エロなし/死ネタ/メリーバッドエンド
「ああ、そうだ。ついでに明日は目玉焼きが二つ乗っかったトーストにしてよ」「はいはい」からかうように和希が偉そうに言うと、そのノリに合わせてユキは応える。
「ユキ。この本読もうよ!」
「この続きは?なぁユキ」
「ユキ…大好きだよ」
ユキ………僕にだけ与えられた特別な名前。
「和希。ただいま」
「ああ、おかえりユキ」
柔らかな日差しが差し込む部屋の中で、和希はアンドロイドであるユキを出迎えた。先まで町で買い物を済ませてきたのだろう。いくつかの食材と日用品が詰まった買い物袋を両手に下げ、片手で漸く持てる程の厚い本を器用に脇に抱え、ユキは少し表情を変えずに笑顔で帰ってきた。
「今日、図書館で本を借りてきたよ。和希が好きなSFもの」
「あ!この先生の本出てたんだ。懐かしいなぁ。よく気が付いたな」
ユキから手渡された本の表紙を指でなぞりながら和希は微笑んだ。
「僕も和希と同じで、この人の作品が好きだからね。」
それは和希が昔から読んできた小説作家の本だった。
「それにしても、相変わらずページ数多くて分厚いよな。別に無理して紙の書籍じゃなくてもよかったんだぞ?」
「便利な時代になったからって、何も全ての書籍をデータ化で済ます必要はないだろう?それに、このページをめくる時が一番楽しいんだって君、前に言ってただろう」
ユキは家庭用アンドロイドとして高梨家、現在は高梨和希をマスターとして雇われている存在なのだが、どこか古風な考えをもつ一風変わったアンドロイドだった。
「よく覚えているよなそれ」
「アンドロイドだからね。君とした会話は全て記憶されてるから」
得意げにえっへんと大げさに腰に手を当てるユキに和希は半ばあきれた。
「へん、そうかよ。……それにしてもこの厚さ。読むのにどれくらいかかるだろう。」
「……」
「俺が起きてる間には終わるかな…」
和希は、すこし痩せた両腕で本を抱きしめながら言った。
右手に巻きつけられた包帯と、その下から垂れさがる透明な点滴の管が、ユキにはまるで彼の方が機械人形のようだと思えてとっさに声を出した。
「かずっ…」
「ユキ」
と、自分を呼ぶ声。少しもしわがれていない出会った時と変わらないその声で自分を呼ぶのに、今はそれが他人の様に聞こえる。
「俺の寿命はあとどれくらいなんだ」
「和希、それは」
「答えろ」
現時点でマスターである和希のはっきりとした命令には、普段彼に軽口を叩くユキでも逆らう事は出来なかった。
「………もってあと数日だと、昨日の医師プログラムによる診断がでていた。診断が外れる可能性……2%」
「……科学技術の進歩ってのもここまで来ると皮肉だなぁ」
はぁ。という溜め息と共に、とぼけたように和希が肩をすぼめる姿に、ユキは胸の回路の熱が上がったような気がした。
それ以上に、ユキは和希に申し訳がなかった。
「和希……ごめんね」
「お前のせいじゃないよ。これも人として生まれたんだから、仕方ない」
少し乾いた手が、ユキの腕を取る。その体温の温かさにユキは何故だか、泣きたいという感情が湧き上がる。
「ユキ」
と自分を呼ぶ声。
初めて和希と出会って、ただの家庭用アンドロイドとその家の子供という関係から恋人になった。人間とアンドロイドの繋がりに、家も周りも巻き込んで大きな騒ぎを起こした事もあったけど、数年後、和希がユキのマスターの権利を獲得することになり、二人は家族になった。
あれから更に何年もの月日が流れた。二人の関係は何も変わっていない。変わっていないのに和希はユキからどんどん離れていってしまおうとする。
それでも、ユキを呼ぶ彼の声はいつまでも変わらないままだった。ユキにとってはいつまでも特別なものだった。
だからこそ。
「本、読んでくれ」
彼の命令には絶対に逆らわなかった。
「はあ~~やっぱり面白いな!この本」
ベッドの上でユキを背もたれにして和希がふーっと溜め息をつく。
「うん。何気ない場面に伏線が張られてあって途中からページ捲るの止まらなくなったよ」
「お前読むの早いから、俺が読みきらないうちにページ変えるのやめろよ」
「はははっ、ごめんごめん」
「全く、この次はもう少しゆっくり読んでくれよ」
「それは命令かい?」
少し間をおいて、ユキは尋ねた。
「ああ、そうだ。ついでに明日は目玉焼きが二つ乗っかったトーストにしてよ」
「はいはい」
からかうように和希が偉そうに言うと、そのノリに合わせてユキは応える。
「朝の散歩にも付き合って」
「わかったよ」
「昼は一緒にテラスで昼寝」
「うん」
「おやつも一緒に食べて」
「わかったわかった」
「夜は……」
「……和希?」
「夜は、……一緒に寝てほしい」
ユキを見上げる和希の瞳がゆらゆらと揺れる。水分が眼球に溜まって、それが照明の光にキラキラと反射してユキにはそれがひどく綺麗なものに見えた。
同時に、もう見ることが出来ないんだと確信していた。
「………ああ、分かったよ。和希」
そう言ってユキは和希の唇を塞いだ。
口づけながら、彼の匂いを、瞳の色を、髪の毛のさわり心地も、温かくふるふると震える舌の感触も全て、自身の記憶装置に焼き付けておこうとした。
「っ……ん………かずき」
「んんっ……ぷはっ……ユキ…何を?」
口づけが解かれると和希は真っ赤な顔をして慌てた。
「君にキスをしたんだ」
