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第1回 BL小説アワード

アオイカタマリ

エロなし/純愛

「聞いたよ。ユキくんのこと」「関係ないって言ってんじゃん!」 思わず投げつけた言葉で、成瀬が口を開けたまま固まった。「担任だからって深入りすんのやめてもらえますか」

るくみる
11
グッジョブ

「高梨」
 教室を出ようとしたところで、成瀬に呼び止められた。
「親父さん、再婚するんだって?」
 オレは無表情にうなずいた。ガラス窓には夕日が反射している。まるで後光が差したみたいに神々しい成瀬の姿は、ギャップがありすぎて少し笑えた。
「オレには関係ないっすよ。もう高二だし」
「おまえ、大丈夫か」
 戯言をバッサリ無視して成瀬が問う。
「だから。子供じゃないって」
「聞いたよ。ユキくんのこと」
「関係ないって言ってんじゃん!」
 思わず投げつけた言葉で、成瀬が口を開けたまま固まった。
「担任だからって深入りすんのやめてもらえますか」
 イライラをグシャグシャに丸めて成瀬に放る。そのまま廊下へ飛び出しても、追ってくる足音はなかった。


 母さんはユキがうちに来て二年目の秋に死んだ。交通事故だった。悲しみに暮れるオレたち父子を支えてくれたのは、ほかでもないユキだ。
 ユキはアンドロイド。オレが小学校に上がると同時にうちに来た。一緒に遊びやすいように、一般的な女性型ではなく若い男性型を選んだという母さんの見立ては正しかったと思う。オレはすぐにユキに懐き、ユキはいつでもオレに優しかった。いつでも寂しくなかった。妻と一緒に事故に遭ったのに自分だけ助かってしまった親父と、守るべきものを守れなかった後悔を秘めたユキ。ことあるごとにふたりの負の感情が見え隠れして、それだけがオレを苦しめた。
 いや、それだけじゃない。成長期のオレに対し、何年経っても容姿の変化しないユキ。その絶対的な現実のほうにこそ、オレをより苦しめ臆病にさせた要因があったのかもしれない。このままユキの設定年齢を追い越し、結婚して家を出、孫を連れて実家に戻っても、ユキはいまの姿のままなのだ。例えばオレが老衰で死ぬときでさえ、ユキは美しいまま。
 違う、問題はそこじゃない。オレが抱えているのはもっと即物的な問題。いつからかユキの顔を直視できなくなったオレがいるという問題。救いようのないバカがいるという問題。
 これまで支えてくれたユキに迷惑はかけられない。これ以上親父を悲しませるようなマネもできない。だから口を閉ざした。閉ざして、閉ざして、その結果がこれだ。もう悩む心配もなくなったというわけ。万々歳だ。
「和希くん」
 ぼんやり歩いていると、校門前で呼び止められた。成瀬よりももっと深いオレンジを背負い込んで、まるで発光しているみたいなユキがいる。
「なに来ちゃってんの」
 文句しか言えないオレに、それでもユキは優しく笑いかけてくる。パーマがかった柔らかなカフェオレみたいな髪の下に、アンドロイド特有のやたら整った顔がついている。緩やかにカーブする眉、少し大きすぎる葵色の瞳、薄めの唇。幼い頃、このひとはなぜこんなにも綺麗なのかと本気で悩んだことがある。アンドロイドは美を追求して造られるものである、と習ったときにはどれほど胸がスッとしたことだろう。けれども中学に入り、ほかの家庭のアンドロイドにはそれほど美しさを感じない自分に気づいてしまった。なぜかユキだけが違う。再び胸は重石を抱え、答えが出た夜は一睡もできなかった。
「最後のお迎えに行ってやれって」
 最後とかスラッと口にすんな。そう言って遮ってしまいたい、けれど言えない。だってユキはなんにも悪くない。制御されたプログラムに従って、主人である親父の命令に逆らえないだけ。
「勝手にすれば」
 かわいくない声を返して、オレは先を歩き出した。夕焼けに染まった街並みはまるで昔の写真のようだ。新しいのに色あせているような、明日がくるのにもう二度と来ないような、そんな刹那的な雰囲気。手を伸ばしても戻れないと思わせるなにか。
「勝手にするよ」
 その声も、明日の朝までか。そう思ったら不意に鼻の奥がツンとしてきた。蹴散らすように咳払いをすると、勘違いしたのかユキがスッと音も立てずに寄り添ってくる。
「風邪ひいた? 薬買って帰る?」
「違う。いらないから」
「いま熱出したら看病はあのコになっちゃうな。心配だな」
「は? なにが?」
「紗江さんちのコ、すごく美人だったでしょ」
「なにが言いたいわけ?」
 不機嫌なオレに笑いかけると、ユキはちょっと顎を反らせて言った。
「好きになっちゃダメだよ、和希くん」
 何気なく落とされたに違いないその言葉は、ダイレクトにオレの胸の深い場所を抉る。


