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第2回 BL小説アワード

鳥かごの中の少年たち

スパンキング/流血・暴力表現

 永遠の子、と名付けられた少年たちの噂があった。それはどんな傷や、怪我もほんの数秒の口づけで治してしまうという少年たち。さらにその魔力はあまりに強力なゆえに、少年たちと長い口づけを交わせば、命さえも永らえさせることができる、と。

森山ゆうき
グッジョブ

  鬱蒼と草木の生い茂るその森は、昼間であっても日の光が地面に届かず薄暗い。迷いこみ、帰ってきた者はいないという。ただその森には1つの噂があった。森の中にある深い湖の先、さらに奥へと進んだそこには1軒のお屋敷があって、そこには魔力をもった少年達が軟禁されていると。


(私の可愛いエドガー…私が死んでしまったら、あの子はどうやって生きていくの?)


 もう何時間も馬車に揺られていた。まだ少年というべき年齢のエドガーは小さな鞄を両手に抱えたまま、眠りについていた。馬車には窓がなく今が日中なのか、真夜中なのかわからない。ずっと続いていた馬車の揺れが収まったとき、エドガーは目を覚ました。額にかかる短い前髪と同じく黒い瞳は、少し潤んでいる。エドガーが片手で目をこすったとき、馬車の扉が唐突に開かれ、風が吹き込んできた。
 馬車から降りたエドガーは、まず目の前の石造りの大きな屋敷を見上げ、その後にあたり一面を囲む森を見回した。道らしい道はなくエドガーの乗ってきた馬車の車輪の跡は、鬱蒼とした樹々の間から繋がっていた。
「あの、ここは」
 エドガーを迎えに来た御者はここへ着くまで一言も言葉を発さなかった。エドガーは、なんとなく自分がどこかのお金持ちの屋敷へ奉公へ出されるのだと察してはいたが、こんな森の中だとは思わなかった。御者の男は、目深にかぶった灰色のフードをそのままに左手で屋敷の玄関を指差した。
「屋敷のご主人様は正面の階段を上った廊下の突き当たりの書斎に居られる。他の扉は開けるな」
 エドガーは決意を固めるように息を長く吐きだし、鞄の取手を強く握りなおして屋敷の玄関へと歩き出した。


