純愛エロあり/切ない/ヨーロッパ
俺は驚きにしばらく固まってしまった。彼の美しい容姿にではない。彼が、そっくりだったからだ――亡くなった父の遺品の中にあった写真。父の恋人だったという、美しい人に。
そろそろ、死のうと思う。
俺は生まれ育ったロイネルの街の古い石畳を歩いていた。赤茶けたレンガ屋根が広がる街並みはピンク色に染まり、紫の空は暮れていこうとしていた。古ぼけた煙突の煙から漂うのは、どこかの家の母親が作る温かい夕食の匂い。先月亡くなった俺の母は料理をするような人ではなかったから、俺には母の味なんてわからない。けれどもう、そんなことはどうでもいい。
俺は最近街の人たちの間で噂になっている旅の調合屋のもとへ向かっていた。彼の調合する薬は、どんな病でも治してしまうという。そんな腕のいい調合屋なら、苦しまずに死ねる毒薬も作ってくれるに違いない。心を温めるものは何も持っていない俺だけど、幸い両親の遺してくれたお金だけはたくさんあった。由緒ある家柄が俺の助けになったことなど、今まで一度もなかったけれど。
調合屋が逗留しているのは、街一番の大木の横にある宿だと聞いていた。街のランドマークの隣なのだから、迷うはずもない。巨大なブロッコリーのような大木の横を通り、一階の酒場から階段を上がった。宿の番台で部屋を聞き、扉をノックする。
返事がない。
もう一度ノックしようとした手が、急に内側に開かれた扉によって宙を打った。
中から現れた青年に、俺は目を奪われた。冷たく整った美貌を包む銀髪。その髪と同じ色の長い睫毛が憂いを帯びた目元を縁取り、その下では澄んだアイスブルーの瞳がじっとこちらを見下ろしていた。
俺は驚きにしばらく固まってしまった。彼の美しい容姿にではない。彼が、そっくりだったからだ――亡くなった父の遺品の中にあった写真。父の恋人だったという、美しい人に。
父の日記に挟まれていた写真には、光射すような美しい青年が映っていた。日記に綴られていた、彼への恋情。でも、彼のはずはない。父は俺が母のお腹にいる頃に、若くして亡くなっている。それから二十年近く経った今、写真の青年も四十歳は超えているはずだった。目の前に立つ彼は若い。多分俺と、そう変わらない。どう見ても二十代だろう。
しかし、本当に似ている。こんな偶然があるだろうか。
不審に思ったのか、彼は僅かに眉を顰めた。俺はそれを見て我に返る。
「……実は、薬の調合を頼みたくて……」
「入れ」
挙動不審な俺の態度にも、氷の彫像のように冷たく整った美貌は動くことなく、無表情に家の中へ招かれた。変に商売っ気がなくて、助かる。きっとこんな仕事をやっていれば、色んな客が来るのだろう。
「どんな薬だ」
「毒薬を……」
意図せず暗い声が出てしまった。得体の知れない液体を抽出していた彼が、こちらを見ぬままピタリと動きを止める。俺は慌ててあらかじめ考えてあった理由を言い添えた。
「家にネズミがたくさん出て……」
彼はまた動き始めたが返事をしない。何か、おかしいだろううか。無言に耐え切れず、俺は墓穴を掘った。
「その、出来れば牛を殺せるくらいの量を」
「牛?」
彼が、初めて俺を振り向いた。しまった。怪しまれただろうか。冷たく澄んだ氷の瞳に見据えられ、俺は身を固くした。
「名前は」
「……ルカです」
動じない彼の態度に、逆に戸惑いながら名乗る。
「……ここにいることだ」
「は……?」
「調合は引き受ける。条件は、薬が出来るまで私とここで暮らすことだ」
「……え?」
話が見えない。立ちつくす俺を置いて、彼はさっさと部屋を出て行く。
「クレメンス」
「え?」
「私の名前だ」
混乱し動けずにいる俺に彼――クレメンスは無表情に親指でドアを示した。ついて来いということか。そのまま銀髪を翻して階段を降りていく彼を、俺はわけもわからず追いかけた。
