すれ違い/エロなし
『ずっと』を繰り返していることに和希は気付く。先の見えない未来に怯え、大丈夫だとまるで自身に言い聞かせているかのように。掴んだユキの肩は人間のそれと大して感触は変わらなかった。
白い空間。
頭の中に柔らかく響く心臓の鼓動。
全身に巡る赤い血液。
目の前にかざした血色の良い手。
細長い指を動かせば…
◇◆
意識が覚醒し、ゆっくりと体を起こす。
「…夢、か」
はっ、と自嘲的な笑いがこぼれた。夢は願望の表れだともいう。色々と馬鹿らしく感じ、同時に胸が苦しくなるという錯覚を感じた。
◇◆
「ふあ〜」
和希は大きなあくびをしながらリビングへと踏み入る。食卓にはトーストにサラダという、洋風な朝食が並んでいた。テーブルに歩み寄り皿からプチトマトを摘んだ瞬間、横から伸びてきた白い手に叩き落とされプチトマトは元の場所に戻った。
「おはようは?」
威圧的な声で言った手の主を恐る恐る振り返る。
「お、おはようございます…」
和希の背後に立っていたのは全体的に色味の無い青年、ユキだった。
「つまみ食いをしないでと何度言えば分かるのですか?」
「悪かったって」
謝り朝食をとろうと椅子に座った。テーブルに用意されている食事は一人分。和希はユキを見上げ「いただきます」と告げた。
ユキは食事を取らない。なぜならその必要が無い、所謂『アンドロイド』だからだ。家事手伝いとして和希の家にユキが来たのは和希が小学校に上がったばかりの頃、念願かなって高梨家に来たのがユキだった。光を受けきらめく、限りなく白に近い銀色の髪に真っ白な肌。その容姿は、祖父母のいる田舎で見た美しい雪景色を連想させた。初めて見た時の衝撃と共に。だから和希はそのロボットを『ユキ』と名付けた。
時間は一体と一人の仲を深め、ユキは和希の一番の友人となった。しかし、和希の中で育まれたのはただの友人に向ける好意だけではなかった。
朝食を済ませ、身支度も終えた和希は学校へと向かうべく玄関の扉を開けた。
「行ってらっしゃい」
何年経っても変わらない笑顔。ユキはいつ見ても美しい。精巧に作られた顔をつい見入ってしまう。だが長い睫毛に縁取られた目は、よく観察するとカメラになっている。見れば見るほど機械であるという事実を突きつけられ、和希はそれを切なく感じた。
それでも、心は本物だ。和希はそう信じている。
「こら。学校でもその様にぼーっとしないよう気をつけて下さい」
ユキは人間ではない。それでも、と和希は改めて力強くユキを見据えた。
「わーかってるよ、いってきます!」
それでもユキが好きなんだ。
何度目かの告白を飲み込み、和希は笑顔で家を出た。
◇◆
「もうプールは使えなくなるなー」
放課後、和希は友人と学校のグラウンドに隣接する屋外プールにいた。水泳部に所属する和希の逞しい身体は、夏が過ぎたにも関わらず未だに小麦色をしていた。プールに入っている塩素の所為で髪は茶色く脱色し、肌の色と相まってユキからは『夏に生きる人』や『夏色』と形容されたほどだ。
「流石にちょっと冷えてきたもんな」
「屋内プール作ってくれよマジで」
「あー、確かに」
足だけを水に浸けた状態で二人は愚痴を言っていた。九月中旬、肌寒くなりプールが使えるのもあと数週間といったところだった。やがて会話は近い予定の話から、将来の話へと移っていた。
「和希は進路どうすんの?」
「え、もう考えてんの?」
自分はまだ高校二年生、と考えていた和希にとっては寝耳に水だった。
自分は何がしたいのだろう。友人の話に相槌だけ返していると周りは既に片付けを始めたことに気が付いた。すると友人が突然「あ、」と声を発し、内緒話をするように和希に顔を近づけた。
「なあ、おまえ知ってるか?マキ先輩」
友人の視線の先には投げ出されたタオルを拾い集めている、マネージャーのマキがいた。彼女はどこか大人びた、近寄りがたい雰囲気をかもし出していた。
「話したことは無いけど」
「先輩、卒業したら教師と結婚するらしいぜ」
呆れてものも言えなかった。和希は下世話な話に興味は無く、教師と生徒の恋、なんてまるでドラマのようなあまり現実味の無い話を本気で捉えることができなかった。
