ハッピーエンド
しかしその内面では『好き』たった二文字の言葉が、胸の中にストンと落ち込んでいき心が満たされていくような感覚に陥る。顔がオーバーヒートを起すのではと思うくらいに熱く、自身の身体に無いはずの体温があるかのように錯覚するほど興奮させる。
小学生の頃ユキに初めて会ったとき和希は、本当の人間かと思っていた。
決められた言葉を決められたとうりに言うだけでなく、その場に合った返答をタイムラグも無く流暢で感情豊かに話す。
見た目も球体人形と違い、関節も滑らかで継ぎ接ぎも無い。
両親から教えてもらうまで本当の人間と信じて疑わなかった。
聞いた時は驚きだったが、すぐそんなことは気にならなくなり、今では何事にも変えがたい大切な存在になっている。
人間とアンドロイドの差は何なのだろうか?
作られた存在と言うならば、極論を言えば人だって父親と母親から作られた存在である。
絆と言うあやふやなもの、つながりを求めるのに境界線などありはしない。
一人だと依存だが、二人が想い合えば共存になる。
これはそんな彼らの物語。
小さいころから一人っ子であった高梨和希。
共働きで忙しい両親は、家事手伝いに加え和希のお守相手としてアンドロイドのユキを雇い入れた。
初めて見る顔に戸惑っていた和希だったが、学校であったことを話したり遊び相手になってくれるユキのことをお兄ちゃんと呼び心を開いていった。
和希はユキに対して段々と遠慮と言うものが無くなり、ユキもまたそれを受け入れる様子は、傍から見ても仲の良い兄弟のように見える。
『兄弟』その言葉を聞くたび心に引っ掛かりを覚える和希とユキ。
それがなんなのかは、このときは二人ともまだ気づいてはいなかった。
和希が小学校を卒業し、中学に上がりしばらくすると、『誰々が好きだ』とか『誰々が付き合っている』
などと言った男女関係の話題が増えてくる。
そういった話題を友達に振られても、クラスの女性に興味を持てない和希は曖昧な表情でごまかしていた。
恋って何だろう? 好きになるって、どういうこと?
考えた時に和希の胸を占めているのは、いつもそばにいてくれるユキ。
誰よりも付き合いの深い彼のことを、友達という枠を超えて異性よりも好きだと感じる。
倫理的な観念から言えば、人形を愛してしまうなど好事家でしかありえない。
アンドロイドに恋をすることはいけないことなのだろうか?
それが人型であり、しかも男性を模している。
誰かに言えば馬鹿にされる、偏見の目で見られるかもしれないという恐怖。
和希がその感情に気づいた時、他の友人も出来たこともあり、少しづつユキから距離をとるようになった。
どんどん好きになっていく感情が怖かったのだ。
これ以上好きになってしまうと、一体自分がどうなってしまうのか。
今ならまだ間に合う、気持ちに蓋をすることが出来ると思っていた。
そんな些細な変化をユキは敏感に感じ取っていた。
和希が冷たくなって何故か避けられている気がすると感じる、
昔は学校から帰るとすぐにこちらにやってきたというのに、今では挨拶もそこそこに出て行ってしまう。
口を利いてくれない、それだけでユキはズキンと胸が痛む気がする。
自分はアンドロイド。
アンドロイドに心なんか無いはずなのに。
ユキはそんなことを考えないように頭を振る。
何か悪いことをしたのだろうか?
大きくなった和希に、もう自分は不要なのではないか?
そんな中聞いた和希が遠くの高校へと進学するという事実。
家から離れた学校に進むということで親元を離れ一人暮らしすると言う。
「お願いがあるんです」
アンドロイドのユキが初めてしたお願い。
それは………
高校に入り一人暮らしをする条件として親に出されたこと。
家事などあまりやったことの無い和希を心配した母親は、ユキを一緒に連れて行くことを条件に送り出した。
過保護かもしれないが、実際に親元を離れ暮らしてみると、炊事・洗濯・掃除など疎かになりがちな部分。
その欠けた所をユキが肩代わりして埋めてくれることで、生活が楽になったことは感謝しなくてはならない。
狭いマンションの一人暮らしでは、いやがおうにでもユキとの距離は必然的に近くなる。
忘れるために、遠ざけるために一人暮らしをしようと決めていたはずなのに、これでは何のために決心して、遠い高校を受けたのかわからなくなる。
けれど二人きりでいられる時間が増えたことに、和希は嬉しさの方が勝ってしまう。
一人でいると、どうしても喋り相手が欲しくなる。
なにより好きな相手がすぐそばにいるのだ。
一緒に暮らしだして最初の間はギクシャクしていたが、すぐに前と変わらず、いや前以上に親密になっていった。
「ユキ、ユキ、ユキ」
ユキの目を盗みながら、ユキの名を呼び自らを慰める和希。
丸めたティッシュをくずかごに捨てると、軽い陶酔感と自己嫌悪に襲われる和希。
簡単なバイトをたまにこなしながらユキと二人で送る同棲生活。
単調な繰り返しだが、なにより学校に行き、帰るとユキが出迎えてくれる。
『行って来ます』と『ただいま』を言えば『いってらっしゃい』『お帰りなさい』と返ってくる言葉に安らぎを覚える。
そんな毎日を過ごしているうちに、時として不安を覚えることがある。
成長していく自分とは違い、成長することも老いることも無いアンドロイドのユキ。
このまま自分が歳を取っていっても変わらない彼を前にして、自分は平静でいられるのだろうか?
