いちゃいちゃ バカップル/少しだけエロあり
「・・・・・・へえ。俺がタケを好きになったのは、魔法のおかげなんだ」 怒りなのか、悲しみなのか、一瞬目の前が白くなった。こんなに腹が立ったのは初めてだった。冷静な声が出ていたのは奇跡だったと思う。
「実は俺、魔法使いだったんだ」
「は?」
恋人のトンデモ告白に、俺は食べていたきぬかつぎを喉につまらせそうになった。ごほごほと咳き込む俺に、剛史は急須から茶を注ぐと、落ち着けとばかりに湯飲みを寄越した。
俺は剛史の淹れてくれたほうじ茶を飲むと、は~っと息をもらした。
いまなんかとんでもないことを聞いた気がする。もちろん、なにかの冗談だよな。
「・・・・・・いま魔法使いって言ったか」
おそるおそる尋ねると、剛史はいたって真面目な顔で、そうだと頷いた。
どうしよう。なんか変なもんでも食べたんだろうか。それともどっかで頭でも打ったか?
内心パニクる心を落ち着かせようと、そろり目の前の恋人を窺うと、剛史はいつもと変わらないようすで焼き茄子とミョウガの味噌汁を飲んでいた。
碓氷剛史は俺の恋人だ。
中学のときに知り合って、けれどそのときはただ同級生というだけで、とりたてて仲がいいわけではなかった。中学二年のときに、俺は親の転勤で函館に引っ越した。そのまま地元の高校へ進み、大学受験のときに俺だけ東京に戻った。桜の花びらがはらはらと舞い散るキャンパスで、あれ、どっかで見た覚えのやつがいると思ったら、それが剛史だった。
剛史は寡黙な性格で、自分から話しかけたりするタイプではないのに、なぜか男女問わずよくモテた(悔しいけど、顔がいいのは俺も認めてやる。ついでにタッパがあって、手脚が長く、身体のバランスがとてもいいので遠くにいてもよく目立つ。それに比べて俺は…、むにゃむにゃむにゃ・・・・・・)。
ふと視線を感じて振り向くと、決まってこちらをじっと見つめるヤツの目がある。そのくせ、なにか用でもあるのかと、こっちから話かけようとすれば、ふいっと目を逸らされてしまう。なんだ、変なやつだな、というのが正直な感想だった。
それが紆余曲折あって恋人同士になり、あまつさえいまでは一緒に住んでいるのだから、人生なにが起こるかわからない。
今夜のメニューは、きぬかつぎと焼き茄子とミョウガの味噌汁とほうれん草の煮浸しと生姜ご飯だ。
料理はどちらが作ると決まっているわけではなく、できるほうがする。ただし、俺に作れるのはカレーライスやチャーハンやラーメンなどで、レパートリーは多くない。その点、剛史の作るメシはどれも旨かった。年齢のわりにやけにシブいメニューが並ぶのは、やつが顔に似合わずおばあちゃん子だったからだ。
「あっ、おこげ!」
生姜ご飯の醤油の香ばしい風味が口の中に広がり、俺は思わず声をあげた。ついつい口元がにんまりとほころんでしまう。
「土鍋で炊いたからな」
そう言って、剛史は自分の茶碗に入っていたおこげの部分も、俺の茶碗に入れてくれた。
「さんきゅー」
うきうきとお焦げを頬張り、ハッと我に返った。
いやいやいや。ほだされてどうするよ、俺。
決まりが悪くなって、ちらっと盗み見ると、剛史は黙々と箸を進めていた。
ひょっとしたらなにか知らない病気だろうかと、俺は急に恋人の頭が心配になった。
それで、おっかなびっくり質問を重ねる。
「・・・・・・あのさ、魔法使いって、よくほら、絵本とかマンガに出てくるやつだろ? うんちゃらかんちゃらナントか~、って呪文を唱えるやつ」
「そう。うんちゃらかんちゃらじゃなくて、”ビビディ・バビディ・ブー”だけどな」
○ンデレラかよ・・・・・・っ!? 俺は心の中で激しく突っ込んだ。
いやいやいや、そうじゃないだろ。冷静になれと、自分に言い聞かせる。
「・・・・・・えっと、そう思ったのはいつくらいからなの? タケ、いままで一度もそんな話したことなかったよな・・・・・・?」
「高校の時に、なんか変な四角い生き物が溝にハマってるのをたまたま助けたんだ。そしたらなんかえらく感謝されて、お礼になんでも願い事を叶えてやると言われたから、うそだろ、と思ったんだけど、物は試しだと冗談で、じゃあ魔法がつかえるようにしてくれって言ったら、なんだそんなことかって。そんでこうなった」
・・・・・・おいおいおい。
四角い生き物って一体なんだよー! しかも、冗談でかよー!
