ハッピーエンド
「そうか、沖がまほちゃんの王子様だったんだね」藤宮の言葉に、もう苦笑しかない。でも、王子様はお姫様を見付けた。だったら自分は魔法使いになろう。
高校に入って初めての文化祭で、光瀬のクラスは劇を上演した。誰でも知っている童話がモチーフで、光瀬は魔法使いの役だった。ヒロインがガラスの靴を失くして悲しんでいるシーンで、光瀬は舞台でアドリブのセリフを言った。王子役の親友がヒロインの女生徒に片思いなのを知っていたので、ヒロインに言う振りで、彼に発破をかけるために。その即興の後押しのお蔭で二人は見事結ばれ、光瀬の役は終わったはずだったのに。
「光瀬君、話聞いてくれて本当にありがとね。何だか勇気出た。ごめんね、時間取ってくれて」
「いや、全然いいよ」
光瀬が隣のクラスの女生徒と話が終わって席に戻る。
「大人気だな」
からかうように言ってくるのが件の親友、沖である。隣にいるヒロイン役だった彼女の真樹は、申し訳なさそうだ。始まりは、彼女が文化祭での顛末を友達に話した事らしい。それがどのように変換されて広がったのか、「光瀬に相談すると恋が叶う」と、毎週のように女生徒の恋愛相談を受けるようになったのだ。いつしか付いた異名が「恋の魔法使い」。諸々痛過ぎる。第一、光瀬に出来るのは話を聞く位で、具体的なアドバイスなどは無理だ。けれど、皆ただ話を聞いてもらいたいのだと気付いた今は、自分が聞いて気持ちが落ち着いたり勇気が出るなら、と思う。しかし光瀬は男の沖に発破をかけたのに、何故女子相手になっているのか、思いもよらない結果からなのだが、それはもう今更である。
そして、光瀬自身に恋愛話は来ない。
「光瀬君に彼女ができたら相談に来れないじゃん。しかも並の女子より顔も性格も良いから、彼女の申告するにはハードル高過ぎて。近くで皆で愛でようって話だよ」
とは真樹の談だ。別に彼女が欲しいわけではないから良いのだが、女の子の考えていることは異次元だ。
「あ、光瀬君が会いに行けるアイドルだとすれば、あっちは見てるだけの王族だね」
真樹の弾んだ声で、視線を廊下にやる。そこには華やかな集団がいた。その中でも水際立った存在、それが藤宮梓だった。遠目からでも分かるちょっと見たことがない美形。手足が長く高身長、物腰柔らか、おまけに家柄も良いという噂なのだから、非の打ちどころがない。王族と言われる所以だ。
見ていると、その男前と目が合った。誰も気付かないほどの一瞬。そのまま彼らは通り過ぎる。
「光瀬どうした?俺らも次の教室行こうぜ」
「あ、うん」
教科書を準備しながら、光瀬は放課後のことを考えていた。
そして、放課後。
「お邪魔します」
「や、俺の家じゃないから」
毎回同じ会話を交わす。会話の相手はあの藤宮だ。
「うん、でも後から来たのは俺のほうだから」
藤宮はこれまたいつもの答えで、光瀬はスコップ片手に作業に戻る。光瀬は園芸部だ。ここは校舎の奥まった所にある花壇で、ほとんどの人間がここの場所を知らない。園芸部自体が部員が少なく、個々の花壇の世話をする人間がいなくて荒れ放題だったのを、たまたま光瀬が見付けて整えている。藤宮と初めに出会ったのもそんな時で、何でも一人で落ち着ける場所を探していたらここを見つけたらしい。邪魔はしないからベンチに座っていていいかと聞くので、俺が管理してるわけじゃないから好きにしたらいいよと言うと、ありがとうと笑っておんぼろベンチに座った。そのまま座ったら服が汚れるだろうに気にしないらしい。意外と大雑把なのかなと思ったけど、空を見ている彼がいつもの華やかなオーラとは違う、ひそやかな空気をまとっている気がして、光瀬はそのまま気にせず作業を続けた。土に触っていると、地面に心が溶けて思考がなくなる。
「ねえ」
「ぎゃっっ」
後ろから不意に声を掛けられて思わず過剰反応してしまった。その反応に驚いた藤宮が謝る。
「ごめん、びっくりさせた?」
「お前まだいたの?」
予想外過ぎて言葉を取り繕えない。彼が、顔の前で両手を叩かれたかのように瞬きをするので、慌てて言い直す。
