死ネタ/エロなし
予想どおり、少しだけ寂しそうな顔をしてカズキは苦笑いをする。左手を私の背中に回したまま、右手の指で私の前髪をそっとかき上げた。「『希求禁止の原則』ってヤツか」
「――カズキ」
私はカーテンを開け、ベッドに眠る彼に声をかけた。
「起きてください、カズキ」
「んっ……、ん~……」
まだ眠っていたそうに眉根を寄せて、カズキはまぶしげにうっすらと目を開けた。
「おはようございます。もう、起きる時間ですよ?」
「う…ん……。おはよぉ……ユキ……」
どこか語尾に幼さをにじませ、カズキは私の名を呼んだ。
「……ん?外、雨降ってる?」
カズキは着替えをしながら、窓の外に目をやる。窓に打ち付ける雨雫の様子が、室内に漏れ聞こえる音以上に本降りであることを知らしめていた。
「ええ。今日は一日、雨のようですよ」
シャツを羽織ったままで、カズキは窓の外に見入っていた。
「ボタンを留めるのを、お手伝いしましょうか?」
「……いいよ。子供じゃないんだから」
少し気恥ずかしそうに、カズキは私の申し出をはねつけた。私に搭載された保育プログラムは、高校生になった彼には次第にそぐわなくなっていた。
「では、先に戻ってますね。すぐに朝食を準備します」
「ああ、ユキ。今朝は久しぶりにパンケーキ食べたい」
「分かりました。蜂蜜をたっぷりと、ですね」
私は微笑んで彼のリクエストを了承する。子供扱いを厭いながらも、彼の好物は幼い頃と変わらぬままであった。
私が和希と生活を共にするようになったのは、彼が母親を亡くして間もなくのこと。和希の父親である高梨博士はAI工学の第一人者と言われる研究者で、それまで博士のアシスタントであった私に、家事機能と保育機能の改造をほどこし、多忙な自分の代わりに子育てを命じたのだった。
それから私は彼の保育者となり、遊び相手となり、家庭教師の役割も担っている。初めて会った頃、まだボタン留めもおぼつかなかった子供は、今では私の身長と変わらないほどに成長していた。
「明日も雨なのかなー?」
カズキはリビングのソファに座ると、ウォールヴィジョンを起動して、天気予報を呼び出していた。
「あー、晴れるみたいだな」
「良かったですね。せっかくの修学旅行ですから。楽しんでいらしてください」
私がそう言うと、カズキは興味なさげに肩をすくめた。
「……めんどくさい。寺とか記念館とか……。そんなの、自分ん家のヘッドセットでいつでも見られるじゃん」
そうぼやきつつも、カズキが旅行ルートのデータを色々と検索していることは知っている。態度とは裏腹に、結局のところは楽しみにしているようだった。
◇◆◇
その日は、一歩も外に出ることなく、二人で室内で過ごした。
「明日はさ、帆船乗れるんだって。ほら、これ」
ソファに座るカズキは嬉しそうに手招いて、私を自分の横に座らせるとディスプレイを見せた。修学旅行では、一千年前の帆船を模した大型船での航海が組み込まれているそうだ。
「すげえよなー。昔は本当に風で船を動かしてたんだろ?」
「そうですよ。エンジンすら無かった時代ですからね。例えば、このレプリカの元になった船は……」
私が、自分に記録されたデータから帆船に関する情報を呼び出し説明を始めると、カズキは目を輝かせて聞き入っていた。
「カズキは、本当に海の話がお好きですね?」
珊瑚の話や鯨の話。船や航海に関する伝説や学問など、海洋に関する話をすると、和希は幼い頃からとても熱心に聞いていた。
「そうだなあ……。ユキが初めて海に連れてってくれたのが、楽しかったもんなあ」
◇◆◇
ようやく私の存在に和希が慣れてくれた頃。私は小さな手を引いて、浜辺の散策に連れて行った。
「見て、見て!ユキ!!何か拾った!!」
満面の笑顔で差し出した手のひらには、砂にまみれた一枚の銀貨が乗っていた。
「おや、すごいですね。和希。これは昔のお金ですよ」
「……お金?」
私の言葉の意味が分からず、少年は首をかしげた。
「ああ……、和希は実際のお金を見たのは初めてでしたね」
かつては常識であった貨幣や紙幣の交換による売買が絶えてずいぶんと久しい。