 ユキとの最後の晩餐は豪華で、オレと親父の好物ばかりが食卓に目一杯並んだ。海老フライ、唐揚げ、マルゲリータピザ、山盛りのサラダにクリームパスタ。場違いな味噌汁は、じゃがいもとワカメが入った親父の一番お気に入りの味。教科書によると、こういうのをお袋の味と呼ぶらしい。
 再婚を間近に控え、明日の午後からは紗江さんが我が家へやってくる。自分のアンドロイドを連れて。アンドロイドのハナは文字どおり彼女の唯一の家族。ずっとふたりで生きてきて、肉親同様の絆で結ばれている。そんなふたりをいまさら切り離すことはできないと、親父はハナを連れて嫁ぐことを承諾した。そこで問題になったのが、高梨家のアンドロイドであるユキだ。
 家庭用アンドロイドは、家事手伝いとして国より支給される。自由申請と言えど、いまではいない家庭のほうが少ない。婚姻や家庭の事情等で複数体の所有も可能だが、ただひとつ例外がある。それは、対象アンドロイド間で性別が異なる場合だ。性差があり感情もあり、理論上恋愛も可能な彼ら。使用人が色恋沙汰で面倒を起こすという本末転倒な事態を未然に回避するためには、異性型同居の原則禁止はあってしかるべきなのだとか。おまえらだって自分そっちのけでイチャコラされてちゃおもしろくないだろ、と妙に力説していた成瀬のあの必死な顔。
 無論、ユキは家を出てゆく。公のアンドロイド待機施設に戻り、これまでの記録のすべてを削除されるのだ。オレが独立してアンドロイドを必要とする頃には、ユキはすでに別の主人のもとで暮らしていることだろう。オレを忘れたことすら忘れたままで。アンドロイドと離れること、それはすなわち今生の別れ。記憶を愛でてもらうことすら許されない。
 あれだけ世話になっておいて薄情だと、親父を責めるのは簡単だ。だが、いまの親父の幸せは紛れもなく紗江さんにある。崩壊しそうな家族を救ってくれたのはユキでも、親父の心の隙間を埋めてくれたのは紗江さん以外にはない。彼女を尊重してハナを迎えることになるのはもはや必然だった。だからやっぱり口を閉ざす。閉ざして、閉ざして、このうねりをなかったことにする。
「和希くん。食欲ない?」
 皿の上の海老フライを箸でつついていると、いつの間にか背後にきていたユキに声を掛けられた。ホクホクして食べまくっていたはずの親父も、心配そうに向かいから覗き込んでいる。
「んん、別に」
 慌てて海老フライを口に頬張り、なんでもないと笑ってみせた。それでもユキの目はごまかせない。硬い表情のまま、オレをじっと見つめてくる。見透かされそうで視線を逸らした、その瞬間。
「うぅ……」
「え?」
「気持ち、わるっ……!」
 喉の奥から得体の知れない怪物のようなものがせりあがってきて、慌ててトイレに駆け込んだ。いま噛み砕いたばかりの海老フライが、下から参加した胃液とともに押し出されていく。
「僕が」
 ダイニングから、足音の軽やかなほうが駆けつけてくる。反射的に、オレは開け放したままだったトイレのドアを閉めた。
「和希く」
「来んな……!」
 オレが閉めた扉をユキが強引に開けることはできない。強く拳を握った途端、再びいやな波が押し寄せてきた。冷や汗が出る。
「……部屋に薬、置いておくね」
 扉越し、いつもどおり優しい声。ユキより先にオレが消えたら、あるいはオレを忘れないでいてくれるだろうか。


