ほのぼの/甘々
「ユキも拭いてほしいの?」「……っ!」「へえ、そっか。もしかして、子猫にヤキモチ妬いた?」
俺はよく落とし物を拾う。
学校の廊下でペンや生徒手帳をよく拾う。職員室の『落とし物回収ボックス』の位置をばっちり覚えてるくらい拾う。
道ばたに落ちている財布やカギ、果ては定期券までよく拾う。近所の交番のおまわりさんに顔を覚えられて『今度は何拾ったんだ?』なんて聞かれるくらい拾う。
そして、今日は猫を拾った。
もう一度言う。
猫を拾った。
これは困った。職員室の落とし物回収ボックスは無機物しか受け付けてない。交番に届けても、保健所に連れていかれるだけだろう。
俺は猫を見つめる。
道ばた、電柱の脇に置き去りにされていた段ボール。
『拾ってください』なんていうオーソドックスな手紙と一緒に、子猫が丸まっていた。白い地に茶色と焦げ茶のぶちがある三毛猫だった。
「かわいい」
一目惚れして思わず『拾って』しまった。
そして最初の言葉に戻る。
これは困った。
どうしよう。
子猫を前に考える。どうしてこんなに可愛いのに捨てられちゃったんだ。かわいそうじゃないか。こんなに華奢だったら、きっとこの町の野良猫たちにすぐに襲われてしまうだろう。一日二日生きられればいい方だ、たぶん。
見捨てられない。
俺は拾うのは得意だけど、捨てるのは苦手だ。
「……よし、家に来るか」
幸い俺の家には、猫アレルギーの人はいない。父さんも母さんも面倒見がいいし、なにより知識の塊であり世話焼きの権化とも言える彼もいる。大丈夫だ、たぶん。
「みゃー」
かわゆいひと鳴きを同意と受け取って、俺は子猫と家へ向かった。
***
「和希様、その方はどうされたのですか?」
玄関で俺を出迎えてくれた世話焼きの権化……こと、アンドロイドのユキがまじまじと猫を見つめる。
そういえば、ユキが家に来て以来ペットの一匹も飼ったことがなかった。
「これは猫っていう動物なんだ。この子はまだ子どもだな、たぶん生まれたばっかりだ。大人になると、もう三周りは大きくなるんじゃないかな」
飼ったことがないから分からないけど、それくらい元気に成長してくれればいいなぁと思う。
「猫という動物は知っています。データベースにも登録されております。一般家庭ではペットとして飼育することが多い動物ですね」
「そうそう。ユキは賢いな」
「ありがとうございます」
ユキがうやうやしくお辞儀をする。アンドロイドだからといって、表情がないわけじゃない。たぶん今、ユキはものすごく喜んでいる。長い付き合いだから、俺には分かる。
「じゃあユキ、猫を飼うには何が必要か教えてくれるか?」
データベースに登録されてるなら安心だ。さすがユキ。世話焼きの権化。
「それは構いませんが……なぜですか?」
「なぜって?」
俺は玄関のたたきへ上がろうとして、ユキに引き留められる。門番の検閲を受けてる気分だ。
「その猫をどうされるおつもりです」
「飼うんだよ、家で」
「なんですって!?」
ユキが珍しく驚愕の反応をする。人間味溢れる反応に、俺はついニヤニヤしてしまう。
「ご両親の許可は得ているのですか? 私は初耳です。一体どうしてそんな結論に至ったのですか?」
慌てているユキを楽しく眺めながら、俺は玄関をあがって風呂場へ向かう。カバンは適当に廊下に投げ出した。
「和希様、お待ちください、私はその不穏分子の侵入を許可していません。和希様のご両親から留守を預かっているこの私、見逃すわけには参りません」
「父さんも母さんも動物好きだから、大丈夫だよ。今まではきっかけがなかっただけだって」
洗面桶にタオルを敷いて、子猫を座らせる。まだ捨てられて間もないようで、少し元気はないものの弱り切ってるわけじゃなさそうだった。適当にタオルをぬるま湯で濡らしていると、ユキが俺のカバンを抱きしめて風呂場に入ってきた。ユキは律儀だ。
「和希様、いきなりお湯をかけてはいけませんよ」
「分かってる、あったかい濡れタオルで拭いてあげようと思ってさ」
「さすが和希様です……って、違いますよ! 猫を拾って飼うだなんて、軽々しく決めて良いことでは」
「このタオル使っていい?」
「ああ、でしたら福引きの参加賞で頂いたタオルがありますので、こちらをお使いください」
「ありがとうユキ、さすがだな」
「お褒めにあずかり光栄です……って、だから違いますよ!」
ユキの律儀さは極まっていて、そんなところが可愛らしい。俺より頭一つ分くらい背が高くて、いつも落ち着いて余裕綽々に何でもこなすユキなのに、イレギュラーなことには至極弱い。
だからたまに、こうして慌ててる姿を見ると本当に和む。好きな子をいじめたいっていうのは、こういう気持ちのことなんだろうか……なんて。
俺は女の子が好きなはずだけど、ユキなら性別が男でも関係ないか、なんてたまに思ってしまう。……たまに、だけど。うん。ほんとうにちょっと、たまにだけ。こうやって慌ててるところなんて見たときだけだ。
まあ、それはおいといて。
「ユキ、猫といったら牛乳だよな?」