クレメンスの行き先は宿屋の一階の酒場だった。
早い時間ながら、酒場の中は一仕事終えた人々の賑やかな声で溢れている。薄汚れたオーバーオールを着た鉱夫や、日に焼けた農婦姿のおかみさん。酒場は街で生きる人々の交流の場だ。
クレメンスは早速スタウトを二人分注文し、ジョッキに注がれたそれを一気に飲み干した。ウインナーやマッシュポテトも出てくるが、俺はのんきに食事をする気分になど、とてもなれなかった。
「食べないのか」
「……腹がいっぱいで」
母は俺を愛してはいなかったと思う。広い屋敷の端と端で暮らす、滅多に顔を合わせない母。しかも俺は親の決めた好きでもない男の子供だ。それでも、唯一の肉親だった。母が死んでから、もうずっと俺は食欲がなかった。
「食え。……顔が青白い」
クレメンスが大皿からいくつか料理を取って俺の皿に乗せる。言葉少なだが、意外と優しいところがあるのかもしれない。それでも、喉にものが詰まったようになっている俺は皿をフォークで突き回して過ごした。
酒場では陽気なバグパイプの演奏が始まっていた。次々と客たちが踊りだす。視界の端に、こちらを見てさざめきあっている若い娘たちの姿が見えた。
「クレメンス、娘たちがこっちを見てる……俺のことは気にせず、楽しんできて下さい」
彼がしばらくでも席を外してくれるといいと思った。食べなければと思うと吐き気がこみ上げ、さっきから辟易していたからだ。一人になったら、この料理を下げてもらうつもりだった。しかし彼は立ち上がらない。
「あれはおまえを見ているのだ」
俺は目を伏せて首を振った。
「俺は誰とも踊りません」
「なぜ」
「……恋なんてしたくない」
「ふん、奇遇だな。私も全く同じ気持ちだ」
クレメンスの言葉に、俺は顔を上げた。
「……同じ気持ち?」
それは絶対にないだろう。
俺と愛し合った人間は死ぬ。いや、そうなる前に別れてきたから実際にはまだ誰も死んでいないが、恐らく俺には呪いがかけられている。
俺は割と人を惹きつける容姿をしているらしく、男からも女からも、声だけはよくかかった。でも俺の恋人になったものは、みな体を弱らせていくのだ。キスの後は特にそれが顕著だったから、俺は誰とも体を繋げたことがない。そんなことをすればきっと本当に相手を死なせてしまうと思う。
俺はこの先も誰とも愛し合えない。それどころか、生きているだけで誰かを死の危険にさらす。人が俺の後ろ姿に何と囁くか知っている。
――美しい死神……リャナンシー。
暗い気持ちのまま横目で彼を見やると、彼は憂いを帯びた視線をグラスに注いでいた。
「私ももう恋はたくさんだ。どんなに愛し合っても、いつか別れの時がくる。死ぬまで愛し合ったとしても、死は必ず二人を別つ。そんな思いをするくらいなら、一人でいた方がマシだな」
誰かと愛し愛されることができる人間が何を言う。
「俺は……一生かけて誰かと愛し合えたなら、死別したってその愛で生きていけると思いますけどね」
「経験したこともないことをわかったように言うな」
氷の彫像のようだったクレメンスの瞳が、僅かな苛立ちを湛えてこちらを見据えている。怒らせたろうか。でも構わない。もとより人に好かれようなどと思っていない。
「……俺の父は俺が生まれる前に死にました。まさにあなたの言うように、恋の別れに耐え切れず……自殺でね。俺はそんな父の日記を読んで育ったから、あなたの言うことがわからないわけじゃない。つまりあなたも、父のような激しい恋をしたことがあるのでしょう?」
静かに見つめ返すと、クレメンスは一瞬驚いたように目を見開いた。
父の日記に書かれた写真の彼への切ない想い、どうしようもなかった別れ。由緒ある家の血筋を守るため、愛する彼に別れを告げて結婚した父。彼を傷つけた後悔と、離れても募るばかりの愛が日記には滔々と綴られていた。日記を読むうち、幼い俺は写真の青年に会いたくなったものだ。父が結婚した後、失意のままに街を去ったという美しい青年に。
