切ない/エロなし/すれちがい
「私はあなたがた人間が羨ましいのです。覚えておいでですか?あなたが私に温かさというものを教えてくれた日の事です。ご存知の通り私の身体は冷たいです。冷たいというものも正直よくわかりません。数値で表される値と直接感じる温度とでは、おそらく違うでしょうからね」
冬のある寒い日。学校帰りに友人と別れ、誰もいない家に帰ることが俺の習慣だった。小さな公園を抜けた先にある集合住宅地の一角。歩道の脇には自然エネルギーを用いた街灯が、暖かい光で辺りをほんのりと照らしているが、俺の心はすっかり冷えきっていた。
「ただいま」
誰もいない玄関に向かって小さく声を発する。両親は共働きで忙しく、俺が家に帰る頃には誰もいないのが普通だった。
だが、この日は違った。
「おかえりなさいませ、和希坊ちゃま」
平淡だけど、どこか温かみのある声が返ってきた。
見上げた先にいたのは、スラリとした体躯に中性的な顔をした年若い青年。
これが当時六歳の俺こと高梨和希と、アンドロイドのユキとの出逢いだった。
人間が人工知能を備えたロボットと暮らすことが当たり前になった世界。俺の家にも家庭用のアンドロイドがやってきた。それがユキだ。
仕事で忙しい両親の代わりに家事をこなすユキは父でもあり、母でもあり、また一人っ子で兄弟のいない俺にとって年の離れた兄でもあった。
いつのまにかユキは一番の友になっていた。ユキがいれば何も寂しくはなかった。
ただ一つ不満があるとすれば、ユキには体温がないのだ。夜眠れなくてユキに一緒に寝るようにと命じたことがある。珍しくユキが渋ったので、その時のことはよく覚えていた。
「いけません、坊ちゃま」
「どうして?」
「私は眠ることが出来ないからです」
淡々とユキは答えた。まるであらかじめ用意されていた答えを述べたように。その態度を不快に思った俺は、ユキの腕を引っ張り、無理矢理ベッドの中に引き込んだ。
あとになって思うが、子供の力で重い鉄の塊を動かせるはずはない。この時ユキは自ら足を進めてくれたのだろう。
「坊ちゃま、この手を放してくださいませんか?」
俺はかぶりを振り、両腕を伸ばしてユキの背中に回した。距離が一層縮まり、互いの身体が触れ合った。胸の鼓動が速くなるのを感じたが、ユキからは何も感じない。彼がアンドロイドだからだ。
「どうしてユキの身体は冷たいの?風邪ひいたの?」
「お優しい坊ちゃま」
ユキはクスリと笑って、白く長い指で俺の乱れた前髪を整えた。
「私は機械なので、体温というものがないのです」
「寒くないの?」
「何も感じません」
「・・・寂しくないの?」
「私には坊ちゃまがいますから。あなたのその温かい言葉で、私自身も温かみを感じることが出来るのですよ」
「じゃあ、いつかユキにも春が来るといいね」
「と申しますと?」
「春になったらみんな温かくなるんだ。ユキだってもっともっと温かくなれるよ。だから俺と一緒に春を待とうよ!」
ユキが高梨家で働くようになって三年あまりが経った頃、俺の中で小さな疑問が生まれた。
「どうしてユキは年を取らないの?」
素朴な質問だ。だがユキは一瞬手を止め、俺を見下ろした。ユキの白い顔に真っ黒な前髪が数本垂れた。それから彼は少し寂しそうな顔をして「私がアンドロイドだからです」と答えた。
「アンドロイドはみんな年を取らないの?ずっと変わらないの?」
「私たちは機械ですから。あなたたち人間とは違います」
「じゃあ俺もアンドロイドになりたい!」
「いえ、それは――」
「アンドロイドになれば、ずっとユキと一緒にいれるんでしょ?」
大きな瞳をキラキラと輝かせて俺はユキに言い寄った。ユキは「困ったお人だ」とため息をこぼすも、俺の小さな肩に手を置き、跪いて視線を合わせて言った。
「もし和希坊ちゃまがアンドロイドになられたら、あなたは一生子供の身体のままですよ」
その答えにハッとした俺は自分の小さな身体を足先まで見て、それから首をぶんぶんと横に振った。
「じゃあ俺早く大人になりたい!」
「素敵な心掛けですね。これからも日々精進して参りましょう」
幼い頃に立てた誓いを、俺はその後も守り続けた。
ユキと初めて会った時から十二年が経った。俺は高校三年生になっていた。小柄だった俺の背は成長期にぐんぐんと伸び、今ではユキを追い越すまでになっていた。
