片思い/バッドエンド
一目散に駆け出した。まとわりつかれているかのように足がずぶずぶ重い。 それでもなお、振り切るように走ると、ある瞬間体がふっと軽くなった。 おそるおそる二人同時に振り返ってみると、そこにはただ街灯に照らされた住宅街が、ひっそりと佇んでいるだけだった。
「天気予報、雨降るなんて言ってなかったのにさー。ユキ、傘もってる?」
ニナが少年みたいなむくれた声で言った。
「ああ」
昭征(あきゆき)は上履きを脱ぎながら返事をする。彼のためにビニールの置き傘がいつでも傘立てに差してあるのだ。
本数は必ず一本。……二人一緒に傘に入れるように。
「さすが!」
ニナは手を叩くと、自分も靴を履き替えようと、げた箱に手を伸ばした。
ところが「あれ」、と不審そうな声を出す。
「どうした?」
「やだな、こんなの入ってた」
ニナが指さすので、昭征は腰の高さあたりの彼のげた箱を覗き込んだ。
そこには、白い封筒が一通。見える範囲に宛名や差出人は書いていない。
昭征はその封筒をつまみ出した。「ありがと」、ニナはようやく靴に手を伸ばす。
「ユキ、それ捨てて」
「わかった」
わかった。けど、「そうする」とは言わなかった。
だから昭征は、相合い傘で家に帰ったあとその封筒を捨てずに開けてみたのだ。またラブレターか何かだろうと思って。
ニナはたまにそういう手紙をもらう。呼び出されたりもする。
しかし、相手がいつも悪くて、無視したり断ったりすると、すぐストーカーのように付きまとったり、逆に恨んだりしてくるのだ。ニナはこれまで何度もひどい目に遭った。
だから、昭征はずっと前に決めた。ニナが嫌な思いをしないように、これからずっと自分が彼を守ろう、と。
とはいえ、ニナが告白を断る理由は、昭征が隣にいるからではなどではなかった。……彼はよく言う。「ユキみたいな親友がいて本当に良かった!」と。
ニナが最初にその台詞を口にしたのは、高校に入ったばかりの頃だった。
「俺、好きな人ができたんだ。でも、その人……先輩なんだけど」
「うん」
「ハネ先輩っていうの。で、その人……男の人なんだ」
「そっか」
「ユキ、俺のこと、大丈夫?」
「大丈夫ってなにが」
「俺、男の人のこと好きで、気持ち悪くないかなって……」
「そんなこと」
ありえない。ニナが「気持ち悪い」なら、俺はどうなる?
ニナという男のことを好きでたまらない自分は?
――なんて、言えるわけがなかった。だって昭征はたった今振られた、のだ。
「ないよ。ニナはニナだ。今までと変わらない」
ニナは心底ほっとした顔で笑い、言った。
「ユキみたいな親友がいて本当に良かった!」
本当は、彼がからかわれて泣いていた小さい頃みたいに、無邪気に言えたならよかったのだ。
『ニナって名前が女なら、アキとかユキとか、俺だって女じゃん』
深く考えずに口に出した台詞だったが、それ以来ニナを取り巻いていたいじめがさっぱり止んだ。少年だったニナはずいぶん救われたらしい。
ニナはすっかり昭征になついた。そのときには、その後こんなにニナにとらわれることになるなんて、昭征は想像もしなかった。
そんな過去はさておき。この手紙だ。
ニナのげた箱に入っていた白い封筒。中には便せんが一枚。
これが正直言って「たちの悪いラブレターのほうが何百倍もマシ」と言いたくなるくらい、気味の悪いものだった。
――不幸の手紙
仁奈崇(にんなたかし)ドノ
アナタはコノ手紙を受け取ってしまいマシタ
これから貴男に課される十の啓示
無視、笑止はスナワチ死
破リ捨てるコトもアッテはナラナイ
アナタではない。愛するヒトに最悪のサイヤク
……鼻で笑ってゴミ箱に放り込めたらどんなによかっただろう! しかし、昭征はこの手紙を軽んじることができなかった。
学校で配られるプリントみたいな藁半紙。書体はパソコンで打ったのかと思いきや、微妙に高さと間隔が文字ごとにずれている。まるで一文字ずつ切って貼り付けたものを、再度コピーにかけたみたいだ。
おまけに、黒い文字のその黒いところに、よく見ると針で穴がたくさん空けてあるのだ。裏から触ると奇妙にざらついた。
……誰が、何のために。気味が悪い、いや気持ちが悪くてしょうがなかった。
こんなものを、ニナに見せるわけにはいかなかった。
ニナはとても臆病でこわがりだ。内容を知ったら怯えるだろう。
