ほんのりエロ/ハッピーエンド/切ない
最近、やたらと色っぽく感じるのはその、養殖用とかいう機能のせいだろうか「あ。もしかして繁殖期なのかなあ。ユキって。フム」何か思いついたらしい父が、あごをさすっている。
都内の高校に通う、おれ、高梨和希は、昼休みにかばんを開けて小さく舌打ちした。
「……弁当忘れた」
どうも忘れっぽい性格でいけない。ちょっと前に、かばんまで忘れたこともある。さて、今日の昼はどうするか。窓際の席でうららかな春の日差しを浴びつつ考えていると、教室のドアがスライドし、見慣れた白髪がのぞいた。
「和希。忘れ物。弁当、持ってきた」
教室の入り口で手を振っているのが、小学生の頃からうちにいる、家庭用アンドロイドのユキだ。
弁当を持ってきてくれたのは嬉しいのだが……最近、ユキの作るご飯が不味い気がしてならない。どうしてだろう?
「ユキ、サンキュ。早く帰れよ」
「承知した」
ベリーショートの白髪を撫でつけるユキが異様に色っぽい。女子も男子も注目する。おれは焦った。
「マジ、早く帰れよ」
そう言うと、ユキは何故かつかつかと教室内に戻ってきて、おれの目の前に立ち、顔を覗き込む。綺麗なアイスブルーの瞳が硬質な輝きを放っている。
「和希はユキのこと嫌いになったか? 最近冷たい」
「いや、そんなんじゃなくて。だ、だから。め、命令!」
色香に惑わされそうになり、慌ててそう言うと、しゅんとして、こちらを振り返りつつ帰っていった。しゅんとするアンドロイドなんて、聞いたことがない。
というか、アンドロイドに性的興奮を覚えるなんて、条例違反だ。
「おい、高梨ん家のアンドロ、やたら美人じゃねえ? 色っぽいしさ。いいなー。あれいくらぐらいすんの?」
「しらねーよ」
ユキがうちに来たとき、母が「また高いものを勝手に」と父にこぼしていたから、たぶんアンドロイドの中でもそれなりに高いのではないだろうか。
夕食時。
ユキが作った飯はやはり衝撃的に不味かった。両親が顔をしかめている。
とうのユキはキッチンで後片付けをしているようだ。会話は聞こえていない。
「やっぱり養殖用ロボットを家庭用に改造してもダメね。がたが来たんだわ。これならわたしが作ったほうがマシじゃない。買い替えも検討しないと」
仕事から帰ってきた母親が、何か不穏な単語を持ち出している。
「ちょ、ユキを殺すのか。てか、養殖用ってなに」
「ロボットだから殺すとは言わないよ。たぶん」
不味い飯を口に運びながら、淡々と父が突っ込む。
「養殖用、学校で習わなかったかしら? ロボット同士を交尾させられるように特殊な製造工程を経たものよ。ユキは子供が作れるの。変わりに家事能力はそれほど高くないのね。というか経年劣化するんだわ」
と、母。そんなだったなんて、初めて知った。
最近、やたらと色っぽく感じるのはその、養殖用とかいう機能のせいだろうか。
「あ。もしかして繁殖期なのかなあ。ユキって。フム」
何か思いついたらしい父が、あごをさすっている。
「ってか、ユキの製作者って、科学者と芸術家の夫婦じゃなかったっけ」
思い出してきた。あくまで無表情に味噌汁を啜りつつ、父が述懐する。
「ああ、そうだったね。僕の知り合いのアンドレ夫妻。科学者の夫が、かなりの変態だった。原型を持ち込んだら喜んでいたなあ。残念ながらもう亡くなってしまったが。ユキの外見は芸術家だった奥さんの影響だろう。こんなに長く使っているのに、とても美しい。よく保ったほうだ」
ふたりとも、ユキを用なしのように言う。
両親があいつの廃棄を決めてしまったら、おれに出来ることはあるのだろうか。高校生で、まだ子供であることがとても悔しい。
それにしても、ユキは『繁殖期』なのか。両親は夕食後、持ち帰った仕事をリビングで始めた。見られていないことを確認し、キッチンで食器洗浄機を調節しているユキを捕まえた。
「なあ。あのさ、お前って、せ、セックス出来るのか?」
「出来る。けどそれが何」
ユキはあっさりと恥ずかしげもなく言う。ロボットだから恥ずかしいという感情がないのかもしれない。
アイスブルーの瞳には、なんの感情も映っていない。
「いや、さっき親父が変なこと言ってたから気になって。あと、お前って女?」
「さあどうだろう」