俺の頭はいまにも爆発しそうで、混乱しまくっていた。
「智樹」
「なに!?」
「メシが冷めるぞ」
俺がひとりで考え込んでいる間にも、普段とまったく変わらない態度でさっさとメシを食べ終えた剛史は、ごちそうさまでしたと手を合わせた。飼い主の言葉を待っている大型犬のように、じっと俺が食べ終えるのを待っている。
こうゆうところが剛史なんだよな・・・・・・。俺は一気に脱力した。
「・・・・・・お前さ、ほんとに魔法がつかえるの?」
どうか否定してほしいという俺の願いも虚しく、剛史はあっさりと頷いた。
「じゃあ、試しに使ってみてよ」
剛史はいかにも気が乗らないようすで、仕方がないなとばかりにため息をついた。湯飲みに残っていたほうじ茶を飲み干すと、とん、とテーブルの上に置いた。
「ここに空の湯飲みがあったとする」
俺は、うんうんと頷いた。
「湯飲みにお茶が入っているのを想像して・・・・・・」
剛史は聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で、”ビビディ・バビディ・ブー”と唱えた。すると、さっきまでは空っぽだったはずの湯飲みから、ほかほかと湯気が立っている。
俺は目をぱちくりした。なにかのトリックかと思い、じっと湯飲みを凝視するが、確かに淹れたばかりのほうじ茶が入っている。
「すっげー!」
俺は一気に興奮した。えー、なんでなんでなんでと繰り返す。剛史には悪いが、正直なところてっきり眉唾ものだと思っていたのだ。けれど、目の前で不思議を見せられたらさすがに信じざるをえない。こんなことって本当にあるのかー、すげーなー、としきりに連呼する俺に、剛史はすこしだけ居心地が悪そうな顔をしていた。
「ねえねえねえ、魔法がつかえるってどんな感じ? わー、俺ってすげえなーみたいな?」
「つかわない」
すると、剛史はぼそっと答えた。
「え?」
「いま魔法をつかったのだって、智樹がやってみせてくれというから試しただけだ。ふだんは魔法なんかつかう必要はない」
「えー!」
俺は心底びっくりした。
俺だったらきっといつでもつかってしまうだろう。だって魔法がつかえるんだぜ? なんでも願いは思いのままだ。そうだな、たとえばテスト勉強に間に合わないときとか、夕食に嫌いなメニューが出たり、バイトの時間に遅れそうになったときだって・・・・・・。あれ、意外とすぐに出てこない。いやいやいや、それでもともかくつかうだろう。剛史みたいに、平然とつかわないなんて言えない。
「・・・・・・えっと、なんで?」
「なんでとは」
「なんでつかわないの? せっかく魔法がつかえるのに」
剛史は魔法で淹れたほうじ茶を飲んだ。
「つまらないからだ。魔法で願いが叶ったとしても、それは俺自身の力じゃないだろう」
俺は思いきり顔をしかめた。
それは確かにそうかもしんないけど、剛史の言っていることはあまりに優等生すぎやしないか? 俺たちまだ大学生だぞ?
内心の不満がそのまま顔に出てるのか、剛史はやや戸惑った顔をした。言い訳するように付け加える。
「・・・・・・それに恥ずかしいからだ」
「恥ずかしいってなにが」
じっと見つめる俺の視線から逃れるように、剛史はごにょごにょごにょと呟いた。
「え、なに? いまなに言ったのか全然聞こえなかった」
剛史は観念したように、ため息をついた。
「呪文を唱えるのが恥ずかしいんだよ」
呪文て、”ビビディ・バビディ・ブー”ってやつ?