かと言って、無視もできない。ハネ先輩のことなどどうでもいいが、彼に「最悪の災厄」なんて馬鹿げたものが降りかかったらニナが悲しむから。そんな展開はあってはならない。
……昭征は、一人で何とかすることにした。
もし、次の手紙が届けば、ニナは必ず昭征に渡すだろう。また「捨てておくよ」と言って持って帰ればいいだけだ。
昭征は手紙の続きを読んだ。
――啓示1
六月十三日午後十時五十五分、○×駅西口外ニあるコインロッカーマデ行くこと。そして△番ロッカーの中にある……
※
「ユキ! どうしたの、それ!」
「なんでもないよ」
ふざけた手紙の啓示とやらは、あの日からどんどんエスカレートしていた。
最初は「コインロッカーから曰くありげな壺を運べ」というだけだったのが、昨日は河原で野良犬と乱闘させられる羽目になったのだ。
噛まれこそしなかったものの、転んだ拍子に目の上を切った。なるべく目立たないようにと薄手の絆創膏を貼ってきたのだが、それでも気になる見た目のようだ。
「俺の気のせいだったら、いいんだけどさ。……ユキいつも『あの手紙』の翌日じゃない?」
「なにが」
内心ぎくりとしながら、気のない風を装う。
「手紙捨ててって頼んだ次の日、ユキが変。授業中すごい寝てたり、こんな怪我してたり」
言い訳しようとした瞬間、上から口を挟まれた。
「ああ、変だ。変に違いないな」
「は?」
振り向くと、やっぱりそれは大林だった。
大林融(おおばやしとおる)。融点どころか、沸点までもがおそろしく低い生物担当の教師だ。
「たしかに鐘の音が鳴ったのだが、こんなところで無駄話をしているところを見ると、二人そろって突発性難聴にでもかかったらしいな。それともあれか。重役にでもなったつもりか」
陰気くさい声で、ねちっこく言われる。こいつは無視をするとやっかいなのだ。なぜだか、生徒指導の担当教員でもある。
「すみません。急ぎます」
昭征が答え、背を向けて早足で教室に向かい出したところで「バーカ!」とニナが息だけで言った。
「最悪。いくらあの顔でも、あんなイヤミじゃ結婚どころか彼女も一生できるもんか」
「だな」
昭征は同意した。
大林は、教師の中ではそこそこ若いうえに顔もまあ整っている。しかし、昭征と、いや少なくとも二人と話すときにはいつでもあの調子なのだ。
「さっさと異動にならないかなー」
「去年きたばっかだから無理だろうな」
「だよね。あーやだやだ」
あれでいて、意外と女子などに人気があるらしいところも意味がわからない。あの嫌みが聞こえないとは、よほどそちらのほうが耳に問題ありだろう。
……もっとも、ニナさえいれば人生十分な昭征にはまったく関係ないはず、のことなのだが。
「まただ」
その日の帰り、げた箱を開けたニナはやっぱり呟いた。
「捨てとくな」
昭征はカラフルなスニーカーの上に置かれたその手紙を慣れた動作でつまみ上げた。
「待って」
「ん?」
ニナが真剣な顔で昭征を見る。
「ユキ。それ、今ここで破って捨てて」
「え」
またギクリとしたが、表情に出さないよう気をつける。
「ゴミ箱ねえだろ。家帰って捨てとくよ」
「外に焼却炉あるよ、いま捨ててよ。それともダメな理由があるの」
ニナの目は真面目そのものだった。……昭征は観念した。
「……内容確認してから捨てる。から、無理」
「じゃあ今ここで開けて。俺も一緒に見る」
強い口調だったが、その声はふるふると震えていた。それで昭征は、ニナが強がっているのだとわかった。
「……ニナの悪口が書いてある。だから見せられない」
「ユキ、自分のくせって知ってる?」
「は?」
「嘘つくときにかならず喉を引っ張るんだ」
まさに伸ばしていた皮膚を、思わずぱちんと離す。
「俺はユキがいれば大丈夫。だから、一緒に見せて」
ニナが、手紙を持っていないほうの腕にすがりついてきた。
はねのけるなんて、できなかった。昭征は封筒の端をぴりぴり千切って、中から藁半紙を取り出した。
――啓示6
本日深夜零時過ギ、※○公園公衆便所裏ニ来ルこと。
「……なにこれ、気持ち悪い」
ニナが小声で言った。最初の頃、黒字で印刷されていた手紙は、今回はどす赤く染まって見えた。
「従わないと、ニナじゃなくて、ニナの好きな人に災厄が降りかかる」
昭征は無表情で言った。