「いや、もうとっくに飽きて帰ったかと思ってたから」
存在を忘れていたとはさすがに言えない。
「あ、そうなんだ、ごめん、もう少しいていい?」
「だから俺の許可は要らないって」
殊勝な物言いに驚く。そういえば、あまりに目を引く雰囲気を持っているので彼自身がどんな人間なのか考えたことはなかった。彼の方もこちらを不思議そうに見ている。驚いたことに、藤宮は文化祭の劇で光瀬のことを知っていた。
「意外、学校行事とかサボりそうなのに」
「何それ、まほちゃんの俺に対するイメージって何なの?」
普通に真面目だよと拗ねたように言うので、ごめんと謝る。謝って、聞き流せない。
「まほちゃんって何だ」
「魔法使いの、まほちゃん」
「マジやめてくれ」
「あの時の流れって元々考えていたの?」おい無視か。
藤宮が言っているのはあのアドリブのことだろう。掴めないペースに抵抗を諦めて光瀬は合わせる。
「な訳ないだろ」
沖が彼らしくなく恋心に煮詰まっていたので、ずっと気になっていたのだ。元々真樹とは仲が良かったのだが、この関係を壊して振られてしまうよりはと足踏みする気持ちはわかる。それでも、彼の背中を押してやりたかった。彼の心は決まっていて、後は少しの勇気だけだと思ったから、それでいうとあの舞台は最高の見せ場だった。そして光瀬の励ましに応えたのは、ヒロイン役の真樹の方だった。彼女は最後、自力で王子様を探し出して逆プロポーズをしたのだ。もちろん光瀬も思わなかった展開だ。
「余計なお世話だったかもしれないけど、自分で結論が出てても、迷ったりすることってあるだろ?進みたいけどどうしても足が前に動かないっていうか。そういう時に誰かに背中を押してもらえたら、足が軽くなるようなことってない?頑張れよって気持ちの温かさで血が通って動けるような。そういうのが伝わったらいいなと思ったんだけど」
「それで、自分ではどうしようない恋愛状態の時に、優しい心をもらえるから恋の魔法使いなんだね」
その呼び名も知っているのか。偽善と取られるかと思ったから、思いがけない言葉と笑顔に顔が赤くなるのは、恥ずかしさのせいだと思った。
そんな出会いだったので、光瀬は随分フランクに藤宮と接している。
「ここの花、綺麗にしたらどうするの?」
「ある程度は残して、後はプランターに植え替えかな」
「プランターって廊下とかにあるやつ?あれもまほちゃんがやってるの?」
「俺だけじゃなくて用務員さんと一緒にやってるけどね」
へー、と感心したように言った後、何故か心配そうな顔をする。
「多分他の人はそういうの知らないと思うよ。俺、園芸部があることすら知らなかったし」
まあ、そんなものだろう。草木の手入れなど誰も興味がないものだ。
「別に知って欲しいわけじゃないよ。何ていうか、誰かの日々が少しでも明るくキラキラしたものになったらいいなって」
自分が携われる世界が少しでも誰かに優しいものであるように、心慰められるものであったら、自分の存在にも意味があるのだと思える。
「何かの拍子に目に入った時に、映り込む風景が綺麗だったら、気持ちが健やかにならない?」
うわ、何かめちゃくちゃ恥ずかしいこと言ってる気がしてきた。
「そうか、じゃあまほちゃんの頑張りのお蔭で、皆潤いのある学校生活が送れてるんだね」
見えない魔法だねと、自分でも自己満足かなと思うことを、こんな王子様スマイルでそんなロマンチック変換されると恥ずかしいことこの上ない。
この日、光瀬は藤宮に温室まで堆肥を一緒に運んでもらっていた。一人でやるよりはと藤宮に応援を頼んだのだ。初め、甘え過ぎた頼みかと危惧しながら切り出すと、藤宮はきょとんとした後、何故か楽しそうに了承してくれた。
「まほちゃんくらいだろうなって。俺にそんなこと頼むの」
聞いたら、そんな答えが返って来る。確かに。女子に見付かったら袋叩きに合うかもしれない。ちょっと後悔したが、「そういうところが良いよね」と言われた。何が良いのかよくわからないが、図々しいと思われた訳じゃないようでホッとする。
