エロなし/ハッピーエンドのつもりですが、人によってはバッドエンドかも…?
昔、空は青かったという。高梨和希の空は、紗がかったシルバーだ。
昔、空は青かったという。
高梨和希の空は、紗がかったシルバーだ。スクリーンが切り替わるみたいに、青空だったり、夕焼けだったり、星空の映像が、一定の時間で切り替わる。
20XX年。
オゾン層の壊滅的な破壊になり、人々は生活環境を根底から見直さざるをえなくなった。
街は空にまで届く超高速ビルが林立し、それは街一角を呑み込むほどの巨大さだ。ビルの中には居住スペースはもちろんのこと、商業スペース、学校や病院、オフィス街や運動施設などがすべて入っている。ひとつのビルにすべてが揃っているので、ビルから出る必要はない。
大広場は吹き抜けになっていて、ときどきイベントがわりに、本物の雪だったり桜の花びらが降ることもある。「本物」というのは、あくまでもそうだという話だけだ。なぜなら和希は生まれてこのかた一度だって「本物」の雪も、花びらも、見たことなんてなかったから。
ビルの外には有毒ガスが充満しているので、人間は暮らすことができない。ビルとビルの間は固いゲートで閉ざされ、通行には政府が発行する許可証が必要だ。
そんな人々の不自由な生活を助けるために開発されたのが、アンドロイドだ。アンドロイドはいまやすべての家庭に普及されているくらい、身近な存在だった。
和希の家にユキが来たのは、和希がまだ小学生のころだった。
アンドロイドには名前がない。個体を識別するための数式がそれぞれつけられているだけで、だからユキが和希の家にきたときは、「CW9000ー13T」とチップには書かれていた。
アンドロイドに名前をつけるのは禁止されている。それは、アンドロイドがまだ人間社会に普及し始めのころ、アンドロイドと人間の区別がつかなくなった人が数多くいて、心中する事件が後を絶たなかったからだ。
「初めまして。CW9000ー13Tです。どうぞよろしくお願いします」
けれど、和希はこっそりと彼に「ユキ」と名前をつけた。前にスクリーンで見た雪景色が美しく、強く和希の印象に残っていたからだ。
「ユ、・・・・・・キ」
アンドロイドは不思議そうにまばたきをした。そうすると、和希たちとなんら違いなんてないように思えた。
「そう、ユキ。きみの名前。でも、父さんたちにバレると叱られるから、内緒でね」
「なまえ・・・・・・。わたしの・・・・・・。ユキ」
突然、まばたきの回数が早くなった。
「ユキ。わたしのなまえは、ユキ。ユキ」
うれしいのか、何度も繰り返しながら呟く。
「そうだよ。きみの名前は、きょうからユキだ」
こうして、ユキは和希との間でだけ、CW9000ー13Tでなく、ユキになった。
ユキが高梨の家に来て間もないころ、和希は失恋をした。それは、同じ地区の一角に住むルーイという少年にだった。
和希にとって、初めての失恋だった。胸がつぶれそうに苦しくて、涙がポロポロとあふれて止まらない。しまいには泣きすぎて呼吸が苦しくなり、和希はひっく、ひっくと嗚咽をもらした。
「和希はどうして泣いているのですか?」
ユキは不思議そうに和希を見てたずねた。
「・・・・・・気持・・・・・・ち悪いって、言われた・・・・・・んだ。男どう・・・・・・し、なのにって・・・・・・」
嗚咽のせいで、言葉がうまく出てこない。
「おとこどうしだと、どうして気持ち悪いんですか?」
ユキは心底わかっていないようだった。
「だっ・・・・・・て、男同士だ! 生産性が・・・・・・ないじゃないかっ!」
和希は、がばっとベッドから起きあがった。ルーイに言われた言葉をそのまま繰り返し、ユキにぶつける。実際に言われたのは、本当はもっと露悪的な言葉だった。
ルーイに言われた言葉が棘のように和希の小さな胸を傷つけていた。だから、八つ当たりだとわかっていても、いったんあふれ出した感情は、止めることができなかった。
「でも、わたしはおとこどうしでも、和希のことがだいすきです。それって、いけないことですか?」