「いつもこんな感じだったの。ユキは行ってたの」
「そうだよ」
「俺も行く。今晩」
ニナはためらわずに言った。
指定された公園は、学校の裏にあった。繁った木々が周りからの視線をふさいでいる。公衆便所は隅にあり、カラースプレーで下手な落書きがしてあった。
「SABA……MISO? サバ味噌? なんだそれ」
ニナがアルファベットの殴り書きを解読する。
「何かの暗号かもな」
空は透き通るように黒く、低い位置にぽっかり満月が浮かんでいた。梅雨の狭間ということを忘れそうな空だった。
「ユキ、どうやって家から出てきたの」
「部屋の窓」
「あは、大胆」
「ニナは」
「普通に玄関から」
「そっちのが大胆じゃねえか」
二人でくすくす笑った。あまりこれから起こることを考えたくない。
しかし、ニナはやはり気になるのだろう、おそるおそる聞いてきた。
「ここには……誰か人がくるのかな」
「いや。今までは、人に会ったことはない」
そっか、と小さな声で聞こえた。
「でも、『来い』としか書いてなかったもんな……今までは『○○しろ』とか指示がくっついてたりもしたんだけど」
「何が起こるんだろ」
「わからない」
と昭征が言った瞬間だった。「キャー!!」とつんざくような女性の悲鳴が聞こえたのだ。
「え」
「襲われたのか」
昭征は駆け出していた。きっと、通りがかった誰かが痴漢や暴漢に遭ったと思ったのだ。
「ユキ待って!」
ニナもついてくる。
そして「キー!!」と再びの悲鳴。
「近くだよな?」
「うん、すぐそこに聞こえた」
「嘘つき! 騙したな! 人殺し!」
同じ女性の声だ。続いて、ガチャーンとガラスの割れる音。
「どうなってるんだ?」
声も音もすぐ近くで聞こえる。なのに、公衆便所の前に回っても、道路に飛び出して左右を見渡しても、誰の姿も見えないのだ。
「死ね! コロセ! 殺してヤレ!」
最後の声は、洞窟の中で叫んだみたいにワンワンと反響した。
そしてぷっつりと途切れる。あたり一面に、静寂が訪れた。
昭征は往生際悪く、周囲をうろうろと歩き回ってみた。
しかし茂みを覗き込んでも、一本離れた道路まで足をのばしてみても、人どころか猫の一匹すらいない。もちろん割れたガラスもなかった。便所には窓があったが、それはポリカーボネイト製だったのだ。
「ユキ……こわいよ」
「大丈夫、ニナ。俺がいるから」
「そうだけど、……そうじゃないんだ。見てよ、そこ」
後ろから昭征の腕にしっかりしがみついたニナが前方を指差す。
「なんだよ……これ」
昭征は息をのむ。
満月が出ていた。雲のない明るい夜。
月の光が木々、建物、そして立っている二人の影を映している。
……その影が、地面から離れ始めたのだ。まるで寝転んでいた風景たちが、むっくりと起き上がるみたいに。
「夢かな、これ」
「二人で同じ夢を見るのか?」
影はなおも起き上がりぐんぐん伸びる。地面に足元だけ残したまま、持ち主の背の高さも通り越して。
高層ビルの群れみたいに真っ黒な影が乱立する。
そして、だんだんと傾き始めたのだ。手前側に。昭征とニナの二人に、襲いかかるように。
「ニナ。逃げよう」
「うん」
一目散に駆け出した。まとわりつかれているかのように足がずぶずぶ重い。
それでもなお、振り切るように走ると、ある瞬間体がふっと軽くなった。
おそるおそる二人同時に振り返ってみると、そこにはただ街灯に照らされた住宅街が、ひっそりと佇んでいるだけだった。
※
それからも、数日にいっぺんの頻度で、手紙はニナのげた箱に投げ込まれた。
もしかしたらただのいたずらじゃないかとか、学校の関係者なんじゃないかとかいった考えは、満月の夜の出来事ですっかり昭征の頭から吹き飛んだ。
しかし、昭征が感じていたのは、恐ろしさの中にひそむささやかな……幸せだった。
ニナと夜中に外出できる。一緒に不思議な体験ができる。
ニナが昭征を頼ってくれる。いつもより、ずっと、強く。
「永岡。大林が放課後来いって言ってたぞ」
「ああ」
「またなんか頼まれたのか? お前って本当、器用貧乏みたいなところあるよなー」
「そんなことないよ」
「だってさー。教師には雑用だなんだってしょっちゅうやらされてるし、崇の面倒はずっと見てるし」
「面倒なんてかけられてないよ」
クラスメイトはまだ何か言いたげだったが、昭征は「教えてくれてサンキュ」とだけ言ってその場を離れた。