 床を覆う絨毯は柔らかく靴音を吸いとる。階段の手すりには薄い埃すらなく綺麗に磨きあげられていた。エドガーが階段を上りきって廊下を歩きだしたとき、少年のすすり泣きが聞こえてきた。御者の忠告を覚えてはいたが、少し過呼吸ぎみな引き攣るような泣き声にエドガーは、迷わず声の聞こえる扉を探した。
「大丈夫だよ、テオ。僕に見せてごらん」
 廊下の先にほんの数センチ扉の閉まりきっていない部屋があって、泣き声とは違うもう一人の声がした。それは紛れもなく少年のものだったが、甘く柔らかな声でエドガーは全身に鳥肌がたつのを感じた。
「テオ。ほら…」
 大きく扉を開いた瞬間、二人の少年が同時にエドガーを見あげる。床に座りこんだテオと呼ばれていた少年は両目から涙を溢れさせ怯えたように、テオのとなりに膝をついた少年は驚いたように、エドガーを見つめる。二人の少年はどちらも人形のような顔立ちで、髪が透き通った銀色をしていた。
「泣いてる声が聞こえたから。大丈夫?」
 エドガーは黙りこんだまま二人に戸惑いながら、部屋の中へと一歩踏みこむとテオが両手を床について、びくりと体を震わせた。二人とも白い角襟のシャツに学校の制服のようなブレザーを着こみ、襟元にはリボンタイを揺らしている。
「ねぇ…彼、黒髪をしてる…」
 先ほどまで泣いていたテオは涙のとぎれた瞳で、となりの少年を見上げた。少年は軽く息をついて、エドガーを見つめたままゆっくりと立ち上がった。身長はエドガーよりも少しだけ低い。
「僕は、ユリアン。きみの名前は」
 甘くて柔らかい声、薄い茶色の瞳。肩にかかるくらいのストレートの銀髪に負けない雪のような白い肌。ただ唇だけが目をひく明るい紅色をしている。
「エドガー」
 ユリアンに見つめられたエドガーは、なんとかそれだけ声を絞り出した。ユリアンはそんなエドガーの様子に満足げに微笑むと、軽い足どりでエドガーに歩み寄る。
「エドガー。きみは<永遠の子>じゃないよね」
「なに、永遠の…?」
 ユリアンが手を差し伸ばして、エドガーの黒髪に人差し指と中指を絡めた。つうっと頬を掠めた指先がひんやりと冷たくて、エドガーが肩をすくめる。
「きみからは魔力を感じない。だとすれば、きみは…」
 なにかを言いかけたユリアンは、ふいにエドガーの髪の毛から手を引っ込めた。エドガーが不審に思う暇もなく次の瞬間、背中を強い力で勢いよく押されて両手から床に突っ伏した。
「初日から入るなと言われた扉を開くとは。使えないものを雇ってしまったかな」
「ヨアヒム様っ」
 テオとユリアンが高い声を重ねる。床に突っ伏していたエドガーが慌てて立ち上がりざま振り向くと、ダークグレーのスーツを着た背の高い男が開いた扉の廊下側に立っていた。灰色のストレートの髪を伸ばし、目元に刻まれた皺は深いのにどこか若々しくも見える男だった。
「着いたらまず雇い主に会うのが常識だと思わないか」
 真っ赤な瞳で、エドガーに刺すような視線を向ける。
「申し訳、ございません。ちょうど…」
「ヨアヒム様。彼は新しい?」
「使用人だ、ユリアン。ただ私は今こいつと喋っているところだ、口を挟むな」
 ヨアヒムが冷たい声を浴びせかけ、ユリアンは唇を噛んで目をおとした。うしろには隠れるようにテオが立っていて、ユリアンの腕を掴んだ指が震えている。
「まぁ、初日の無作法くらい許してやろう。エドガー、屋敷へようこそ」
 ヨアヒムは一欠片の笑みも浮かべずにさらりと言い、部屋の窓際にあった木の椅子までゆっくりと歩みを進めて腰掛けた。
「私はお前の大叔母からお前を、命ごと買いとった。この意味がわかるか、エドガー」
 エドガーが、なんと答えるべきなのか分からないまま息をつめていると、ヨアヒムはスーツの内ポケットから銀色のナイフを取り出した。
「つまり、エドガー。私が一言、ここでお前を殺したいと言ったら、黙って心臓を差し出せということだよ」
 ヨアヒムが左手でナイフをくるりと弄びながら言いきる。
「お、おれは…」
「私があの女にどれだけの大金を払ったと思ってる。まぁ、それは、いい。そう簡単に殺しはしない。働いてもらわなくてはならないからな。お前には、こいつらの世話をしてもらう。ユリアンをいれて、12人だったか。大切な商品だから、顔にだけは傷をつけるな」
「商品…というのは…?」
「そうだ、お前はまだなにも知らないのだったな」
 ヨアヒムは指で弄んでいたナイフを唐突に、ユリアンとテオの足元へ放りなげた。
「テオ、ナイフを拾え。新しい使用人にお前たちのことを教えてやる必要がある。そのブレザーを脱いで、左腕をだすんだ」
「ヨアヒム様。それならばテオではなく僕が…」
「ユリアン、これはテオへの罰だ。お前にはあとでたっぷり鞭をくれてやる」
 でも、とユリアンは言いかけたが、テオが瞳に涙を浮かべながら「僕なら平気」と、囁いた。
「そうだな、テオ。それにお前の魔力はまだ弱い。そのナイフでやることはわかるな?」
「はい、ヨアヒム様」
 テオはブレザーを脱いで、シャツの左袖のボタンを外した。袖をまくり上げた時、テオの細っそりとした腕にまだ赤いみみず腫れが浮かんでいるのをエドガーは見て、先ほど聞こえた泣き声の理由を知った。真っ赤に腫れたその痕は打たれたばかりの鞭の痕だ。テオは右手でナイフを握りなおしたかと思うと、ぎゅっと目を瞑って鋭利な刃を自分の左腕に突き立てた。
「…っ…っ!」
 テオがナイフを腕にあてたままゆっくりと滑らせ、白い腕にじんわりと血が滲んでいく。
「ユリアン、テオの痛みを長引かせたくなかったら、そいつを抑えていろ。これは命令だ」
 テオに駆け寄ろうとしたエドガーは、ユリアンに腕を掴まれその場に抑えこまれる。ヨアヒムは顔面蒼白なエドガーを見、その腕を掴みながら唇を噛むユリアンを見たのち、自分の足下でナイフを握ったままうずくまっているテオを冷たい目で見下ろした。
「テオ。この屋敷で禁止されている2つのことはなんだ?」
「屋敷の外に出ること。…魔力を使うこと、です…」
「そうだ、テオ。ただ、たとえどんなルールがあろうとも、なにより優先されることはなんだ?」
 ヨアヒムはわざとらしくゆっくりと尋ねた。
「ヨアヒム様のお言葉です。ヨアヒム様…お願いします…お願い、しま、す…」
 テオの左腕はみみず腫れの覆う肌に、切りつけられたナイフの傷口から流れ出した血がつたい、手の甲は血まみれになっていた。ヨアヒムはテオの泣き声など聞こえていないかのように、無表情のままスーツの袖を捲くり腕時計を見つめた。ヨアヒムは秒針が二度回転をするのを見届けたあと、床にしゃがむテオを一瞥もせずに椅子から立ち上がった。
「ユリアン、もういいぞ。許可しよう」
 それだけ言い残して、もう興味が薄れたとでもいうようにヨアヒムは部屋から出て行く。
「……ユリアン…」
 テオが擦れた小さな声で懇願するように名前を呼んだ。潤んだ瞳がまっすぐにユリアンを見つめる。
「エドガーは、ここにいて」
 ユリアンは掴んでいたエドガーの腕を引き寄せて、耳元で囁いたかと思うと腕をするりとほどいた。
「なに、を…?」
「テオ」
 壊れものを扱うような優しい声で名前を呼び歩み寄る。ユリアンがテオの頬を手の平で包んでゆっくりと涙を拭い微笑みかけたとき、それまで痛みで歪んでいたテオが一瞬、恍惚の表情を見せた。ユリアンは目を閉じテオを引き寄せ、ゆっくりと紅い唇をテオの唇に重ねた。
「…っ……ユリ、アン…っ」
 重ねては引き離し押しつけあう淫靡な口づけに目を奪われていたエドガーだったが、不意にユリアンの髪を掴むテオの左腕の傷が癒えていることに気づく。ナイフで切りつけた傷口はなく、赤いみみず腫れもない。ただ赤い血が白い肌とシャツの袖口にその跡を残していた。ユリアンが唇を離したとき、テオは目を閉じユリアンの腕にもたれかかって気を失った。
「多分、疲れただけだと思う。傷は治ってもう痛みはないはずだから」
「きみが、治したの…?」
 ユリアンは、エドガーに向かって小さく笑みを浮かべて頷く。
「僕だけじゃない。このお屋敷にいる子はみんな、人を癒す力を使える。もちろん、テオも。ただこの魔力はこうして他人にしか使えないけど」
「魔力?」
「僕らは魔力をもった人間は、皆んな銀髪で、それで……永遠に少年のままなんだ」
 永遠の子、と名付けられた少年たちの噂があった。それはどんな傷や、怪我もほんの数秒の口づけで治してしまうという少年たち。さらにその魔力はあまりに強力なゆえに、少年たちと長い口づけを交わせば、命さえも永らえさせることができる、と。