和希はぽかんと、一生懸命に言葉を紡ぐユキの顔を見つめた。まっすぐなまなざしで和希を見るユキの瞳は、これまで和希が見たどんなものよりも澄んでいてきれいだった。
和希はすん、と鼻をすすった。
「いけ・・・・・・なくなんかない。ぼく・・・・・・も、ユキが好きだ」
そのとき、とてもうれしそうに笑ったユキがあまりにきれいで、和希はぽうっとバカみたいにそんなユキに見惚れていた。
「ユキって、きれいだったんだ・・・・・・」
呟いたとたん、忘れていたみたいに和希の目から涙がひとつぶこぼれ落ちた。
高校生になった和希の側には、相変わらずユキがいた。
「和希。そろそろ起きないと、学校に遅刻しますよ」
「ん・・・・・・。おはよう、ユキ。起こしてくれてありがとう」
和希はベッドの中で大きく伸びをした。空の色は、今日は薄紫だ。
「どういたしまして。朝食できてますからね」
そう微笑むユキの顔は、初めて会ったときと寸分違わずきれいだった。思わず朝から見惚れそうになって、和希は慌てて頭を振った。
初恋は和希にとって苦いものだったが、あれからルーイとも和解して、いまはふつうに友人同士のつき合いだ。
最近、和希はユキのことが気になってしかたなかった。初めて和希の家に来てから、ユキは相変わらずユキなのに、一見何の変化もないように見えるユキが、いまではだいぶ表情も増え、感情も豊かになっていることに、和希はとっくに気づいていた。
気がつくと、いつの間にかユキのことを目で追ってしまう自分がいる。
ふと目が合って、その目が自然さを装うように、ふいっとそらされた。
ーーユキ?
「早く着替えてくださいね」
そういって、いつもと寸分違わず同じ表情で微笑んだユキは、和希の部屋から出て行った。
「なあ、知ってるか? A地区で違反者が出たんだって」
和希の耳に初めてその噂が入ったのはいつだったか。
「違反者?」
授業を終えた和希は、ルーイと一緒に学校がある第四地区から、居住地区への長い廊下を移動していた。
「違反者ってなんの?」
「アンドロイドと、恋愛して見つかったやつがいるんだって」
和希の心臓が、どきりと妙な音を立てた。
「それって、どういう・・・・・・」
「セックスしてるのが見つかったらしいぜ」
必死に平静さを装う和希に気づかないルーイが、皮肉な笑みを浮かべる。
「なんでアンドロイドなんかとセックスできるかね」
「・・・・・・その違反者はどうなったの?」
和希の心臓は、いまや飛び出しそうだった。
「さあ? なんでも、そのアンドロイドはバラバラに破棄されて再利用されるか、ビルの外から出されて、下層部の労働用として使われるんじゃねえの」
たんに話題として出しただけで、あまり興味がないのか、ルーイの関心はすでにほかに移っているようだった。何かを楽しそうに話し続けているが、その内容はこれっぽっちも和希の頭には入ってこなかった。
手のひらが緊張のあまり、汗で冷たくなっている。隼人はその手をぎゅっと握りしめた。
その夜、和希はひどい夢を見た。
それは、ユキがどこかに連れていかれる夢だった。
「ユキ! ユキ! ユキー・・・・・・っ!」
幾ら叫んでも、和希の言葉は届かない。ただそこには闇が広がっているばかりだ。
パジャマにびっしょりと汗をかいて飛び起きた和希は、暗闇の中でぜいぜいと荒い呼吸をした。涙の跡で頬が濡れている。夢を見ながら泣いてしまったのか。
夢の記憶はあまりにリアルで、和希はぶるりと身体を震わすと、両腕でぎゅっと自分の身体を抱きしめた。
「和希?」
ドアが開く。ドアの隙間から、廊下の明かりが一筋の光になって部屋の中に伸びている。
「悪い夢でも見ましたか?」
ユキはわずかに躊躇を見せると、そのまま和希の部屋に入ってきた。
「ユキ!」
ベッドから掛け布団が落ちる。転がり落ちるようにベッドから下り、そのまましがみついてきた和希を避けるでもなく、ユキの手がおずおずと和希の背中に回された。
「どうしたんですか。今夜の和希は、小さな子どもみたいですね」
「ユキ! ユキ! ユキ!」
和希に回されたユキの腕は水のようにひんやりとしていた。その冷たさが哀しくて、和希は自分の体温をユキに移してあげたいと思う。