『ピッ……和希? いまどこにいる? とにかく連絡寄越しなさい』
『ピッ……高梨。早まるんじゃないぞ。帰ってきちんとお父さんと話をしなけりゃだめだ。たとえ親子でも口にしないと伝わらないこともある。いまかピーッ』
 成瀬の伝言は時間切れだった。思わず笑ってしまってから顔を上げる。さすがにもう寒い。コート、着てくればよかったな。伝言を聞き終えて、オレは手首に巻いた端末から顔を背けた。両手を高く伸ばして大きく深呼吸をする。眼下に広がる湖面は、キラキラと嫌味なほど優雅に太陽の光を反射している。
 また端末が受信の信号をチカチカお知らせしてきた。画面には「ユキ」の文字。自動的に伝言へ移行する。
『ピッ……もうすぐ着くから待ってて。和希』
 ドクン、と全身が脈打つ。もうすぐ着くって……いや違う、それよりいま「和希」って呼んだ?
 今朝は、ユキの出立を親父と見送る予定だった。一ヶ月前から高梨家の予定表に鎮座してきた約束の日だ。けれどオレは逃げた。早朝、誰にも行く先を告げないままGPSを切って家を出た。
 手首を耳に寄せ、録音されたユキの声を再生する。
『和希』
 胸がぎゅっと縮こまり身体の重心が揺らぐような、そんな感覚に全身を縛られる。
「ユキ」
 目をつぶる。笑顔でさよならなんてできないから、誰にも見つからない場所でひっそりとさよならをしよう。明日になったら帰ればいい。そしてユキのいなくなった家で、新しい家族と新しい生活を送るのだ。何食わぬ顔で。大丈夫。きっとできる。できる。
「……バッカじゃねえの」
 声は情けなく震えた。呼応するように、涙が堰をきったように溢れだす。
「ユキ」
 嘘。大丈夫じゃない。できない。無理だ。だってユキがいない。ユキがいない。ユキがオレを忘れてしまう。
「……ユキ……っ……」
「なあに」
 無意識に落ちた呼び声が当然のように拾われた。驚いて飛び上がった身体を、後ろから拘束する重み。人間の標準体温に保たれた温もり。忠実に再現された滑らかな肌。少し低めで艶のある声。目を開けるのが怖くて、首に巻きつけられた腕をきゅっとつかんだ。
「……ユキ」
「ここ、僕と初めてきょうだい旅行したときに来た。この広場でお弁当食べたよね」
 気持ちを自覚する前の最後の記憶だ。あの夜、宿泊したホテルで悶々と寝たフリを貫いたのが最初の記憶。
「このままじゃ取り返しのつかないことになるって、成瀬先生が」
 ……成瀬かよ。ユキにチクってたって、それってもうオレの気持ちは成瀬にもユキにもバレバレだったってこと?
「お父さんにお願いしてきたよ。和希くんを家から追い出してくれって」
「……え?」
「僕がついていく」
「え、な、……は?」
 理解できなくて混乱する。思わず開いた視界に、回されたユキの腕が飛び込んできた。親父が餞別に選んだ地味でセンスのアレなトレーナーを着ているのがわかる。顔を上げられないでいると、ユキの小さな笑いが耳元で漏れた。くすぐったい。
「それ以外ないんだもん。和希くんと僕がこれからも一緒にいられる方法」
「ユキ、ちょ、意味が」
「わかるよね? 僕がいないと生きていけないでしょ?」
 咄嗟に言い訳が浮かばないオレの頬に、涙を掬うように唇が触れる。
「な、なにす」
「命令は絶対だよ。でも人間を守ることがそれより大前提にある。命を守るためなら命令自体を反故にだってできるんだ。知ってた?」
「……ユキ」
「また失うところだった」
 細く落ちる声は震えて聴こえた。
「ユキごめん。でもオレ、そんなつも」
「和希の強情っぱり!」
 唐突に両腕の拘束が外れて、正面に回り込まれた。ダサすぎるトレーナーを着た綺麗すぎるユキ。手を取られて、茫然とそれを見遣る。
「死にたくなるくらい離れたくないなら、離さないで。僕は君を忘れたくない。そばにいたい」
 押し込めていたものが胸の奥底で一斉に騒ぎ出す。人間に対しての過度な自己主張は禁止。規則違反。緊急事態。
「だから命令して?」
 ただ見上げるしかできないオレを促すように、人工物のはずの薄紫の瞳が切羽詰まったように艶めく。どうしよう、苦しい。息ができない。なにかがものすごい勢いで太陽へと手を伸ばしてゆく。繋いだてのひらが熱い。
「……ユキのしたいように、しろ」
 スカスカな声をやっとのことで絞り出すと、一瞬の間のあとで豪快に笑い飛ばされた。
「そんな笑わなくてもいいじゃん」
「ほんっと筋金入りだね、和希」
 笑いを含んだ唇が、むくれた言い訳を飲み込むように触れる。ユキがこんなにも冷たくて心地よいのは、オレの身体が熱を孕んでいるからだ。頭の片隅でそれを悟ったとき、危うく窒息しそうになった。

るくみる
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