エロなし/キス/サバゲー
「そう。ユキは俺の……特別。だから愛もスペシャルな」言った途端に恥ずかしさがこみ上げてくる。臭いセリフだったな、とユキから顔を背けた。
木々が密集し、茶色い地面に陽の光が白くまばらに不規則な形を浮かび上がらせていた。葉の擦れる音。虫の声。鳥の羽音に耳を澄ませる。そんな中……。
「和希!」
ユキの声が鋭くこだました。大きな音を出せば居場所がバレてしまう。ちっ、と舌を鳴らした和希は、大きな黒い瞳をシューティンググラスの中で鋭敏に彷徨わせた。声の方向を見やれば、自分と同じ迷彩服を着用し、左腕には赤いバンダナを巻いたユキの姿がある。
(大声は出すなって言ってるのに!)
このままでは見つかってしまう。何とかユキと合流してこの場を離れなければ、と気が急いた。少し長めの黒髪がキャップの中で蒸れる。首筋にじっとり汗が滑り降りてきた。
高梨和希とアンドロイドであるユキは、千葉県の山奥でサバゲーに参加している。今日はアンドロイドとペアの複合戦だ。最後まで生き残った者が勝ちのサドンデス。
家庭用アンドロイドは、家事目的以外に使用を禁止されているが、その禁忌を破り、毎週日曜はここに出向いていた。
ユキが家へやって来たのは和希が小学校に上がる頃だ。真っ白い髪と深いブルーグレーの瞳が印象的で、ユキの名はその髪色から命名した。見た目は成人仕様で、少し釣ったきつめの目元がインテリっぽさを思わせる。だがそれに反して彼の声音は耳に心地いいテノールで、和希はとても好きだった。
ユキのグレードはB―5。S―0タイプのアンドロイドはハイグレードだ。下はC―5まである。グレードによって人工知能の性能、運動性能がランク分けされていた。
ユキは一般的な家庭用だが、持ち主の接し方によって元来の性能以上の力を発揮することがあるという。それは人工知能についても同じらしい。
和希は人工的に組み立てられた障害物の丸太に背を預け、ジリジリとユキのいる方向へ近付いていく。周囲には人の気配があった。囲まれたかもしれない。障害物から一瞬だけ顔を出して様子を窺った。ユキと目が合う。
彼は大きな木の陰で身を潜め、胸元にはMAC10を抱えている。アルファベットのT字の形をした銃は軽量コンパクトで、威力はやや落ちるが一般的で扱いやすい。対して和希が手にしているのはM4CRW。ユキの持っている銃よりも少し銃身が長く、肩で衝撃吸収ができ、高速連射が可能で接近戦闘に向いている。
和希はタイミングを見計らってユキの元へ駆け寄ろうとしていた。手近にある石を拾い上げ、自分とは逆方向へ放り投げる。その音で身じろいだ気配が伝わり、3、2、1のタイミングで飛び出した。
ユキのいる場所へ近付いた瞬間、目の前が何かの影に覆われ一瞬暗くなる。
(やばい! 撃たれる!)