 毎朝エドガーは、与えられた小部屋でシャツとベスト姿に着替え、少年たちの寝室へと向かう。寝室は3人1部屋でエドガーは毎朝1部屋ずつ訪ねて少年たちを起こしてまわる。
「パウロ、テオ、起きて。クリスも」
 横に3つ並んだベッドそれぞれに同じ銀色の髪をした少年が眠っている。最近ではテオとユリアン以外の他の子の顔も名前も覚えた。パウロとクリスは人見知りが激しく、最初は全く喋りかけてこなかったが今ではエドガーがいることにすっかり慣れている。
「エドガー。ねぇ、僕のリボンタイ、どこ…?」
「リボン?クローゼットの下に落ちてない?それともポケットの中は?」
 この3人を起こすのに一番時間がかかる。起きたあとシャツやブレザーを着るところまで手伝ってやらなければ、またすぐ眠りについてしまう。そうして1部屋ずつ回った最後の部屋が、ユリアンとフローラとレオの部屋だ。
「おはよう、エドガー」
 レオがベッドに座ってシャツの前ボタンをとめながら振り向く。3人はエドガーが行くときにはもうすでに起きてることが多い。
「おはよう、レオ。あれ、ユリアンは」
「ユリアンなら、昨日の夜からいないけど~」
 鏡の前で髪の毛を梳かしてるフローラがこたえる。フローラは、肩をゆうに超える長さにまで緩やかにカーブした銀髪を伸ばしている。エドガーは初めて会ったときは、黒目がちな瞳にその巻き毛に一瞬女の子だと勘違いしてしまうほどだった。
「いないって?」
「どこかにはいると思うよ。ねぇレオにぃ、フローラ今日は2つ結びにしたいから髪の毛わけて」
「うん…いいよ」
「2人とも朝ごはんの時間、遅れないようにね」
 エドガーは二人の後ろ姿に声をかけて部屋を出た。同じブレザーを着た少年たちが廊下をかけて食堂へ向かっている。なにも知らない人からすれば、ここは小さな寄宿学校に見えるのではないか。同じ制服を着て、同じように生活する少年たち。違うのはただひとつ、この少年たちはいずれ人に買われる身であるということのみ。
「お金でこの世のすべてを手にできる人たちがね、最後に手に入れたいと思うのは、永遠の命なんだって。その人たちのために、僕らがいる」
 ユリアンは当然のようにそう説明した。少年たちはなんの疑問も持たない。石造りのこの屋敷に閉じ込められていることも、いずれこの屋敷を出て別の屋敷に行くことにも。