「だったら唱えなきゃいいじゃん。心の中で念じるとかさ、いろいろあるだろ?」
「だめなんだよ、それじゃ。なんでも、音の響きが大事らしいんだ。だから、願い事自体は心の中で唱えても、呪文そのものは口にしないと魔法はかからない」
へー、いろいろあるんだな。俺は感心した。まあ、確かにちょっと恥ずかしいかもな。だって、”ビビディ・バビディ・ブー”だろ? 剛史が呪文を唱えているのを想像して、俺は思わずにやにやしてしまった。
剛史はむすっと押し黙った。俺の考えていることがわかるみたいに、居たたまれなさそうな顔をしている。
「えっ、じゃあさ、いままで魔法をつかったことはないの?」
思わず口から出た素朴な疑問に、剛史は見るからに挙動不審になった。俺からぱっと目を逸らし、そわそわと無意味にテーブルの上を台ふきんで拭いたりしている。
「えっ、なに!?」
決して俺の目を見ようとしない剛史の態度に、ピンときた。
「・・・・・・あるんだな」
しかも、絶対に俺に関することでだ。
「なに?」
自分でも、声が冷たくなっていたのを感じていた。そのままじっと剛史を見つめていると、剛史はがばっと頭を下げた。
「すまん!」
「ふーん、つかったんだ・・・・・・」
剛史は頭を下げたまま、顔を上げようとしない。
「で、なにに? どうつかったの?」
そろそろと、剛史が顔を上げた。苦渋に満ちた顔で一瞬俺を見て、その目が後ろめたそうに逸らされる。そんな剛史の態度に、俺はますますカチンときた。
「この際だから全部吐いちゃいなよ」
ね? と、俺は冷たい微笑を浮かべた。
剛史はだらだらと汗をかいている。
それを見ながら俺は冷めた頭で、さぞや油が取れるだろうと思った。こういうのなんていうんだっけ? そうだ、ガマの油だ。
「・・・・・・大学で再会したとき」
剛史は絞り出すような声で言った。
「お前は俺のことなんてすっかり忘れているみたいだった。目が合って、ちょっとだけあれって顔をしたけど、それだけだった。俺は話しかけたくて、でもなんて声をかけたらいいかわからなくて・・・・・・」
剛史はそのまま穴が空いてしまうんじゃないかというくらいに、じっとテーブルの一点を凝視している。
「俺は呪文を唱えた。そしたら、ふいっと目を逸らしてそのまま行こうとしていたお前が振り返って、あれ、おまえひょっとしたら碓氷じゃねえ? って、にっこり笑ったんだ」
・・・・・・はあ? 俺は思わずテーブルに頭をぶつけそうになった。もし目の前に鏡があったら、さぞや呆れた顔をしていることだろう。俯いている剛史はそんな俺の表情には気づかない。
「それから・・・・・・」
まだあるのかよー!?
「大学の授業でたまたまお前が俺の前に座ったときに、振り向かないかなと思って、消しゴムを落としたんだ。そしたら、おまえがそれを拾ってくれて、落ちたよって」
小せえなあ、おい・・・・・・。
「・・・・・・すまん! もう二度としない!」
剛史は再び頭を下げた。俯いた剛史の耳朶が赤くなっている。
俺はぐしゃぐしゃと頭を掻いた。
・・・・・・しゃあねえなあ。こんなバカなやつだけど、惚れちまってるんだから仕方がない。
「タケ・・・・・・」
俺は剛史に向かって手を伸ばした。そのときだった。剛史の続けた言葉に、怒髪天を衝くことになる。
「・・・・・・だから、さっき魔法で願いが叶っても意味がないって言ったのは、すこしだけ嘘だ。智樹が俺を好きになってくれたのは、魔法のおかげなのに」
俺は、ひゅっと息を呑んだ。
「・・・・・・へえ。俺がタケを好きになったのは、魔法のおかげなんだ」
怒りなのか、悲しみなのか、一瞬目の前が白くなった。こんなに腹が立ったのは初めてだった。冷静な声が出ていたのは奇跡だったと思う。
剛史の身体は、テーブルにそのまま沈むんじゃないかと思うくらいに小さくなっていた。
「・・・・・・そうだ」
ぽつりと返ってきた言葉を耳にした瞬間、俺は剛史を殴りつけていた。
「ふざけるなーっ!」
ガツッ、と思い切り痛そうな鈍い音がして、呆然とした顔の剛史が俺を見ていた。
悔しくて、情けなくて、しまいには涙まで出てきた。
「・・・・・・智樹」
おろおろと、剛史は俺に向かって手を伸ばすが、俺はその手を思い切り払いのけた。剛史がわずかに傷ついたような顔をした。
ちくしょう。傷ついたのは俺のほうだ。俺は力任せに涙を拭った。
「・・・・・・だったら解いてみせろよ」
「・・・・・・智?」
「魔法。俺がお前を好きになったのは魔法をつかったからなんだろ? だったら返せよ。その魔法、とっとと解いてみせろよ。ぜんぶ嘘なんだろう。ほらっ、早く!」
剛史はがっくりと肩を落とした。
「・・・・・・わかった」
しんとした部屋の中に、ぽつりと声が落ちた。
剛史が”ビビデ・バビデ・ブー”と呪文を唱えたのを耳にして、俺は部屋を飛び出した。
ちくしょう。ちくしょう。ちくしょう。剛史のアホ。バカ。ウ○コたれ。
人通りが少ない夜道を歩きながら、俺は思いつく限りの罵詈雑言を心の中で唱えていた。
俺が剛史を好きになったのは魔法のせいだって?