「マジで助かったよ。サンキュー。飲み物買ってくるな。オゴる」
無事に全て運び終えた後、光瀬は自販機に向かう。何が好きなんだろうと迷うが、数本買って選んでもらうことにした。
「わ、すごい、たくさん買ってくれたね」抱えた飲み物を見て藤宮が笑う。
「選べた方が良いかと思って。何本かもらって」
「ありがとう、炭酸もらうね。レモンの気分だ」
お互い一息ついて、藤宮が温室を見回した。
「そもそも何で園芸部なの?」
言おうか少し迷う。迷って、先程の、そういうところが良いよねという言葉が呼び水となった。
「俺さ、小学生で両親が離婚した時に、クラスでいじめられてたんだ。まあ、いじめっていうか、話してもらえないというか。で、引きこもりみたいになって、土ばっかいじってた。植物って手を掛けたらその分応えてくれるから、遣り甲斐感じちゃって」
ある日突然、自分の存在が無いものとされる。話しかけても答えてもらえない。けれど、植物は元々声がない。だから安心して向き合える。光瀬がうまく話せなくても植物には関係ない。ただ時間をかけて世話をしてあげれば、その姿でもって応えてくれる。でもその孤独の代替は藤宮にはわからないだろう。軽く切り上げようとした時、温室の扉が開いて女の子が入って来た。
「光瀬君、探した…」言い掛けて急に走って来て、思い切り腕を引っ張られ顔を近付けられた。
「ちょっと何で藤宮君がここにいるの!?」興奮したように聞かれる。
あ、やばい袋叩き。と一瞬思った時、今度は後ろから腕を引っ張られ、彼女と離れた。仰ぐように振り向くと、藤宮が光瀬の腕を掴んだまま彼女の方を見て言った。
「たまたま、光瀬君が一人で運んでいるのを見て手伝っただけだよ。偶然。」ね?と、ニッコリ音がしそうな、有無を言わさぬ笑顔を向けられて光瀬は頷くしかない。
「じゃあ俺はもうこれで。ごちそう様。これ、もらって行くね」
藤宮は空になったペットボトルとさっき買ってきた中から缶コーヒーを持って、颯爽と速やかに出て行く。
その後ろ姿を、光瀬は見送るしか出来なかった。
それから藤宮はぱったりと花壇に来なくなった。元々、校内で話すこともなかったので呆気ないほど繋がりは切れる。理由がわからなくて、光瀬は自問した。
自分の距離の取り方が間違っていたのだろうか。もっと特別な世界の人間だと思っていたのに、話してみると意外に大雑把で殊勝だし子供っぽいところもある。そして、思っていたよりもずっと優しい。だから自分は甘えて近づき過ぎたのだろうか。冷たい針を飲み込んだような痛みが突き抜け、心臓が冷えたように重くなる。血が止まってままならない苦しさが広がる。覚えのある恐怖だ。でもそんなのは思うだけで、いつだって悲しみは主観的で誰も気付かない。だったら自分も気付かないふりをして通り過ぎればいいだけだ。小学生の時は沖がいた。でも、今は一人で何とかしなくては。もう子供ではないのだから。自力で歩くしかないことを、光瀬はもう知っている。
「チケット失くした?」
目の前で沖が首がもげそうなほど、悄然とうなだれている。沖が真樹の誕生日に、好きな海外アーティストのライブチケットをサプライズプレゼントするということ、その為にずっとバイトに明け暮れていたことも知っている。そんなやっとの思いで手に入れたチケットを校内で失くしたというのだ。ずっと持っていた方が失くさないと思ったと言う。
「お前、ばかだな…」
「ああ、ばかだ…」
そんなことを確認しても見付けるしかないし、どこで失くしたかわからくても校内なのだから探し回るしかないだろう。それから休み時間の度に沖と色んな場所を見て回ったが見付からない。最後はあそこか。と光瀬はため息をついた。
「まほちゃん何してるの?」
「何って」
藤宮はどこか走って来たようで、少し息が乱れている。
「藤宮、何か探してんの?」
「まほちゃんを…じゃなくて、まほちゃんが探してるんでしょ。ここ2,3日色んな所でうろうろしているの見たから」
そういえば彼の教室も覗いた。
「あー、ちょっと探し物を」