 エドガーはユリアンを1階の普段は使われていない客室のソファで眠っているところを見つけた。
「ユリアン…なんでこんなとこで寝てるの」
 ユリアンはブレザー姿のまま横になっていて、よれて皺になっている。
「…ん…っ…エドガー…?」
 ため息まじりにユリアンは、エドガーのスーツの裾を握りながら身体をおこす。
「いま何時……?」
「11時半だよ。もうすぐみんな午前の勉強終わって昼食の時間だけど…。ユリアンは授業受けなくてもいいの…?」
 少年たちは毎日、先生と呼ばれている男から外国語の授業受けている。少年たちが外国語を学ぶのは、将来所有者となる人物がどんな言語を喋ろうとも会話ができるようにしておくためだという。
「うーん…本当は行かなきゃだけど、僕もうフランス語も英語もロシア語も飽きちゃって…」
 ユリアンが気だるげに言う。ユリアンは夕食のあと少年たちがいつも先生に出された課題に取り組む間も、少し遠まきに1人でいることがある。誰とでも仲良く話しはするし、時にはみんなの中心にいるようなこともあるのに、ユリアンは時々ほかの少年たちとは違う空気を纏う。
「飽きたって……。あとで先生に怒られない?」
「それは平気…ヨアヒム様にバレたら困るけど。ヨアヒム様、昨日の夜出かけたからしばらくいないんだぁ」
 ユリアンは大きく伸びをして、それからふとエドガーの顔に目をとめる。
「エドガー。ほっぺた、どうしたの?赤くなってる…」
「あぁ、さっきちょっとミスしたときに殴られて…」
 ユリアンが腕を引っ張って、エドガーの口を唇でふさぐ。ソファの後ろの大きなガラス窓から差し込む日の光がユリアンの揺れる銀色の髪に反射してきらきらと光っている。
「……っ?!」
 エドガーはユリアンの肩を掴んで細い身体を思いきり引き離す。
「ユリアン…?!こんなことして…」
「もう治ってるよ」
 首をかしげてふわりと微笑む。確かにエドガーの頬の痛みは消えていた。きっと腫れも治まっているのだろう。
「ダメだよ…こんなこと…おれはいいのに…」
「なんで?痛いの治ったほうがいいでしょう?」
「だって…勝手に魔力を使ったら…」
「バレなければ大丈夫。それにバレても僕が怒られるだけだよ。ヨアヒム様に怒られるの、慣れてるし。エドガーみたいに顔をぶたれることはないから、全然平気」
 ユリアンは笑顔のまま自分の肩に置かれたエドガーの手をぎゅっと握る。エドガーは心配そうに眉をよせた。