「いやマジだって!噂だと今年入った三田先生らしいぜ」
「三田?」
「やばいよな、生徒と教師って。だってこれって」
次の言葉に、和希は初めて現実的な『将来』を想像した。
「禁断の愛ってやつじゃね!?」
心臓を握られたような不快感に息を詰める。禁断の、その言葉を聞いて真っ先に頭を過ぎったのはユキの事だった。興奮気味に語り続ける友人の言葉を反復する。
「禁、断?」
「そう、許されない恋!本来、一緒になってはいけない二人がどうしようもなく惹かれあってしまう、悲しい恋なんだ!」
「ハ、ハハ…なんてドラマの影響?それ」
「分かるか!?この間見たやつで、」
気分が沈んでいく。ユキのいない未来なんて、考えたことも無かった。和希が家を出て自立したとしても、元々働く母親を手伝う為に買われたユキは実家に両親と残るだろう。
そしてアンドロイドに恋した自分。言ってしまえば、相手は無機物なのだ。男同士とかそういう問題以前に。周りが祝福してくれる筈も無い。
俺は、ユキとどうなりたいんだ。和希はこれからのことが何も解らなくなってしまった気がした。
◇◆
「おかえりなさい、遅かったですね」
外が茜色に染まった頃、家路についた和希が玄関に入ると丁度ユキがリビングから出てきたところだった。
「うん、まあ」
気の抜けた返事をすると、心配そうな表情を浮かべたユキが和希に近付きそっと彼の頬に手を添えた。
「身体、冷えてますね。好きなのは知っていますけどプールも程々に。…何かあったんですか?」
子供の頃からのユキの癖。和希の様子がおかしいと、いつも頬を撫で何があったか優しく問うていた。体温は無い、しかし滑らか手が和希は大好きだった。心配してくれていると解るその眉尻を下げた顔も。何も無いよ、と誤魔化した和希はそそくさと靴を脱ぎ玄関を上がる
「それより、ユキどっか行くの?」
「ええ、スーパーへ。夕飯の準備です。買い忘れてしまった物があって」
「ははっ、ユキでも忘れたりするんだ」
そう言えばユキは心外だと言わんばかりに眉を寄せた。
「和希に言われたくありません。貴方こそ、最近上の空でいることが多いようですが大丈夫なんですか?」
「えー、俺もう子供じゃないよ」
「俺から見ればまだ子供です。昔から何も変わっていない。本当、目が離せませんね」
乾いた笑いを発しながら、和希は明後日の方向を見た。事実、ユキには世話になりっぱなしだ。彼のいない生活なんて想像できないほどに和希の中でユキという存在は必要不可欠だった。
「そんなことでは将来が思いやられます」
その言葉で、一気に現実を突きつけられた気がした。ユキは、将来のことを考えているのか?和希は途端に不安になった。果たして自分がユキの未来予想図に組み込まれているのかを。自分は、ユキにとってどれほど意味のある存在なのか。
不安、焦燥、押さえきれない恋心がぐちゃぐちゃに混ざり合い想いが溢れ出す。
好き。俺はユキが好きなんだ。和希は叫びだしたい衝動に駆られる。もう押さえきれる気がしなかった。将来を考えて今行動を起こせば、ユキとずっと一緒にいれるだろうか。
「離さないでよ。ずっと、俺のこと見ててよ」
「和希?」
突然熱の篭った言葉をぶつけた和希をユキは訝しげに見た。靴を履き終えたユキは既にドアに手を掛けており、玄関を下りたことにより二人の身長差は更に開き、ユキが和希を見上げる形になる。
「俺は、将来とかちゃんと考えたことなかった」
「はい」
ユキは黙って和希の発言を聞き入れていた。どれだけ支離滅裂な事を言ってもユキは昔から和希の言いたいことを急かさず、きちんと待ってくれた。
「俺は、ずっとユキと一緒にいたい。明日も、明後日も、何十年先も」
「…はい?」
積もりに積もった想いは、あふれ出したらもう留まるところを知らない。言えなかった気持ちが急かされるように口からこぼれていく。
「ユキが好き。小さい頃からずっと傍にいてくれたユキが好きなんだ。ずっと」
『ずっと』を繰り返していることに和希は気付く。先の見えない未来に怯え、大丈夫だとまるで自身に言い聞かせているかのように。掴んだユキの肩は人間のそれと大して感触は変わらなかった。窓から入る夕焼けに照らされた和希の手に、同じ色に染まったユキの手が重ねられた。