「ずっと、一緒にいて。俺、ユキのことが好きだ。ずっとユキの側にいたい」
腕の中の身体が、びくりと震えた。
しばらくして、
「だめですよ」
静かな声が返ってきた。
「いくら似ていても、わたしたちは和希たちとは違います。まがいものにすぎません」
「いやだ・・・・・・っ!」
離れようとする気配を感じて、和希はますますその腕の力を強くした。腕の中にぎゅっとユキを閉じこめ、離さまいとする。
淡々と説明するユキの声が哀しかった。
「いやだっ! ユキはまがいものなんかじゃないっ! ユキは、たったひとり、ユキだけだ・・・・・・っ! 俺のユキだ・・・・・・っ!」
「和希・・・・・・」
暗闇で、ユキと目が合った。そのまなざしは不安そうに揺れていて、初めて見るユキの姿に、和希はがつんと頭を殴られた気がした。
「ユキ・・・・・・。俺、ユキとキスがしたい・・・・・・。ユキは? 俺とキスしたくない・・・・・・?」
「・・・・・・だめ、です・・・・・・和希・・・・・・」
最後の言葉までを聞かずに、和希はユキに口づけた。ためらうように、その目が伏せられる。長いユキの睫毛は、蝶の羽ばたきのようだった。
ーー甘い。
和希は初めての口づけに夢中になった。ユキの唇は和希のそれよりも柔らかくて、気持ちよかった。そのあわいからそっと舌を差し込むと、和希の腕の中でユキがびくびくっと小さく痙攣した。
「ユキ。好きだ。ユキ、かわいいーー・・・・・・」
好きな相手に触れるのはこんなに気持ちがいいものなのか。ユキに触れている部分から、じわじわと幸福な何かが溶けてあふれ出してしまいそうだった。
「和希・・・・・・」
和希の腕に回されたユキの腕が、和希の気持ちに応えるかのようにぎゅっと力がこもった。
「ユキ、ユキーー・・・・・・」
「和希・・・・・・。わたしも、・・・・・・和希が好きです。これが、愛しいという気持ちなんですね・・・・・・」
水晶のようなユキの瞳から、つ・・・・・・、と透明な滴がこぼれ落ちた。
「ユキの名前はね、雪からつけたんだよ。空から真っ白な、羽根のようにふんわりと柔らかい雪が降ってくるんだって。きっと、それはユキみたいにきれいだろうね。」
いつか一緒に見ようね。
和希の言葉を、ユキはうれしそうに聞いていた。それが、和希がユキを見た最後だったーー。
次の日、和希が授業を終えて家に帰ると、見知らぬ青年が和希を出迎えた。
「初めまして。RH5703ーY03です。どうぞよろしくお願いいたします」
「何いってんの? ユキはどこ? ユキ・・・・・・っ!」
慌てて家の中を探し回るが、ユキの姿はどこにも見えなかった。脚が震えてうまく動かない。無様に転んだ和希を、RH5703ーY03と名乗った青年は「大丈夫ですか」と助け起こした。
「前のCW9000ー13Tは、型番が古くなったため回収されました」
そんなの知らない。聞いてない。ユキ・・・・・・っ! ユキ・・・・・・っ!
涙で視界がかすんで前が見えない。俺に触るな。触れないでくれ。ユキ、ユキ、ユキーー・・・・・・
腕を振り払い、その場に崩れ落ちた和希を、RH5703ーY03と名乗る青年は不思議そうな顔をして見ていた。
それから十年。
和希は政府が管轄の研究職に就いた。ビルの外側の環境を整え、再び人間がそこで暮らせるようになるための研究をしている。
それは、ユキと同じ型のCW9000ー13T型アンドロイドが、外の環境地区で働かされているという噂を耳にしたからだ。
先日、あるひとりの天才科学者により、画期的な方法が発明された。人々がまたビルの外で暮らせるまで、あと少しのところまできている。
ユキ。待ってて。必ず迎えに行くから。
和希はそこにあるはずの空をスクリーンから見上げた。いまはまだ偽物の空だけど、いつか必ずユキと空から舞い落ちる雪景色を見る。
和希の目には、その日の景色が見えるようだった。
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