「だから、それが何かって聞いてるの」
何か怒っているような抗えない迫力にのまれて、藤宮が何故ここにいるのかを深く考えないまま、事情を説明する。
「チケットね。で、何でまほちゃん一人なの?」
「あいつ補習にひっかかってさ、沖は補習終わってから一人で探すって言ってたけど、二人の方がマシだろうし補習終わるまで一時間くらいあるから」先に探しておこうというわけだ。
光瀬がしゃがむと、藤宮が腕まくりをする。
「手伝うよ」
驚愕してしまう。ここは、校内のごみ置き場なのだ。分別に厳しいから紙類などは区別してあるけれど、それでも色んな物が捨ててある。
「そんな、何で?いいよいいよ、悪過ぎる。汚れるし」とんでもない話だと手と顔を振る光瀬に、藤宮は苦笑する。
「一人より二人のがマシなんでしょ」
労わるように言われ、ポンと頭に手を乗せられて動きが止まってしまう。まずい。何かが零れる前に、急いでお礼を言って背を向ける。ごみ袋を確かめていると、そういえば彼は何でここに来たのかと思った。そもそも自分を避けていたのではなかったか。走ってたみたいだから何か他に用事があったのではないだろうか。だったら悪いなと声をかける。
「なあ」
「沖ってさ」先に話しかけられてしまった。言葉を変えて藤宮が問う。
「まほちゃんさ、何で沖のためにそんな一生懸命なの?」
「何でって…」
面と向かって聞かれるとは思わなかった。
「話してて思ったんだけど、まほちゃんってあんまり目立って動かないじゃん。それなのに、劇とか今回も走り回ってるし。親友だからって言われればそれまでなんだけど」
珍しく藤宮は歯切れが悪い。言う程の事でもないが、手伝ってくれているのに黙っている訳にもいかない。光瀬は目の前にあった袋を手に取って話し始める。ごみの中の沖の誠実を探しながら。
「前に両親の離婚の話しただろ。あの時、両方とも俺を引き取らなかったんだよね。俺がいるから離婚できないって散々言われてて、スゲー暗い子供だったの俺。で、いじめられて引きこもり状態の俺を見かねて祖母が家に呼んでくれた。土いじりはそこで覚えて」
子はかすがいと言うが、自分は親のよすがにはなれなかった。それどころか疎まれるだけの存在だった。そんな自分だから、他人からも相手にされないのだ。植え付けられた劣等感。沖と同じクラスになったのはそんな頃だ。
「あいつ毎日ばあちゃん家に迎えに来るの。担任に頼まれたんだろうけど、ほんとに毎日迎えに来てくれて、一人で教室に入れない俺の背中押してくれて、クラスに馴染めるようにずっと傍にいて話しかけてくれてた」
光瀬のために居場所を作ってくれた。そんな人間は今までいなくて、沖がいたから自分は友達の輪の中に入れたし、人と付き合うことを覚えられた。固い地面にうずくまって泣いていた光瀬を見付けて、外の明るい場所に連れて行ってくれた。
「そうか、沖がまほちゃんの王子様だったんだね」
藤宮の言葉に、もう苦笑しかない。
でも、王子様はお姫様を見付けた。だったら自分は魔法使いになろう。沖が作ってくれた彼の隣が、自分の居場所になると光瀬は思っていた。けれど現実はそうじゃない。自分はかぼちゃを馬車に、ネズミを馬に変えることは出来ないけれど、踏み出す後一歩を支えることは出来る。光瀬が外に出られるよう、沖が手を引っ張ってくれたみたいに、自分も誰かの勇気のひとかけらになれたら。光瀬はお姫様を求める側の人間ではない。ましてや王子様なんて期待すら出来ない。主役になる日はきっと来ない。それなら裏方でもいいから、自分がいていい立ち位置を見付けたい。
考えれば考えるほど、みじめな発想だ。豊かな世界への正しい道筋がわからない光瀬に、藤宮は沁みるように目を眇める。その時、藤宮を呼ぶ声がした。いつまでも付き合わせられないと、光瀬は藤宮に帰宅を促す。
「じゃあ、今日はもうまほちゃんも帰って。探すのはまた明日にしよう。もう暗いし」
藤宮が苦渋の決断をするように言い募って来るので、ついまた頷いてしまう。自分はもしかしたら押しに弱いのかもしれない。