「そうですね。しかしぬるめの温度にしてあげないといけません」
「俺、この子をきれいにしてあげるから牛乳あっためといてくれる?」
「かしこまりました……本気ですか?」
「飼うか飼わないかは別としても、ほっとけないだろ?」
「和希様はお優しいですね」
ユキは根負けしたように苦笑する。
こんな顔も、うん、なかなかカッコイイよな。なんて思ってしまった。
***
父さんと母さんが家に帰ってきて、猫を見せた。
ユキの心配をよそに、二人は大歓迎してくれた。
「名前を決めないとなぁ」と父さん。
「俺、もういくつか考えてるんだけど」
手を挙げると、両親が不満そうな顔をした。
「ユキちゃんの名前は和希が決めたんだから、ねこちゃんの名前は私たちに決めさせてちょうだいよ」
「えー、拾ってきたの俺なのに」
「和希様、ご両親に決めていただいたら良いと思います」
俺をなだめるように、ユキが肩に手を載せてくる。
「ユキまでそんなこと言うんだ」
思い切り拗ねた顔を向けると、ユキは一瞬怯んだもののほだされてはくれなかった。
「ねこちゃんの名付けは父さんたちに任せて、ユキはお風呂に入っておいで」
父さんは俺から子猫を抱き上げると、首の下をころころと撫でた。
「もう沸いてるから。タオルの場所はユキちゃんに聞いてね」
「分かったよ。よろしく、ユキ」
「はい。和希様」
***
風呂場に行って、ユキにタオルを出してもらう。
「ありがとう。じゃあ風呂入ってくるから」
「かしこまりました」
ユキは頷くものの、脱衣所から出ようとしない。
「……俺、脱いじゃうよ?」
「は、はい……」
それでもなぜか出て行こうとしない。
着替えくらい、ユキがこの家に来て以来数え切れないくらい見られてるから気にならないけど、いつもと様子が違うのはかなり気になる。
「どうしたんだ、ユキ?」
「いえ、その……」
俺より背の高い、大人びた容姿のユキがしどろもどろになっているのはちょっと可愛い。なんだかいたずら心が芽生えてくる。
「もしかして、一緒にお風呂に入りたいのか?」
「い、いえっ、そういうわけでは」
「じゃあどうしたの」
俺はユキの顔をのぞきこむ。ユキは顔を真っ赤にしていた。表情の反応も、感情と同期するようにプログラムされているから隠したりはできない。つまり、ユキは思い切り照れてるみたいだ。
「その……ですね」
おずおずとユキが口を開く。俺は黙って続きを待った。
「アンドロイドも……熱いお湯に浸かることはできません」
「うん、知ってる」
水泳くらいならできるようになってるらしいけど、一定の温度以上のお湯に入るのは厳禁だ。何でも、ボディのコーティングがどうとかいう問題らしい。
「ですから、汚れた時は濡れタオルで身体を拭くものです」
「それも知ってるよ」
ユキは妙に律儀なところがあるから、パーツを自分で外して自分で手入れしている。器用だな、と眺めていて『恥ずかしいじゃないですか!』と怒られたことがある。
「ですから……その……」
もじもじしている。
「やっぱりいいです!」
そう言って逃げようとしたユキの腕を掴んだ。
俺は拾い物をするのが得意だ。
だから、ユキが捨てようとした言葉の続きも、ちゃんと拾ってあげられる。
「ユキも拭いてほしいの?」
「……っ!」
「へえ、そっか。もしかして、子猫にヤキモチ妬いた?」
「う……うう……」
ユキががくりと肩を落とす。ひとつ言い当てれば、ユキはすぐに観念してくれる。こんな潔さもユキのいいところだ。
「私だって、和希様に身体を拭いてもらったことがないのに……」
「ユキ、恥ずかしがって拭かせてくれないじゃん」
「それは、私にも相応の羞恥心をプログラムされていますから!」
赤い顔で慌てているユキ。……うん、やっぱり可愛いな。俺よりずっと大人な見た目なのに、どうしてこんなに可愛く感じるんだろう。
「じゃあ、ユキのことも拭いてあげるよ」
「うう、ですが……やっぱり、しかし……」
逡巡しているユキの顔を、正面からのぞきこむ。
「おいで、ユキ」
「は……はい、和希様……」
まっすぐ見つめれば、ユキは俺から視線を逸らすこともできずに観念して、こっくりと頷いてくれる。
俺が服を脱ごうとすると、ユキは慌てて目を覆った。
「か、和希様、脱ぐなら脱ぐと先に仰ってください……!」
「さっき言ったよ。今さらなんで恥ずかしがってるんだ」
「今までとは状況が違います!」
ユキは俺よりよっぽど人間らしく恥じらって、背中を向けて服を脱ぎ始める。照れて慌ててるユキがあまりにも可愛いから、俺は背中合わせのままでぽつりと呟いた。
「……俺が子猫の名前付けるの反対したのも、ヤキモチのせいなんだろ」
「えっ?」
「ユキって名前付けたのは、俺だもんな。だからヤキモチ妬いたんだ」
「~~~~ッ!?」
ガタン、と壁に頭をぶつける音がした。
背中越しでも、ユキがどんな顔をしてるか分かった。
ユキがアンドロイドとして抑えているわがままや願いは、全部俺が拾ってあげよう。
そんなことを思いながら服を脱ぎきって、俺はユキの方を振り向いた。
(おしまい)