 それから何日もユリアンの言ったように屋敷でヨアヒムの姿を見ることはなかった。
「ユリアン。また、ここにいたの」
 エドガーがみんなの夕食の世話を終えて、自分の部屋に戻るとユリアンがエドガーのベッドに横になっていた。
「うん」
 うつ伏せになったユリアンはベッドの上に本を開いていた。紙の古くなったその本はエドガーがこの屋敷にくるときに持ってきた、数少ない私物の1つだった。
「読みたいなら、その本持って行っていいよ。おれどうせ読まないし」
「これは、エドガーのお母さんの形見の本、なんだよね」
「うん」
 ユリアンは納得したように頷いたあと、また顔をおとして本を読み始めた。エドガーは小さな木のテーブルで、先生に頼まれたプリントの整理を始めた。時折ページをめくる紙の音と、安定の悪い木のテーブルががたがたと小さな音をたてて部屋に響く。その静けさが、勢いよく開かれた扉の大きな音に破られる。
「エドガー!ユリアンどこにいるか知らないっ?」
「どうしたの、テオ?」
「ユリアン!ここにいたの!」
 テオが泣きそうな顔でユリアンに駆け寄る。
「フローラとレオが大喧嘩してるんだ…っ」
「また?しょうがないね、あの2人も」
 ユリアンはベッドから降りて駆け足で部屋を飛び出す。エドガーもテオと一緒にあとを追う。
「2人はよく喧嘩するの?」
「時々、かな…。物は投げ合うし、とにかく大騒ぎで…ユリアンにしか止められない…ユリアンが1番お兄さんだから」
「お兄さんって?」
「ユリアンは誰よりも長くここにいるんだよ。だってユリアンはヨアヒム様に飼われてるから。僕には絶対無理…だってヨアヒム様ってこわいし…」


 ユリアンは1人照明のついていない客室で、ソファに仰向けになった。そこのソファは仰向けになると、ソファのうしろの大きなガラス窓から夜の空が見えた。今日は薄い雲がかかっているが、それでもいくつも星が見える。フローラとレオの大喧嘩は今回、カーテンとインク瓶を犠牲にしてやっと収まった。ヨアヒム様がいない時でよかった…とユリアンは思う。
 ため息をつき、その窓から差し込む月の光でエドガーに借りたから本を読み始める。外国語の勉強以外の本を読んだのは初めてだった。エドガーはいくつもあった本のうち、お母さんのお気に入りの本を形見として持ってきたと話していた。他にはどんな本があるのだろう。
「ユリアン、またこの部屋にいたのか」
 ふと、お腹の上に本を開いたままうつらうつらとしていたユリアンは、低い男の声に目を覚ます。
「ヨアヒム様…っ!おかえりなさい…予定より早い、ですね」
 ユリアンは起き上がりざま、咄嗟にエドガーの本を自分の身体の下に隠す。けれど近づいてきたヨアヒムは、赤い瞳を光らせながらユリアンを見つめた。
「なにを隠してる?」
「いえ…っ…なんでも、ありま…」
 抵抗も虚しくあっさりと本を取りあげられる。
「なんだ、これは」
「…………エドガーの部屋にあったのを…僕が勝手に…」
「私がいつ与えられた以外の本を読むことを許可した?」
 飼われる身である少年たちは、余分な知識があることを望まれない。無知で従順であればいい。
「……でも、僕はただ」
「でも?」
 ヨアヒムが冷たい声で遮る。ユリアンは唇を噛んで、それでもヨアヒムから目を逸らさずにじっと固まっていた。
「全く。私がしばらく留守にすると、やはりお前は反抗的になる。悪い子にはお仕置き、しなければな」
 ヨアヒムはユリアンの身体を掴んでいとも簡単に肩の上に持ち上げる。
「ヨア…ヒムさまっ…!」


