ほのぼの/エロなし
ユキがそんなことを考えていたなんて今まで知らなかった。今思えば、赤らんだりモジモジしたり発熱したり、それはつまりそういうことで……そう考えると、ユキが愛おしくて堪らなくなる。
夕日を背に、学校からの家路を急ぐ影がふたつ。
家の玄関を勢いよく開けると、手洗いうがいもおざなりに、我先へと食卓に直行する。テーブルの上には一人分のご飯がラップをかけて用意されてある。一緒に暮らす祖母がいつも作っておいてくれるのだが、二人が帰ってくる時間帯は観たいドラマがあるとかで、部屋にこもってテレビに夢中だ。確か今は韓流ドラマの一挙放送がやっていて、韓国スターに熱をあげているはずだ。いつまでたって忘れぬ乙女心には毎度感服させられる。
「ハラが減っては戦ができぬ」
「正面に同じく」
(コホン……)
「「では、いただきます」」
声を揃えて挨拶を交わし、互いに己の食欲を満たし始めたことはいいが、二人の間には明らかな違いがある。
「やっぱばあちゃんの作る煮物は染み渡るぜ!!」
「この絶妙な電流加減、たまらない」
たった今、里芋とイカの煮っ転がしを夢中で食べている、高梨家の一人息子、和希が人間だとすると、和希の向かい側で首裏のプラグから伸びる充電器を家庭用コンセントに繋いで一息ついているのが、高梨家に住むアンドロイドのユキである。
食べ物を口へと運ぶ者と電流を体内へ流し込む者。相当シュールな絵面だ。
「いつ見ても間抜けだよな、その姿」
「高校生にもなって口の周りに汁とご飯粒をつけている和希にだけは言われたくない」
これが彼等の食事時の定番のやりとりになりつつある。
なんとも不思議な光景のようだが、彼等の生きる時代はどこの家庭でもみられる、ごく当たり前の光景である。
高梨家にアンドロイドのユキがやってきたのは和希が小学三年の頃なので、ユキと暮らし始めて、かれこれ七年くらい経つ。学校から帰宅すると、見知らぬ綺麗なお兄さんに出迎えられ驚いたのだが、人見知りしない性格の和希は、相手がアンドロイドであろうが関係なしにすぐに打ち解け、話が弾むうちに、彼にまだ名前が無いことに気がつく。
「俺がお前の名付け親になってやる!!」
そう意気込んでみたはいいものの、単純な頭の持ち主の和希は「う~ん、そうだな……よし!お前の名前は、今日から〈ユキ〉だ!!!」と勢いよく宣言する。
無名アンドロイドから、ユキ誕生の瞬間である。
和希曰く、透き通った色白の肌が雪のようで、たまたまその日、外で咲いていた桜が風に吹かれて桜吹雪のようだったという安直な考えなのだが、毎回名前の話になる度に、俺って詩人だよな~と自画自賛している有様だ。
一方のユキもユキで、顔や口には出さないが、なかなかこの名前を気に入っており、密かに和希に対して感謝の念を抱いていたりもする。
七年の年月が経ち、知り合った時は綺麗なお兄さんだったユキも、見た目はいつの間にか同級生へと変貌した。現に彼等の通う高校では同級生だ。
「電気のお味はいかがですか??」
「いい具合」
「コンセントはこの食卓脇のやつが一番で??」
「そうでもない、和希の部屋のコンセントが一番いい」
からかっていたつもりが、急に真顔で返され、一瞬ドキリとしながらも「あっそう」と素っ気なく返す。
普段からポーカーフェイスで何を考えているのかよく分からないユキだが、たまにこういう事を言われると、こっちがドギマギしてしまう。変な空気を変えるべく、勢いよくご飯をかきこみ、食卓を後にする。
「俺、風呂入ってくるわ」
「いってらっしゃい」
アンドロイドのユキは水に浸かることができないので、お風呂に入ることができない。文明はアンドロイドと共存するまで発達したが、やはり人間と全く同じというわけにはいかず、とどのつまり、家電製品なのだ。それでも祖母の娘時代は、まだアンドロイドはフィクションの世界か、某電話会社の商品名に過ぎず、まさか自分があの世に逝く前に、こんな時代がやってくるなんて、事実は小説よりも奇なりだねぇ……とは祖母の口癖だ。それに加え、アンドロイドができるくらいなら、空飛ぶ自動車ができていてもおかしくないのに、いつになったらできるのかねぇ……と注文も多い。祖母にはもっともっと長生きして貰わなければ――
