊生と別れたあと。足に怪我して弱ってたら、山が助けてくれた」
「山」
 呆けた口調で繰り返す。これ以上聞いても理解できそうにないので、話を変えた。
「それで、本物の前田は? まさかお前……」
「知らない。村から引っ越した人間の中から、柊生と面識なさそうな名前借りた」
 深読みしそうになった柊生に、リクはあっさり答える。
「そんな適当な」
「でも、わからなかったでしょ」
 胸を張ってみせるリクに半ば呆れる。
 思い返してみれば、不審な点はいくつもあった。まさか、前田ではないとは思いもしなかったが。
 となると、他の疑問が残る。
 なぜ、前田の名前を騙ってまで手の込んだ招待をしたのか。変化が解けかかったのは、うっかり油断したかららしい。つまり、ばれなければ最後まで前田を演じきる予定だった。
「なんでわざわざこんな……民宿だって、本当にやるわけじゃないんだろ」
 そう尋ねると、リクは微かに眉間に皺を寄せた。
「会いたかったんだ、柊生に。捨てられた理由を、柊生に会って直接聞きたかった」
 リクの手が背中に回る。互いの胸がくっつき、鼓動が伝わってきた。
「でも、俺は柊生に捨てられたわけじゃない。それがわかって良かった」
 結果的に捨てたことには違いないのに、リクはそう言って笑ってくれた。
 リクは、ずっとここで待っていたのだ。
 不器用な人間の姿で、柊生に会うためだけに。
 誰かから、こんなに真っ直ぐに思われたのは初めてだ。
「リク……」
 ぺろ、と頬を舐められる。
 耳朶、首筋。熱い舌先がゆっくり移動していく。
 リクは柊生の傷痕を優しく食むように含むと、口の中でしゃぶるようにじっとりと舐めた。
「っひ」
 全身の肌が粟立つ。身体が大きく震えた。きつく抱きしめられて、どこにも逃げ場がない。
「お、おいっ、リク……、ッ!」
 柊生が狼狽えていると、毛布の上に押し倒された。顔の真横にリクが手をつく。
「……っ、柊生……」
 柊生を見つめる瞳がうっすら濡れている。一度は引っ込んだ獣の耳が、髪の毛の間からぴょこんと飛び出した。左右に揺れる尻尾が柊生の太腿を何度も撫でていく。
 下半身に目をやると、リクの股間は服の上からでもわかるほど昂っていた。
「うわ」
「柊生……。どうしよう、苦しい……」
「えっと……。お前、なんでこんな勃ってんの」
「柊生のこと大好きって思ったら……」
 思わず目を横に背ける。
 どうしろというのだ。
 リクは肩を上下させ、浅い呼吸を繰り返している。薄く開いた唇から唾液が滴り、柊生の服に吸いこまれていった。
 リクが苦しい理由はわかりきっていた。どうすれば解消するかも、当然わかる。
 ――あぁもう。知らねぇ。
 熱い視線を注がれて根負けした。
「ここ、ちょっと貸せ」
 畳の目を数えていた指をおもむろにリクの股間に滑らせる。ぐっと手のひらで押し上げてやると、そこは想像以上に大きかった。手の中に温度が伝わってくる。
 リクの喉が鳴る。自分に覆いかぶさっていた身体を押して上半身を起こし、困惑の色を浮かべるリクを座らせた。
「柊生、なに……」
 不安そうな声に「いいこと」とだけ答え、リクのベルトを抜き去りチャックを下ろす。下着のウエストゴムを手前に引っ張ると、中から完全に勃起したものが飛び出してきた。
「すげ……」
 その大きさに目を瞠る。
 まだ見ているだけなのに、先走りがぷくんと浮き上がってくる。感度もいいらしい。リクは性器を露出したまま、戸惑うように柊生の顔を窺っている。
「一応聞くんだけど、ヤったことある?」
「何のこと?」
「セックス……つうか、交尾?」
 リクが何度も首を横に振ると、狐耳がぺちぺち音を立てた。まさかと思って聞いてみたら案の定だ。
「そんなのしたことない」
「お前、狐にもモテそうだけど。本当にねえの?」
「うん。俺のこと、みんな遠巻きに見てるし……」
「そっかぁ……」
 そう言いながら、ほんの少し嬉しく感じていた。自分を押し倒すほど我慢できなかったリクが初めてなのだと思うと、どうしようもなく可愛く見える。
「じゃあ、俺とする?」
「えっ?!」
「したいんだろ」
 剥き出しの性器を握りこむ。親指で裏筋を擽るように擦ってやると、リクの綺麗な顔がとろとろになった。
「うっ……うん……。したい。すごくしたいよ」
「わかった」
 必死な訴えに応えて、柊生はリクの股間に頭を沈めた。
「ッ!」
「ん……、ぷ」
 先端に舌を這わせ、雁首をゆっくり呑みこむ。唇が段差を越えたところで、ちゅぷ、と小さな水音が鳴る。
 同時に、自分の下半身も甘く痺れた。刹那走った快感に、舌の動きが一瞬止まってしまう。
「は……、っ」
 しゃぶるときは無意識に自分の好きな場所を責めてしまう。リクのものをねぶりながら、己の下半身も反応し始めているのがわかった。
「しゅ……、うっ、……人間って、こんなすごいことするの……?」
「……ッ、んっ、……する」
 強張るリクの太腿を撫でながら、根元まで口に含む。陰毛まで綺麗な灰茶色だ。普通の人間なら、こんな場所まで脱色できない。
 やっぱりリクなんだな――とおかしなところで実感した。
 唇の締め付けを強くする。
 舌で存分に育てられた茎が震え、独特の青臭い匂いが鼻腔に満ちた。