「不思議ですが……父が愛した人は、あなたにとてもよく似ています」
吸い込まれそうなクレメンスのアイスブルーの瞳は遠く一点を見つめていた。
少し外に出ようと言うクレメンスと共に席を立つ。
酒場の陽気な喧騒をかいくぐって外へ出ると、街はもう青い夜の底に沈んでいた。あちこちでほのぼのと灯る家々の黄色い光。俺にはそれより天に白く輝く月の方が近く思え、空を仰いだ。
「おまえが死のうとしていることは知っている」
ふいに頭の上から降り注がれた声に、心臓がどくりと嫌な音を立てた。俺を見下ろす氷の瞳が、月光に冷たく光る。
「私はおまえが来るのを待っていた」
一体何なのだろう。言葉の少ない男が、何を言いたいのか全くわからない。
「ここで話すことではないな」
瞬間、俺は絶句した。何と、クレメンスがおもむろに俺を抱き上げたのだ。
「なっ……!」
信じられない。痩せてはいても俺は男だ。それなりの重さがあるし、何よりこの持たれ方は精神的に抵抗がある。降りようと足をバタつかせるが、そんな抵抗は無駄だった。
「騒ぐな、じっと掴まっていろ」
騒ぐ間などなかった。
彼が俺を抱き上げたままふわりと浮かびあがったからだ。街を見下ろす巨大なブロッコリーの葉を散らしながらながら、ぐんぐんと上昇する。俺はあまりのことに、必死に彼の首にしがみついていた。
「内緒話は、高いところでするに限る」
クレメンスは大木のかなり上の方にある太い枝に俺を抱いたまま腰掛けた。葉擦れの音とともにひゅうと風が通り抜け、俺は荒い息を吐きながら彼のシャツを掴む手に力を込めた。
どうしてこんなことが起こる? この男は、一体何者なんだ。
「大丈夫だ、落としはしない」
クレメンスが俺を支える手に力を込めた。それでも、靴の裏に何もない感覚に、じわりと冷や汗が湧いてくる。
「なぜおまえを待っていたかわかるか」
本能的な危機感に震えるまま、ゆるゆると首を横に振る。クレメンスの表情は、月光を背にした影と風になびく銀髪とで、隠されていた。
「それは、私がおまえに呪いをかけた魔法使いだからだ」
突風が吹き、月光を散らす銀髪が掻き上げられる。晒された白い額の下で、アイスブルーの瞳が俺を見下ろしていた。
「……どうして……」
突然突きつけられた衝撃に、言葉が出ない。
「端的に言おう。私が死ねばおまえの呪いは解ける。今日からおまえは私のそばにいて、私を愛し、私を殺せ」
本能的な恐怖から来る震えが、怒りからくる震えに変わるのを感じた。あまりの理不尽に、絞り出す声さえ震えてしまう。
「……人に無情な呪いをかけておきながら、その上自分を殺せだと? ふざけるな!だいたい自分に呪いをかけたような人間を、愛せるわけがないだろう! 死ぬなら一人で勝手に死ね!」
反射的に腕を突っ撥ね、体がグラリと傾く。あわや空中に投げ出されそうになった体を、男が自分の胸に強く抱き寄せた。
死ぬと決めているのに、死にそうになって心臓がドクドクと脈動する。引っ付いてなどいたくないのに、体が勝手にこの男にしがみついている。こいつは俺が逃げられないように、わざわざこんなところへ連れて来たのだ。混乱とショックと悔しさのあまり涙が溢れた。
「すまない。謝っても償えないことだとはわかっている。だが……魔法の力を得るために、私も呪いを背負っている。おまえにかけた呪いでなければ、私は死ねないのだ」
頬を伝った涙が風に冷える前に、クレメンスの指先に拭われていく。
「おまえが私を好きになれるよう、できる限り優しくする……」
冷たく表情のなかったアイスブルーの瞳が僅かに揺れる。本気なのだ、と思った。この男の瞳は、俺と同じだ。この魔法使いは、本気で死ぬ気なのだ。