ユキは人間の創造物だから、創造主からの問いを曖昧にぼかすことは滅多にない。気になったが、ユキは家事を続ける。
「和希。そこをどいて。フライパン片付ける」
「手伝うよ」
そう言うと、ユキは手を止めてこちらを見た。
「なに」
「勉強がしたくないのか?」
深く考えすぎだろ、と心の中で突っ込みつつ、まあそういうことにしておくか、と黙った。
翌日。授業が始まって、午後。
おれは、タブレットにのの字を書いていた。かったりい。
ぴこんぴこんと大型パネルに先生がタッチする音が聞こえる。その規則的なリズムに思わずウトウトしかけた時。教頭先生がドア付近にやってきて、授業を受け持っていた英語の先生と難しい顔で話している。
やがて、教頭先生が教壇に立った。
「えー、皆さんにお知らせがあります。落ち着いて聞いてください。D地区一体が停電になっていて、復旧の見通しが立たないようだと、都の方から発表がありました。それで」
おれの家もD地区だ。
「帰る!」
急に立ち上がったおれに、先生も生徒も驚く。
「高梨君? 待ちなさい、話の途中ですよ!」
昇降口で靴を履き替えるのももどかしく、自宅へと向かった。
以前、電気が停まったとき、ユキは。あのときのことを思い出すとぞっとする。
外に出て駅へ向かい驚いた。軽いものだろうと思いたかったが、D地区へ向かう公共交通機関は全て運転を見合わせている。タクシーはどうかとポケットをさぐる。けれど、生憎小銭しか持ち合わせがなかった。
「まじかよ」
仕方ないので走った。部活で鍛えているとはいえ、遠い。
ユキは大丈夫だろうか。両親はまだ仕事から帰っていないから、あいつだけだ。
以前、今みたいに停電になって、ユキがはずみでショートしたことがあった。そのときは家庭内で復旧できず、作ってくれた科学者に頼んだ。けれど、彼はもう、死んでしまったと聞いている。
家に着く頃には息が切れていた。二時間ぐらいかかってしまっただろうか。
非常用電源が最低限作動しているようで、ひとまずほっとした。網膜認証で玄関ドアを開け、中に入る。
「ユキ! どこだ、返事しろ!」
バッテリーがゼロになったユキが、リビングで倒れているのを発見した。心臓が飛び上がるほど衝撃を受けた。
充電コードのある位置まで運ぼうとするものの、かなり重い。ユキの脇を抱え、ずるずると引きずってなんとか繋ぐことが出来た。
バッテリーのランプが点滅し始め、おれは心から安堵した。
「ユキ」
名前を呼んで揺すると、うっすら目をあける。
「和希。ごめん、学校、迎えに行けなくて」
「バカだな。そんなことどうでもいいんだよ。お前が、その」
「?」
「おい、ユキお前、これなんだ」
なんだこれ……。
「人間で言うペニス? 非常時になると、勃起するみたい。私を作ったアンドレ博士は、かなりの変態、だったん、じゃないかと」
どうやら充電がなくなったことを、非常時と認識したらしい。
「前からこんなだったっけ。ってかお前って男だったのか」
「一度、充電が切れて、修理に出されたことがあったと思う。あの時機能追加されたように、記憶している」
アンドレ博士は、自身がいなくなった後、ユキに危機が訪れた場合を考えてくれたのか。充電機能の追加は有難いが……本当に変態だ。
夕暮れのリビングで、荒い息をするユキが艶めかしく感じられて、ドキドキした。
「ユキ、そのことおれ以外に言うなよ」
「え、でも。……ん……っ」
ユキが何か言う前に、思わずキスしていた。
「おれ以外の誰にも、そんな顔見せんな。わかったか」
「私、どんな顔してる? それから、どうして?」
アンドロイドは、人より下だと思われていて。感情も愛情もないと思われていて。
けれどおれのユキへ向かうこの気持ちは、なんと名前をつけたらいいのか。ユキの熱っぽい瞳には、なんと名前をつけたらいいのか。
もしこれがなんでもないものならば。そう考えると少し怖くなって、ユキの背中に手を回した。
「お前のことが好きだからだ。ユキ」
「す、き?」
ユキにはわからないだろうか。そう考えると胸が苦しかった。
わからないならと、繰り返す。
「ユキのことがすごく大事で、死んだら困るし、悲しい。ずっと一緒にいたくて、ユキのことを考えると苦しくなる」
「あ。私……、っ」