 ヒュッと空気を切る音と共に、細長い鞭が振り下ろされる。バシィッと肌に弾ける音がして、一瞬ののちにユリアンの身体を痛みが駆け抜ける。
「ぃっっ……っ!!!」
 ユリアンはヨアヒムの寝室の大きなベッドに上半身を押しつけられていた。むき出しにされた尻に、細い鞭の痕が重なっている。ヨアヒムは鞭を握った右手を再度振り上げて、勢いよく振り下ろした。
「あぁっ…んんっ……っ!!」
 ユリアンは両手でシーツを握りしめて痛みに耐える。
「ユリアン。ユリアンは私の命令にだけ従っていればいい、そうだな?」
 鞭の先が肌を滑るだけで痛みが走る。ユリアンは、こくこくと頷く。途端にお尻に触れていた鞭が離れて、またバシィッンッと振り下ろされた。
「返事は声に出せと、教えただろう」
「ははいっ…はいっ…ヨアヒム…さまっ…ご、ごめんなさい…ぃ…っ」
 ヨアヒムは、はぁっと長いため息をついて鞭を放り投げた。ユリアンは上半身をベッドに預けたまま足を崩して床にへたり込む。
「ユリアン、まだ終わってない。黒いパドルを取ってこい」
「ヨアヒム様…っ…もうっ…もう…いっ!!」
 ぎゅっと耳を掴まれて身体を引っ張り上げられたユリアンは、目を瞑って痛みに悶える。
「私の命令が聞けないのか?」
「いいえ…っ!取って、き、ます…っ」
 身体を突き飛ばされたユリアンは、歩くたびにずきずきと痛みが走るお尻をかかえながら、木の戸棚に向かう。戸棚の中には、お仕置き道具が並べられている。パドルは平たい木の板に持ち手がついた物で尻を叩くのに使われる。ヨアヒムの戸棚には幾つもの種類のパドルがあって、その中でユリアンは黒く他のものより少し分厚いパドルを手に戻りヨアヒムに手渡した。
「ベッドに仰向けになれ」
 ユリアンが横になると、ヨアヒムはベッドの上に膝立ちになって、ユリアンを見下ろした。
「ユリアン。お前、私の留守中に魔力を使っただろ」
「い、いいえ…っ」
「なぜそこで嘘をつく?見ればわかるんだよ、ユリアン。それともいっぱい叩かれて痛い思いをしたいのか?」
 ヨアヒムにそう言い捨てられてユリアンの両目には、さきほどまで我慢していた涙がじんわりと滲んだ。
「痛いの…っ…いやっ…」
 散々鞭を打たれてミミズ腫れの走るお尻にさらにパドルを重ねられる痛みを考えると、心臓を痛いくらいに早くなる。「怒られるのは慣れてるから」と自分が言ったときにエドガーが見せた心配そうな顔が浮かんでユリアンは、余計に涙が溢れてきた。
「ごめんなさぃ…ヨアヒム様ぁっ…痛いの…嫌、です…っ」
「足を抱えろ、ユリアン。今日はお前がしっかり反省するまで叩く」
「ごめんなさぃっ…ごめんなさ…っ」
 ユリアンはそろそろと両足を抱えて、赤く腫れたお尻をあげる。ぱんぱん、と軽く位置を確かめるようにはたかれただけで、ユリアンはうぅっと喉をつまらせる。すっと腕が振り上げられて叩きつけられる。バチィイインンッ!!と大きい音が響いた。
「あぁんんっっ……ィッ!!!」
 ユリアンの涙交じりの声をあげた。