だがユキは何も変わらない。あの日と同じ高さで話し、あの日と同じ距離間で俺に接している。今でもユキは家庭用のアンドロイドとして日々家事をこなしている。それも変わらない。
変わったのはユキに対する俺の態度だけだ。
「おかえりなさいませ、和希さま」
俺はその声を無視してずかずかと自室へ籠った。
ユキは何でも俺の言うことを聞いてくれる。「坊ちゃま」呼びが恥ずかしくて何とか呼び方を変えてくれないかと頼んだ時も、少し困ったような顔を見せたが、結局は今の形に治まった。
だがユキが優しいのは何も俺に限ったことじゃない。両親はもちろん、来客や、買い出しに立ち寄る近所のスーパーの店員にさえも、ユキは優しい笑みで、優しい言葉をかける。そうするように製作段階でプログラミングされているからだ。
思春期の俺はユキのその態度が癪に障って、極力口を利かないようにして過ごした。ユキが誰かに向けるあの笑顔が、どうして俺だけに向いてくれないのかと本気で考えた。俺の中でユキの存在がどんどん大きくなっていった。もうユキなしでは生きられないと本気で考えもした。
初恋だった。
これが恋などという甘い言葉でくくっていいものなのかはわからないが、その時俺は、初めてユキを恋愛対象として見ていた。相手はアンドロイドであり、その上性別は男である。機械に性別があるものかどうかはわからないが、長身であることと、声が低いこととを総合して俺は彼を男と認識していた。
大学進学のために勉強するからと部屋に閉じこもり気味の俺にもユキは必ず声をかけてくれた。だが俺は彼に俺の想いを悟られるのが怖くて、わざと突き放した態度を取った。
数日後、俺は思い切ってユキに直接聞いてみることにした。ユキの本心が知りたかった。
「ユキは俺のことが好きか?」
「はい。もちろんですよ、和希さま」
いつものとおりニコリと笑うその顔が、だんだん俺には作り笑いに思えてきた。無性に腹が立った。
「そういう意味じゃない」
俺は強く言葉を切って、言った。
「人間として、男として、俺のことが好きか?」
「ご冗談を。私はアンドロイドです。機械の私に聞くだけ野暮でございますよ」
そう言い残すと、ユキは颯爽と部屋を後にした。
俺はといえばその場に立ち尽くし、ただユキの出て行った扉を眺めるだけだった。ユキの反応は予想以上に冷たく、辛辣なものにさえ感じた。
ちゃんと言葉で伝えれば、想いは必ず届く。恥ずかしくもそう信じていた。だが現実はどうだ。欲しかった答えは聞けず、そればかりか彼からは何も返ってはこなかった。
俺は初めてユキとの間に、とてつもなく高い壁を感じた。
ユキにフラれてからしばらくして、俺の中にある考えが芽生えた。それを叶える為に俺は人が変わったように勉強に勤しんだ。
俺はもう大人になった。ユキに頼りっぱなしだった子供の頃とは違う。将来の目標もでき、中身も大人になった。
「ユキ」
あの日と同じくらい寒い日の夜。部屋に訪れたユキに俺は思い切って声をかけた。俺の声に滲む熱を感じ取ったのか、ユキは俺の目を見て、続きを促した。
「俺はユキを愛している」
「・・・和希さま、お戯れはよしてください」
「本気だ」
そう告げた後、ユキは何も返してはこなかった。俺の声を聞いているのかも分からない。まるで感情のない機械に話しかけている感覚だ。いつものユキならば俺の発した言葉に、きちんと言葉で返してくれる。どうしてこんな時だけユキはただの機械になってしまうのだろう。虚しさだけが募った。
「・・・俺もアンドロイドになりたい」
ぽろりとこぼれた本心は、だがしかし、彼には届いていた。
「まだそのような戯言を。あなたはもう子供ではありませんよ」
「だからこそだ!」
会話が続いた喜びと共に、ぴしゃりと窘められた悔しさが沸き起こって、気づけば俺は熱く語り出していた。
「この国の技術をもってすれば人間をアンドロイドにすることくらいわけないだろう?俺がこれまで何を学んできたと思ってるんだ。専門技術を一から学べる大学に行って、いつかはユキが生まれたように、俺もアンドロイドを作る側の人間になりたいんだ。でもそれじゃ足りない。俺は、俺自身をアンドロイドに改造して、ユキと一緒に同じ時を過ごしたい」