ふと朝の光で目を開けると、氷の彫像のような美貌が俺を覗き込んでいた。
「起きたか」
はじめは驚いて飛び上がったが、こうして目覚めた時に寝顔を眺められているのにももう慣れた。信じられないことに、あの日から俺は毎日クレメンスと一緒に眠っている。どうせ数日のこととされるがままになっていたら、いつの間にか一緒に寝るのが日課になってしまった。
ここで生活するようになって、数日が過ぎていた。俺は言われた通りここにいて、薬が出来上がったのを見計らって金を置いて逃げようと決めた。もう今更呪いをかけた男を恨む気力もない。誰も殺したくないし、すぐそこまで来ている天国のドアを開けるまで、無駄な抵抗などせず心穏やかに過ごしたい。それがこの数日で俺が出した結論だった。
「ルカ」
一緒に薬の納品に行く道すがら、街道をしばらく歩いたところで青い小花を差し出された。あの日以来、クレメンスの魔法はもっぱら俺に花をくれることだけに使われているような気がする。
口数が少ないのはいつものことで、ただこんな時は少しだけアイスブルーの瞳が居心地悪そうに泳ぐのを俺はもう知っている。
「部屋でくれればよかったのに。外で渡されても、花瓶もないし」
「おまえには青が似合うと思う……胸ポケットにでも挿しておくといい」
彼は毎日花をくれていた。好かれようとしてとる行動が『花をプレゼントすること』なんていうロマンチストで不器用な男のことが、悔しいが可愛いとも思ってしまう。
「早く俺を好きになれ」
長めの前髪に表情を隠しているつもりだろうが、耳の端が僅かに赤い。美しい男だが、こういう口説くような真似は慣れていないらしい。彼の意外な一面を見つける度に、俺は複雑な気持ちになった。本当に俺を好きなわけじゃないだろうにと疑う気持ちと、本当に愛されているような甘い気持ち、そしてそれを戒める気持ちとで。
俺は愛に弱い。弱い……。愛されずに育ったからかもしれない。
抱き寄せられて眠る夜、俺は何とも言えない気持ちになった。血の気が通っていないように見えたクレメンスの体は温かかった。たまに夜中に目が覚める。星明かりの中整った顔を眺めているうちに、夢うつつの彼にまた抱き寄せられる。意外な程ぴったりと重なる、俺とクレメンスの体。親にもこうして抱かれて眠ったことはなかった。毎夜無言で寄せられる温もりに、俺はなぜだか泣きたくなる。
クレメンスは、帰りにサンドイッチを買ってくれた。俺が食べずにいると、今度は甘い焼き菓子を買い与えてくる。どうしても何か食べさせたいらしい。
「俺……悪い魔法使いに太らされてしまいには食われるような気がする」
「ふっ」
クレメンスが笑った。思いがけずそわ、と胸が騒ぐ。普段は冷たい印象の彼が笑うと、光が射したようになる。まるで、あの写真のような――。
途端に心がかき曇る。やはり父の愛したのは、このクレメンスなのだろうか。
宿まであと少しというところの湖畔にさしかかっていた。街道を逸れ、小さな花が咲き乱れる岸辺にクレメンスは歩いて行った。
「少し泳ぐか」
振り返り、俺の意見を伺うように少しだけ眉を上げる。
「まだ泳ぐには寒いよ」
「大丈夫だ。体が冷えない魔法をかけてやろう」
クレメンスはさっさと服を脱ぎ、ためらうことなく水に入っていく。
――意外と子供っぽいところがあるんだよな。
思わず微笑んだ自分に驚いた。こんな穏やかな気持ちになったのは久し振りな気がする。俺は柔らかな下草の上に、膝を抱えて座った。元はといえば、俺の理不尽な人生はこの男のせいなのに。今、不思議と安らいだ気持ちで彼を見ている自分がいる。
クレメンスにどんな事情があって俺に呪いをかけたのかは知らない。過去には戻れないから、俺の運命はもう変えられない。でも、こんな風に穏やかな気持ちで死ねるのなら、こうして彼に出会えたこともよかったのだろう。