「良かった」ほっとしたように藤宮は笑う。
「じゃあ、ほんとに帰ってね。また明日ね」
と、目を見て言われるから一瞬返事が遅れる。
「あ、うん、また明日」
心もとない響きのその答えに、藤宮が何か言いかけた時、向こうの方でまた声が上がる。藤宮は諦めたような息をついて、じゃあねと横顔で笑いながら向こうへ行った。
その翌日、光瀬に話しかけて来たのは、藤宮の従兄弟の忍だった。
「光瀬、これやるよ」
忍が差し出してきたのは、例のチケットだった。
「どうしたんだこれ?くれるって、でもこれもう手に入らないんじゃなかった?」
瓢箪から駒のような出来事に、唖然とする。
「親の仕事の関係で、俺こういうの融通利くんだ。探してたんだろ?」
何でそれを忍が知っているのか。
「梓がさ」
「藤宮?」
あ、言うなって言われてたんだった。まあいいかと、忍はおかしそうに笑い掛ける。
「あいつにどんな魔法をかけたんだよ?」
何の話かさっぱり分からない。光瀬の表情に、忍は笑みを深くする。猫のようだ。
「あいつが俺に頼み事するなんて初めてだったからさ、しかもそれを本人に言うなって、何があったのかと思うじゃん?あー楽しい」楽しいから喋っちまったと、と手を振りながら離れていく。
呆気にとられて何も聞けずに終わってしまった。とりあえず藤宮を探そう。さっきの話だと無理して頼んでくれたみたいだし、俺に知られたくなかったんだろうけどそんなことは構っていられない。ちゃんとお礼を伝えないと。
探し回ってもいなくて、もしかしてあそこかなと校舎の陰に足を運ぶ。やっぱり藤宮はベンチに腰かけていた。
息を切らせたまま声を掛ける。
「チケット、藤宮がくれたって聞いた。良かったの?」
「忍から聞いたの?」
「うん」
「あいつ…言うなよって口止めしたのに」
「内緒だったんだよな?ごめん。でもすっごくすっごく助かった。ありがとうな。これで沖も真樹も喜ぶよ」
くれたのが自分だってわかったら、気にすると思ったのかな。そういう控えめで謙虚な藤宮が、自分のために頼んでくれたのかと思うと自然に笑顔が零れる。
「ありがとう」
もう一度嬉しい気持ちを感謝で伝えると、何故だか変な顔をされた。変というか、困ったというか。何か顔赤い?おかしなこと言ったのかとじっと見つめていると、藤宮の頬は赤みが広がり、ついには顔を手で覆って目を逸らされてしまった。
「何、どうした?あ、お金はちゃんと払うよ?」
「いやお金はいいよ。ていうか、俺もうめっちゃかっこ悪い」
「え、何で?」
何でこの流れでそうなるんだ?意味がわからなくて光瀬がぽかんとしていると、口元を手で押さえたまま、目尻を赤く染めたまなざしでこちらを見られた。衝動的に鼓動が跳ねる。困った顔をしても美形は美形だな。などと思っていると、藤宮がようやく口を開いた。
「忍に頼んで譲ってもらったんだけど、俺の力じゃないし、わざわざ言うのも格好悪いし。まほちゃんが喜んでくれるならって思ってたけど、すごい可愛い顔でお礼言われて、これはあいつのためでそんな顔をするんだと思うと悔しくて女々しいな俺って思うけど、でもめっちゃ可愛い笑顔見れたらもうそれでいっかって結局全部諦める自分が超かっこ悪い」
え、よく分からない。俺の笑顔とこいつの格好悪さとどう繋がるんだ?
口元を覆いながら早口で言われたし、頬を染めて情けなさそうに話している藤宮を、可愛いなと半分見惚れながら聞いていたので、内容があまり頭に入っていなかった。
「よく分からんけど、おまえ全然かっこ悪くないよ。むしろ何か可愛い」
俺のために取ってくれたんだろ?すごい嬉しい。と、励ますつもりで笑いながら言うと、今度は眩しそうに目を細められる。あれ、褒め言葉にはならなかったかとその苦しそうな表情にごめんと言いかける。
「ね、まほちゃん、俺と付き合ってよ」
はっきりと区切るように真剣な声で言われたのに、今度も光瀬の頭に入っていかなかった。
いや、理解できないというか。
「え、何で?」
いつも可愛くてきれいな女の子に囲まれているこいつが?俺と?