「・・・」
「ユキ、一生俺の傍に居ろ」
俺はユキの答えを待った。
「・・・残念ですが、私はあなたと一緒には生きられない」
「どうして?」
「あなたが人間で、私がアンドロイドだからです。人間であるあなたは年が経つごとに身体は成長し、やがて衰えていくでしょう。対して、私はアンドロイドです。生まれたままの姿で時を過ごし、何も変化することのないまま、いつか動かなくなる。寿命があるという点では人間もアンドロイドも同じでしょうが、その長さの違いは一目瞭然です。だから和希さま。たとえあなたの命令でも、私はあなたと同じ時を過ごすことが出来ないのです」
「だから、俺がアンドロイドになれば何も問題はないじゃないか!」
「それはなりません」
「ユキ!」
「私のこの機械の身体はあなたにとって不都合でしかありません。食事も睡眠も必要としない完璧な身体。聞こえはいいでしょうが、はたして我々アンドロイドがそれで幸せだと思いますか?」
「それは」
「私はあなたがた人間が羨ましいのです。覚えておいでですか?あなたが私に温かさというものを教えてくれた日の事です。ご存知の通り私の身体は冷たいです。冷たいというものも正直よくわかりません。数値で表される値と直接感じる温度とでは、おそらく違うでしょうからね」
過去を懐かしんでいるのか、怜悧なユキの眼元がほんの少し柔らかくなった。
「あなたの心が温かかった。私はその時、今まで感じたことのない何かを感じたのです。それが温かいというものだと理解したのはその年の春、ご家族で花見に出かけられた時です。柔らかい薄桃色の桜の花がひらひらと舞っていて、その下には落ちてきた花びらを両手で受け止めようと奮闘する和希さまがいて、その光景を微笑ましく見守る旦那さまと奥さまがいて・・・私の目に映る全てのものが、とても綺麗で、幸せそうで。私は漠然と、ああ、これが温かいというものなのだと実感しました」
ユキの話を聞いている間、俺はその日の情景を思い出していた。毎年桜の時期に家族そろって花見に行く。それは俺にとってもかけがえのない思い出だった。
「温かさを感じ取ることが出来る春という季節が。人間のあなたがアンドロイドの私に教えてくれた、その季節が私も好きだった。私も春を待っていたのです。だからこそ」
そこで言葉を切るとユキは突っ立ったままの俺の手を両手で包み、優しく握った。やはり彼の手は冷たいままだった。
「私はあなたに私のような思いをしてほしくはないのです」
そう言って微笑んだユキの顔は泣いているようにも見えた。ひんやりとした感触が離れていく。冷たさから解放されたはずなのに、俺の手は、一度離れたユキの手をしっかりと掴んでいた。
「でも、それでも俺はユキを愛して――」
「愛している、という感情も私にはよくわからないのです」
掴まれた手はそのままに、目を伏せながらユキは言った。
「『愛してほしい』のならば、そのように私の設定を書き換えられてはいかがです?そうすればあなたの望みのまま、私はあなたを愛することが出来ます」
「――どうして」
苦しい。ひどく息苦しい。
「どうしてそんな悲しいことを言うんだ?」
語尾が震えないように保つので精一杯だった。
「私は当たり前のことを言っただけです」
俺はその瞬間、掴んでいた手を引き寄せ、その身体を抱き留めた。
「和希さま?」
「黙って」
抱きしめた身体は確かに冷たかったが、感触は人間そのものだった。
ずっと追いつきたいと思っていたその存在は、今ではすっぽりと包み込める高さになっていた。見下ろす視界に十二年分の時の流れを感じ、胸に熱いものがこみあげてきて、それを見られまいと背に回した腕により一層力を込めた。
「・・・和希さま」
「さま、はいらない」
「?」
不思議そうに見上げたユキの額に、俺はそっと口づけを落とした。
「せめて俺だけはお前を人間として、対等に接したい」
「・・・」
「これからも、俺と一緒に春を待とう」
「・・・かしこまりました」
そう答えたユキの瞳が揺らめいて見えたのは、俺の視界が濡れていたことが原因かもしれない。
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