テスト前なので、放課後の校内はしばらくすれば静かになる。人気のない廊下を昭征は歩いた。
理科室のドアを開けると、大林は黒板の前に立っていた。
「遅い」
「すみません」
不機嫌そうな顔が「謝ればいいと思っているなんていい身分だな」と言い、さらに不機嫌さを増した。
反論しても気分を損ねるだけなので、何も言わずに近づく。大林の手にはいつもの試験管が握られていた。蓋のついているものだ。
昭征は受け取ろうと手を伸ばす。しかし、大林はそれを渡さなかった。
「え」
「……ここで」
「は?」
ぶしつけな問い返しに、眉がゆがんだ。
「ここで、採取しろ」
昭征は信じられずに、目を見開く。
「間抜けな顔をしている暇があったら、さっさとするんだ」
「……無理です」
「ふん」
大林は勝ち誇ったように笑って言った。「仁奈」
「彼がなにか」
「いや。お前が好きだと言ったのは誰だったかな、と」
昭征は唇を噛んだ。
最初に校則違反のペナルティと称して理科室に呼び出されたのは、大林が赴任してきてすぐのことだ。
そして言い渡されたのは、雑用でも罰掃除でも、ましてや体罰などでもなかった。どちらかといえば後者に近いが。
大林は試験管を差し出し、昭征に、自身の精液を採取するよう言ったのだ。実験に必要だから、と。
「なんで俺が。……先生だって男じゃないですか」
「だから何か? 対照群を設けないと有意差が導けないからね」
それはつまりどういうことか。吐き気を感じた。
その上、大林はこう言ったのだ。
「お前、仁奈崇のことが好きらしいな」
「は、どういう」
「賢い奴だ。意味くらいわかるだろう」
どうしてそんなことを知られているのか、とぞっとした。昭征は誰にも打ち明けたことがない。ばれているつもりもない。
しかし、自分がどうなろうと、ニナをおぞましさにさらすわけにはいかなかったのだ。昭征はそれ以来、定期的に大林の元を訪れては、トイレの個室で精液を採取し、提供している。
が、こんな要求をされたのは初めてだった。
唇を噛みながら、かちりとベルトをゆるめる。
縮こまったものに手を触れる。こんなの、立つわけがない。
でもニナのためにやらなければならない。大林は目の前に立ちはだかったまま、氷のような目で昭征の動作を見下ろしていた。
ニナ、ニナ。腕にすがりついてきた熱いてのひら。まだ子どものままみたいなくちびる。
ユキ、と呼ぶ甘い声。ニナと呼ぶことを昭征にしか許さない、頑なな心。
――白濁した液体が、リノリウムの床にまで飛び散る。
死ね! と思いながら雨の中を傘も差さずに走って帰った。シャワーを浴び、ねめつける視線をこすり落とすようにゴシゴシと洗う。
布団を頭までかぶると、意識を失うように眠りに落ちてしまい、ニナとの約束の時間まで目を覚まさなかった。
慌てて家を飛び出る。時計の針はとっくに日付をまたいでいた。
「ユキ」
「ごめん。遅れたか」
「大丈夫だと思う。こわいから、まだ見てなかった」
今日の手紙で、全て終わるはずだった。
――啓示10
深夜二時、自宅ノ郵便受ケをサガセ
ニナの家は一軒家だ。門扉の脇にポストがある。前の道路からは、塀で二人の姿が隠れている。
昭征は手をぐっと突っ込み、中を探った。
すぐにかさりと紙に触れる。引き抜くと、それはいつもと同じ封筒だった。こんなパターンは初めてだ。
「あけるよ」
「お願い」
端を注意深く裂いて、中から藁半紙を取り出した。
――最後ノ啓示
ニナがごくりと唾をのむ。
昭征がふるえる手で紙を開き、書かれた言葉を最後まで読んだ――
※
翌日は朝から雲が厚く垂れ込めていた。
昭征は朝食もそこそこに玄関を飛び出した。ついさっき、引き返したばかりの通学路を急いで歩く。
角を曲がったところで、少し癖のある栗色の髪が目に留まった。その頭が、足音に気づいて振り返る。
「遅刻」
「ユキもでしょ」
「急がないとな」
寝不足で目を赤くしたニナが、小走りになりながらこくりと頷く。――ああ、そういえば傘を忘れた。もし帰り雨が降ったら、今日はニナと相合い傘ができない。
「にしても、ハネ先輩の合い鍵、まだあそこにあって良かったね」
「ああ」
「大林、生きてるかな」
「生きてるだろ。そういう手紙じゃないんだから」
「もう見たよね。どうしたかな、捨てちゃったかな」