「どうした、早く来い」
「いや、俺は泳げないから……」
話を聞かないクレメンスに強引に腕を引かれて立ち上がる。俺は服を着たままつんのめるようにして湖の中に連れ込まれた。
「あ、服が」
「あとで乾かす。泳げないなら、掴まっておけ」
仰向けに浮いたクレメンスが、俺を胸の上に引き上げる。そのままふんわりと二人で水の中を漂った。湖の上を吹き渡る風が、甘い花の香りをのせて頬を撫でていく。春の日差しが背中を温める。触れ合った胸はもっと温かい。
――気持ちいい。
体の力を抜くと、クレメンスが俺の手を取り、長い指を絡ませた。
「楽しいか?」
アイスブルーの瞳が愛しげに覗き込んでくる。俺は何とも言えない気持ちになって、彼の胸に頬をつけた。
楽しいかなんて、わからない。もうずっとそんな気持ちになったことはなかった。
「……ずっとこうして、おまえと遊んでやりたいと思っていた」
「ずっと?」
「ああ」
クレメンスは困ったように微笑んだ。
「おまえが小さなころから、ずっとおまえを水晶で見ていた。呪いを受けた子どもが、どうなるかと思ってね。おまえはいつも一人だった。愛してもくれない母が大好きで……哀れだと、思っていたよ。誰からも愛されていないのに、おまえはいつも愛したがっていた。小さな動物を飼えば、おまえが愛する程に早く動物たちは死んでしまう。それも、私のせいだな……ずっと、後悔していたよ。早くおまえの呪いを解いてやらねばと思っていた。早く、死ぬべきだと思っていたのに……すまない。いつからか、少しでも長くおまえを見てたいと思うようになってしまった」
「クレメンス……なぜ俺に呪いなんて……」
「私は昔、おまえの父と愛し合ったこともあったが……結局は裏切られた。呪ってやろうと思ったよ。だが奴は勝手に死に……行き場のない呪いを、おまえにかけたのだ。何の罪もない、おまえに……」
やはり彼は写真の――。
俺はもう何も言えなかった。不思議と怒りはなかった。ただ、父の人生に引きずられるように決まった自分の運命の儚さが悲しい。誰にも望まれない俺の人生に、何の意味があったのだろうか。哀しみと虚しさとで、胸が引き裂かれていく。
「……このほくろ。おまえにも同じ場所にあるだろう」
クレメンスが、胸の中心に位置した小さなほくろを示す。たしかに、俺にも同じ位置にあった。
「これは呪いが通った印なのだ。呪いを持つものは、みなここにこの小さな印が出る。私の呪いは、老いない呪いだ。死ねない私が死ぬ方法はひとつだけ……自分の呪いを返されることだ。つまり、おまえに愛されることでしか、私は死ねない。頼む、私を愛してくれ……これ以上、おまえの人生を滅茶苦茶にしたくない」
強く引き寄せられ、強引に唇を奪われた。熱く柔らかく触れてくるキスに、俺は抗うことができなかった。濡れた肌と肌が吸い付くように引かれ合い、絡み合っていく。クレメンスの想いが唇から流れ込んでくるようだった。
これほど俺の人生を滅茶苦茶にしたくせに、俺のために死ぬという。悲しい運命を作った張本人のくせに、誰もくれなかったような慈しみを向けてくる。
俺は絶対にあんたなど愛さない――でも、それがただの強がりだと、もう俺は気づいている。
「……クレメンス……あんたはもう死ねるよ。俺を抱けば、今すぐにでも……」
だって、俺はもう……ゆっくりと目を上げると、水滴に濡れた瞳と視線が絡んだ。クレメンスは何も言わず、俺を抱き上げて水から上がり、草の上に降ろした。名残を惜しむように俺の顔を見つめながら、濡れて肌に張り付いたシャツを脱がせていく。
クレメンス。父の愛した魔法使い。今なら、父の気持ちがわかる気がする。