風呂上り、部屋に戻ると、ベッドの上にユキが寝そべっていた。その肌の白さと中性的な顔立ちは、男の和希から見ても反則だと思う。
「ユキ、風呂上がったぞ」
「……んん」
伸びをしてから、ユキは自分の着ている服を手馴れた手つきで素早く脱ぎ出す。顕になった肌を見て、改めてその白さが際立ち、無機質なはずのアンドロイドから色香が立ち込めるような気がして、一瞬我を忘れてボーっとしてしまう。
「和希、どうした?」
「……あ、わりぃ。じゃ、身体拭くから背中むけて。」
「うん」
色が白いだけではない。シミ一つない陶器のように綺麗な肌をタオルで丁寧に拭っていく。風呂に浸かれないので、このように和希がユキの身体を清めてやるのがいつからか日課になっていた。もちろんそれくらい自分でできるはずだし、自分でやるよう言うこともできるはずなのだが、それが言えない―――あえて言わない。
脇の下を拭きながら「なあ、くすぐったくないの?」とお決まりの問いかけをする。
「今は感覚神経OFFモードだから」
いつもなら「ふ~ん」の一言で終わってしまう会話だが、今日は何故かいつもと違った。
「なぁ、そのなんちゃらモードってやつ、いつもOFFにしてるけど、ONにすることってできねーの??」
「え……」
「俺、なんかまずいことでも言った?」
「別に言ってない」
「だったらONにしてみろよ。普段はONなんだろ?だったら今だけOFFっておかしいじゃんか」
ユキに頼んでみると、心なしかユキの顔が赤い。
「くすぐったいから」
「それだけかよ?だったら、痛かったり痒かったりはいいの?」
「そういう訳じゃないけど」
「じゃあ、どういう訳だよ」
「……分かった。すりゃいいんだろ」
和希の必死の頼みに渋々折れてくれたのか、不満顔ではあるが、ユキは後頭部にある小さなボタンをカチッと押す。たったそれだけの動作で本当になんちゃらモードがONになったのだろうか?まあ、自分で確かめてみればいいことだ。
「ONになった」
「お~サンキュッ!じゃあさっそく脇の下から攻めてくとしますか~」
おちゃらけて言ったつもりなのに、先程よりますます赤くなり、モジモジしだすユキを不信に思いながら、相変わらず陶器のように綺麗な肌を拭っていく。和希の手が脇の下を通り抜けて、乳首のあたりに差しかかった時、ほんの僅かだが、
「……っ」
ユキがぴくりと反応する。
「やっぱりくすぐったかった?」
「……あぁ」
「へぇ~~ちゃんとONになってんじゃん」
「ONにしたって言っただろ」
ユキをからかうのがだんだん面白くなってきた和希は、執拗にユキが反応を示した乳首のまわりを拭っていく。すると、白い肌に赤みが差し、いつも冷たいユキの肌が発熱し始める。
「ユキ、なんか熱くなってきたけど大丈夫?これってまさかショートってやつ!?」
「これくらい平気だ。そんなやわじゃない……それよりも、さっさと済ませろ」
はいはいとおざなりに言い、その手が乳首に触れた瞬間「あっ」とユキから声が漏れる。その声があまりにも色っぽくて、先程から少し反応しかけていた和希のそこが熱くなる。 ユキ相手に変な想像をしてしまう自分がなんだか許せなくて、タオルをユキに向かって投げつけ「たまには自分で拭けよ」と今まであえて言わなかった一言をユキに吐き捨てるように言い、部屋を出ていこうとしたが、ふと、ここが自分の部屋だということに気がつき、ユキに「出てけ!」とキツく当たってしまう。自分でもよく分からない感情が渦巻いているのに、もっと分からないのはユキのほうだろう。部屋を出て行く際に振り返ったユキの悲しそうな表情が、和希の胸にチクリと突き刺さった。
翌朝、リビングへ行くと、ユキがソファーに座って天気予報を見ていた。昨日のことがなんだか気まずくて、チラと横目で見ながら「……おはよ」と声をかける。
「おはよう」
いつも通りの素っ気ない返事。
良かった、昨日のことは気にしていないみたいだと一人で納得して、食卓へ向かう。早起きの祖母はちょうど鍋から味噌汁を注いでいるところだ。