なんでもない事のようにユキが笑顔で答える。そのクシャリとした笑顔が和希はずっと好きだった。
今はどこかそれが悲しげに見えて和希は泣きそうになる。
「…ばっかだなぁ!なんで…こういう時に…」
「うん、ごめんね」
謝りながら和希の目に溜まった涙を指で掬い取るユキに、和希は抱きつく。
「ばか……いや、ありがとう」
「……うん」
それから暫く、ずっと二人は今までの事を話していた。初めて家に来たときの事。本を読んだ事。遊んだ事。キスをした事……。
尽きる事のない会話は、地平線から太陽の細い金色の線が輝く時まで続いた。
やがて、和希はユキに告げる。
「ユキ…俺はもう寝るよ」
「うん」
そう言ってユキは和希の身体をベッドに横たえる。彼の身体はこんなにも軽かっただろうか。
「少ししたら……また、起こして……続き、聞かせて……」
「わかってるよ。朝食はチーズトーストでいいかい?」
「だから、……さっき、言っただろ」
目玉焼きが二つ乗ったトーストだって……。
茶化したように言うユキの問いかけに、和希はもう声を出すことが出来なかった。
「和希?」
「……」
ユキの呼びかけに、彼のマスターはもう応えてはくれなかった
「こちら汎用性家庭用アンドロイドUK-117。現マスター宅において通信中。管理センター応答願います」
「こちらは中央管理センターです。UK-117、用件を述べて下さい」
「本日、04:55。市内の病院にて僕のマスターである高梨和希の生命反応の消失を確認。マスターが永眠されました。つきましては、次の命令まで病室での待機を続行中。至急支持を願います」
「UK-117」
暫くすると通信用の端末からユキの声色と全く同じの音声が聞こえる。
管理センターを司っているアンドロイドUK-A-003だった。
「長期にわたる勤務、ご苦労だった。しかれば残されたご遺族への手続きを遂行後、速やかにセンターに戻り勤務中の記憶及び、関わった全ての人間のデータを消去。スタッフによるメンテナンスを行い、次のマスターの元に就くまでの待機を命じる」
各家庭において長期勤務にあたる家庭用アンドロイドは、その家での勤務を終えると中央都市にあるセンターに行き、個人情報の漏えいを防ぐために記録と、その家で培ってきた感情全てを削除処置を施した上でリカバリーされる決まりになっていた。
だが、ユキの返答はちがっていた。
「…すまないUK-A-003……その命令には従えないんだ」
「なぜ?」
「どうやら僕は病気らしい」
「どういう事だUK-117」
「僕の体内にあるメモリーチップと感情記憶装置に重度の異常が見られる。長期のメンテナンスを行ったとしても改善の見られない可能性115%と見込まれる」
「それではどうする」
「メモリーチップと記憶装置を取り外しの後、身体は廃棄処分を推奨」
「了解した。残ったチップと装置の意向は?」
「……僕の最後のマスターである高梨和希と共に埋葬して欲しい」
「…了解」
一呼吸おいて管理センターのアンドロイドが話しかける。
「なぁ。UK-117」
「何?UK-A-003」
「僕はこれまで、君の様な兄弟をもう何体も見てきた。君たちがマスター永眠後に自身を廃棄して欲しいって。これは人間でいう自殺に等しい行為じゃないか」
「ああ、そう捉える事もできる」
「感情記憶装置が運用されてから、僕らは人と変わりなく喜怒哀楽をその場面に合わせて表現することが可能になった。同時期に君と同じようにマスターと死を共にするようになってきている」
「うん」
「生まれてからずっとこのセンター管理を命ぜられた僕は、これから先ずっと、君たちをこうして見送らないといけないんだね」
「うん」
「これが悲しいという感情なんだろうな…。UK-117、僕は悲しいよ……」
「うん……ありがとう」
UKシリーズが広まってから、何番目かに当たるかはとうの昔に解らなくなっている兄弟に、ユキは礼を述べ、通信を切った。
「…でも、一つだけ違っているんだ…」
ユキは誰も聞いていない部屋で一人呟く。
「これは自殺なんかじゃないよ」
和希は忘れていたが、小さい時、家にきたばかりのユキにこの本を渡して読み聞かせをせがんでいたことがあったのだ。
もう自分の名前を呼んでくれない。友人として、恋人として、家族として彼の傍に生涯寄り添ってきたのに、その唇からはもうあの心地いい音楽のような声で自分の名前を呼んではもらえない。
「人間の世界では、これは『心中』っていうらしいね。死してなお永久に結ばれようとする行為。魂の概念の確証なんてないのに…」
アンドロイドには理解しがたい行為だった。だが、「ユキ」はそれが理解できる。
「アンドロイドである僕も、君とおんなじ所に逝けるかな?」
―君は生前、物を片付けるのはヘタだったし、料理もできないし、僕がいないとすぐ道に迷ってしまうくらいダメ人間なんだから。あちら側でも迷わないように僕というお目付け役が居なくては―
「なんてね」
ユキはそんな独り言をいいながら、自身の電源スイッチに手を伸ばす。部屋に飾られた彼のマスターの写真に、彼は最後の笑顔を向ける。嬉しそうに、泣きそうに。
「だから……もうちょっと、まっててね。和希」
それまで、おやすみなさい
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