「何でって、好きだからだよ」少し拗ねた声で即答される。
「いやいや、そういうのを聞いているんじゃなくて、そもそも俺男だよ?」
「知ってるよ、だから何?」
「だから何と言われても…」
文句あるかというように言い切られて、あまりのことに反論できない。
さっきは下げられていた眉が少し寄せられ、潤んでいた瞳が今は光を弾いて煌めいている。いつもは飄々としている藤宮が、何だか必死のように見えて信じられない。
「落ち着けよ。お前、普段とキャラ違わない?」
「好きな子口説くのに冷静でいられないでしょ。しかも俺のこと何とも思ってない子に付き合ってとお願いするんだから、なりふり構ってられないよ」宥めるのも無駄らしい。
「こういう事自分で言うのも嫌なんだけど、俺、昔から何もしなくても人が寄って来るんだよね。でもそれって俺の顔とか家が目当てって分かってたし、人ってそんなもんなんだって思ってた。目に見える物に釣られるんだなって。でもまほちゃんに会って、自分がすごい貧しい考えしてたって気付いたんだ。噂を聞いてた時は他人の恋愛に関わるなんて物好きな子だなって思ってた。最初は俺のこと特別視しないから居心地良かった。でもほんとに相手を考えてるというか、偽善とかじゃないって気付いたら、すごいな、仲良くしたいなって思って、でも俺と話してると俺目当てでまほちゃんに近づく人間が増えるから、暫く離れてたのに」
そうか、自分が嫌になったわけじゃないのか。そのことに安堵する。いや、そんな場合ではない。思い直させないと。こんな人間を、自分に巻き込めない。
「沖の話聞いたら何かすごいモヤモヤして、俺も何とか助けたかったのに結局他人の力借りてるし、結果かっこ悪い告白してるし」
「藤宮さ、それ勘違いだって。刷り込みみたいなもんだよ」
「まほちゃんがそれ言うの?」
沖のことを言われているのだと、光瀬の顔が強張る。藤宮が慰めるようにその頬を撫でた。
「俺だって考えなしでこんなこと言ってるんじゃないよ。まほちゃんが俺を何とも思ってないのわかってるし、これが本当の恋愛感情なのかすごい悩んだし考えた」
あのね、と成績表を見せる子どものような表情で伺ってくる。
「俺、温室でもらった缶コーヒー、飲むのもったいなくて取ってる。引いた?」
「…引いてはないけど、すげー驚いてる。お前、そんななの?」
言うべき言葉が見付からない。藤宮が破顔した。
「俺だってこんな自分知らなかったよ。俺ね、前まで学校の花壇とか植木を気にしたことなかった。視界には入ってたんだろうけど、風景にもなっていなかったというか。でも、まほちゃんに出会って学校の植物に気付くようになって、まほちゃんが世話したのかなと思ったらすごい色がはっきり見えるようになって、視界が鮮やかで眩しい。ねえ、知らない自分を発見したり、それに戸惑うけど悪くないって思ったり、世界が輝いて見えるのって、恋の魔法なんじゃない?」
俺が勝手にかけられてるんだけど。
どこまでも真面目に藤宮は言う。光瀬は思考が追い付かない。どう言えば思い留まってくれるのか。
「文化祭の時言ってたよね。待ってるだけじゃ駄目だって。自分で歩いて探して見付けて手に入れないとって。まほちゃんが俺の背中押したんだよ。だから責任取って。俺はまほちゃんが困っている時に助けてあげられる魔法使いになりたいの。他人のためじゃなくて、まほちゃんのために何かしたい。幸せの手伝いじゃなくて、幸せにするから」
だから、俺を好きになって。
綺麗な顔と甘い声で囁く。
完敗だ。こんなことを言われたら光瀬には無条件降伏しかない。
誰かの魔法使いでいいと思っていたのは、誰かと深く関わることを心の底ではまだ怖かったからかもしれない。自分で歩けると思っていたけど、まだ二の足を踏んでいたのだ。だって、自分を素通りする誰かのために、第一歩は踏み出せない。そんな動けない光瀬に、この王子様は後押しをするのではなく、自分から近寄り手を差し伸べてくれたのだ。ならばその手を取るために、足を踏み出すのは自分だ。あの時のように手を引っ張って連れて行ってもらうのではなく、自分が足を踏み出さなければ。
半分不安と半分期待と、自信と懇願、でもまっすぐにこちらを見つめてくる藤宮の瞳に、最大限の感謝とありったけの心を込めて微笑む。返事の代わりに、光瀬はその胸に飛び込んだ。