「さあな」
昭征は、呟いた。
最後の啓示の内容。
それは、こんなものだったのだ。
『貴方が最初に受け取った手紙の宛名を変えて、一番憎んでいる人に届けよ』。
読んだ瞬間、思わず「大林」と呟いてしまった昭征に、ニナは即座に賛成した。
「なんで。ニナがあいつを憎んでるわけじゃないだろう」
「ユキにとって嫌なヤツなら、俺にも嫌なヤツだよ」
「ニナ」
「それに、もし手紙が本当に力を持っているとして。あいつに好きな人なんているもんか」
ニナは、これで終わりという気持ちからか、少し強気になっていた。
「こんな手紙、ただのいたずらだと思うけど、実害なら少ないに越したことないでしょ」
「……だな」
そうと決めたなら、早く済まそう。
校舎にはもちろん鍵がかかっていたが、ニナはハネ先輩がいつも使っているという合い鍵の隠し場所を知っていた。
ありがたく拝借させてもらい、教員用の玄関をさがして、大林の靴箱に手紙を放り込んだ。
それがもう、夜明け近くのこと。二人揃って多少寝坊し、急いでいたら通学中に出くわしたというわけだ。
「げ」
「ん?」
「噂をしたらだよ……」
学校へと繋ぐ小道に入ったところだった。門の横に、その大林が立っていた。
とっさに、裏門から回れないかと思案したが、その時にはもう目が合ってしまっていた。もはやびっくりするほど、こちらを睨んでいる。
昭征は諦めて、そのまま門へ直進した。
「お前ら。今、何時だ」
まさか手紙のことを言われたら、と過ぎったが、さすがにそんなことはなかった。
「腕時計を持っていないので」
ニナが言う。
「口答えか。いまいましいな、まあいい」
大林はふん、と鼻で笑った。
「時計がなかったところで、こう詰問されているということは、とっくのとうに予鈴の鳴り終えた今の時刻くらい想像つくだろう。それとも、二人揃って、若年性の物忘れ病にでもかかったのかな」
あ、デジャヴだ。――昭征は思った。
その瞬間だった。
降り出しそうに澱んでいた曇り空が、ぱっと切り裂かれたのだ。
差し込む日差し。明るい太陽。
天気雨、ではない。まだ降り出してはいなかったから。しかし、真っ黒な空の下をすぱっと切り開く日の光には、そのくらいの不自然さがあった。
東の方角は昭征の後ろ側だった。開放された朝日が、背中から風景を照らした。湿った地面に長い影を作り出す。
その影が、ぐんぐん伸び始めた。
そして伸びた先が起き上がり、地面から離れ始めた。
「……ユキ」
「大丈夫。この前と一緒だ」
真っ黒な影はみるみるうちに人間の背の高さを超えた。それでもなお、ひたすらに上に伸びていく。
ニナは震え、大林もぎょっとしている。なにしろ、目の前でも後ろでも、繁った竹林のように『影』がのびているのだから。
昭征だけが冷静だった。
――また逃げればいい。ニナと一緒に。
そう思って、ニナに声をかけようとした瞬間だった。前回と、違うことが起きた。
地面にくくりつけられていた影が、足を切り取られて、宙に浮いたのだ。
そのままたなびく煙のように上昇していく。昭征は信じられずにそれを見上げた。あの影はいったい何なのだろう。
考える間に、影の足が、細く鋭くとがり始めた。
槍よりも鋭い、真っ黒な切っ先。
何十本もの尖ったものが、頭上に浮いた。そして。
「永岡! 危ない!」
昭征目掛けて、降ってきた。
――けっしてこの手紙を破り捨ててはいけない。
――あなたの愛する人に最悪の災厄が、降り注ぐから。
山瀬みょん | 16/07/17 15:18 |
兎に角主人公が報われず、全てがバッドエンドに向かって収束して行く様を楽しむ作品として読むか、
ある種の悲劇として読むかで評価が分かれそうだと感じた
個人的には前者として読んだのでとても面白かった
いるま | 16/07/20 19:34 |
あちらとアクセスが始まる境目がはっきりとしているところや、そのイメージが現代的というか都会的な感じがとても好きです!あのあれが愛と認定されたんだなというのも皮肉っぽくてかっこいい。自分は駄目っ子びいきなので裏を想像してちょっぴり切なくもありました。親友同士で一方は片想いで悪ガキっぽく仲良しな2人が魅力的でした。
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