「昔はこれをお店に持っていくと、物が買えたんですよ」
「ふうん……?」
和希にはあまり理解できなかったようで、コインを光にかざしてキラキラと反射させて遊びだした。彼にとってはコインの用途よりも、そのレリーフの方がよほど興味を惹かれるようであった。
「昔の人は、『このコインに祈ると、願い事が叶う』と言っていたそうですよ」
「本当!?」
それを聞いて、幼い少年はコインを握る手をぎゅっと握り締めた。
「えっと、えっと……。そうだ!ユキと、また一緒に海に来られますようにっ」
私は彼の髪を優しく撫でて、断言した。
「そうですね。和希のお願い、きっと叶いますよ」
いつもいつも、私の傍にいることを願ってくれた和希。
あの日の海の香りも、撫でた髪の柔らかさも、私は何一つ忘れてはいない。
◇◆◇
ソファに二人で並んで座り、宙に浮くディスプレイを眺める。
「お土産買ってくるよ。何が欲しい?」
そう尋ねながらカズキの腕が私の背中に回された。中学生になってすぐの一時期は子供じみたスキンシップを嫌がった彼であったが、高校に入学した頃から再び私に触れるようになっていた。
「私は何も……」
彼が喜ばないと理解しつつ、私はそう答えた。
「そっか……。そうだよな……」
予想どおり、少しだけ寂しそうな顔をしてカズキは苦笑いをする。左手を私の背中に回したまま、右手の指で私の前髪をそっとかき上げた。
「『希求禁止の原則』ってヤツか」
「はい」
私の目を見つめる彼の表情は、幼さが薄れるにつれ精悍さを増し、この頃にはずいぶんと大人びたものになっていた。
「ユキには、『欲しいもの』も『したいこと』も無いんだよなあ……」
当初、人間に近づくことを目標として作られたアンドロイドには「知識欲」が組み込まれていた。しかし、人工知能が自主的な学習能力を身に着け、その欲求がしだいにエスカレートすると、様々な問題が起こるようになった。医学の探求を突き詰めるあまり、人間以外の生命を大量虐殺してしまった事件などが起こり、人間はアンドロイドに「欲求」を持たせることが、いかに危険かを思い知ったのだ。
今ではアンドロイド開発にあたっては、「希求禁止の原則」を大前提とすることとなっている。三大欲求はもちろんのこと、いかに小さな「願望」であろうとも、アンドロイドには許されない。
「俺が……したいだけ……なんだよなあ……」
「……カズキ?」
彼は私の肩に額を乗せて、両手を私の背中に回して動きを止めた。
「なあ……?あのさ……。今のアンドロイドが、自分から誰かに触りたい……とかさ……。例えば、その……キスしたい……とかさ。絶対、無い……のかな……?」
「……?命令やプログラミングによるものではなく、自主的に、という意味ですか?」
「うん、そう」
私はカズキの背中をゆっくりと撫でた。「子供が抱きついてきたら、その子の背や髪を撫でる」というプログラムがあるからだ。
「なあ……。ありえない……のかな……?」
くぐもった声で尋ねるカズキの問いに、私は答えた。
「絶対……とは、言い切れないですね」
「ほんとかっ!?」
カズキが顔を上げて、私を見返した。
「ええ。私たちのAIは、情報収集と効率的なアルゴリズム改変を自動で行うようになってますから。そこに何らかの偶発的な作用が働いて、意図せず、アンドロイドが自ら欲求を持つ『バグ』が起きる可能性はゼロではありません」
そもそもアンドロイドは、「不完全な人間」が作ったもので、物理的な故障すら当然ある。
「そっかー。でもそれって、『バグ』ってより、もう『進化』だよな?」
「『進化』ですか」
アンドロイドを機械ではなく「生物」と見なしてくれる彼は、愛情深くそんな言葉を選ぶ。
「よしっ。俺、いつか親父を越える研究者になってさ!絶対ユキを『進化』させてやるからな!」
そう意気込んで、彼は未来を夢見て笑っていた。
◇◆◇
夜が明け、変わらぬ朝がくる。
「――カズキ」
私はカーテンを開け、ベッドに眠る彼に声をかける。
「起きてください、カズキ」
カズキは着替えながら、窓を見る。窓の外は、ずっと雨。
「……ん?外、雨降ってる?」
「ええ。今日は一日、雨のようですよ」