 エドガーはノックの音で目が覚めた。時々テオやパウロが寝つけないと訪ねてくることがある。
「どうし……ユリアンっ?」
 扉を開くとユリアンが白いシーツだけを体に巻きつけて立っていた。
「エドガー…」
 ぼろぼろと泣きながら、それでもユリアンは無理矢理いつものように笑ってみせた。

 エドガーは自分のベッドにユリアンを寝かせ、洗面台でタオルを濡らして絞ったものを持ってくる。うつ伏せになったユリアンのお尻は紫色に腫れていて、白濁した精液にまみれていた。
「ユリアン…き、れいにする、ね」
 エドガーが声をかけてタオルをあてがうと、ユリアンは身体をこわばらせて小さな声で「ぃや…いたぃ…っ」と言った。エドガーはなるべく優しくタオルをあてがう。
「エドガー…お尻の…っな、中……搔き出し…て…」
「わかった」
 エドガーはユリアンのお尻の奥の蕾に指を差しいれる。ゆっくりと動かせば、ドロドロと精液が溢れだす。それらを全てタオルで拭き取っていく。ふとエドガーは、シーツの巻きついたユリアンの足先に目をとめた。
「ユリアン、足…どう、したの?」
「あ…ぁ、それは、何でもない」
 シーツを巻きつけて隠そうとするユリアンを押さえつけて引き剥がす。ユリアンの白くて細い両足の先の小さな足は、腐れ始めているかのように黒く萎びていた。
「ユリアン?」
 ユリアンは息をついて仰向けになって、お尻がシーツに擦れたことで少し痛そうに顔をしかめたあと、天井を見つめたまま口を開いた。
「魔力の代償。僕たち、時が経つと体がぼろぼろになってくんだ…」
「体が?どういうこと、だって永遠の命って…」
 ユリアンは顔を歪めるエドガーを見上げ、目を細めて笑顔をつくった。
「永遠の子って言っても、本当に永遠に生き続けるわけじゃない。僕たちの魔力っていうのは、自分の命を吹きこむことで他人の命を永らえさせる…だから僕らは少年のまま成長しない。そうやって自分の命を全て他人に捧げたとき、体はもうぼろぼろになっていて使いものにならない。僕はまだ足の先だけだけれど、いずれは、ね」
「そん、な…」
「僕、これを話したとき、エドガーはどんな顔をするんだろうって考えてた」
 言葉をつまらせたエドガーの頬にユリアンはそっと手をそえる。
「ねぇ、エドガー。僕を抱きしめて。それだけでいいから」
 エドガーは勢いよくユリアンの細い体を正面から抱きしめた。シーツが顔に擦れる。
「ユリアン…」
「エドガー」
 耳元でユリアンの甘くて柔らかい声がする。

(あぁ、彼の命をすべて手に入れることができたら)

 エドガーはそう思った瞬間に恐ろしくなって、ただただユリアンを抱きしめる両腕に力をこめた。窓の外に広がる空は、のぼる朝日の薄いオレンジ色に染まりはじめていた。

森山ゆうき
グッジョブ
1
センチミリ 16/02/16 21:34

タグと題名からこう……ひたすら血生臭いものを想像してたんですが、
読んでみるとそれ以上に悲しい、悲し過ぎる…。
そしてその悲しさを最高潮まで高めたところで物語を打ち切るところが酷い!(※良い意味で)
魔法の正体といいなんといい、とてもザクッと来る話でした。

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