「クレメンス、きっと父にはわかっていたんだよ……どんなに深く愛し合っても、自分だけが年を取り……いつかはあなたを置いていかなければならないことを。長く積み重ねた自分の愛が、自分がいなくなった後あなたを苦しめないように……少しでも早く、あなたを手放してあげたかったんだよ。父はあなたを愛していたよ……誰よりも」
物心ついてから、ずっとずっと考えていた。父の後悔の結晶でしかない俺。なぜ俺は生まれたのだろうと。今、俺の中にその答えはあった。それは、父の愛した死ねない魔法使いを、父の元へと送ること。
愛する人を見送り続けてきたクレメンス。父の形見である俺が、あなたを見送ってやろう。
「ルカ……」
切ない呟きと共に抱き締められると、俺の胸までギュッと締め付けられた。
彼は風に撫でられて尖った俺の小さな胸の先に、そっと唇を押し当てた。繊細な愛撫に、慣れない体はビクビクと震えた。全ての布を剥ぎ取られた白い肌に舌を這わせられ、吐き出す呼吸さえ戦慄く。永い永い時の中、クレメンスは一体何人の男を抱いてきたのだろう。彼の手にかかれば、感じやすい俺の体など簡単に開かれてしまう。
「あっ、あ、あ……」
押し入ってきた彼の猛りに、嬌声を上げながらせり上がってきていた精が吹き零れた。喘ぎごと俺の呪いを吸い出そうとするかのように、律動の間中クレメンスは俺に深いキスを与えた。
一度目の解放のその時も、彼は俺を離そうとしなかった。ぐっと隙間なく押し当てられた腰の奥深くから、俺の体の奥深くへと精を注ぎ込む。彼のものが俺の中で震えながら吐精するとき、俺もまた白いものを噴き上げていた。
クレメンスが俺の体の上に倒れ込み、体重を預けてくる。触れ合った裸の胸ごしに、健気に鼓動する彼の心臓を感じて、知らず涙が溢れた。彼の心臓は、いつまでこうして動いているだろう。彼の汗ばんだ肌の感触。耳に感じる息の温かさ。こんなにも、彼は生きているのに。
力なく俺を抱き締めているクレメンスの体の下から這い出ると、彼は体を仰向けた。差し伸べられた手に導かれるように彼の体に跨がり、ゆるゆると腰をうねらせて互いの放った液体を足の間で混ぜ合わせる。
「俺が、父のところへ送ってやるよ。きっと、彼もあんたを待ってる」
柔らかな双丘に挟み込んで育てたそれを、綻んだ蕾にまた沈めていく。草の上に膝を付いて腰を上下させると、込み上げる快感と切なさで涙が溢れた。
クレメンス。優しい人。不器用な魔法使い。俺に花をくれた。何も持たない俺の世界を、遠くで見つめてくれていた。
「来い、ルカ」
貫かれたまま下から差し出された手にすがり、彼の胸の上に重なって顔を伏せた。優しい彼の匂い。肌の温もり。消えないで、ずっとこのまま俺を包んでいてほしい。クレメンスはその想いに応えるように俺を抱き締めた。
「ルカ、おまえはまだ若い。これからきっと恋をするだろう。おまえは優しく、愛情深い。今度は必ず幸せになれる。だから死ぬな……絶対に」
いやいやと首を振る俺をなだめるように、彼は俺の首筋にたくさんのキスを落とした。
「いつからか、本当におまえを愛していた……。死ぬとわかったら死にたくないな。死にたくないなんて思うのは初めてだ。おまえを愛している。おまえが大事だ……おまえと生きていたい」
クレメンスは俺を抱いたまま腰を揺らし、最後に温かいものを俺の中に溢れさせた。
傍らの小さな青い花から、蝶が飛び立つ。俺は温かな風に吹かれながら、ぼんやりとそれを見ていた。気がつくと、彼は呼吸を止めていた。俺は、冷たくなっていく彼の体を抱きしめたまま、いつまでも動けなかった。
落ちていく春の夕日がクレメンスの銀髪を薔薇色に染めていく。でももう彼が眩しげに目を細めることはない。彼の胸にあった、小さなほくろは跡形もなく消えていた。それは、彼の魂がもうここにいないことの証。
クレメンスはもう父さんの元へ着いただろうか?