すぐ真後ろに誰かが迫っていた。振り返って構えている時間はない。
「和希!」
さっきと同じ声量でユキが叫んだ。彼の伸ばした手が和希の腕を掴む。グン、と引き寄せられた反動は、抱えられた彼の胸の中で相殺する。そのすぐ後に、タタタタタッ、と軽快な連射音が聞こえた。
抱き締められたまま草むらに飛び込むと、まるでユキが和希を組み敷いたように庇う形で動きを止めた。浅く荒い呼吸をしながらユキを見上げるが、彼はいつもと変わらない冷静な表情で辺りの気配を窺っている。
「やられたのか?」
「いえ、私には当たっていません。もちろん和希にも。瞬間的に撃った私の弾がヒットしたようです」
小声で囁けば、同じように潜めた声でユキが答える。その説明通り、ユキに撃たれた相手は「ヒット」と言いながら手を上げていた。
「お前、なんであんなところで大声出すんだ」
「注意を私に向ければ、和希が動きやすくなると考えたのですが、もう一人近くにいたことに気付きませんでした」
「バカ。お前が撃たれたら意味ないだろ」
和希の上にユキは覆い被さっているのに、全く彼の重みを感じない。負担がかからないよう配慮している証拠だ。いつだってユキの最優先なのは和希だ。自身が危険な状況になると分かっていても、アンドロイドだからという理由で、彼は危険なことも躊躇なくやってしまう。全てにおいて取り替えが利く、というのを逆手に取ったような行動が、和希は不満だった。
「私なら撃たれても問題ありません」
さらっと言ってのけるユキの涼しい顔を睨み上げた。
「そういうこと、言うなよ」
和希の言葉を受けても、ユキの表情は変わらない。こうして感情をぶつけても、全て反論されるだけだ。
最近の和希はユキを人と勘違いする時がある。今みたいに咄嗟に庇われた時、至近距離で瞳を覗かれた瞬間。無機質なはずのユキの眼球に自分が映っているのを見ると錯覚する。そして感情のベクトルがおかしな方へ動くのだ。
「和希、ボンヤリしている場合じゃないですよ。ここから早く移動しましょう」
ユキがゆっくりと体を離す。辺りの空気を敏感に察知しながら、和希もそれに倣った。周囲にはまだ誰かしらの気配がある。銃撃戦になるのはお互いに位置関係が明確になってからだろう。静かな駆け引きが続いた。
しかし、誰かの指笛で戦況が動く。慌てるような木々のノイズ。ジャリを踏みならす足音が接近してくる。
「来たぞ」
和希はユキに耳打ちし背中合わせで銃を構える。そして同じタイミングで茂みから飛び出し駆けだした。軽快な銃の射撃音があちらこちらで響く。「ヒット」という声があるのに、和希とユキを狙う殺気は薄れない。
(目の敵にしやがって!)
ヒット&ランを繰り返しているうちに体力が奪われる。足元がおぼつかなくなりふらついた瞬間、和希はぬかるんだ地面に足を取られた。そんな一瞬の隙が敵にチャンスを与える。背中に弾が当たる感覚が途端に疲労感を連れてきた。
「ヒット」
和希は両手を挙げる。同時にユキも撃たれたようだった。左腕のバンダナを外し、戦線離脱をすると、ユキと二人でセーフティーエリアへ引き上げた。
「もう少しでしたね」
「どこがだよ。一斉に俺らを狙うとか、あんなのいじめだろ」
和希が言えば、ユキは僅かに口端を上げた。基本アンドロイドに表情はないが、ユキは笑う。それは彼の学習能力の高さと和希が根気よく教えた賜だ。
――だから、笑ってみ? ここを、ニッて上げるの。
小さい頃からユキにベッタリだった和希は、笑わない彼に笑顔を教えた。ハイグレードのアンドロイドならあるいは標準搭載だっただろう。しかしユキにはそんな機能の付属はないけれど、彼は笑顔を学習した。
「よく言うよ。B―5タイプであれだけ動けるお前んとこのアンドロイド、マジおかしいだろ」
さっき和希を撃った男が他の誰かに撃たれたのか、セーフティーエリアへ姿を見せた。ユキをチラリと見てから、やってられねぇ、とだけ呟いて行ってしまった。彼の連れているアンドロイドはSグレードだった。
「なんだよ、あれ。持ち主の教育が下手なだけだろ」
行ってしまった男の背中に、聞こえないよう言葉を投げかける。
「とりあえず、正隆さんと夏穂さんに怒られないうちに帰りましょう」
「へいへい」
ユキは家事を専門とするタイプだが、和希が高校に入ってからはお目付役になっている。そして和希の両親のことも名前で呼ぶよう教えた。ご主人様だとか旦那様だとか呼ばせている家もあるが、そんな上下関係が透けて見えるような呼び方をさせたくなかったのだ。
(ユキは家族なんだから)
和希は釈然としない気持ちを抱えたまま、帰りの車へ乗り込む。もちろん運転はユキで、アンドロイドが車の運転をするのも今や常識だ。