なんでこんなことを告白しているのだろう。アンドロイド相手に、好きだというなんて、条例違反だ。
「ご、ごめん、ユキ。なんでもないから、忘れてくれ」
「ずっと綺麗だと思ってた」
充電されつつあるユキの腕が、おれの背中に回った。電流が流れている最中のユキは、ほんのり温かくて、心地いい。
「和希は、綺麗だ。真っ黒な髪も目も、日焼けした肌も、綺麗だ。いつもそう思ってた」
ユキの腕に力が篭ってくる。
「高梨家のアンドロイドじゃなく、和希だけのユキでいたいと、ずっと思っていた」
「ユキ。お前を廃棄なんてさせない。親に話して、俺が大人になったら譲ってもらうように頼んでみるから」
ユキが頷いている気配がある。停電はまだ続いていた。
「長いな。トウキョウのこの区画だけ、真っ暗なのか」
「そうかも。お父さんとお母さん帰ってくるかな」
ユキと抱き合っているところを見つかったら、まずいな。そう思ったけれど離れがたかった。
「帰ってきたら玄関で物音がするからわか――」
「和希! 離れて!!」
突然ユキが大声を上げ、おれはとっさに受け身をとって部屋の隅に転がった。ユキも充電コードのある場所から離れたようだ。姿が見えない。
なんとなく、声を出さないほうがいいような気がした。室内に誰かいる。ユキとおれ以外の誰かが。
「くそっ! A-0021378はどこだ! 逃がしたか」
A-0021378。それはユキの製造番号だ。誰かが無線で通信している。
「何のためにこんな大掛かりな停電を仕込んだと思ってるんだ。バッテリーエラーになってるとばかり思ってやってきたのに、自力で充電できる仕様だったか?」
どうやら、強盗、なのか? ユキを狙った?
D地区一体を停電にしたのはこの一味のようだ。全く人騒がせというか、迷惑にも程がある。
小さい頃から空手部に入っておいてよかった。相手の動きから、それほど俊敏ではないことが窺える。
ぎりぎりまで近寄って、はっと振り向いた相手の中段に鋭い一撃をお見舞いする。
「ぐっ、この!」
腰の位置がぐらりと揺らいだ。が、キラリと光るものがあった。刃物を持っていたか。
さくさくと繰り出される刃を、後退しつつかわしていく。
「ふ、っ、うおりゃっ」
相手の一瞬の隙を突いて、二の腕に強い蹴りを打ち込む。
「ぎゃあっ、あ、があっ!」
強盗が取り落としたナイフを蹴飛ばし、羽交い絞めにする。
「ユキ! 何か縛る紐持ってきてくれ。あと、警察に連絡」
「はい。和希、大丈夫?」
いつもどおりの声が聞こえて、安堵した。
強盗を警察に引き渡す頃に両親が帰ってきて、まあと驚いていた。両親も基本抜けた性格なのだ。
ユキがどうやら重要文化財級の価値あるアンドロイドらしいことが、役所の調べでわかった。それで、廃棄はナシになったものの、飯が不味いのは困る。結局、小型の素っ気ない汎用型ロボットを新たに購入した。ユキは掃除や洗濯はしたいと言っているが、なにしろ価値のあるアンドロイドだ。そんなことはさせられないと、何故だかおれの部屋に押し込められている。
「和希、勉強教えようか?」
「そうだなー。じゃあセックスの仕方を教えてくれ」
冗談で言ったのに、ユキは嬉しそうに笑っている。
「でも、ユキも和希も男だよ。どっちが下になる?」
そんなの、おれが上に決まって――。
「ユキが上で決定だな。だって和希、知識がないもの」
こら、ユキ、冗談を本気にするな。そんな嬉しそうにのしかかってくるんじゃない。重い。そう言いたかったが、重さのせいだけでなく動けない。
アンドロイドとセックスするなんて、条例違反どころじゃない。完全に主導権を奪われて焦った。整った唇がゆっくりと降り、おれのと重なる。
「ん、甘いんだけど、お前なんか食った?」
「アメ。勃つやつ。もうすぐ効いてくるよ。楽しみ」
こいつ、確かに知識はある。というかそのアメとやらはおれに効くのか、ユキになのか。
「こっち来い」
抱きしめると、ユキの中で電子回路が作動している振動が伝う。十年近く一緒にいて初めて感じる感覚。
ふわりと白く短い髪を撫でると、くすぐったいよ、と笑っている。
離れがたい。ユキがとても。
……愛おしく好きだ。
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