ふざけんな。
情けなすぎて、泣けてくらあ。
俺は、ズッと鼻をすすった。
墨をトロリ溶かし込んだ闇に、白い息が吸い込まれていく。アルミのような月が、ぽっかりと夜空に浮かんでいた。
飛び出すように部屋を出てきてしまったので、ジャケットを着てくるのを忘れてしまった。おまけに、財布もケータイも部屋の中だ。
刺すような冷たい空気に、ぶるりと身体が震えた。
俺がこんな寒い思いをしているのも、あのバカのせいだ。八つ当たり気味に毒づいて、・・・・・・タケのやつ、今ごろ落ち込んでいるだろうなと思った。
ひとり残された部屋で、どこまでも深く落ち込んでいる剛史の姿が目に浮かぶようで、ちくん、と胸が痛んだ。
・・・・・・でも、あれはあんまりだ。
こんなに寒い夜に、上着もなくシャツ一枚で、なぜか誰もいない公園のベンチに座り、ピカピカ輝くおもちゃみたいな月をぼんやりと眺めている。
「なにしてんだかなあ・・・・・・」
俺は、はぁ~とため息を吐いた。
剛史の気持ちを疑ったことは一度もない。口べたな恋人は、言葉にすることはほとんどないけれど、その目が、表情が、なによりも雄弁に俺のことを好きだと、全身で告げていた。
気恥ずかしさもあって、俺もそのことについて言及することはないけれど、本当はすごくうれしかった・・・・・・。
大学のキャンパスで再会したときは、正直変なやつだと思った。けれど、剛史のことを知るにつれて、どうしてあいつがあれだけ人に好かれるのか、すぐにわかった。
決して見た目がいいからだけじゃない。剛史は口べただけど、心根が優しいのだ。それが、つき合っているうちに、にじみ出るように自然と周囲にも伝わるのだ。
たとえば、バスや電車でお年寄りが乗ってきたときに、剛史はすっと席を譲る。親切ごかしではなく、無意識のうちにそうすることができるのだ。譲った後はえばるでもなく、忘れたようにもはやその出来事は剛史の頭にはない。
こんなことがあった。
大学に入ったばかりのころ、クラスメイトたち数名で飲みに行こうとしたことがあった。
週末の駅前は、人であふれていた。歩行者用の信号機の前で、コツコツと音がしたと思ったら、その音が戸惑ったように止んだ。
ーーあっ。
横断歩道の前で集っていた若者たちは、酒が入っているのか、喋りに夢中で、自分たちが通行の邪魔になっていることに気づいていなかった。
白い杖を持った女性は、困ったようすでキョロキョロとあたりを窺っている。
どうしよう・・・・・・。
そのときだった。
すっと風が通ったと思ったら、それまで隣を歩いていたはずの剛史が女性に声をかけた。遠目で見ても、女性がほっとした表情を浮かべるのがわかった。女性は剛史の腕に掴まり、信号を渡り終えると、何度もぺこぺこと頭を下げていた。
「あれ、剛史どこ行ってたの?」
なぜか小走りで信号を渡って戻ってきた剛史に、なにも気づかなかった友人たちは不思議そうな顔をしていた。剛史も詳しく説明するではなく、ただすこしだけ照れたような顔をして、友人たちのからかいに応えていた。
・・・・・・恥ずかしかった。
俺はすべてを見ていたのに、女性を助けるでもなく、ただ見ていることしかできなかった。
ひとり落ち込んで俯いている俺に、
「智樹?」
剛史は不思議そうな顔をした。
「どうした? 具合でも悪いのか?」
その瞳は気遣うような色があった。
「なんでもない」
俺は頭を振った。微かに笑みを浮かべると、剛史はほっとした顔をした。
それからだ。俺が剛史の行動を、気がつけば目で追っているようになったのは。そして、剛史が俺を見ているのに気がついて、最初は気のせいかと思ったが、うれしいような、なぜか腹の中がこそばゆいような気持ちがした。