助手席でボンヤリ窓の外を見ていた和希は、海に近い国道に差しかかったところで口を開いた。
「なあ、海……行かない?」
今日は何となくそんな気分だった。きっとサバゲーでの余韻が抜けきれず、熱のような燻りが体の奥に残っているからかもしれない。
「遅くなる前に帰ると約束するなら、行きますが」
和希はイエスともノーとも言わなかったが、ユキに視線を向けただけで車の行き先が変わった。
(ホント、人間みたいだな)
ゆっくり体を傾け、ユキの肩に頬を乗せる。触れると冷たく、疑似皮膚は人に似せて作ってあるがやはり呼吸はない。なのにユキの中に熱い魂を感じる瞬間がある。それはサバゲーに熱中している時だ。生身の人間だったら彼はどのくらい熱いのだろう。そう考えない日はない。
「海だー!」
駐車場で車が停まると、和希は勢いよく外へ飛び出した。フィールドであんなに体力を使ったにも関わらず、まだ走る余力がある。背後から、一人で行かないでください、というユキのテノールが聞こえた。
夕方の海は、一面を橙色や紫に染め、空は赤と青のグラデーションで美しく彩られていた。浜辺には和希たちと同じように、幻想的な景色を見に来たカップルの姿もある。
和希が砂浜に腰を下ろせば、同じようにその隣へユキも座ってきた。
「なあ、そっちに行っていい?」
「そっちとは、どこですか?」
説明するより早いか、と立ち上がった和希は、ユキの足の間に腰を降ろし背中を彼の胸に預けた。こうしていても人のように鼓動は響いてこない。
「私は椅子代わりということですか?」
「ちょっとだけだよ」
体重をかけても、頭を彼の肩に乗せてもビクともしなかった。
「俺さ、ときどき錯覚するんだ。ユキは人間なんじゃないかって。本当は生きてるのかもって」
「私はB―5タイプで型番が……」
堅苦しいことを口にしそうになったので、和希は彼のシャツを掴んで引っ張り、顔を近づけた。動いている口唇を自分のそれで押し止める。乾いて冷たく、それは生身の人とは違う。
「和希」
「本物みたいだから、ちょっと、確かめた……」
こうしなくても分かっているのに、衝動的に動いていた。照れくさいとか気まずさはない。ただ、ユキが人ではないと再確認させられ、それが切なくて苦しかった。ゲームの最中はあれほど躍動し、人と見間違うほど生き生きしているのに。
「……和希」
ユキの瞳に自分の姿が映っていた。彼がゆっくり瞬きをする。その動きは繊細で自然で、ユキの表情は変わらない。けれど――。
頬に手の平を押し付けてきた彼は、スッと和希の顎を掬い上げた。何ごとかと驚いて目を見開くと、躊躇なく唇を押し付けてくる。そして顎にかかっていた手がゆっくりと和希の胸へ降りてきた。途端に和希の鼓動が跳ね上がる。
「な、に……」
「和希の全ては私の中に登録されていますが、吐息を感じたら、ここが……」
ユキの手の平が和希の心臓辺りを撫でる。しかし僅かに何かを考えた彼は、私の場合はここですね、ともう片方の手でこめかみを指さす。その場所にはユキの全てを司る人工知能、彼の心がある場所だ。
「とても……熱くなる。これはオーバーヒートでなく、きっと……和希の『ここ』と、同じかと」
「それをなんて言うか知りたい?」
いたずらっぽく和希が聞けば、真面目な顔で「もちろん」と彼は答えた。もう一度キスをしたら教えてやる、とそんな条件を付ける。瞬きをしない目が僅かに何かを思案し、和希を瞳に映したまま彼の瞳孔が広がった。
和希の唇にユキが触れる。さっきと同じはずなのに、彼の心を感じ取れた気がして胸が切なく苦しくなった。
「……愛だよ」
「愛……」
「そう。ユキは俺の……特別。だから愛もスペシャルな」
言った途端に恥ずかしさがこみ上げてくる。臭いセリフだったな、とユキから顔を背けた。両膝を抱えて体を小さくして少し離れると、背中にユキの感触がなくなる。しかし背後からガバッと抱きしめられた。
「なに……」
「愛を、私の中にインプットしようとしましたが……。どうやら、ずいぶん前からあったようで」
ユキの声音はいつもと変わらない。穏やかでやさしく耳心地のいいものだ。和希はそれに耳を澄ましつつ「いつから?」と問えば、しばらく間があった。
「和希と出会って、少ししてから……かと」
火が付いたように体中が熱くなった。何も言えず、羞恥でただひたすら唇を噛みしめた。心拍数が上がったことを察知したユキが、体調が悪くなった? と聞いてくる。
「今度はもう少し高度な、愛……教えてやるよ」
和希が言えば、ユキは「ありがとう」と口端を上げて微笑んだ。