「和希…」
心臓の鼓動がうるさいくらいに頭の中にまで響く。張り詰めた緊張の中、間をおいてからユキは口を開いた。
「疲れているんでしょう。気の迷いです。忘れなさい」
絶望的なその答えに、和希は一瞬言葉に詰まった。
「ち、違う!俺は本当にユキが好きで…」
「俺はアンドロイドです。人間じゃない」
「でも、」
「俺の言動は全てプログラミングされたものであり、そこに自分の意思なんてものは存在しません。恋なんて設定されてもいない感情を抱くことはできません。アンドロイドに恋愛感情なんて不必要です」
ユキの言い分は、彼のアイデンティティの何一つ本物ではないと言っているようで、和希はとても悲しくなった。それだけは違う、と精一杯否定したくなった。
「でも、ユキの心は、確かにここにあるじゃないか…ッ」
気のせいだろうか。ユキの表情が一瞬、苦しげに歪んだように見えた。しかし溜息を吐くと、肩を強く握っていた和希の手を剥がしその温度のない手でいつものように、一撫で。
「和希。貴方も、恐らくその想いも――永遠ではないのですよ?」
離れてゆく手に縋り付きたかった。ユキの言葉は和希の心に重く圧し掛かった。ユキは『物』だ。外見が変わることは無く、故に和希と共に老いることも無い。メンテナンスすれば、人間より長く持つかもしれない。いつかはユキを残して死ぬ日が来るのだ。その時、和希の『想い』も消えるだろう。
「さっきのことは聞かなかったことにしますので、和希もそのつもりで。もう変な事を言うんじゃありませんよ?」
ドアを開けたユキの背を黙って見つめる。和希は納得できなかった。何故なら彼は一言も、彼の想いに対する拒絶を受けていないからだ。和希はユキのようにそれほど遠い未来を考えられない。確かに死ぬことがないユキを、いつか置いていってしまうことは自分勝手かもしれない。
だが、それは和希の人生の残りの何十年を、ユキとの何十年を諦めるだけの理由にはならなかった。
無かったことにされるのなら、もう一度…
「無かったことにしてくれるなら、俺は何度でもユキに告白するよ」
ユキは動きを止めた。振り向きはしなかった為、表情は窺えない。
「ユキがアンドロイドでも、人間じゃなくても、俺はずっと傍にいてくれた優しいユキが大好きだ。きっと死ぬまで、いや死んだ後だって!ユキが好き、大好きだよ」
無かったことにするのなら、忘れてしまうのなら何度だって伝えてやる。ユキがいつか『初めて』の告白を受け入れてくれるまで。
バン、と荒々しく閉められたドアの向こうにユキは消えた。ユキにしては珍しく感情的になっていたようだった。和希はその場に座り込み頭を抱えた。
ああは言ったもの、ユキが和希を受け入れる見込みは限りなく薄い。もう少し上手い言い方は無かったものかと、和希の心中は後悔とやるせなさで一杯だった。どうしてユキは人間じゃないのだろう。どうして自分は…
「アンドロイドになりたい」
彼と同じ存在だったなら、彼の言う永遠も実現できるのだろうか。
頭の中には稼動音が響いて、全身に電気信号が巡り、機械部品でできた身体。そんな、彼に近い存在だったら笑って受け入れてくれただろうか。『もしも』という発想が止まらない。ただ一つ確かなことがあった。それは和希がユキを諦めることは無いということだ。異なる存在として生まれてしまったのはもう仕様が無い。それでも『心』に違いは無い。和希はそう強く心に刻み、ユキが出て行ったドアを見据えた。
そのドアの向こう、悲しげな顔を必死に隠そうとするユキがいるとは知らずに。
「和希には、ちゃんとした未来が待っているんだ」
望んではいけない。望めば、それを壊してしまうのは自分だから。
◇◆
今日も再び『夢』を見る。
白い空間。
頭の中に柔らかく響く心臓の鼓動。
全身に巡る赤い血液。
目の前にかざした血色の良い手。
細長い指を動かせば…
開いた指の向こう、幸せそうに笑いかける夏色の彼がいた。
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