見れば、俺の胸のほくろも消えていた。術者の死によって、俺の呪いも消えたのだ。でももうどこにも行きたくない。
俺は涙に濡れた頬を拭って立ち上がった。クレメンスが最後にくれた、青い小花を彼の胸にそっと乗せる。不思議と晴れ晴れとした気持ちだった。
鞄からナイフを取り出し、最期に彼の冷たい唇に口付けた。
「愛してる……クレメンス。俺に生まれてきた意味を与えてくれて、ありがとう……」
唇を離した時、ピクリと彼の睫毛が動いた気がした。
まさか、そんなはずはない。俺は必死になって彼の顔を見つめた。生きているのか、クレメンス。それとも、やっぱり気のせいか。もう一度でもいい。目を開けて欲しい。あなたの目を見つめて、許しているよと、愛していると伝えられたら。
永遠にも思える一瞬の後。
俺の目の前で、まるで夢のように睫毛のとばりは開いていった。奇跡のように美しいアイスブルーの瞳が静かに俺を見つめる。
「おまえはいつも悲しいことばかり言う……いや、もう私が言わせない」
「クレメンス……!あぁ……!」
せりあがってくる涙に震える体が、広い胸に抱き留められた。
「体の中で、二つの呪いがせめぎ合っていた。私は死の淵で道に迷って彷徨っていた。そこへ、おまえの父がやってきて、息子を頼むと私をここまで送ってくれたのだよ。おまえに、ごめんと……幸せに生きろと言っていた。おまえを、愛していると……」
俺は熱を取り戻していくクレメンスの胸に縋りつき、子どものように嗚咽した。欲しかったもの全てが、今クレメンスの形となって俺の元へ戻って来た。
「おまえのおかげで、私の呪いも解けたのだ……これから二人で老紳士になるまで、一緒にいてくれるか?」
額に口付けられ、答えをねだるように見つめる彼に、俺は泣き濡れた瞳で微笑んだ。
「死が、二人を別つまで」
ハタケカカシ | 16/02/16 12:36 |
まず文頭は一字下げましょう。
タイトルと内容があっていません。
他にもいろいろ突っ込みどころはあるのですが、それ以上に攻めが大変魅力的でした。
今回、ベスト攻め賞があったらぜひ差し上げたいくらいです。
ラブラブ、クレメンースッ!
山瀬みょん | 16/02/27 15:03 |
一万文字で非現代日本ものという難しい設定にも関わらず、
設定の披露に終始したりセルフ二次創作状態になったりせずに
作品として完成させているバランス感覚が素晴らしい
結末が若干ご都合主義な感じがするのは否めないが、
そうなって欲しいと読者が望みながら読み進められるよう誘導出来る位に
キャラクターが魅力的に描かれていると感じた
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