同じ問いに同じ答えを返す。あの日から、ずっと雨。
「ああ、ユキ。今朝は久しぶりにパンケーキ食べたい」
「分かりました。蜂蜜をたっぷりと、ですね」
あの日から、私は毎日パンケーキを焼く。
天気予報では、いつもと変わらぬキャスターが、いつもと同じように「明日は晴れ」だと伝える。
「あー、晴れるみたいだな」
「良かったですね。せっかくの修学旅行ですから。楽しんでいらしてください」
だけどもう、彼が修学旅行に出かけることはない。
あの日。彼が楽しみにしていた修学旅行の初日。和希たちを乗せた光速トラムが事故を起こした。
どれほど交通機関が発達しようとも、どれほど安全性能が向上しようとも。交通事故は今も世界のどこかで起こっていたし、人間の肉体のもろさは決して変わることがなかった。
負傷者三十二名。
まれにみる大惨事だと、世間が騒いだ。
死者四名。
その中に、和希がいた。
◇◆◇
永遠にループする、同じ朝と夜を四百十一回繰り返した日。
「アンドロイドの身体ででも、生きててくれればと思ったんだが……」
高梨博士は沈痛な面持ちで、目の前に横たわる「カズキ」を見つめてため息をついた。
事故が起こったあの日。高梨博士はせめてもと、愛息子の脳から記憶を取り出し、メモリーチップに留めた。そして、和希とまったく同じ姿形をした、彼の記憶を持つアンドロイドを作った。
まるで息子が生き返ったかのような出来栄えに、初め博士は涙を流して喜んだ。しかし、すぐに異変に気づくこととなる。夜に眠り朝を迎えると、カズキは全てを忘れて同じ一日を繰りかえすのだった。そればかりではなく、外出をさせたり誰かと会わせたり、旅行前日の和希の記憶に無い行為をさせると、メモリーの齟齬に耐え切れずにショートして、すべての機能を停止してしまうのだった。
そんなカズキのために、自宅に似せてこの部屋が作られた。永遠に雨を打ち続ける窓。永遠に同じニュースを繰り返すディスプレイ。
この箱の中で、カズキは自分を人間と信じ、希望や願望を口にして、未来を夢見る。一見、それは究極のアンドロイドのようで、しかし彼はただの「再生機」でしかなかった。
「やっぱり、死んだ人間は……生き返らないということか……」
博士は一度ゆっくりと目を伏せ、そして何かを決意したかのように、カズキの首にあるスイッチに触れた。
人間は弱い。弱いからこそ辛い記憶は薄れるようにできている。
博士はようやく息子の死を受け入れ、乗り越えようとしていた。
「これもただのアンドロイドとしては、役にも立つだろうが……」
博士はカズキのメモリーを初期化してしまうと、私に命じた。
「ユキ。それは廃棄する。すまんが、おまえが処分しておいてくれ」
さすがに息子の顔をしたアンドロイドに手をかけるのは辛いのだろう。博士はカズキを再び顧みることなく、研究室から出て行った。
「廃棄……」
横たわるカズキの傍らに立ち、なぜか私は次の行動に移れないでいた。
「廃棄を……しなくては……」
私の中にある、和希との記憶がうずまく。
人間では無い私は、何一つ忘れることなどできない。
和希との会話は一言一句すべて覚えている。初めて彼を抱き上げた、あの重さも温かさも覚えている。
「かずき……」
博士が命じたのだから。マスターの命令は絶対のはずだから。
これは人間ではないのだから。「人命優先の原則」はあてはまらないのだから。
カズキを処分する手順は分かっている。メインコアを取り出し、分解しなければならないのに。
ドウシテ、カラダガ、ウゴカナイ?
私は自分に何が起こっているのかを理解できずにいた。
「かず…き……」
私は彼を呼ぶ。カズキを呼んでいるのか、和希を呼んでいるのかも分からない。
「かずき……。かずき……。かずきっ……!!」
私の手を握り返してくれた、和希はもういないのに。
私と一緒にいたいと願ってくれた、彼はどこにもいないのに。
ここにいるのは、彼ではないのに。
できなかった。どうしても、彼を失うことができない。
「かずき、起きて……」
私は願う。
あなたと共にいたい。
あなたと一緒に海に行きたい。
「起きてください、かずき」
私はあなたと、キスがしたい。