剛史から好きだと言われたとき、だからただ単純にうれしかった。男同士だからという戸惑いもなく、決して気持ち悪いなんて思わなかった。
俺とは反対に、気持ちを知られたら最後、嫌われてしまうと思い込んでいた剛史は、ひどく思い詰めたような顔をしていた。
・・・・・・俺も好きかもと、蚊の鳴くような声で応えたあと、真っ赤になって黙り込んだ俺を、剛史は心底驚いた顔をして、それから見たこともないようなうれしそうな顔で笑った。
「・・・・・・ばかやろう」
魔法のせいなんかにしやがって。ひとの気持ちをなんだと思ってるんだ。言葉にはしないかもしれないけれど、俺だってちゃんと剛史のことが好きなのに・・・・・・。
白銀の月が、煌々と夜空に輝いている。
ぼんやりと月を眺めているうちに、俺は突然思い出した。部屋を出るときに、剛史は呪文を唱えていた。俺が剛史を好きになったのは決して魔法のせいなんかじゃないけれど、魔法のせいで剛史の気持ちが解けてしまったらどうしよう・・・・・・。
俺は勢いよくベンチから立ち上がった。恐怖で全身が冷たくなる。身体がガクガクと震えた。
ーー帰らなきゃ・・・・・・。
「智樹!」
振り向いた身体を、いきなり力強い腕に包まれる。
「・・・・・・タケ?」
剛史は見たこともないくらい真剣な表情を浮かべていた。・・・・・・いや、一度だけ見たことがある。あれは、剛史が俺のことを好きだと初めて告げたときのことだ。
「タケ・・・・・・。腕いたい・・・・・・」
いつもはそう言えば、慌てたように腕をほどいてくれるのに、拘束する力はゆるむどころかますますきつくなった。まるで、俺が消えてしまうと恐れているみたいに。
俺は、剛史の背中に腕をまわした。じわりと、あたたかなものが胸に広がる。力強く抱きしめてくる腕がたまらず愛おしい。俺はそっと目を閉じた。
部屋に戻ると、剛史は俺を風呂場に連れていった。ひとりで入れるからと言っても、その腕の拘束が解かれることはない。
剛史がカランをひねると、熱い湯が頭上から降り注いできた。
「・・・・・・わっ! バカ・・・・・・!」
氷のように冷え切った身体に、急に熱い湯が降ってきて、俺は飛び上がりそうになった。
「智樹・・・・・・智樹・・・・・・」
濡れて身体に張り付いた服を、剛史はもどかしげに脱がせようとするが、まとわりついてうまく脱がすことができない。
「くそっ」
普段の剛史だったら決して使うことのない乱暴な物言いに、身体の芯がじんと痺れるくらいに熱くなった。
「・・・・・・キスしろよ」
ジャケットの前身頃を引っ張って、睨むように命令すると、剛史は驚いたようにハッと目を瞠って一瞬だけ泣きそうな顔になると、やがて噛みつくようなキスが降ってきた。
「好きだ・・・・・・智樹」
「ん・・・・・・俺も好き・・・・・・」
剛史の指が、俺の身体をたどり、快楽を引きだそうとする。いつも以上に性急なキスは、剛史の余裕のなさを表していた。
「智・・・・・・、智・・・・・・」
譫言のように呟き、首筋から鎖骨を滑るようにキスの雨を降らせると、胸の頂でカリッと引っかくように噛んだ。
「・・・・・・あっ!」
ガクンと膝から力が抜けそうになったのを、とっさに剛史が支えた。うっすらと目を開けると、欲情しきった顔の剛史と目が合って、くらりと目眩がした。
剛史の指がファスナーを引き下げる。すでに興奮した性器がぶるんと勢いよく飛び出してきて、俺は羞恥のあまりに赤くなった。敏感になった肌は、流れ落ちる湯さえ刺激が強すぎて辛かった。俺は剛史の首に腕をまわすと、引き寄せるようにキスをした。