「おはよう。今日はなんだかお二人さんの様子がおかしいねぇ。喧嘩でもしたのかい?」
だてに80年生きているだけのことはある。祖母の冴え渡る勘にひやりとしつつ、そんなことないよとその場を交わし、いつも通りの朝食となる。本日の朝食は、ナスの味噌汁としらす大根おろし、それに厚揚げと鮭だ。
「「「いただきます」」」
三人の声が重なり合う。
「今日もばあちゃんの作る飯はうめえなぁ!!」
「孫にそう言って貰えるのがあたしの生きがいだよ。ユキちゃんはどうだい?」
「今日も高梨家のゴハンは最高です」
もちろん、ユキは首裏のプラグから電流を摂取中だ。
登校中、ふと横にいるユキに目をやると、同じようにこちらを見ていたユキと目が合う。
気まずい空気が二人の間に流れる中、和希が口ごもりながら「昨日のことだけどさ……」ときりだす。
「なんか俺、感じ悪かったよな。マジでごめん。ユキは何も気にすんな……今日はいつも通りなんちゃらモードOFFのまま拭いてやるからさ」
「……別にONでもいい」
「え……」
「だから、別にONでもいいって言ってるだろ。お前、そこまで馬鹿だったか?」
「う、うるせっ、馬鹿は余分だ」
「そもそも、和希が急に部屋から出てけって言うから、なにか気に障ることでもしたのかと思って、昨日は睡眠モードに入れなかった」
ユキがそこまで思い悩んでいたとは知らなかった。
「だからそれはその……えーっと……」
自分が昨夜、ユキに対して抱いてしまった感情を言えるはずがない。それを口に出した瞬間、今までの関係が崩れてしまうと思うと怖くて、和希が珍しくあれこれ考えを巡らせていると「俺はお前の正直な気持ちが知りたい」と珍しく強気なユキが真剣な眼差しでこちらを見つめてくる。――真剣な相手には真剣に返さなきゃ――
ゴクリと唾を飲み込み、和希は意を決して話し始める。
「俺さ、昔からユキのことは綺麗だなって思ってたんだけど、それはそういう感情とかじゃなくてさ、花が綺麗だな~とかそういう類いだったんだ……だけど昨日、ユキの身体を拭いてる時に、なんかその……ムラムラした」
「……」
「だっ、だから、お前の肌は白くて綺麗だし、なんちゃらモードONにした途端に変な声出すし、あれ以上拭いてたら、男の俺が暴走する……っていうか、男が男に対しておかしいかもしれないけど、あのまま押し倒して、それから……」
「押し倒されても別によかった」
その言葉を聞いた瞬間、むせ返りそうになる。
「お前、意味分かってんの?」
「僕を和希と一緒にしてもらっちゃ困る。アンドロイドは人間の何倍も頭がいい。まして和希が相手なら、何百倍だ」
「だから一言余分だって」
「前からずっと待ってた。感覚神経だって、わざとOFFに……ONにしたら昨日みたいになると思って」
ユキがそんなことを考えていたなんて今まで知らなかった。今思えば、赤らんだりモジモジしたり発熱したり、それはつまりそういうことで……そう考えると、ユキが愛おしくて堪らなくなる。
「どうなっても知らないからな」
「ふん、チキンの和希がどう喜ばせてくれるか楽しみだ」
「お前、さっきから馬鹿にしすぎ」
「今日はONにして待ってる」
「お、おう」
二人でいつも通り帰宅すると、いつもはドラマに夢中の祖母が珍しく玄関先まで二人を出迎えて「それで、仲直りはできたのかい?」と聞いてくる。二人の顔が赤らんだのを祖母は見逃さない。
「心配の必要は無さそうだねぇ。ちなみに今夜は特上のうな丼注文しといたよ。ユキちゃんと和希で電気ウナギなぁんて、フフフ」
そういって、すたすたと自分の部屋へ消える祖母。
数秒間、二人が口をあんぐり開けたまま言葉が出なかったのはいうまでもない。
「ばあちゃん、恐るべし……」
気を取り直した和希は、前から疑問に思っていたことをユキに聞く。
「ところでさ、人間とアンドロイドって……できるの?」
「……大馬鹿」
思い切りユキにほっぺたをつねられる。
今夜はせっかくのうなぎも意味が無さそうだ。
ユキにつねられた箇所が、ピリリと痛んだ。