いつも一緒にいて笑顔を見せてくれるユキ。
今が幸せであるからこそ変わっていくことが恐ろしい。
「あれ、おかしいな」
和希の目から零れ落ちる雫。
少しづつ流れ落ちる量が増えていく。
「和希、大丈夫?」
いつの間にかユキが至近距離まで近づいていた。
声をかけられて初めてユキがそばにいるのに気づく。
「ユキはどこにも行かないよな?
俺の前からいなくなったりしないよな?」
伝えるためではなく、独り言のように呟く和希。
「どうしたの和希?」
こちらを心配そうに見つめるユキは、人間よりも人間らしく、そして誰よりも世界中で一番僕を心配してくれている。
だからこそ不安になる。
彼がアンドロイドだと言う事実に。
俺の気持ちは、紛れも無く彼を愛している。
しかし彼はどうなのだろうか?
心配してくれているのは、そういう風に設定されてるからではないのか?
雇い主である自分に、不都合の無いよう都合の悪いことはしないようになっているのではないか?
一つ考え出すと、次々に想いが溢れてきて頭の中でグルグルと回りだす。
泣いている和希を目にしたユキは、決められたプログラムでは無く抑えることの出来ない自分の気持ちに気づく。
誰かのためではなく、和希のため、彼だけのために何かしてあげたいということに。
気づいた時ユキは、すとんと胸の中にわだかまっていたものが無くなった気がした。
親鳥が雛を守るように、自然とユキは和希を抱きしめる。
「いつもこうして抱きしめてくれたんだっけ…」
和希は昔を思い出す。
いつもそう、ユキは和希が落ち込んだ時にすぐに来てくれた。
小さいころ両親が帰るのが遅くて一人でいるのが辛くて泣いていた時。
何か起こって泣くたびにユキはこうして優しく抱きしめてくれた。
この歳になって涙を見せたことを恥ずかしく思ったのか、ユキの肩にあごを乗せ顔を見せないようにする和希。
「ほら、ここ涙残ってるよ」
涙が消えるまで優しく頭を撫でながらユキは和希の頬を伝う一滴を舌で優しく舐めとる。
「な…な…何するんだよ」
突然のことにビックリし、慌てて距離をとろうとする和希を、ユキはしっかりと抱きとめ離さない。
「ダーメ、離さない。
そんな顔してる和希がいけないんだよ。
和希は僕のこと嫌いなの?」
心配そうにしながら諭すように言うユキ。
「そんな顔って…ユキのこと嫌いなわけないじゃないか」
少し赤くなった目を擦りながらはっきりという和希。
「でも僕はアンロイドだよ。
人間じゃない」
その言葉だけは聞きたくなかった。
特にユキのその口からは。
耳をふさごうとする和希の腕をユキは掴みとめる。
いつかは向き合わなければいけない事柄。
普及したとはいえ、いまだ認められていないアンドロイドとの恋。
でもそんなことなど和希には関係なかった。
ユキと生活するうちに、ユキのいない暮らしなど考えられなくなっていた。
この感情が恋であり愛でないなら、世の中の全ての恋愛こそ作り物である。
「ユキ、俺はお前のことが好きだ
だから二度と俺の前でそんなこと言うな」
ユキの優しくて真っ直ぐな目を見つめながら、半ばヤケクソのように叫ぶ和希。
それはユキへの初めての告白。
今までは、周りの目が気になって伝えられなかった言葉。
口にすること無かった言葉を口にすることで改めてユキへの想いの深さを感じる。
ユキは和希の腕を掴むといった、主人に害する行動をとってしまったことに驚いた。
反射的に起きた無意識の行動。
離れたくない、放したくないという思いの表れ。
そしてなによりも和希が自分のことを好きと言ってくれたことに対して深い喜びを隠せない。
「僕も和希のこと好きだよ」
掴んでいた腕を放すと、その言葉にシンプルに返すユキ。
しかしその内面では『好き』たった二文字の言葉が、胸の中にストンと落ち込んでいき心が満たされていくような感覚に陥る。
顔がオーバーヒートを起すのではと思うくらいに熱く、自身の身体に無いはずの体温があるかのように錯覚するほど興奮させる。
和希もまた『好き』と言う言葉に喜びを隠すのを抑えきれない。
身体が熱くなるのを感じると同時、そのまま欲望に身を任せる。
まるでこうなることが決められたかのように。
「お前がいけないんだからな」
和希はユキを押し倒すと、思いの丈をぶつける。
例え作られた存在であろうと、今ここにユキがいる。
それだけが全てだった。
身体を重ねあう和希とユキ。
ユキのシミ一つ無い肌を汚し、自分の物と言う証を刻み付けていく。
所有物なのではなく、共に愛するパートナーであり、一人の存在として交じわいあう。
肌と肌の触れ合いは、言葉だけではなく精神的なつながりとして、今まで以上に二人の心をつなげ刻み込んでいる。
互いに求め合い、幸福の時を過ごしていく。
そこには人間とアンロイドという垣根は無く、幸せそうな二人がいるだけだった。
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