 いつの間にか囲炉裏の火はすっかり消え、炭がくすぶっていた。
 石油ストーブの燃える静かな音の中で、ふたりぶんの吐息が重なる。
 身体の内側、快感にうねる粘膜を穿たれ、柊生は掠れた声をあげた。大きく開いた口から、断続的に声が溢れていく。
「あ、……っは、ぅ……」
「柊生、きつ、い……っ!」
 リクが腰を引こうとすると、襞が引っ張られる。繋がった場所から、ぐちぐちと粘着質な音が出た。
 そこを使うのは久しぶりで、激しく動かされるとつらい。もう何度か達しているのにめちゃくちゃに突かれて、体力が限界に近かった。
「っあ、う……、りくっ、もうちょっとゆっくり……っ」
「ご、ごめん……」
 注文どおり、リクの動きが緩やかになる。
 涙で霞む視界に、自分を見下ろす男の顔。
 ちゃんとこうして真っ直ぐに自分を見てくれる相手がいる。それだけで満たされる。
 リクの腕を掴んで引き寄せ、身体を密着させた。
「柊生、んっ……」
「ん……む……」
 リクの唇を奪う。
 鋭い犬歯が舌に触れて擽ったい。リクの舌はしばらく意思もなく蠢いていたが、そのうち柊生の動きに倣って舌を絡めるようになっていった。
「っふ……」
 体重をかけられて、少し苦しい。
 だけど、この重さが心地よくもあった。毛布一枚かけただけでは寒すぎる。もっと近くで体温を感じたかった。
「りく……あったかい」
 腰を揺すりながら獣の柔らかな耳元で囁き、耳の内側をこりこり指で弄ぶ。
 たったそれだけで、リクが小さく呻いて吐精した。
「え? 今のでイっちゃった……?」
「……うっ、……うぅ……」
「っはは……」
 身体の中で、リクのものがまだ脈を打っている。
 呼吸が落ち着くのを待ってから抜こうとして、おかしなことに気がついた。
 …………抜けない。
 かえしでもついたようにリクの性器がそこに嵌まり、力を入れても抜いても外れそうにない。柊生が身体を動かすと、リクもつられて動く。無理やり結合させたパズルのようにそこが引っかかっていた。
「な、なんだよ、これ」
「外れないようになってるから」
「なんで?!」
「え……、だって、まだ終わってないから……」
 衝撃の事実に絶句する。
 リクが狐の耳をぴるっと震わせた。
 今のリクは、少しだけ狐に戻っている。つまり、あの部分も狐と同じつくりになっていても不思議はない。
 あとどのくらい出せば抜けるようになるのか、ついさっきまで童貞だったリクに聞いたところで答えが返ってくるはずもなかった。

 持ってくる意味がなかったスノーボードケースを抱え、駅行きのバスに乗り込む。柊生のあとに続いて観光客も何人か乗ってきた。
 後ろから二番目の座席に腰掛け、足の間にケースを置く。窓の外を見ると、来たときより雪解けが進んでいた。もう春が近い。
 バスの運転手がアナウンスを流してドアを閉めた。エンジンがかかり、座席に振動が伝わってくる。
 道路の両端に残る真っ白な雪が太陽に反射して目に沁みた。
 また、リクを置いてきてしまった。
 だけど、今度は必ず戻ってくると約束してある。後ろ髪を引かれる思いで、ふる乃をあとにしたのだ。
「りく……」
 吐息だけで名前を呼ぶ。
 信号に引っかかったのか、バスが緩やかに停車する。少しして、バスのドアが開いた。
 段差を踏む激しい足音が聞こえた。息の荒い男が転がるように入ってくる。
 無謀にも、バスを追いかけきたようだ。ぜえはあと息を切らしながら、男が後方の座席にやってくる。他の乗客が何事かと振り向く中、男は柊生の隣に腰を下ろした。
「来ちゃった」
 その口調は、終電を逃して部屋にやってきたような恋人のように気軽だった。しかしリクは終電を逃すどころか、バスを追いかけてきた。
 全力で走ってきたらしいリクは、ぐったりと柊生の肩に凭れかかり、スンスンと鼻を鳴らす。
 再び動き出したバスに揺られながら窓の外を見たら、やっぱり目に沁みた。

もむ
グッジョブ
2
薫樹 16/12/09 21:39

よさー

とても読みやすくて、最後にはこの先の柊生とリクのこれからの生活が気になりました!どこにでも居そうな男の子の柊生とイケメンで実はキツネ!?なリクの組み合わせも素敵です!読んでいて気持ちのいいお話をありがとうございます!!

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