トロトロと眠りに引き込まれそうになる。
風呂場で性急に抱き合ったあと、俺は剛史に抱き抱えられるようにしてベッドに移動すると、そこで再び身体を重ねた。剛史の欲求はいつも以上に際限がなく、ふだんなら勘弁してくれと音を上げる俺も、今夜は離れがたく感じてしまった。おかげでもう腕を上げるのさえだるくて仕方がない。
油断をするとすぐに眠りに落ちそうになりながらも、俺はさっきからずっと気になっていたことがひとつだけあった。
なあ・・・・・・、と呼びかけた声が思った以上に掠れていて、俺はかっとなった。
・・・・・・くそ。あした大学にいったらなんて言い訳しよう。
そんな俺の気持ちなど露知らず、剛史は、なに? と、俺の鼻の頭にキスを落とした。
「さっき、呪文を唱えたのに、なんで効かなかったんだよ」
すると剛史は平然とした顔で、唱えてないよ、と応えた。
「うそだ! 唱えてたじゃんか!」
とっさに上体を起こそうとして、ぴきっと腰に痛みが走った。
「うぎゃっ!」
俺は思わず悲鳴を上げた。
剛史はかすかに頬を染めると、申し訳なさそうにスリスリと俺の腰をさすった。
悪いと思うなら、もうすこし加減しろよな。いや、きょうは止めなかった俺も悪いんだけど・・・・・・。
赤くなった顔を見られたくないのに、剛史は俺の表情をのぞき込む。
「智樹、呪文を覚えてる?」
忘れられるわけがない。
”ビビディ・バビディ・ブー”だろ? と言う俺に、剛史は頷いた。
「言っただろ? 呪文には響きも大切なんだって。さっき、俺が唱えたのは、”ビビデ・バビデ・ブー”だ。俺が智樹を失うようなことをするわけがない」
・・・・・・うそだろう?
俺は脱力した。ちくしょう、だまされたと思うが、怒られるかな? 怒られるかな? とビクビクしながら俺の顔色を窺う剛史を見ていたら、口許がゆるんできてしまうのを止めるのにえらく苦労した。
「タケ」
真面目な声で呼びかけると、剛史は神妙な顔をして、はい、と返事をした。俺はその耳たぶをぎゅっと引っ張った。
「いいか、一度しか言わないから、耳の穴かっぽじってよく聞けよ。俺がお前を好きなのは魔法をかけられたからじゃない。おまえが、おまえだから好きなんだ」
剛史は大きく目を瞠った。そんなに驚かなくてもいいじゃないかと、急に恥ずかしくなって、ふいっと反対側を向いた俺を、剛史が背後からぎゅっと抱きしめた。
「・・・・・・智樹は、俺の初恋なんだ。ずっと忘れられなかった。ずっと、ずっとおまえのことが好きだ」
ぐりぐりと、頭を押しつけるようにして、俺の存在を確かめるように抱きしめてくる。そんなに抱きしめたら苦しいじゃないかと思うのに、なぜか胸がいっぱいになって、思わず泣きそうになった。俺はくるんと剛史に向き直ると、薄明かりの中でじっとこっちを見つめる剛史にちゅっと口づけた。剛史が驚いたように、ぱちぱちとまばたきした。
ばかだなと思う。ほんとうにバカだ。でも、なんて幸福なんだろう。
俺は剛史の胸に頭を預けて、ゆっくりと目を閉じた。そういえば剛史が助けた四角い生き物ってなんだったんだろうと、ちらり頭の隅をよぎったけれど、精力絶大のバカのせいで俺の体力はすでにキャパシティーを超えていて、それ以上考えることができなかった。
まあいいか。すべてはあしたの朝、起きてからだ。
「おやすみ。智樹」
耳元で、剛史のささやく声がした。
ひとつあくびをして、俺は幸福な眠りに落ちていった。
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